大久保 勲の人民元論壇    
     第60号 2020.06.18発行
福山大学名誉教授
大久保 勲
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『未完の人民元改革』(関志雄著、文眞堂発行、2020年4月)に学ぶ

 
 関志雄先生が『未完の人民元改革』を上梓された。この書物の構成は、関先生が2004年以降に執筆された人民元に関する数多くの論文をテーマ毎に分類し、各論文の関係が分かるように章立てし、各部の冒頭に解説を兼ねた導入文を追加しておられる。内容的には、WTO加盟後の人民元切り上げを巡る議論、「管理変動相場制」の実態、「完全変動相場制」への道、チャイナ・マネーの行方、人民元の国際化に向けての課題という五部門に分けて、まとめておられる。
 関先生は30年を超える優れたエコノミストとしてのキャリアの中で、人民元に関心を持ち、経済理論を駆使して研究を続けてこられたのであり、人民元に関心のある方々にとって大変参考になる書物である。
 本稿では、『未完の人民元改革』に基づいて、「完全変動相場制」、「人民元の国際化」、「資本取引の自由化」、という三つのキーワードで、国際通貨へと進む人民元の将来展望について、取りまとめてみた。人民元について将来展望を持つことは、短期的な人民元動向の背景として極めて大切である。
 
1. 完全変動相場制
 2000年代前半に、中国に対して人民元の切り上げを求める声が大きくなった。その理由の一つとして、当時の人民元の為替相場が、その購買力平価(PPP)から大きく乖離し、中国経済の真の実力を反映していないということが挙げられた。しかし、中国に限らず所得水準の低い発展途上国であるほど、自国の為替相場がPPPよりずっと割安であるという現象が観測されている。これは、非貿易財である多くのサービスに関しては、賃金水準の格差を反映して、低所得国ほど安いという「バラッサ=サミュエルソンの仮説」に沿ったものである。
 中国は2005年7月に人民元の対ドル相場を2.1% 切り上げた上、事実上のドルペッグ制から「管理変動相場制」に移行した。中国は「市場の需給を基礎とし、通貨バスケットを参考に調整される『管理変動相場制』を実行する」ことを公約した。現在、中国で実施されている「管理変動相場制」は、バンド(Band),通貨バスケット(Basket),クローリング(Crawling)に基づくBBC方式に当たる。
 まず、バンドについては、現行の制度の下では、変動幅は2014年3月17日に上限2.0%となった。当初は中間値の上下0.3%に設定されたが、その後、0.5%、1.0%そして2.0%と拡大された。
 通貨バスケットについては、「管理変動相場制」に移行してから、通貨バスケットが、人民元の対ドル相場の決定要因として強調された。しかし、その構成は発表されなかったが、米ドルが通貨バスケットの大半のウエイトを占めていると思われた。2015年12月11日に中国外貨取引センター(CFETS)は、人民元の13か国・地域の通貨からなる通貨バスケットに対する価値を示す「CFETS人民元相場指数」を導入した。これに基づき、当局は人民元の基準値となる対ドル中間値を決める際の「前日終値+通貨バスケット調整」方式が徐々に確立され、2016年2月中旬以降、具体的に実施されるようになった。ここでいう「通貨バスケット調整」とは、主要通貨の対ドルの変動を考慮した「通貨バスケットの変動に応じた調整」である。この方式の実施により、人民元の中間値、ひいては市場相場は、市場の需給と主要通貨間の為替相場の変動をある程度反映するようになった。なお、中国外貨取引センター(CFETS)は、「CFETS人民元相場指数」と同時に、「BIS(国際決済銀行)通貨バスケット人民元相場指数」と「SDR(IMFの特別引き出し権)通貨バスケット人民元相場指数」を発表しており、マーケットメーカーは三つの通貨バスケットを参照して、判断を下す。
 それでも、何らかのショックにより人民元が強い上昇または下落の圧力にさらされる場合、市場相場を中間値の上下2%という制限幅に抑え込むために、当局による外為市場への介入が必要である。それに伴って、外貨準備と共にマネーサプライも変動するため、金融政策の独立性は依然として制約される。
 中国は、最終的には、当局が中間値の発表を止め、原則として市場介入を行わない「完全変動相場制」に移行しなければならない。「前日終値+通貨バスケット調整」方式の実施は、それに向けた一歩であると言える。
 クローリングは、当局が発表する中間値の微調整を通じて実現される。2016年に入ってから「前日終値+通貨バスケット調整」となったが、2017年5月に、「前日終値+通貨バスケット調整+反循環的要因(逆周期因子)」方式に改められた。しかし、「反循環的要因(逆周期因子)」の内容が明示されていないため、当局が中間値を決める際の裁量の余地が広がっている。関先生は、これは人民元の変動相場制への移行が一歩後退したことを意味する、としておられる。当時の報道では、逆周期因子導入の主な目的は、「市場の情緒的な順周期変動を適度にやわらげ、外為市場に存在する可能性のある付和雷同的反応を緩和すること」としている。逆周期因子の「モデルのパラメーターは各値決め銀行がマクロ経済と外為市場情勢に対する判断によって自行で設定する」となっており、具体的内容は明確ではない。
 「国際金融のトリレンマ説」では、「自由な資本移動」、「金融政策の独立性」、「固定相場制」という三つの目標を同時に達成することは出来ないとされるが、現在の中国では、為替相場は完全ではないが、ある程度の変動が認められており、また、資本取引も完全ではないが、ある程度自由になっているという「中間的制度」が採用されている。この制度の下で、完全ではないが、金融政策のある程度の独立性と有効性が保たれている。
 中国のインフレ率や国際収支、通貨バスケットの構成通貨の動きに加え、米中貿易摩擦も人民元の対ドル相場を左右する要因となっている。人民元がドルに対して安定的に推移する、または下落する時に、米国からの切り上げ圧力が特に高いという傾向が見られる。
 人民元問題をめぐる米中間の攻防として、米国政府による「為替操作国」認定がある。具体的に定量化した「為替操作国」認定基準は、次の通りである。
 ① 対米貿易黒字(財のみ、サービスを含まない)が200億ドル以上、
 ② 経常収支黒字の対GDP比が3%以上、
 ③ 外為市場での持続的かつ一方的な介入が繰り返し実施され、過去12か月間の介入総額がGDPの2%以上。
 2019年8月5日、当局の発表する人民元対ドル相場中間値は1ドル=6.9225元であったが、オンショア、オフショアの人民元対ドル相場はどちらも7元の大台を突破し、貿易戦争は為替戦争の様相を呈することとなった。米財務省は8月5日、「1988年包括通商競争力法」第3004条に基づき、トランプ米大統領の後押しの下で、ムニューシン財務長官が中国を「為替操作国」として認定すると発表した。「為替操作国」の認定は、一般的に年2回議会に提出する「為替政策報告書」で示されることになっており、それ以外のタイミングで行われるのは異例と言える。米国が中国を「為替操作国」に認定することは、激化する米中貿易摩擦を巡る駆け引きの一環である。しかし、米財務省は2020年1月13日、半期為替相場政策報告を発表し、2019年8月中国に対して”為替操作国”と認定したのを取り消した。
 人民元が市場からは切り下げの圧力、米国からは切り上げの圧力を同時に受けている中で、関先生は「完全変動相場制」への移行が目指すべき中長期目標としておられる。関先生は、中国の「為替制度改革」の歩調は極めて遅いと言わざるを得ない、としておられるが、同時にいま「完全変動相場制」への移行を行えば、人民元は急落する恐れがあると指摘しておられる。私も全く同感である。
 
2.人民元の国際化
 中国は人民元の国際化に向けて努力を続けている。その一つが、2016年10月1日に正式に国際通貨基金IMF)の特別引出権(SDR)の構成通貨として採用されたことである。
 人民元の国際化には、人民元の発行国である中国が整備された金融市場を持ち、資本取引が自由であり、また、人民元への信認が確立されていることが必要である。また、経常取引、資本取引、外貨準備などにおいて、人民元が使われる比率が一定程度まで高まることが必要である。
 人民元の国際化に向けて、中国政府は、クロスボーダーの貿易決済、直接投資、ポートフォリオ投資における人民元の利用の利便性の向上や、人民元オフショア市場の発展、各国の通貨当局との協力強化といった取り組みをしてきた。その上、中国人民銀行は中央銀行デジタル通貨(デジタル人民元)の発行を目指しており、中国は中央銀行デジタル通貨を本格的に導入する最初の国になりそうである。中国が他国に先駆けて中銀デジタル通貨を発行し、その国際的利用を促進すれば、人民元の国際化にとって、有利な条件となるであろう。ただ、周小川・前中銀総裁は、中国における中銀デジタル通貨発行の目的は、国内での使用であると明言している。
 中国では、証券業と証券市場の対外開放に向けて、当局は、2019年7月に外資による証券会社への出資制限を緩和したのに続き、9月には、適格海外機関投資家(QFII)と人民元適格海外機関投資家(RQFII)の制度における投資限度額を撤廃すると発表した。
 中国が進めている「一帯一路」構想は、中国を除いて「一帯一路」沿線には64か国が含まれており、2016年に人口は世界の43.4%(中国を含めると61.9%)、GDPは世界の16.0%(中国を含めると30.9%)、貿易額は世界の21.7%(中国を含めると32.9%) に上る。「一帯一路」構想の実現に向けて、人民元の果たすべき役割は大きい。
 
3.資本取引の自由化
 人民元の国際化に向けて、中国は、「資本取引の自由化」を目指しており、そのため、「人民元の変動相場制への移行」、「金利の自由化」にも同時に取り組んでいる。しかし、この「三位一体改革」を完成させるには、まだ時間がかかりそうである。
 国境を超えた自由な資本移動は人民元の国際化の前提条件である。しかし、金融システムが未熟な段階では、資本取引の自由化は、経済の不安定要因となりかねない。また、資本取引の自由化は、資本逃避とマネーロンダリングを助長しかねない。
 中国が資本取引の自由化を進める際、特に次の点に注目すべきである。
 第一に、資本取引の自由化に備えて、金利の自由化を進めなければならない。
 中国では、マネーマーケットと債券市場における金利の自由化は1990年代後半から始まり、既にほぼ完了している。外貨の預金金利と貸出金利の自由かも、2000年代前半に大きく進展した。さらに、人民元預金金利の下限撤廃と人民元の貸出金利の上限撤廃が、いずれも2004年10月に実施され、大口預金金利の自由化も進展が見られた。2013年7月に貸出金利の下限が撤廃され、2015年10月に預金金利上限も撤廃され、建前上金利は完全に自由になった。しかし、現在も、中国人民銀行は預金・貸出しの基準金利を引き続き公表しており、一定の影響力を残している。
 第二に、資本取引の自由化が進むにつれて、金融政策の独立性を確保するために、為替相場の弾力性を高めなければならない。最終的には、完全変動相場制に移行しなければならない。
 第三に、金融システムを強化しなければならない。企業の銀行への過度の依存体質を是正するために、直接金融を通じて資金を調達できるように、資本市場の更なる発展が必要である。
 参考までに、2020年2月28日に国家統計局が発表した2019年統計公報によれば、全金融機関人民元外貨各種貸出増加額は16.8兆元、年間上海深圳取引所A株累計資金調達額1.35兆元、年間各種主体が上海深圳取引所を通じて発行した債券(社債、転換社債、政策性金融債、地方政府債と企業資産担保証券)による資金調達7.2兆元となっている。
 
4.まとめ
 李克強総理が、2020年5月22日に行った政府活動報告では、人民元について、“人民元為替相場の合理的な均衡水準での基本的安定を保つ”と報告した。2019年3月5日の政府活動報告では、“為替相場形成メカニズムをより完全なものにし、人民元為替相場の合理的な均衡水準での基本的安定を保つ”と報告した。2020年の政府活動報告は、2019年より短くしているので、人民元について、2020年は2019年と同じく、「管理変動相場制」の継続である。
 関先生は、中国の経済力の上昇と比べて、人民元の国際化が遅れていることを指摘しておられる。また、中国は、米国の圧力をかわすために、人民元の「完全変動相場制」への移行を急がねばならない、としておられる。関先生は、既述の通り、2017年5月に、「前日終値+通貨バスケット調整+反循環的要因(逆周期因子)」方式に改められたことは、人民元の変動相場制への移行が一歩後退したことを意味する、としておられる。逆周期因子は、2018年1月に、人民元相場の上昇に伴い、一旦取りやめとなった。しかし、2018年8月から再び導入されている。
 既述の通り、関先生は、中国の「為替制度改革」の歩調は極めて遅いと言わざるを得ない、としておられる。表現を変えれば、中国は為替制度改革にたいへん慎重である。しかし、実務的に見ると、為替相場形成メカニズム改革についても、資本取引の自由化についても、人民元の国際化についても、慎重に一歩一歩前進させてきた。そして、時に一歩後退することもあった。
 現時点で見ると、「未完の人民元改革」を完成させることは、関先生が指摘しておられるように、中国にとっては、まだまだ中長期的課題といえる。
以上
 


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