北京NOW (B)    
     第13号 2005.8.5発行 by 江原 規由
    鄭和600周年の現実的意味 <目次>へ戻る
 今から600年前の1405年7月11日、明の成祖永楽帝の命を受け、鄭和が大船団(大宝船と称された)を率いて江蘇省太倉瀏河口を出航した。以後、1433年までの7回に及ぶ大航海は、東南アジアからアフリカ東海岸(欧亜両端)にまで達し、当時、世界最大といってよい通商交易圏が形成されたといわれている注1。バスコダガマ(喜望峰経由インド航路発見)、コロンブス(アメリカ大陸発見)、マゼラン(史上初の世界一周)などが活躍したヨーロッパの大航海時代に先立つことほぼ1世紀前の偉業であり、既に6世紀前に、現在世界の注目を集めている中国とASEANとのFTA(自由貿易協定定)の原型が構築されていたといってよい。 図:表紙
 今、中国では鄭和ブームである。新聞・雑誌等マスコミ界における頻繁なる紹介、記念切手の発行、人民大会堂での「鄭和下西洋600周年記念大会」の開催、また、国務院が7月11日を「中国航海日」としたほか、北東アジアの国際航運センターを目指す大連でも盛大な記念大会が挙行されるなど、鄭和は時の人として現代に蘇った感がある。この全国的な鄭和ブームには、世界に先駆けた鄭和の偉業を称えると同時に、中国の「和平崛起」(平和台頭、中国の世界におけるプレゼンス向上)に対する世界の風当たりを軽減しようという「ねらい」がこめられているといってよい。


<走出去は現代の朝貢貿易>
 まず、世界の風当たりを具体的に見てみよう。中国は今年上半期(1~6月)、9.5%の高成長を遂げ、またこれまで世界に類のない52万社超の外資企業(6月末時点、登記ベース)を受け入れている。この高成長と外資受入れは、中国の持続的経済発展上の「生命線」といえるが、同時に、これを危うくしかねない人民元レートの調整(7月、11年ぶり)を余儀なくされ、かつ、持続的高成長に不可欠な「走出去」(中国企業の対外展開、総じて、中国経済の国際化のこと)に「待った」がかけられるケースが続出している。すなわち、前号で紹介した中国パソコン大手の聯想による米IBMパソコン部門の買収や中国海洋石油のユノカル社(米国の石油会社)の買収をめぐって国家安全保障に関わると米国議会の横槍が入ったことや、海南航空のハンガリー航空の買収でも中国企業というだけでナショナルフラッグの買収に待ったがかけられ買収断念となったことなどが指摘できる。まだある。持続的経済成長に不可欠な海外資源を入手しようとすると、金に任せて注2世界の資源を買い漁り、資源価格を吊り上げていると非難されるといった具合だ。持続的成長に不可欠な「走出去」の行く先に黄色信号が点灯しているような状況だ。
 こうした事態に対する鄭和の偉業を借りた中国の主張はこうだ。鄭和の大航海は現代版「走出去」であり、目的は行く先々での交易が主であって砲艦外交ではなかった。その後のヨーロッパの大航海時代が残したものは、植民地化と略奪にあったが、鄭和の「大宝船」はいわゆる、「厚往薄来」(ギブが多くテイクが少ないこと)とされる朝貢貿易の拡大にあった。「走出去」で海外企業や海外資源の買収・資本参加もするが、同時に、中国に進出した外資系企業には優遇措置まで講じてビジネスチャンスを提供している。21世紀にも朝貢貿易の精神は生きているとの主張だ。
 余談だが、「鄭和7下西洋」を特集した「参考消息」紙(7月7日号)には、室町時代の足利義満将軍まで引き合いに出され、「明の時代、万邦来朝<四方の国から中国に来訪すること、朝貢貿易ともいえる>が形成され、日本幕府の足利義満将軍も明との交易を心から希望して臣下の礼をとった。こうした歴史は、今日の中国と東南アジア、その他国家との関係からいうと、今でも啓示的作用がある」としている。当時、西洋は暴力的植民地主義であったのに対し、中国は平和的海外事業に取り組んだとしてはいるものの、「臣下の礼」とはやや穏やかではない。現代の「政冷経熱」の両国関係が投影されているのではないかと疑いたくなる文面である。


<藍色文明への回帰>
 国務院直属の通信社である新華社が主催している「瞭望」(2005年7月11日発行総第1117期)でも、「記念鄭和下西洋 走出去:跨越600年対話」と題した大特集を組んでいるが、このほか数ある鄭和特集の要点を、以下に整理し私見を述べてみたい。
 いずれのメディアにも共通した主張は、中国の文明は「黄色文明」で、西洋の文明は「藍色文明」であったという点だ。つまり、鄭和の大航海以後、中国文明は大陸中心となったがゆえに、大海を拠り所とした西洋文明に遅れをとったという。然るに、鄭和のいった「国家欲富強、不可置海洋于不順。財富取于海、危険也来自海上(中略)一旦他国之首奪取南洋、華夏危矣」(富国強兵は大海にあり、国家の興亡も大海にあり、制海権の確保は国家の急なり)の精神に帰るべき時が来たという。海上の安全と権益の確保なしに中国の持続的成長も繁栄もないということになる。具体的には、中国のGDPに占める対外貿易総額は約70%と突出していること、また、中国は1993年石油の純輸入国に転じていることなどが指摘できるが、貿易も石油も大部分が海運だ。日本との関連では、東シナ海(中国語では東海)海上資源開発問題への中国側の強硬姿勢などに象徴的だが、いずれにも、「藍色文明」への回帰に向けた「中国の必要」が見て取れる。
 世界における中国のプレゼンスが向上し、中国経済の国際化が急展開した結果、「海」こそ中国繁栄の「生命線」だといった600年前の鄭和の教訓が見直され、中国が本格的な「走出去」時代の到来を意識したということである。


<新たな改革開放政策>
 鄭和ブームには、世界における中国の存在感の再確認という視点もある。鄭和の偉業には、当時、中国が西洋に勝っていたことが強調されている。600年前に中国が西洋を凌駕していたとするのは3点。即ち、①前述の鄭和の下西洋は西洋の大航海時代に先立つことほぼ1世紀であったこと。②規模が遥かに西洋を上回っていたこと、冒頭の3者の船隊は3~5隻程度であったが、鄭和の船隊は注1のとおり、規模において圧倒的に3者の船隊を上回っている、③造船技術と航海技術において西洋を遥かに凌駕していたこと、即ち、鄭和の「大宝船」の規模と種類の多さは造船技術の高さを示しており、かつ現存する「鄭和航海図」、「過洋牽星図」などから天体観測などによる先進的航海技術をもっていたことである。
 これを現代中国経済に当てはめると、①は中国は依然発展途上国で西洋から遅れをとっている、②は経済規模こそ2004年にはGDP世界7位となったが、一人当たりでは、132位(GNIベース、世界銀行2005年7月15日発表)と世界の後塵を拝している、③は中国独自な先進技術はまだまだ少なく、そのほとんどを海外、ないし中国に進出した外資企業に依存している状況だ。
 なぜ、中国は世界から遅れをとったのか。大方の識者やメディアは、「藍色文明」を求めた鄭和の「大宝船」事業が処女航海からわずか28年にして1433年に打ち切りとなり、その後、「禁海政策」(内政に終始し海外を顧みないこと)が採られたからだという。


 現代において禁海政策を変えたのは、鄧小平が78年に打ち出した「改革開放政策」であった。それから26年が経過した。今日の中国のFTA締結へ向けた積極的姿勢、海上権益の主張、海外M&Aの積極的展開、造船大国への希求、そして軍事予算の拡大など、中国の内向きだった改革開放政策は、今や、「和平崛起」の名のもとに、「大陸」から「大海」へ、そして「その彼方」へとさらにその領域を拡大しようとしている。永楽帝が号令した「鄭和七下西洋」の開放政策は、永楽帝が世を去ったこと、大航海が明の財政を圧迫しつつあったこと、朝廷内の対立など今日と似たような状況のある中、28年で終焉した。両者の差は2年である。今から3年後、中国は永楽帝が南京から遷都した北京で世界が注目するオリンピックを開催する。中国の「和平崛起」を大いに世界に発信できる格好の舞台となるが、囁かれるオリンピック後のバブル経済の崩壊や対中リスクの拡大で、現代の「大宝船」が「藍色の大海」で立ち往生しないことを願うばかりである。

               
注1 鄭和の7回に及ぶ大航海のことを、中国語では「鄭和七下西洋」という。 乗員は一回あたり3万人弱、60隻の大中船のほか、各種各様の小船を含めると、最大規模で200隻を数えたとされる。
注2 現在、外貨準備高で中国は世界第二位、今年中、第一位の日本を抜くともいわれる。




    
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