北京NOW (B)    
  第24号 2007.10.31発行 by 江原 規由
    雑感:日中国交35周年および中国における外資 <目次>へ戻る
 今年は、日中国交35周年の節目の年であるが、日本にとって対中関係を論じるに当たり、今年はもう一つの大きな節目の年でもあるという事実を忘れてはならないであろう。紀元607年に小野妹子が遣隋使として隋に派遣され、その時以来、中国の文化・制度が日本に輸入され、日本は国のかたちを整えてきたという事実である。
 今日、日本企業の対中進出が盛んであるが、1400年前には、生産拠点や市場を求めてではなく、先進的中国の文化・制度を求めて、日本から有志が荒波にもまれることを承知の上で命がけで対中進出した時代があった。


 日中国交35周年に当たり、経済関係では、双方向の交流(例えば、日本の対中投資と中国の対日投資が均衡するような経済関係が醸成されること)が強調されているが、同時に、文化や制度の相互交流、双方向での人的交流も大いに必要となってきているのではないだろうか。今流に言えば、日中両国がソフトパワー(後述)を発揮し交流を深める必要性が高じてきているということになろう。そんな精神が1400年前に芽生えていたわけだ。日中国交35周年を考える上での大きな視点となろう。
 以下に、日中国交35周年を外資の歩みを中心に振り返ってみたい。


<1元135円の時代>
 国交正常化の頃、1元は今のほぼ9倍の135円(現在約15.5元)であった。筆者が始めて中国を訪問したのが1979年、当時の1元は150円を超えていた。今から思えば、超元高の時代であった。日本の対中ビジネスは貿易中心で、日本製品の対中輸出、一次産品の対中輸入といった垂直貿易であった。中国には外貨はなく、両国間の貿易量は細々としていた。


 1972年の日中貿易は、当時の大蔵省通関統計によると、11億ドル余と現在の0.5%に過ぎない。対中輸出は鉄鋼、化学肥料、輸入が食料品と生糸が中心の垂直貿易であった。国交正常化までは、対中貿易は友好商社ベースでかなり制約されていたが、国交正常化で日本の経済界は輸出入が拡大すると期待し、中国では貿易拡大によって生活・生産関連物資・技術が入ってくるとの期待があった。


 改革開放直後の1980年に円借款が対中供与されると、日本の大手商社の対中売り込み合戦が熱を帯び、政府高官を主とする買付けミッションがこぞって訪日した。70年代後半から80年代前半にかけ日中双方は熱烈歓迎の時代にあったといえる。


<夢にもみなかった対中投資時代の到来>
 この時期、筆者は円借関連で中国から日本の製品を買付けに来日するミッションに随行し日本各地の商社やメーカーを回った。改革開放政策採用直後の中国が経済建設やインフラ整備に必要な機械設備を中心とする「メイド・イン・ジャパン」を物色しに来たわけである。その時から15年ほど経った今日、巨額な貿易黒字を背景に中国が米国に買い付けミッションを派遣し航空機、農産品、IT製品など多額の「メイド・イン・USA」を買い付けるとは、当時まったく予想外のことであった。また、対日買い付けという視点で見れば、日本製品でなく日本企業ということになろう。中国企業による日本企業のM&Aは今は少ないが今後急速に増えることになろう。
 筆者は日本で中国製品をよく買うが、その度に、70年代後半から80年代にかけて、中国から買い付けミッションが来日するたびに、ミッションメンバーのショッピングに付き合ったことを思い出す。当時、こうして来日する中国人のために、格安で家電製品を中心に日本製品を売る店があちこちにあった。家族や知人などから頼まれたものを含め大量に買い付け、手持ちするもの、託送するものとに分けるまで、ずいぶんと時間がかかったものである。こうして買い付けた製品が今や中国に進出した外資系企業や中国企業によって作られ、それを日本が輸入するようになるとは、まさに15年にして隔世の感があるというものであろう。
 近年、観光で来日する中国人が増えているが、彼らのお気に入りである高級化粧品やデジタルカメラ、ゲーム機などのショッピング品目もまもなく中国でつくられことになることが確実な情勢だ。日本が誇る液晶TVも壁掛けTVも既に中国で生産されている。
 こうした状況は、中国の対外貿易額のほぼ6割を稼いでいる対中進出した外資系企業を抜きには語れないわけだが、当時、対中投資ブームが到来するとは夢にも思えなかった。


<日本の対中投資4区分>
 対中投資が本格化するのは1990年代に入ってからである。筆者は、日中経済関係は大きく4つの時代区分に分けられると思っている。


 第1期は国交正常化した1972年から党11期3中全会(改革開放政策が採用された)が開催された1978年まで。文革の経済停滞を抱えながらも、「新たな長征」といわれた「4つの近代化」(農業、工業、国防、科学技術)が発表され、政治重視から経済優先の国家運営へと舵が切られた時期。


 次の2期は、鄧小平氏の南巡講和が発表された1992年まで。改革開放路線は試行錯誤しつつ外資を導入し成長路線を希求しつつあった時期。


 第3期は、経済成長の代償(エネルギー、環境問題や所得格差など)がまだ目立っていなかった2001年まで。鄧小平氏の「外資を大胆に導入せよ」や「発展才是硬道理」(発展こそ全て)が実現されていった成長一本やりの時代。97年のアジア通貨危機で、中国は今とは逆に人民元の切下げを「断固実施しない」と宣言し、これを有言実行したことは、今日、中国がASEANとのFTA交渉で日本や韓国などより一歩リードした基礎を築いたものと評価できよう。


 それから現在までが4期。中国経済の国際化が一段と進展する一方、中国経済で外資のプレゼンスが増え、また、成長に伴う矛盾が意識されはじめた時期。今後の中国経済における際立った特徴は、国際化と民営化の同時進行である。今日の株式ブームや人民元高などはその象徴といえる。


 やや大胆ない言い方をすれば、改革開放の改革は民営化(主に産業再編)に、開放は走出去(特に中国企業の海外展開)に置き換えられよう。民営化と国際化のキーワードはM&AとFDI(直接投資)の行方ということになろう。


 4つの時代区分のうち、ハイライトはなんと言っても、1978年12月の党11期3中全会で採択された改革開放路線で、特に、対外開放が急ピッチで進められた点で時代を画した政策であり、よくも悪しくも今日の中国の「姿」を決めた世紀の政策であったといえる。


<現代の「中体西用」>
 改革開放政策が採択されてからしばらく、日本は中国にとって最大の貿易相手国であった。経済協力では宝山製鉄所の建設協力などが指摘できるが、一方で、契約プロジェクトの延期問題などが発生し、一時期日中経済関係が座礁に乗り上げかねない状況に直面した。 1985年のプラザ合意で、円高が進み日本企業の海外進出熱が高じ、結果、日本に産業空洞化の一因を成すに至る。
 中国にとって日本は、2006年には香港、英領バージン諸島につぎ第3番目の投資相手国(2007年上半期では、韓国が第3位となり、日本は第4位)となっている。


 中国も特区や経済技術開発区の建設などで外資受入の環境整備を急速に進めるが、この時の改革開放政策とは、19世紀後半の近代化政策であった「中体西用」の「西用」をまずやろうということであったといえる。19世紀の「中体西用」は長続きしなかったが、改革開放政策は外資受入の環境つくり(経済特区、経済技術開発区、各種ハイテク区、新区<上海浦東、天津濱海、瀋陽瀋北、鄭州鄭東>、総合改革試験区<新特区と称され、上海、天津、重慶が指定を受けている>など)を実践した点で傑出していた。


 今日、中国は外貨準備で世界第一位となったものの、世界に通じるブランドを持っていないなど、中国の技術的水準はまだまだ向上の余地は大きい。目下、中国は「科学発展観」や「自主創新」で大いに科学を前面に出した経済運営を実践しようとしている。


 同時に、中国は「人材立国」を標榜し教育に注力している。鄧小平氏は、「先富論」で「まず豊かになれる人から豊かになれ」といったが、今後は、人民が能力と知識を発揮し「豊かさ」を手に入れる時代に入ったといえる。今後、外資系企業は中国人材を活用した対中進出や各種ビジネスアライアンスの構築を進めることになろう。


 さて、「中体」のほうは、中国が目下世界に向け発信しようとしている「ソフトパワー」(中国語:柔力量、柔実力)に集約できよう。国力には3つの力があるとされる。軍事力、経済力、そしてソフトパワー。ソフトパワーは経済力と重複するところが多く、また、軍事的にも効果が期待できるとされている。ソフトパワーを簡単にいえば、文化力といえる。ソフトパワーを発揮してどうするかというと、世界における中国の好感度を上げるということになる。
 例えば、世界では中国製品は身近なもののなりつつあるが、中国の文化、歴史、人々の価値観、生活環境、中国語などはそれほどの理解されていないのが現状である。等身大の中国を理解してもらうためにソフトパワーを発揮するというわけだ。中国は経済力(世界第四位の経済規模、第三位の対外貿易量)で世界におけるプレゼンスを大いに高めたが、中国総体としてのプレゼンスを高めるために、中国は今、ソフトパワーを発揮しようとしているわけである。「中体」の発揮というわけである。


 ソフトパワーは、目下、中国が国家戦略として進めている中国企業の海外展開を加速する効果が期待できよう。ソフトパワーでの発揮で中国の好感度が上がれば、中国企業の進出がしやすくなる環境が整備されることになるわけだ。


<「選商引資」へ>
 中国は、改革開放を採用した78年以来高成長を持続させてきたが、これには外資系企業の貢献が大きかったといえる。改革開放の生みの親である鄧小平氏は「外資を大胆に導入せよ」といったが、正にそのとおりになり、外資導入は「大胆に」から「一般に」になり、最近では、「警戒的」になりつつあるようだ。


 当初、外資企業は、中国の安く、豊富で、優秀な労働力で利益を上げ、また、中国は優遇措置を講じて外資企業を受け入れることで不足していた外貨を獲得するという、ウイン・ウイン関係が構築されていたわけであるが、今日、この関係は大きく変わろうとしている。


 例えば、中国の広大な市場に魅力を感じて引き続き対中進出を行おうとする外資企業もある一方、CHINA+1という選択肢(中国のビジネスリスクを回避するため、中国におけるビジネス拠点の一部、または全部を中国以外の国、地域に移すことなど)を描く外資企業もある。


 中国政府も外資に対する優遇措置(企業所得税など)の調整、加工貿易分野の制限などを実施しまた、外資導入は「招商引資」(積極的外資導入)から「選商引資」(選別的外資導入)となってきている。


 中国は、昨年日本を抜いて外貨準備額で世界第一位になり、外資導入は「招商引資」(積極的外資導入)から「選商引資」(選別的外資導入)となってきており、かつ外資企業には技術移転や現地化を期待し、また優遇措置を見直す(内外企業の企業所得税の統一など)一方、社会貢献を求める傾向にある。外資企業を取り巻くビジネス環境が大きく変わりつつあるといってよい。


<外資企業と組んでの海外進出へ>
 昨年から中国各地からの訪日ミッションが増えてきた。そうしたミッションの訪問を受けいつも思うのは、いずれのミッションも、日本からご当地への投資の勧誘に熱心で、地元企業の対日投資に言及するミッションがほとんどないということだ。中国は「走出去」(主に、中国企業の海外進出)を国家戦略としているが、地方政府は地元企業の対日展開にあまり熱心でないとは、中央と地方ではどうも政策の不整合あるようだ。中国企業の対日投資をミッションの訪日目的としたミッションがあってもよい。昨年10月と今年5月の安倍総理と温家宝総理の相互訪問で、戦略的互恵関係の構築が謳われたが、直接投資での互恵とは双方向であるべきで、中国には、ソフトパワーを発揮して、対日投資をもっと真剣に研究してほしいものである。


 走出去」では、経験不足ということもあり、挫折した中国企業も少なくない。今後は、中国に進出した外資企業と連携して(ビジネスアライアンスを組んで)、一緒に海外展開するケースも出てこよう。中国には批准ベースで、既に60万以上の外資が進出しており、中国企業にとって海外進出の「友」とする外資企業は少なくないわけだ。中国は、外資企業にとって、労働力確保、部品原材料の調達拠点、販売拠点、R&Dセンター(人材確保)としての魅力に加え、近い将来、海外進出するための拠点としての可能性が増えると期待できよう。


<外資導入の新たな形態か~M&A方式>
 海外上場も「走出去」だ。最近これが増えてきている。日本の株式市場への上場はまだまだ少ないが、今年6月、中国企業の最高責任者がケイマン諸島に設立したオンラインゲーム関連企業のヘラクレス市場への上場を承認したと、大阪証券取引所が発表した。また、これに先立つ、4月にはメディア関連中国企業(本社:バミューダ、中国企業の100出資企業)が東京証券取引所のマザーズ市場に上場しているなどのケースがある。今後、中国企業はいろいろな形態で、海外、対日進出を展開することが確実な情勢だが、注目すべきは、M&A方式で海外進出する企業が増えてくるという点であろう。


 中国でも、外資企業による中国企業のM&Aが増えてきており、中国政府もこれを積極的に推進する方向にあるが、一部で、M&Aによって中国の産業が外資に乗っ取られてしまわないかと危惧する声もある。


 最近、ようやく「独禁法」が採択され施行されることになったが、果たして、これが中国におけるM&A方式による投資に追い風となるのか、ブレーキをかけるのか、対中ビジネスの今後の行方をみる上での試金石といえよう。


<外資企業の社会的貢献の必要性>
 中国では企業の社会的貢献がますます求められてきているわけだが、今後、中国におけるビジネス活動を円滑に行っていくためには、企業の社会貢献は極めて重要と位置づけられよう。


 単純化していうと、安くて品質のよい消費者に喜ばれる製品やサービスを創出し、かつ雇用をも生み生活を豊かにするというのが企業の使命といえるが、今は、これに社会的貢献が加わったといってよい。企業の社会的貢献は、いわば、利潤の再投資でもあるわけだ。


 日中経済関係についていえば、熱烈歓迎の時代、冷静実務の時代、政冷経熱の時代を経て、今や戦略的互恵関係の構築に向かって歩みだした。日中間には紆余曲折や困難な時代はあったものの、日中間には引き合うもの、切っても切れない関係が常にあったといえる。


 現在、中国は日本と省エネ技術、環境保護関連技術などの分野で、交流を活発化したい意向にあるようだ。日中間には、時代は変っても、1400年の昔から常に相互に補完し、協力しあえる土壌が構築されてきており、そのもとで、日中経済関係は一貫して拡大発展してきている。長きに渡る交流の歴史を共に振り返られる国は、日本にとって中国以外にはないであろう。そのことを大切にしなければならないと思う。


    
<目次>へ戻る