北京NOW (B)    
  第26号 2008.10.9発行 by 江原 規由
    改革開放30周年 <目次>へ戻る
 今年12月、中国は改革開放30周年を迎える。論語では、人の成長に合わせ、30年は「而立」(三十にして立つ)とされる。中国は、このところしきりと「和平崛起」を喧伝する。手短に言えば、改革開放30年来の中国の成長は世界経済の発展にも大きく貢献するという主張だ。「而立」ではなく、「崛起」即ち、「三十にしてそびえ立つ」というわけだ。
<隋との共通性>
 30年といえば、西暦6世紀末に中国を統一した隋王朝の時世に匹敵する。両者には1500年ほどの時間的隔たりがあり比べようもないが、敢えて、その時代がどれだけ変化したかに焦点を当ててみると、現代の改革開放期と隋王朝期にはいくつか共通点が見られる注1
 30年という短命に終わったが、隋王朝では中国史上に残るビッグ・プロジェクトや大胆な改革が実施されている。即ち、大運河の建設(長安や現在の北京、江南(<揚子江以南>を結ぶ、約1500Km)、州県制の採用、科挙の実施、そして、たびかさなる外征(高句麗遠征)などだ。因みに、日本との関係はというと、遣隋使が派遣されており、これは次の唐代の遣唐使に引き継がれることになるが、日本が中国から思想、制度、技術を吸収し国家の体制を整える上での第1歩を記したのが隋の時代ということになろう。
 隋朝の時世を改革開放30年と比較すると、王朝プロジェクトであった隋の大運河建設は、今日では中国全土に張り巡らされた交通網、その代表といえる北京―上海間の高速鉄道(日本の新幹線に相当)の建設、さらには、宇宙開発事業(嫦娥計画<月着陸計画>、神舟計画<宇宙ステーション建設など>)などに匹敵しよう。科挙についていえば、一流校を目指し寝食も忘れて試験勉強に励む現代っ子の姿がダブる。
 日本との関係では、目下、戦略的互恵関係にあり両国関係は改善されているが、つい最近まで、歴史問題などから政冷経熱など冷ややかな関係が続いていたところは、遣隋使の二回目に小野妹子が持参した「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」と書かかれた国書に、皇帝であった煬帝が立腹した当時の関係が重なる。
 なお、州県制は中央集権化であり、今日では地方分権化が推進されている点では類似していないが、政権の存続が地方の動静に影響を受けるとの考えで、中央と地方の関係構築に腐心しているところは、時代は変われどいつの世でも情況は同じということになろう。
 このほかでは、3度にわたる高句麗遠征が指摘される。これは3度とも失敗に終わるが、隋は版図拡大に極めて熱心であったようだ。今流に言えば、目的は異なるわけだが、国際化(経済権益の拡大)ということになろうか。この点、改革開放は、中国を対外貿易で世界3位の貿易大国に導くなど、中国経済の国際化を大いに推進している。
 改革開放30年を、国際化という視点で見ると、当時世界第一の国際都市と言われた唐の都~長安の賑わいが、また、経済優先という視点では、商業・ビジネスが繁栄し庶民が娯楽に興じた宋の開封の雑踏が、さらに、中国企業の海外展開を国家戦略としている点やFTAなどで新たな経済連携の道を模索する中国の対外発展戦略の視点で見ると、明の時代に時の永楽帝が鄭和に行わせた大航海(7回実施、東南アジアから東アフリカまで航海)が、連想される。21世紀の改革開放30年には、中国の歴史的偉業や強烈な一コマが凝縮されているといっても過言ではない。


<カリスマ不在> 
 隋は、州県制など急激な改革や運河の開削といったビッグ・プロジェクト、そして度重なる遠征などで民衆を酷使した結果、わずか30年で瓦解したとされる。 現政権は、「以人為本」(人民本位)の姿勢にあり、和諧社会(調和のとれた社会のこと、貧富の差是正とか社会保障の充実など)の建設を国是としていることから、今のところ中国人民から揺るぎない支持を得ている。
 しかし、今日、格差(所得、環境、教育、衛生など)の拡大や腐敗の氾濫などで人民の不満の火種はくすぶり続けている。
 来年は解放(中華人民共和国建国)60周年、還暦である。論語に言うところの「耳順」(六十にして耳に従う)の節目の年だ。隋であれ、それ以前の秦であれ、また、隋に続く唐であれ、建国の偉業には巨大なエネルギーが必要とされる。中華人民共和国の誕生も同じであったろう。解放は、中国史上に大きな足跡を残すことになろうが、その後、大躍進や文化大革命などで人民は大いに苦しんだことも事実だ。隋朝30年の足跡は、改革開放後30年より、解放後30年(1949年~1979年)との比較のほうがよいかもしれない。その経験があったからこそ、改革開放わずか30年にして、中国は世界経済の最前線に出られたということもあろう。
 もう一点付け加えれば、時代を画する変化や改革には、後世の評価はさておくとして、カリスマの存在があったという点だ。隋には悪政の代名詞のような煬帝が歴史に名をとどめているが、中華人民共和国には2人の卓越した指導者が登場した。毛沢東と鄧小平である。前者は解放を、後者は改革開放をやり遂げている。政治重視の30年から経済優先の30年へと2人の指導者がバトンをつないでいる。
 今は、胡錦涛氏と温家宝氏が中華人民共和国を代表する指導者である。最近、「胡温新政」という「四語」がマスコミなどで目立つようになった。胡とは胡錦涛氏、温とは温家宝氏のことである。「胡温新政」とは、胡錦涛氏、温家宝氏の二人による「新政」ではなく、党16期大会(2002年11月~)以来の中央指導者による共同新政(集団指導体制)にあるという。改革開放で価値観が多様化し、もはや1人のカリスマ的指導者では人民の要求、そして世界の期待に応えられなくなってきている。中国にはいつの世でもカリスマの存在があった。現代はそれを必要としなくなったともいえるが、カリスマ不在の世の中は、中国史上では稀だ。
 それにしても、「胡温新政」の「新」とは何を意味するのか、そのことを含め、以下に、中国に大きな変化をもたらした改革開放を走馬看花に回顧・展望してみる。


<歴史的転換となるか>
 かつて、中国がアヘン戦争で無理やり門戸を開放させられた折、李鴻章は「三千年変局」が始まったといったとされる。これに対し改革開放は自らの意思で対外開放し中国に大改革(翻天覆地)をもたらすと同時に、中国の世界経済へのデビューでもあった。
 改革開放は経済優先を前面に押し出したものであった。即ち、改革開放を決めた1978年の三中全会で、「開始了中国从“階級闘争為綱”到以経済建設為中心、从僵化半僵化到全面改革、从半封閉封閉到対外開放的歴史性転変」(改革開放で、中国は階級闘争から経済建設中心へ、硬直的状況から全面改革へ、鎖国的状況から対外開放への歴史的転換に向けスタートを切る)としている。
 改革開放30年は、大きく3期に分類できよう。第1期が1978年12月から鄧小平氏の南巡講話(1992年1月)まで、第2期が南巡講話から中国のWTO加盟(2001年12月)まで、第3期がWTO加盟以後で胡温新政の期間。
 改革と開放は2者不可分であるが、あえて言えば、改革は国内向きであり、権限の地方や企業への委譲、公から民への下放、即ち、分権化に特徴があるといえる。例えば、農村では農家経営責任請負制などによる農村改革が、地方(各省・自治区など)では財政請負による行政分権化が、国有企業では自主権拡大が実施され、私営経済の発展した。総じて、市場システムの確立に向けた経済体制改革が中心であった。上記区分の第1期にこうした改革の基礎固め、方向性が確立する。
 一方、開放は外向きである。上記区分の第1期に、経済特区や沿海開放都市の設置などにより門戸を対外開放し外資導入の基礎固めが図られ、第2期では外資の対中進出ブームが出現する。


改革開放30年後(1978年~2007年)の中国の世界経済における位置
GDP: 206億ドル(世界第4位)
対外貿易: 206億ドル→2兆1,738億ドル(104倍)
世界第32位→第3位
世界貿易のほぼ8%(2007年)
外貨準備: 1.67億ドル→1兆5,000万ドル
世界第1位
直接投資受入額(実行ベース): ほぼ0→7,500億ドル
発展途上国中15年連続第1位
対外進出中国企業: 3万余社(世界170余ヵ国・地域)
対中進出外資系企業: 27万5000社(2006年)
2007年の対外直接投資: 187億6000万ドル(世界第13位)


中国の対外開放の足取り
1980年5月: 経済特区の設立を決定
深圳、珠海、汕頭、厦門(アモイ)
1984年5月: 沿海14都市を対外開放(経済技術開発区の設置)を決定
大連、秦皇島、天津、烟台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海
1985年2月: 長江デルタ、珠江デルタ、閩南厦漳泉デルタ地区、遼東半島、胶東半島の開放を決定
1988年4月: 海南島を海南省とし海南経済特区の設置を決定
1990年4月: 上海浦東で経済技術開発区および経済特区の政策を適用すると決定(上海浦東新区の誕生)
1991年: 満洲里、丹東、綏芬河、琿春の北部河口貿易4都市の開放を決定
上海高橋、深圳福田、沙頭角、天津など沿海重要港湾都市における保税区の設置を決定
1992年1月: 鄧小平による南巡講話
1992年: 上海浦東を龍頭とする長江・三峡ダム沿い6都市(蕪湖、九江、黄石、武漢、岳陽、重慶)で沿海開放都市の経済政策を適用すると決定
辺境・沿海4省都(ハルビン、長春、フホホト、石家庄)の開放を決定
沿辺13都市(琿春、綏芬河、黒河、満洲里、二連浩特、伊寧、塔城、博樂、瑞麗、畹町、河口、凭祥、興東)の開放し、辺境貿易および周辺国との経済交流を促進すると決定
11内陸省都(太原、合肥、南昌、鄭州、長沙、成都、貴陽、西安、蘭州、西寧、銀川)の開放
1993年以降: 条件にあった内陸県市を続々と開放
2000年以降: 中国の発展戦略は点、線から面(地域)へと発展
2000年: 西部大開発
2003年: 東北振興
2004年: 中部崛起


 改革は農村から始まった。即ち、包産到戸、包幹到戸などの農家経営責任請負制により、農業の経営方式が集団経営から農家(家庭)の土地請負制が主体となって行く。即ち、「交够国家的、留足集体、剰下全是自己的」(国家に税金を、土地を請け負った生産隊に上納金を納めれば残りは全て農民の所有とする)がその中身である注2。この請負制は安徽省で大々的に試行され徐々に全国に拡大することになったが、統一計画、統一経営、統一計算、統一分配が原則であった当時の農業経営が大きく改革されたという点で正に画期的であった。
 80年代には、大包幹、万元戸、計画生育、90年代には、打白条、農民工、村民自治、そして21世紀に入ると、農業税の廃止、社会主義新農村建設など、農村は改革の時々に新事象を生み大きく変わってきている。
 中国では、国家最大の問題は農民問題であり農民最大の問題は土地問題にあるとされる。この点、党中央は1982年以来5年連続して農業政策関連を第一号文件(その年の最重点課題)として発表している。ここ30年来、農民の生活は確かに改善したものの、衛生、環境、教育、所得格差の拡大など相対的に深刻化しているところが少なくない。今日でも、第一号文件は農民問題(農業、農村、農民の三農問題や新農村建設など)と相場が決まっている。30年を隔てても国家の大事は同じということになる。
 国有企業改革については、当初、国有企業は経営自主権を持たず、上級の行政管理機関の付属物的存在であった。改革開放で国有企業の利潤留保、利改税、経営請負制などが試行され、90年代には、党中央が提起した「抓大放小」、「有進有退」の方針に基づき、国有企業は、改組、聯合、兼并(吸収合併)、祖賃(リース)、請負経営、株式合作制、競売、倒産などで整理整頓が加速する。今日、国有企業の管理監督は国有企業監督管理委員会の手に委ねられおり、産権(所有権)制度改革が大胆に進められ現代企業制度の確立が目指されている。
 注目すべきは、内外資交えてのM&Aによる国有企業の再編が活発化していることや内外の株式市場への上場が進んでいることであろう。国有企業の親(国)離れ注3が急速に進んでいると同時に、近年、民営企業の発展が著しく国民経済で主要な地位を占めつつあるが、国有企業改革の大きな成果といえる。
 財政改革は権限の中央から地方(省、自治区など)1980年に始まった。即ち、中央の統収統支から地方の請負制(分灶吃飯:一定比率で中央と地方の予算分配を決定など)とした。これにより、地方政府は地元の経済発展を独自に展開できる財源を手にすることになった。改革開放以来の高成長の担い手として地方の果たした役割は大きいが、地方独自の成長路線が希求された結果、地方経済の活性化の代償に経済過熱や腐敗などの温床となっていることも事実である。
 このほかにも、貿易体制改革、行政機構改革など、改革は細部にわたって進められてきており、今もその途上にある。
 30周年を向かえ、改革は全方位での実施へ、そして、開放は対外開放から対外展開、即ち中国企業の海外進出の時代に突入しようとしている。


<改革開放の成果と展望>
 改革開放の成果をひと言でいえば、年率平均9.8%(1978年~2007年)という高成長路線にあった。鄧小平は、90年代初頭、「発展才是硬道理」(発展こそ道理だ)と説き、「外資を大胆に導入せよ」と号令をかけた。これを契機に中国の沿海地区の軽工業・労働集約産業部門に外資企業が挙って進出する。かつて、毛沢東が戦略的必要性から外資を排除し経済効率をも度外視して産業基盤、特に重化学工業を内陸部に置いた「三線建設」とは極めて対照的な発展戦略であったといえる。改革開放の成長路線は、大胆にいえば、沿海、軽工業(および農業)、外資が担ったといえる。


(1)地域的発展(沿海から)の視点: 
 今、中国では地域発展戦略が。改革開放を沿海から全国土に波及させていこうとする地域発展戦略が賑やかだ。即ち、沿海大発展(80年代)、西部大開発(99年)、東北振興(2003年)、中部崛起(2004年)の4大地域の発展戦略である。
 このうち、沿海大発展は、珠江デルタ経済圏(80年代、深圳経済特区など)、長江デルタ経済圏(90年代、上海浦東新区など)、そして環渤海経済圏(21世紀初頭、天津濱海新区など)の三大経済圏を形成させている。中国の経済発展のポイント、ビジネス拠点を「南から北へ」と拡大させたことになる。この流れが重化学工業の集積地である東北振興の拠点(東北地区)にどう波及していくか、即ち、「さらに北へ」となるかが、中国の改革開放の行方を見る一つの重要な視点である。
 また、沿海大発展の西部大開発(内陸の資源・インフラ開発が重点)への経済的波及効果がこれまで以上に強調されるようになった。中部崛起の登場である。この中部崛起は、沿海(東部)と西部にはさまれた中部(湖北、湖南、河南、江西、山西、安徽の各省)経済の台頭を図る狙いがあるが、同時に、東の発展を西に運ぶ波及役としても期待されている。西部地区、内陸部が台頭(発展)すれば、格差問題や三農問題の是正も期待できるというわけだ。
 こうしてみると、今後の改革開放は、かつて毛沢東の「三線建設」の舞台となった東北地区の振興、西部地区が主舞台になりつつあるといえる。
 地域発展を産業的に見ると、重化学工業の発展がクローズアップされるということである。重化学工業の発展は、中国の最大課題の一つであるエネルギー、環境問題に対峙することになり、これを悪化させかねないが、同時に、エネルギー、環境ビジネス、さらには航空・宇宙関連ビジネスといった未来産業の発展にも繋がるといった二律背反的意味がある。重化学工業の健全な発展には、中国が提唱している産業構造の一層の効率化、省エネ化はいうに及ばず、それ以上に重化学工業分野への外資の導入注4が不可欠となろう。それが、今後の改革開放の一つの大きな課題でもある。


(2)産業発展の視点: 
 中国が世界の工場といわれるようになって久しいが、中国を世界の工場にした立役者の一人は外資である。世界の工場で生産されたものは、当初、外資による加工貿易を主体とする労働集約的軽工業品であった。中国側は労働力を提供し、外資は製品と見返りに、当時不足する外貨と工賃(雇用)を中国は手にした。
 改革開放30年後の今日、外貨準備で世界第一の規模を有するまでになった中国は、外貨獲得を主たる目的とした加工貿易を制限しつつあるが、これに代わってアウソーシング注5分野に外資を呼び込もうとしている。投資勧誘目的に中国の各省市などから来日するミッションが例外なくアウトソーシング分野での対中進出を、極めて熱心に勧めている。アウトソーシングでは、一定の技術、資格、能力(外国語、プログラミング等)を持った人材の確保が不可欠となる。対中経済・ビジネス交流の大きな変化として、手先や視力に優れた労働力を求めた加工貿易の時代から人材を必要とするアウトソーシングの時代に移りつつあるといえる。
 加工貿易に加え、外資の対中進出は、合弁、合作、独資などグリーンフィールド型直接投資が進んだが、今日では、M&A方式での対中投資が増えつつある。中国では、M&A方式の対中投資を歓迎しつつも、重点企業等に対するM&Aには警戒的であり、独禁法など関連法の制定やM&A関連政府部門の設置などM&A環境つくり、関係人材注6の育成などに積極的に取り組んでいる。
 今後、世界の工場では外資と組んでこれまでなかった重化学工業関連製品やIT・ソフト関連製品といった新製品が生産され、製品の品揃えが変化・多様化すると同時に、アウトソーシングなどサービス産業の拠点注7、即ち、事務的機能が工場内で次第に大きなスペースを占めていく過程にあるといってよいだろう。中国の言い方に従えば、世界の工場から世界のOFFICEへの変身過程にあるということになろう。


(3)引進来から走出去
 沿海から内陸へ、軽工業から重化学工業への対内直接投資がどこまで増えるかが、中国経済の今後の発展(持続的高成長)に大きく関わっているが、同様に、中国企業の海外展開が今後どこまで進展するかも、改革開放30年後の新たな課題である。
 中国の対外直接投資は、2007年には世界第13位となった。注目すべきは、海外50ヵ所に「海外経済貿易合作区」を設置し中国企業を誘致しようとしている点だ。既に、発展途上国を中心に10数ヵ所に同合作区は設置済である。かつて中国が外資導入の拠点とした経済特区や経済技術開発区などの海外展開(改革開放の輸出)といってよいであろう。
 中国企業の対外展開でM&A方式が急増していることも注目点だ注8。IBMのパソコン部門、英国のローバー社、民営企業によるドイツのパルヒム空港の買収など世界の大手企業や重要業務をM&Aするケースも出てきている。人材不足、経験不足などで中国企業の対外展開は失敗するケースが少なくない。目下、中国では、サブプライムローン問題で苦境に陥った米国企業の買収に関する議論が多いが、その際、当該企業の業務を買収するのではなく、株式購入や人材の獲得を中心にすえるべしとの声が高まっている。
 人材や経験不足を補う上からも、海外の金融機関、投資ファンド、そして、今後は中国に進出した外資と組んだ中国企業の海外展開が増えてくると見られる。
 華僑(華人)、中華料理は、既に世界津々浦々進出済だが、改革開放でMade in China(中国製品、中国サービス)、中国人(ビジネス、観光など)が世界進出しているが、今後は、中国資本が世界で目立つようになってこよう。

<和平崛起>
 中国は改革開放で大きな富を蓄積したといえるが、同時に、その富を食い潰すかもしれない課題や矛盾も山積しており、富の実質的価値は捉えにくい。
 米国のサブプライムローン問題などで世界経済が低迷する中、中国が改革開放で蓄積した富をどう使うのかに世界は注目している。
 今年9月、天津で開催された第二回ダボス夏会議で「リスクは即ちチャンス」と認識している中国企業の代表が少なくなかったと報じている。何がチャンスかは、企業にそれぞれ異なろうが、中国にとっては、これを奇貨と見て和平崛起(中国の発展は世界に裨益するとの考え)したいところであろう。
 天津でのダボス夏会議で、温家宝総理は現下の世界的経済危機に対して3つの提起を行っている。その一つに、「中国が出来るのは安定かつ強力な持続的高成長を遂げることだ。中国が大きな波をストップさせることが世界経済への最大な貢献となる」とした。
 改革開放を提唱した鄧小平氏は、「「発展才是硬道理」(発展こそ確かな道理だ)としたが、「胡温新政」の基本もやはり経済発展だ。違いは、世界の発展の中で中国の発展もあるという視点が、「新」の一字に込められているということではないだろうか。



注1 改革開放の30年を隋朝と比較するが、歴史は繰り返さないが、どの時代にも共通点がある。ほかの時代にも改革開放30年に隋朝よりもっと多くの共通点を有する王朝はあろうが、敢えて30年という点にこだわり隋朝と比較してみた。
注2 包産到戸などは改革開放以前にも提唱されたことがあったが、三自一包(自留地、自由市場、自負盈亏<自己損益責任>などと共に資本主義に逆行する措置として、姓資姓社(社会主義か資本主義化)などとして批判されていた。
注3 現在、中央直轄の大型国有企業は現在150社を下回っており、将来的には80社程度にまで減らす方針にある。2007年の全国の国有企業数は、2002年から約4万4000社減ったと報じられている(中国経済ネット  10月3日)。
注4 東北振興では、2005年に国務院が外資企業の国有企業改革への参画を奨励する通称「36号文件」(東北旧工業基地の一層の対外開放を促進することに関する意見)を発表、M&A方式などで大胆に外資企業を参入させた国有企業の改革(非公有化、民営化など)そして産業再編が大きく進展、さらに、2007年には、今後10年から15年をかけて東北地区を国際競争力をもった重化学工業基地とすることを主目的とする「東北地区振興規画」が打ち出されており外資の東北地区への進出のための環境つくりが進んでいる。
注5 外注(外部委託)のこと。企業や行政の業務の一部を外部の企業等に委託すること。ITアウトソーシング(ITO: Information TechnologyOutsourcing、各種プログラム作りなど)、ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO、経理、給与計算関係のデータ出入力など)がある。
注6 中国経済発展へのボトルネックとして人材不足が指摘される。例えば、国際金融分野。サブプライム・ローン問題で苦境にある米国企業をM&Aする海外大手企業が少なくなかったが、中国は苦境企業の資本参加や買収という手段より、その人材を確保に大きな関心を示したとされる。
注7 金融、保険、物流、観光、アニメ産業など、主に第3次産業のこと。
注8 M&A方式は中国の対外直接投資額の30~40%を占めるが、2008年第一四半期は、金額にして前年同期比3倍増を記録。




    
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