北京NOW (B)    
  第30号 2011.05.25発行 by 江原 規由
    復興に向けて

東日本で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
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Ⅰ.復興へのヒント
 今から16年前、神戸淡路大震災が発生した。当時、筆者は大連に駐在しており、TV画面に映し出される惨状を今でもはっきりと覚えている。今年、3月、未曾有の大地震が東日本を襲ったが、この時東京の職場でこれまで経験したことのない大きな揺れを感じ驚愕した。

 この2つの大地震は、地震国日本で発生したという共通点はあるが、時も場所も、そして状況も大きく異なっている。以下に、筆者が関係した神戸淡路大震災復興プロジェクト、東日本大地震の復興のヒントなるかもしれないプロジェクトを紹介する。

<上海・長江交流促進プロジェクト>
 1995年1月の神戸・淡路大震災の発生から1ヵ月後、阪神淡路復興委員会が設置されたが、同委員会から「復興特定事業」の一つとして提言されたのが、「上海・長江交流促進プロジェクト」だった。
 
○提言内容
・長江デルタ経済圏を阪神経済圏と結び日中経済交流を促進する。
・神戸港に河川専用船直接交易推進港区を設置し背後に中国人街を整備する。
・専用船開発作業のため、日中共同でフィージビリティ調査の実施、計画の策定を行う。
・年内(1995年内)に日中双方が上海市で代表者会議を開き共同作業の第一歩とすること。

 本プロジェクトの背景には、神戸地区と長江デルタ地域は、交流の歴史が長いというこ
ともあるが、同時に、中国経済の国際化(中国企業、中国人材の対外展開など)が進展し
ており、この流れを受け止めつつ復興に結びつけ、長江デルタ経済圏と阪神経済圏の相互
交流を発展させていこうという発想があった。このプロジェクトの中心テーマが、「新たな
中国人街(ビジネス中華街)」の形成であった。

<神戸~新たな中国人街形成プロジェクト>
 その具体化のために、1999年12月、「新たな中国人街形成促進研究会」が組織され、筆者はその一員となった。

 新たな中国人街とは、今ある飲食、物販を主とする集客・観光型の街である中華街(南京街)に対し、「ビジネスの街」をキーワードに「中国・アジアビジネスを積極的に展開する国内外の創造的企業が集積する街」を目標とした。その実践現場となったのが、「神戸起業ゾーン」として進出企業に対する震災特例の補助、融資等優遇措置を備えた「ポートアイランド」を中心としたエリアであった。

 “このまちは、日本の多くの産業拠点の特徴である、生産・研究一辺倒の無機質で人間のつながりの薄いまちを、予定しているのではない。成長分野の中国アジアビジネスの企業が集積すれば、それらの企業の知識経済を支えるためのビジネスサポート企業が集まるであろうし、物流や人材関係企業、それに衣食住の生活文化関連企業も必要となるだろう。自立した「多種多彩(雑多)」な企業が渾然とありながらも、お互いがお互いを必要とする「何か用事(ビジネスニーズ・シーズ)のあるまち」、お互いがお互いを知っている「人間の顔が見えるまち」を目指すものだ(「翔べフェニックス 創造的復興への群像」、423ページ)。


 中国は同研究会組織からちょうど2年後にWTOに加盟しているが、「新たな中国人街」はWTO加盟後の中国経済の国際化の波を先取りし、「海外進出を図る優秀な中国企業の受け皿」となり、また、当事増加傾向にあった中国・アジア留学生およびOBに起業の場として機能することが期待されていた。

 大震災の後遺症を克服するため、神戸市は中国との新たな協力関係を構築し、上海万博のテーマでもあった「よりよい都市、よりよい生活」づくりを実践しようとしていたといえる。

<名取市・仙台~中華街建設プロジェクト>
 中国企業の海外進出と中華街という点で神戸の試みに似たプロジェクトが、やはり、今から10年ほど前に、今回の東日本大地震で甚大な被害を蒙った宮城県名取市で実施されようとしていた。

 1996年、宮城県は仙台空港周辺地区を開発するため、「仙台空港臨空都市整備計画」を策定したが、その臨空都市内での「仙台中華街」建設構想を打ち出す。この構想が具体化しつつあった2003年当時、筆者は北京にいたが、この構想には当初から関わった。なぜなら、地元経済の活性化に中国の対日投資を結びつけたユニークなもので、今後対日投資を検討している他の中国企業に対してもよきモデルケースになると期待したからであった。

 2003年11月、国家統計局主催の「中国経済フォーラム」(江蘇省蘇州市)で、本プロジェクトに関する説明会を準備したところ、温州市の企業家グループからに大きな関心が寄せられた。

 「仙台中華街」と書かれた本プロジェクト紹介用パンフレットの「ごあいさつ」では、当時の宮城県議会議長が、「前略 海外からの投資と企業進出を図り~中略~この計画に則り中国企業の進出による仙台中華街の建設が計画されたことはまことに喜ばしいことと考えます」とのメッセージを寄せている。この「名取市プロジェクト」は、その後、名取市を離れ、2004年7月に新たな「仙台空中中華街構想」(仙台市内)に引き継がれたが、「集客が期待でき土地の活性化につながる」といったプラス評価があった一方、「景観が損なわれ治安にも問題がある」など懸念する市民の声などもあり、紆余曲折を経て、結局、実現に至らなかった。

<復興へのヒント>
 日本では、震災の復興や地方経済活性化に中国の力(チャイナパワー)を借りたり、日中双方が協力を念頭に置いたプロジェクトが実施されてきた経緯がある。神戸淡路大震災の復興計画と仙台中華街の建設構想の背景には、中国企業の対日進出への対応という視点があった。今日、その対日進出の流れは、当時と比較にならないほど速くかつ拡大している。
 
 未曾有の地震に襲われた東日本の被災地復興においても、すでに復興委員会が組織され、本格的な復興への道標が提示されつつある。被災地のよりよい地域社会つくりが正に始まろうとしているといえるが、その過程で、これまで同様、海外から多くの支援や協力を得ていくことになると考えられる。その際、神戸淡路大震災の復興における中国との新しい協力関係の構築が、そして、名取市や仙台の地域活性化のための「名取市プロジェクト」や「仙台空中中華街構想」の事例が復興へのヒントになることを期待し、以下に、その2つに大きく関係していた中国企業の対外展開、日本展開につき紹介したい。

注:上記「震災復興と中国」の作成に当たり、(財)阪神・淡路大震災記念協会の発行物である阪神・淡路大震災10周年記念出版「翔べフェニックス 創造的復興への群像」および仙台中華街紹介パンフレット(日本・仙台中華街誘致管理準備委員会編)を参考とした。
Ⅱ、中国企業の対外、対日展開
 2008年の北京五輪に続き、2010年には上海万博が開催されるなど、中国に世界の目が集まる大イベントが相次いで実施された。2010年に世界第二位の経済大国となった中国は、経済の国際化を急ピッチで展開、世界経済における存在感を高めている。2010年の上海万博は、こうしたチャイナパワーを如何なく世界に発信する大きな機会であった。

 その中国経済の国際化の進展や年率2ケタに近い中国の驚異的な経済成長に大きく貢献したのが外資であった。中国は、改革開放政策のもと積極的な外資導入策を採るが、そのもとで外資系企業にとって対中進出のメリットは、まず、低廉、優秀、豊富な労働力の存在、次が、部品原材料の調達拠点、そして、巨大な市場の存在であった。

 では、今後はどうか。巨大な市場の存在という点では、サービス産業の進出拠点として、また、人材確保の現場として、外資にとって中国進出の魅力を増しつつあるが、それ以上に、中国を足場にした対外(第3国)進出拠点としても、中国は魅力を増してくるとみられる。

<中国企業の対外展開>
 目下、中国では自国企業の対外進出を国家戦略として積極推進している。中国の対外投
資(金融関連を除く、以下同じ)は10年前10億ドルにも満たなかったが、2010年には590億ドル(前年同期比36.3%増)であった(陳徳銘商務大臣、スイス・ダボスにおける第41回世界経済フォーラムでの発言など)。10年間で実にほぼ60倍増したことになる。2010年末時点の累積対外直接投資額は2588億ドル(129ヵ国・地区、3125社)で、対内直接投資(実行ベース)のほぼ4分の一に相当する。このままいくと、対外が対内直接投資を上回るのはそう遠い話ではない。2015年には、中国が世界最大の対外投資国になるとする識者もいる。

 中国の対外投資で注目すべきは、対外M&A が顕著になっていることである。この点、2004年、聯想(LENOVO)によるIBMパソコン部門のM&Aをはじめ、2011年には中国民営企業の吉利によるボルボ社のM&Aなど、中国企業の対外展開の要にM&Aが位置している。

 こうした流れの中で、対中進出した外資系企業が対外進出する中国企業と連携して第3国へ展開するメリットは決して少なくないはずである。 中国企業にとっては、国の積極策や人民元高傾向も海外展開に有利な環境といえる。

 同時に、海外からも中国企業の進出を積極的に受け入れ、自国経済の発展に結びつけていこうとする国や地域が出てきている。2010年11月、北京で第二回中国対外投資合作商談会が開催され、100余ヵ国・地区から200以上の政府投資機関・多国籍企業の代表および数千人のビジネスマンが参加したとされ、参加各国は自国の投資政策、投資環境、投資プロジェクト情報を紹介し、中国からの投資誘致に熱心であったという。中国の対外展開を後押しする企画であったといえる。

 ただ、中国企業の対外進出における成功率は決して高くない。例えば、世界的国際的な金融データ調査会社であるDealogic社が発表したデータによれば、2010年における中国企業の対外M&Aの不成功率は11%とされ、米国(2%)、英国(1%)に比べ、格段に多いとされている。不成功率とは、発表されたM&A案件のうち、撤回されたり、拒絶されたり、期限を過ぎても成立しなかった案件の比率を指す。

 中国企業の対外展開の歴史はまだまだ浅く経験不足がある、また、中国アレルギーのある進出先国・地区も少なくないなどというのが、対外展開における中国企業の不成功率の高さや撤退など失敗例の多さの背景にあると考えられる。中国の対外展開が急速かつ広範囲なだけに、なぜ、これを国家戦略として推進していこうとしているのか、中国は世界からそのアカウンタビリティを突き付けられているともいえる。

 同時に、目下、中国は文化産業の育成、国際的イベントの開催、海外における孔子学院(当該国の大学などに設置し、主に中国の文化の紹介、中国語の教授などを行う)の建設などを通じて、対中理解の促進に極めて熱心である。世界の対中アレルギーを軽減し中国シンパを増やす上で大きな効果を期待している。こうした対応は、一言でいえば、中国のソフトパワーの発揮ということになろう。それは、中国経済の国際化には避けて通れない道といえよう。

 その意味で、2010年に開催された上海万博をはじめ、ここ数年立て続けに開催されている国際的イベントの開催は、対中理解の促進に絶好の機会であったわけだ。

<中国企業の対日展開>
 では、日本はどうか。日本にとって、中国は最大の貿易相手国であり、中国にとって、日本は第3位の貿易相手国である。両国は緊密な貿易関係を構築しているものの、対外投資に関しては、日本の対中投資に比べ、中国の対日投資は圧倒的に少ない。

 ここ数年、中国企業の中国の対日展開が進みつつある。主たる事例を見てみよう。

2009年6月   蘇寧電器による日本の家電量販店ラオックスを買収
2010年2月   奔騰控股公司(中国資本ファンド)による日本の本間ゴルフ買収
    3月   比亜迪汽車公司による日本の自動車ボディ用金型大手のオギワラ傘下の工場を買収
    5月   山東如意集団が日本のアパレル大手のレナウンの筆頭株主
    7月   日中合弁の出版社である中国出版東販株式会社が東京で設立
格林豪泰(中国のホテルチェーン)が日本のウイークリーマンション大手と提携して年内に日本市場に進出する計画を明らかにする。
2011年2月   中国投資有限責任公司がブラックストーン・グループ(米国の投資ファンド運用会社)との共同で日本の不動産ローン資産を買収(2011年2月、国 際金融報)
 

 このほか、2010年の海外企業の対日投資件数(買収・合弁・出資)のうち、中国企業による件数は前年比42.3%増の37件で米国を抜いて首位に立った。また、同年9月末時点で、中国系とみられる投資ファンドが東証1部上場の日本企業86社の大株主になっている(2011年1月19日付人民ネットが日本新華僑報、ちばぎんアセットマネジメントの調査結果より報道)。

 日本でも、中国企業の対日展開では物議を醸すケースが少なくない。例えば、2011年人民網(人民日報関連メディア)で報じられた新潟中華街構想が指摘できる。当初は、「新潟に世界に名を馳せる中華街が出来れば、またひとつ文化的な観光地が増える。非常に魅力的な構想だ」(知事)など、賛同の意見が多かったが、地元住民は、仙台中華街構想の時と同じく、地元の景観や治安によくないとして反対したとされる。

 中国企業の対日展開には、日本側に賛否両論があるが、増えることは確実な状況である。
中国企業の対日展開という日中経済交流における新たな潮流を企業の発展に繋げ、地域経済の活性化にどう結びつけていくか、日本は、今、大きな課題に直面している。
Ⅲ.中国の経験と現状
<中国は地震国>
 中国は地震国である。首都北京から東南の方向に直線距離(以下同じ)にして170km ほど行ったところに唐山市がある。1976年7月28日、この河北省を代表する都市を大地震(M7.5~7.8、直下型)が襲う。その被害は住宅の全壊率94%、死者24万2,419人(公式記録、非公式には60万~80万)で、20世紀最大の地震被害とされ、日本人も3人が犠牲となった。首都北京も大揺れしたという。

 2010年、中国で唐山大地震を扱った映画(唐山大地震-想い続けた32年-)が封切られ大きな話題となった(日本でも2011年3月26日に公開する予定だったが、3月14日、同映画の公開を延期すると発表された)。

 2008年5月12日には四川省汶川県を震源地とするM8級規模の大地震が発生、死者は確認されただけでも6万9,197人、被災者は累計4,616万人と発表された。さらに、2010年4月14日、中国西部、青海省玉樹県でM7規模の地震が発生している。

 1980年頃であったかと思う。中国から地震ミッションが訪日した。筆者はこのミッションに随行し、筑波の地震研究所など日本各地の地震関係先を訪問した。帰国日に成田空港に向かう同ミッションの団長に、「今回の来日で、中国の耐震構造の構築で日中交流が進むといいですね」といったところ、団長は、「そうですね。でも、大地震はそう頻繁には発生しませんから、今回の訪問成果をゆっくり研究してみます」といった言葉を今でもよく思い出す。

<遼寧海城大地震>
 筆者は、1993年に中国北方の開放都市として大きく発展しつつあった遼寧省大連に赴任した。そこで、遼寧省の人々が地震に非常に敏感であることを知ってやや驚いた経験がある。大連から、当時中国で最も早く建設された瀋大高速道路(瀋陽-大連間全長370km)を、大連から瀋陽の方向へ2時間余り、ほぼ250KMほど走ると、中堅都市海城市に至る。

 1975年2月4日、すなわち、唐山大地震の1年半前、この海城でM7.3級、死者2,041人の被害を出した遼寧海城大地震が発生していた。唐山市は、海城から北西の方向ほぼ400kmのところにある。そんなに離れた距離ではない。1970年代、中国は2年相次いで大地震に襲われている。

 こうした経験があったからであろうか、筆者が大連に駐在していた1995年頃であったと思うが、遼寧省に、何月何日頃大地震が発生するとのデマが広まった。その結果、大連のホテルが満室になった。地震発生を恐れた人々が、大連のホテルに難を逃れようとしたわけである。

 デマといったが、根も葉もなかったわけではない。地震発生当日、中国国家地震局は、省民たちから次々に寄せられる、通常では考えられない異常行動を取っている動物たちの情報に接していた。

 その情報とは、深い井戸の水があふれ出した、ねずみの大群が走り回っている、雪の道路上にヘビがいる、ガチョウが大声を発しながら飛び回っている、 鶏が群れを成して飛び回っている、などというものであった。

 こうした情報に対し、中国国家地震局は地震の前兆と判断し、省民約百万人を緊急避難させた。これにより、人民への被害は、建築物のそれに比べ、少なく済んだといわれている。

<紅沿河原子力発電所>
 その海城市から瀋大高速道路を大連の方向に160kmほど戻ると、大連市瓦房店市がある。瀋大高速道路は、中国産業の大動脈である遼寧沿海経済帯発展計画(国家プロジェクト)が構築されており、その発展は今後中国経済の成長をけん引することが期待されている。瓦房店市にはその一大拠点として内外から大きく注目されている大連長興島臨港工業区がある。長興島は、島としては中国第5番目の面積をもち、産業集積を目指し北方の香港とも称される。その近くに中国を代表する原子力発電所(紅沿河原子力発電所1号、2号、3号、4号)が建設中である。

 目下、中国には建設中、稼働中のものを含め、41基の原子力発電所(うち、13基が稼働中)がある。その全てが沿海省に位置している。今後も原子力発電所の建設は続ける方針にあり、2011年には8基の建設を始める予定であった。紅沿河原子力発電所5号、6号もその中にあったが、今年予定されていた原子力発電所の建設は足踏みの状況にある。日本の東日本大地雲の影響もあるが、中国での地震に対する関心、脅威が高まっていることも、その背景にあるようだ。

    
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