第04号 2004.10.7発行 by 矢吹 晋
    予測的中した江沢民引退
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  私は前々号の本欄で江沢民引退予想を書き、8月末に出版した『日中の風穴』(勉誠出版)で、引退勧告のだめ押しを書いたが、ついに江沢民の完全引退が実現した。実は仲間たちとの勉強会で「4中全会での江沢民引退の有無」を賭けたのは7月29日のことであった。つまり7月23日の政治局会議で4中全会の議題と日程が公表されたのを受けて、この会議を占ったわけだ。私は当然のことながら、「引退あり、居残りは中国に災いを残す」と断言した。
 白状すると、この種の予想で私には的中体験はほとんどない。理由は明らかだ。いつも「べき論」で考えるからだ。「べき」である。しかし「現実にはそのようならない」。これが普通のケースであり、それゆえ私の判断はいつも現実と食い違う。今回は、はからずも的中し、昨夜の祝勝会で飲みすぎたので、いささか二日酔い気味である。
 
江沢民
中央軍事委員会前主席
胡錦涛
中央軍事委員会主席
徐才厚
中央軍事委員会
副主席・総政治部主任

 私が「引退」論を強く説いたのは、大所高所からのスジ論が一つである。その一端は前々号のように、『中国戦略』誌の「胡錦濤と江沢民の権力関係の消長」に示された観点や、サーズ危機が爆発したとき、収束して以後、それぞれの段階における江沢民派と新指導部の対抗関係などから見て、「二つの司令部」の拮抗関係が予想以上に深刻な形をとり始めたことに気づいたからである。
 もう一つは「庶民の声」を聞いたからだ。庶民といっても筋金入りの党員だから、無責任な大衆ではない。7月の訪中で何人かの老幹部あるいは平党員と世間話をしてひどく驚かせられたのだ。私が尋ねるまでもなく、世相に触れて先方が口をきわめて江沢民の悪口をいい始めたのだ。その口調のはげしさには私自身が圧倒された。まじめな、筋金入りの老党員をしてこれほどに激怒させる政治状況----これが2004年北京の夏であった。
 前置きはこの程度にして、引退劇の核心と今後の展望を整理しておこう。

 中国共産党は9月16日から19日まで北京で中央委員会全体会議(16期4中全会)を開き、江沢民軍事委員会主席の引退を決定し、胡錦濤が主席に昇格した。本来ならば2年前の第16回党大会で軍事委員会主席のポストも総書記および国家主席のポスト同様、胡錦濤に譲るべきであった。胡錦濤は1999年秋の15期4中全会で軍事委員会副主席に就任し、軍務においても党大会の3年前から「主席見習い」をやっていた。軍は由来、中国共産党の「絶対的指導」を受ける建前である。「党のトップ」が胡錦濤総書記であるとすれば、党中央軍事委員会においても当然、胡錦濤がトップでなければならない。党組織の一つである軍事委員会においてのみ、ヒラ党員が君臨する構図は奇怪千万だ。
 居残りを認めた党大会以後今日までの2年間は、「党が軍を指導する」という最も根本的な原則に違反して、「軍が党を指揮する」ことが横行した。今回の是正は歓迎すべきだが、遅きに失した感も深い。「党が軍を指揮する」のか、「軍が党を指揮する」のか。これは決して建前論にとどまるものではない。実はこの矛盾のために、現実の政治において「二つの司令部」が存在してきたのであった。いわば前社長派と現社長派の対立である。
 たとえば昨年の春から夏にかけてサーズが中国を襲ったときに、胡錦濤・温家宝執行部は果敢にこれに取り組んで人望を得た。これに対して江沢民の侍医を務めていた張文康衛生部長は、軍医でもある立場上当然熟知してはずの解放軍病院の患者数について堂々と虚偽の記者会見を行った。後任の衛生部長を兼務してサーズ対策の陣頭指揮をとったのは呉儀国務委員(対外貿易経済担当)であったが、黄菊(政治局常務委員、副総理)以下、江沢民に近い指導者たちは、サーズ騒動が収まるまで、音沙汰なしであった。こうしてサーズ騒動は江沢民居残りの矛盾を白日のもとにさらした。
 ところが、サーズが収まるや、江沢民を含めて、その系列の人脈が蠢動し、胡錦濤・温家宝執行部の新政策にさまざまの難癖をつけて妨害し始めた。たとえば上海の「東八塊」」再開発にからむ地上げ騒動は、上海のトップの妨害で摘発が妨げられた。上海雀は、腐敗官僚隠しの黒幕は江沢民その人だ、はやしたてた。
 もう一つ。外交面では、胡錦濤ブレーンが「平和的勃興」(原文=和平崛起)という新方針を提起したのに対して、「平和を掲げることは台湾への脅しにならない」とする解放軍を中心とした保守勢力の妨害にあい、「平和的発展」と文言を改めさせられた事件もある。この現象をとらえて、西太后(江沢民)が光緒帝(胡錦濤)をいびる姿ではないか、と揶揄する比喩は広範に流布していた。江沢民老害は誰の目にも明らかであり、一握りの側近とご本人のみが「裸の王様」であったと評してよい。

 さて今回の党中央軍事委員会改組は主席の交替だけではなく、副主席と委員についても増補が行われた。まず副主席は、郭伯雄(62歳、前総参謀部総参謀長)、曹剛川(69歳、前総装備部部長、現国防部部長)に加えて、徐才厚(59歳、前総政治部主任)が昇格した。従来は制服組についてみると、総参謀部系統と総政治部系統の2人が主席を支える体制であったが、現在はこれに曹剛川を加えた3人体制である。しかし、曹剛川は高齢であり、引退含みの可能性もあり、引退によって2人体制に戻る可能性もあろう。さて委員は少し前までは、総政治部主任、総参謀部総参謀長、総後勤部部長の3名からなる慣行であった。解放軍の近代化にとって装備部門の重要性が認識され、総装備部が新設されるに伴って、前記3名に総装備部部長を加えた4人体制が行われてきた。
 この事実が示すように、軍事委員会は指揮命令機関であり、各総部に対して、確実に命令が伝達されるように、それぞれのトップが軍事委員会委員メンバーを兼ねる体制になっていた。今回は、従来からの各総部4人体制に加えて、海軍(張定発司令員、61歳)、空軍(喬清晨司令員、65歳)、第二砲兵(ミサイル部隊、靖志遠司令員、年齢不明)からそれぞれの司令員が委員を兼ねる体制となった。つまり委員はこれまでの4人体制から7人体制に増補された。これに副主席3名、主席1名を加えて、軍事委員会メンバーは従来の8名から11名に増えた。
 その理由についていわゆる台湾海峡の緊張がひきあいに出されるが、これはほとんど口実であろう。10年以上も前の湾岸戦争当時から、人民戦争方式が時代遅れになったことが明確に意識され、「ハイテク戦争を戦える」ために人民解放軍の装備の近代化が行われてきた。それが海軍、空軍、第2砲兵の拡充だ。人民戦争戦略からハイテク近代戦戦略への大きな戦略転換が人民解放軍の司令系統全体の再編成にまで発展した事実を直視すべきである。海洋資源確保の戦略やマラッカ海峡防衛論、はては沿海地域500海里までを制圧下におくことによって自国の安全保障と経済的安保を確保すべきだという大きな戦略のもとに進めている解放軍の近代化であることを見失ってはなるまい。

 中国はいま大きな転換点に立たされている。市場経済は人々の予想以上に発展したが、江沢民体制下で政治改革が放置されたために、経済と政治の矛盾が大きい。
 政治不改革の矛盾を愛国主義教育で隠蔽してきたことが「狭い民族主義」を助長し、開放政策の新たな展開にとって桎梏となり始めている。愛国主義教育はまた軍拡とも癒着していた。
日中関係について「経熱政冷」が指摘されるが、これは中国の「市場経済の発展」と「政治非民主化の矛盾」全体の反映でもある。中国の軍拡はまた政治非改革のなかで行われたことによって政治改革の重荷になっている。
 要するに江沢民時代とは、旧ソ連解体に脅え、狭い民族主義に逃避した時代なのだ。旧ソ連解体のような世界史的転換に当たって、ケ小平のような大物から分不相応の大きな権力を引き継いだ江沢民の不安にも同情の余地はあろう。
 だが、法輪功をむやみやたらに弾圧し、台湾海峡対岸の同胞をミサイルで恫喝し、台湾独立論者がこのスローガンを下ろさないのは、日本軍国主義者が支持するからだといった、途方もない虚像を作り、排外主義に走るのは、まともな指導者のやるべきことではない。江沢民がポストケ小平期の中国を安定させたことは事実だが、その手法は大きな副作用を残した。功罪をあわせて評価すると、合否すれすれであろう。とてもよい点はつけられない。経済の躍進についていえば、これはほとんど朱鎔基の功績だ。
 かつてケ小平はこう語ったことがある。「私は中日友好に特殊な感情をもっている。日本軍国主義が中国侵略戦争を起こしたときでさえも、多くの日本人が侵略に反対した。日本の中国侵略史を語る時、日本人民について語るべきであり、日本の多くの友好人士が中日友好のために奮闘した歴史を語るべきだ。これらの人々はとても多いのだ」。
 江沢民流の狭い民族主義に決定的に欠けていたのは、このような深みのある日本認識である。逆説のように聞こえるかもしれないが、春秋の筆法をもって表現すれば、道化役にも似た日本側のポピュリズム三流政治家たちを支えているのは、(拉致を含む)隣国の狭い民族なのだ。これが小国日本のナショナリズムを挑発し、日本ナショナリズムは自慰にも似た気休めに陥っている。この負の連鎖反応を断ち切る一つの条件がようやく成立したことに4中全会の意味がある。



          
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