第17号 2005.12.9発行 by 矢吹 晋
    過ちを訂正するに憚るなかれ。
誤解・誤訳の開き直りは許されない---
『マオ-誰も知らなかった毛沢東』の著者名表記について
<目次>へ戻る
 
図:『誰も知らなかった毛沢東(上)』の表紙 図:『誰も知らなかった毛沢東(下)』の表紙
 
 話題の新著『マオ-誰も知らなかった毛沢東』を書店で数分だけ立ち読みした。下巻末尾の「訳者あとがき」における訳者土屋京子の弁明が気になったので、改めて指摘しておく。
 原著は張戎とイギリス人の近代史家ジョン・ハリディの共著である。張戎のローマ字表記は Jung Changとされている。このローマ字を訳者はおよそ十年前の『ワイルド・スワン』で「ユン・チアン」と表記し、今回もその表記を踏襲している。私がここで批判したいのは、その弁明が牽強付会であり、間違いだということだ。
 土屋はいう。「中国語の読みは原則として標準語の発音に従ったが、一部はそれぞれの地方の発音に従ったものもある(a)。ちなみに、著者ユン・チアン(張戎)の「ユン」という発音も、本人に確かめたところ、「戎」を出身地四川省の読み方で発音しているのだという(b)」(邦訳下巻542ページ)。
 どうやら土屋は、私や高島俊男の12年前の批判を気にはしているが、何を批判されたかのかをまだ理解していないようだ。理由にならぬ理由で言い逃れできると錯覚しているらしい。実に往生際が悪い。私は土屋に何の恨みもなく、またこの本の営業を妨害するつもりもさらさらない。しかし、土屋のような強弁、誤解がベストセラーの力を借りて一般に広く行われるのは、日本の中国理解にとって由々しいことだと思うので、あえてもう一度、問題の所在を説明しておきたい。
 話は実に単純なことだ。「張戎」という二文字は、現行のピンイン方式では、Zhang Rong と表記されるが、イギリスで依然広く行われているウェード方式では、Chang Jungと表記される。訳者はこのChang Jungが(1)ウェード方式表記であることを知らずに、(2)著者の四川方言と錯覚した。(3)こうしてJungを「ユン」とカナ書きした。
 私は『東京新聞』(九三年三月七日)に書いた書評で、この間違いを指摘した。著者張戎は四川大学英文科卒業の才媛だけあって、実に標準的な普通話を話す。四川省出身ではあるが、彼女の普通話は少しもなまっていない。この事実を私は後日ホテルオークラにおける対談で確認している(『週刊現代』1994年4月16日号掲載の矢吹による張戎インタビューを参照)。
 上に引用した3行の弁解は、どこがどのようにおかしいのか。
 「中国語の読みは原則として標準語の発音に従ったが、一部はそれぞれの地方の発音に従ったものもある(a)」。
 このやり方は、それでよい。一般に広く行われているものだ。しかし、「ちなみに」以下には、二重、三重の問題がある。
 (1)「本人に確かめたところ」と、典拠を示すが、これは土屋の確かめ方が的確でないので、的確な答えが届かなかったのではないか。おそらくは、張戎が書いた説明(後述の旧稿参照)の箇所を誤読しているのだ。
 (2)「戎」を出身地四川省の読み方で発音している(b)」。
彼女は四川省出身ではあるが、「四川省の読み方」は用いていない。これは標準語の発音表記である。
 (3)Rongと表記してあれば標準語であるが、Jungと表記してあるのは、「四川省の読み方」に基づくと解釈するのは、間違いである。
 (4)Rongと Jungとは、「まったく同一の音」に対する「異なる発音表記システムに基づく表記」であるにすぎない。ここでは「四川省方言の問題」はそもそも存在しない。
 (5)以下は蛇足だが、フランスで行われているヴィシェール方式では、Jongと表記され、ドイツで行われているレッシング・オットマー方式では、Jungと表記されることを付け加えておく。
 (6)念のために、ウェード方式の説明およびこの方式とピンイン方式の対照表を掲げておく。最後に私の旧稿も採録しておく。
 
資料:1 The Wade-Giles romanization system for Mandarin Chinese
The Wade-Giles romanization system for Mandarin Chinese is the product of two British scholars: Sir Thomas Wade (August 25, 1818 - July 31, 1895) and Herbert Allen Giles (December 8, 1845 - February 13, 1935). Giles served as a British consular official in various parts of China from 1867-92. He was first posted to in Taiwan 1867. He also served as British Consul at Tamsui (Tanshui/Danshui) from 1885-87. Giles, who succeeded Wade as professor of Chinese at Cambridge, revised the romanization system Wade had developed. The resulting effort became the de facto standard for the romanization of Mandarin Chinese for the majority of the twentieth century.  写真:Herbert Allen Giles
写真はHerbert Allen Giles
 
資料:2 発音表記対照表 
「表1:a~」を表示します。  「表2:chia~」を表示します。  「表3:chun~」を表示します。  「表4:hsiao~」を表示します。  「表5:kai~」を表示します。  「表6:lan~」を表示します。
表1:a~     表2:chia~    表3:chun~    表4:hsiao~    表5:kai~     表6:lan~
「表7:mien~」を表示します。  「表8:pai~」を表示します。  「表9:sen~」を表示します。  「表10:tang~」を表示します。  「表11:tsei~」を表示します。  「表12:weng~」を表示します。
表7:mien~    表8:pai~    表9:sen~    表10:tang~    表11:tsei~    表12:weng~
   (クリックすると、新しいウィンドウが開いて大きな表が表示されます。)
 
[旧稿採録]
『蒼蒼』第56号、1994年6月
『ワイルド・スワン』の著者名について
 この本の翻訳が出たとき、私は書評にこう書いた。「達意の訳文だが、中国語音のルビには改善の余地がある。一例を挙げると、著者の名はピンイン方式ではなく、トマス・ウェード式で表記されているから、チアン・ユンではなく、チャン・ロンと読めるはずだ」(『東京新聞』九三年三月七日)。この新聞が配達された日曜日の朝(九三年三月七日)、私は訳者から電話をもらい、三〇分ほど話をした。何を話したかを訳者・土屋京子さんが後日くれた手紙から紹介しよう。
 「過日は、『ワイルド・スワン』の著者名のことで突然お電話を申し上げたにもかかわらずご親切にお答えいただき、ありがとうございました。その後、高島俊男氏が三月一五日付の『毎日新聞』に掲載された書評で著者名を誤って表記された〔と指摘されたので、その反駁を兼ねて、この機会に──矢吹補足〕のを機に、あらためて訳者としての見解を発表することにいたしました」(三月二九日付)。
 「訳者としての見解」のまえに高島氏のコメントを引用しておく。「翻訳はあまりよくない。欧米で出る中国関係書の訳者として欧米の言語をよくする人が選ばれるのは当然だが、そういう人は中国の言語、制度、生活など知らぬのがふつうであるから、不審なことが多い」「本書のばあい、著者の名前からして納得できない。訳書にはユン・チアンとしてあるが、張がチアンになるはずがない(チアンになるのは介音i を持つ蒋、江など)。ユンもおかしい。その他人名のふりがなはまちがいが多い」「また中国の権力機構に党系統と政府系統とがあることも知らぬようである」(中略) 「中国関係書の翻訳に は中国を知る人を介添えとしてつけてもらいたい、といつも思う」( 高島俊男評「ワイルド・スワン、上下、中国社会主義のグロテスク描く」(『毎日新聞』九三年三月一五日)。
 一年後[一九九四年]、件の著者とホテル・オークラのツィンルームで対談した(『週刊現代』九四年四月一六日号インタビュー)。私は当然、普通話で「張戎女士」と呼びかけ、彼女もそれに応えて微笑した。そこで忘れていた彼女の名前、あるいは呼び方についての一幕を想起した。高島氏の厳しい書評に対して、訳者は『毎日新聞』(三月二九日)でこう抗議していた。「高島氏は著者名を“張戎”と紹介しておられますが、正しい著者名は、表紙にも奥付にも明記してあるとおり「ユン・チアン」です〔a〕。これは、英語で書かれた原書の冒頭で著者自身が自分の名は「ユン」と発音するのだと書いており〔b〕、また実生活の中でもそう呼ばれている〔c〕からです。著者は“張戎”ではなく、英語式の“ユン・チアン”という名前で英国の作家として執筆活動をしています〔d〕」「(邦訳の)すべての人名は、翻訳の段階で漢字と発音を著者本人に確認したものです〔e〕。標準的な発音規則と合致しないものについては、四川省では実際にそう発音する〔f〕のかと、著者に重ねて確認しています」(ローマ字による論点のマークは矢吹による)。
 実は訳者から九三年三月二九日付反論のコピーと、私信(九三年三月二九日付)が届いていた。「興味深い論争なので機会があれば、コメントしたい」と返信だけを書いておいた。原著者と話をして、問題点の所在が確認できたので、このさいに書きとめておく。訳者は矢吹宛ての私信でこう見解を披瀝された。論点を明確にするため、記号をつけて引用する。「著者本人が“自分の名はユンと発音するのだ”と書いているのを尊重してそのままの音を表記したわけですが〔g〕、たしかに日本の辞書には“戎”という字は“ロン”あるいは“ルゥォん”と発音すると書かれており、その限りにおいては、矢吹先生のご指摘のとおりです。ただ、ユン・チアン本人が原書(英語版)の冒頭でMy name “Jung" is pronounced “Yung". とわざわざ著者註をつけていること〔h〕、実生活のなかでも夫君などから“ユン”と呼ばれていること〔i〕、そして、現在も今後も“張戎”という中国名ではなく、Jung Chang という英語式に表記された名前で英国の作家として執筆活動をしようとしていること〔j〕などを考えると、やはり、日本式の発音規則には合致しなくとも〔k〕、本人の望むとおり“ユン・チアン”と表記する〔l〕のが正しいのではないかという結論に至りました」。
**********************
 一年後の今日、思いたって紀伊國屋書店で英語版の原書(フラミンゴ版、一三版、一八〇〇円)を求めていくつかの点を確認した。
 結論からいうと、訳者の言い分はまったく通らない。いくつかの強弁がある。無知に気づいておられない。それが最大の問題である。
 第一の問題。訳者は中国語をローマ字で表記するばあいに、英語社会で伝統的なトマス・ウェード式と、中華人民共和国で採用されたピンイン方式と二種類の表記方法があることを理解していない。戎という漢字は、ピンインではRongと表記するが、トマス・ウェード式ではJungと表記する。これは言語学的には全く同一の音声に対する二つの表記方法の差にすぎない。つまり、『ワイルド・スワン』の著者の名は、漢字では「張戎」と書く。彼女の幼名は「二鴻」(アルホン)であったが、一九六四年に中学へ入ったとき、「勇ましい名」をせがんで、父からこの名をつけてもらったのである(邦訳、上巻、三七三頁)。初めに漢字ありき、だ。〔a〕のように、「正しい著者名」が「ユン・チアンだ」というのは、強弁である。ちなみに、著者は矢吹の求めに対して邦訳書の余白に「張戎」と自署している。著者は漢字の固有名詞をローマ字で表記するさいに、基本的にはピンインを用いている。たとえば姉の「肖鴻」はピンイン式でXiao-hong とされている(トマス・ウェード式ならHsiao-hungとなる)。しかし弟の「京明」はJin-mingと書かれている。正しいピンインならJing-ming (トマス・ウェード式ならChing-ming)であるから、これは字面を考慮した風だ。
 第二の問題。訳者は〔b〕で、英語で書かれた原書の冒頭で著者自身が自分の名は「ユン」と発音するのだと書いている、と指摘している。なるほど原書のAUTOR'S NOTEには、こう記されている。
 My name “Jung" is pronounced “Yung". The names of members of my family and public figures are real, and are spelled in the way by which they are usually known. Other personal names are disguised. Two difficult phonetic symbols: X and Q are pronounced, respectively, as sh and ch.
 著者はなぜこのように説明したのか。
 まず第一にピンインはイギリスでそれほどポピュラーではない。だからトマス・ウェード式を用いたこと、これが基本である。著者はこの方式で“Jung"と書いたが、ウェード式のキマリでさえ、知らない読者が多いであろう。つまりjudge のjのように発音される恐れがある。そこで著者はyes のy の音だ、というふうに断ったのである。英語世界の読者にジュンあるいはジョンと読まれたくないから、こう説明したのである。訳者はこの説明の意味を誤解しているわけだ。〔k〕において、「日本式の発音規則には合致しなくとも」というのも、おかしい。あたかもユン説を批判する高島(=矢吹)が「日本式の発音」にこだわっているような書きぶりだが、ここで問われているのは中国語の正しい発音と訳者の発音表記の距離なのである。さらに〔l〕で訳者は、「本人の望むとおり“ユン・チアン”と表記するのが正しい」と結論するが、著者張戎は、きわめて標準的な現代中国語を話し手であった(三月二八日の対談のさいに、矢吹が確かめた)。
 というわけで、高島・土屋論争は、完全に高島側に軍配があがる。「中国関係書の翻訳には中国を知る人を介添えとしてつけてもらいたい、といつも思う」高島の嘆きは、関係者共通の実感だが、この単純な手続きミスがいつも繰り返されている。本書は氷山の一角にすぎない。日本の中国理解の脆弱さを示すヒトコマと思われるので、あえて書きとめた。教訓。英訳された中国語の世界についての記述は、まず中国語に戻したうえで、それから日本語に訳するのが鉄則である。重訳は原則として避けるべきである。
 

               
<目次>へ戻る