第30号 2007.1.8発行 by 矢吹 晋
    中国農村崩壊

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 胡錦濤の打ち出した「和諧社会」の建設にとって、大きな課題の一つが、いわゆる「三農」問題であることは、衆目の一致するところであろう。そこで年末年始に積ん読の本を読んだ。中国共産党がほとんど制度疲労に陥っている姿は、どうやら三農問題に最もよく現れているようだ。中国革命の前夜に「国民党官僚資本」が中国を支配していると論じられたことは、少し年配の人々には周知のことだ。それとの対比でいえば、現在の中国を支配しているのは、「共産党官僚資本」そのものではないか。党員官僚が農民を絞り上げ、高利貸で太る醜悪な姿は、毛沢東がかつて『湖南農民運動調査報告』で描いた悪徳地主の姿と酷似している。こうして中国革命とはいったい何であったのかという深い慨嘆が聞こえるが、胡錦濤の課題とは、まさにこの問いに正面から答えることであろう。
写真:中国農村崩壊
『中国農村崩壊』
 
 旧聞だが、かつてたいへん話題になった李昌平『中国農村崩壊』(『我想総理説実話』光明日報社、2002年、吉田富夫監訳、NHK出版、 2004年)をめくってみる。三農とは、李昌平によれば、「農村は貧しい、農民は苦しい、農業は危うい」、この三つの事柄を指す。この三句を用いて、湖北省監利県棋盤郷の党書記李昌平が朱鎔基首相(当時)に直訴したのは、二〇〇〇年三月のことであった。李昌平は一九六三年生まれ、華中農業大学(武漢)に学び、中南経済大学で修士号を得たインテリ青年であり、このような学歴をもつ農業経済専門のエコノミストが基層農村の幹部を担当することは珍しく、当時三七歳の若者の訴えは、実に具体的な事実に裏付けられていた。棋盤郷の人口は四万人で、うち労働力人口は一・八万人(四五%)である。これに対して出稼ぎ者数は二・五万人で、人口の六二・五%を占め、労働力人口よりも多い。老若男女競って出稼ぎに行くので、全耕地の六五%が耕作放棄されている。「全耕地の三分の一しか耕作されていない」という指摘から村の荒廃ぶりが理解できよう。
 一家五人で八ムー(五三アール)を耕すと年間負担金は二五〇〇~三〇〇〇元になるが、ムー当たり一〇〇〇斤の収量として収入は三二〇〇元にしかならない。つまり年間収穫量のすべてが負担金として巻き上げられてしまう。「収穫量全額を租税公課として召しあげる」というのは、途方もない話だ。これでは生活を維持できないことは火をよりも明らかだ。
 九〇年には棋盤郷で幹部は一二〇人であったが、現在は三四〇人を超えている。年々新しい役人が現れ、役人は農民をしぼり、農民は土地を搾るために泥まみれになっている。「一〇年間に役人が三倍近くに増えた」という話には唖然とするばかりだ。これらの実情を踏まえて、李昌平は農業税や負担金(租税公課)の減免、一〇〇〇人以下の村の合併、六万人以下の郷の合併などを提起したのであった。財政赤字解決のための合併話は、わが「平成の大合併」に酷似している。
 手紙を受け取った朱鎔基は直ちに調査を命じて、李昌平は投函して二一日目に国務院農業部処長級の賀軍偉と潘文博の訪問を受けた。「九四年から内陸部が沿海地域の経済発展に追いつこうとして大発展戦略がブームとなり、国の義務であるインフラ建設を農民にカネを出させて断行した。そのインフラは結局は国のものになり、電力や電話の料金は都市部よりも高くなった」(93ページ)。
 「多くの幹部は発展こそが揺るがぬ道理だといい、自分が主役になり、企業家を脇役においやった。これは競争原理を破壊しただけでなく、一切を混乱させた。多くの部門で交際費が全経費の一〇%を占めている」(95ページ)。非企業部門のでたらめ交際費の膨張が管理のたるみを象徴しているわけだ。「郷政府の支出伝票が公の場で人民代表の審査を受けたことがない」「県政府の支出明細が公開されたこともない」「管理がいい加減なので、公開できない」のだ。「納税者の納めたカネの半分は、遊び人を養うのに使われ、非生産的支出の八割は使ってはならない用途への支出だ」(96ページ)。
 五月四日、賀軍偉と潘文博の調査報告は朱鎔基に届けられた。そこには厳しい耕地放棄の状況や農村労働力の大量流出、穀物価格の低迷と耕作赤字、農民負担金の堪えられないほどの重さ、郷鎮の財政赤字などが記されていた。六月六日、湖北省から賈志傑書記と蔣祝平省長が視察にきた。八日に省級紙『湖北日報』と湖北テレビは視察報告と現場会議の模様を報道したが、これと荆州市および監利県の報道は明らかに異なっていた。後者は李昌平の名前を出さず、監利県の成果を省級党委員会と省政府が肯定したと強調していた。つまり、省レベル報道は朱鎔基および国務院農業部の評価、すなわち中国政府の評価に近かったが、地元(荆州市と監利県)の報道は「李昌平外し、県当局の自己弁護」の匂いが露骨であった。
 なぜか。桐湖管理区元党支部書記の江平のような幹部がいるからだ。江平は毎年、県の党紀律検査委員会と検察院に一、二度取調べを受け、その都度汚職横領した数万元を返却したりしたが、いつも「処分を受けながら昇進する」という離れ技を演じてきた。六日の現場会議でも江平の名は何階も取上げられ厳しく処理せよという意見が出た。しかしもとからいる幹部のうち数人は「江平の公職は保留し、司法機関に移送して法的責任を追及することはせず、もう一度だけ機会を与えるべきだと主張し、結局は省書記や省長によって名指しされた腐敗幹部が監利県レベルではY書記の暗躍で処分を免れてしまった(168ページ)。
 李昌平が固有名詞を避けて「Y書記」とイニシャルでしか書けない人物の監利県における実績はどんなものか。実は九六年以前は郷レベルから村レベルに至るまで、すべて蓄積があり、赤字はなかったのだ。九六年から九九年にかけての四年間に、農民の負担金は毎年一億元以上増えて、債務は二億元のペースで急増した。この四年間、Y書記は前の二年間が県長であとの二年間は党書記であった。つまり財政を破綻させた責任者はY書記なのだ。しかし江平やY書記こそが地元(荆州市と監利県)では幹部のなかの多数派であった。彼らは役人同士で互いにかばいあう。その結果、正義派李昌平は「県の恥をさらした人物」になり、「不安定要素」「震源地」にされてしまった。つまり「李昌平の手紙こそが監利県をめちゃくちゃにした」というのだ。
 こうして李昌平は「私が監利県を離れれば、私自身にとっても、県や郷にとっても、都合がいい。私が去れば、多くの矛盾も一緒に持ち去るので、新任書記は身軽で仕事ができようから、棋盤の発展にとってよいのだ」と結論し、辞表(二〇〇〇年九月一六日付)を書いて、故郷を離れた。つまり、李昌平改革は農民の負担金を減らし、農民の利益を保護することには貢献したが、一部の幹部の反感を買い、地元に居にくくなったのだ。「損したカネは償ってもらうからな。さもないとただじゃすまないぞ」といった脅迫電話も受けていた(289~291ページ)。
 『中国農村崩壊』に描かれた李昌平の奮闘とその挫折の物語をどう読むべきか。これは中国の農村がもともと貧しかったという話ではないことに注目すべきであろう。鄧小平の南巡講話に始まる市場経済化路線が内陸部の湖北省に及んだときに、実際に現場で何が行われ、どのように農民が搾取されたのか、搾取したのは誰かを告発した物語である。「発展こそが硬い真理だ」という鄧小平語録は沿海地域の経済発展に貢献して、中国経済に飛躍をもたらしたことは周知の事実である。しかしその政策を地方の現場幹部が換骨奪胎して、私腹を肥やし、高利貸をやり、身内を事実上の「公務員」にして月給を払う。「汚職を批判されながら、なおかつ出世していく」悪徳幹部、腐敗幹部の物語である。彼らは紛れもなく共産党員であるが、中央紀律検査委員会も省級の紀律検査委員会も手が出せない。
 ここで問題になっているのは、基層レベルすなわち県レベルや郷レベルの幹部の腐敗ぶりであり、省レベルや中央レベルは善玉として描かれている。しかし江平やY書記が昇進していくのは、彼らを庇護しているより上級の幹部が存在するからと見なければならない。
 二〇〇六年九月、上海市書記陳良宇が解任され、そのボスである黄菊や江沢民など上海閥への風当たりはきわめて強い。湖北省荆州市や監利県の腐敗と上海市の汚職とには直接的関係はないが、共産党組織自体の腐敗が問題であること、この問題について責任をおうべき紀律検査委員会が有効に機能していない点では、共通性があることに驚かされる。権力の座について半世紀以上経ち、チェックアンドバランスの機能を欠いている独裁政治がどの程度に腐敗しているかを知る資料として、『中国農村崩壊』は実に面白い教材である。
写真:中国農民調査
『中国農民調査』
 
 次に陳桂棣夫妻の『中国農民調査』(納村公子、椙田雅美訳、文藝春秋、二〇〇五年)を読む。安徽省は中国農村でも最も貧しい地域の一つである。「安徽乞食」ということばがあるし、香港の女中さんたちは、かつてはほとんどが安徽省出身者で占められていた(いまはフィリピン出稼ぎ組に交代したようだが)。八〇年代初めに人民公社が解体されたときに、その先鞭をつけたのは安徽省鳳陽県小崗村の農民たちであったことも有名だ。当時は効率の悪い集団農業をやめて土地を農民に返したことによって農民の生活は急速によくなったと報じられていた。ところが二〇年経て見ると、やはり貧しいという。この本は安徽省在住の作家夫婦が聞き取りで描いたノンフィクションであるが、利辛県紀王場郷路営村の農民丁作明のリンチ死亡事件から話を始める。一九九三年二月、丁作明は「提留金」や「統籌金」と称する租税公課の重さにたまりかねて違法徴収問題を利辛県の紀律検査委員会に訴えた。その結果は紀王場郷の派出所でリンチを受け、ついに殺されてしまったのだ。この事件は新華社安徽省支社の孔祥迎記者によって新華社『内部参考資料』の記事となり、さらに『動態清様』に転載された。これを読んだ国務院秘書長陳俊生は利辛県党委員会書記戴文虎に調査を命じたが、これは私的なトラブルによるもので農民の負担問題とは関係なしとする虚偽の報告でごまかした。新華社安徽省支社は再調査を求めて、中央から共同調査チームが派遣された。ここで真相が明らかになり、リンチ死亡事件から二六日目の三月一九日に中央は『農民の負担軽減についての緊急通知』を発表し、六月には北京で全国農民負担軽減工作会議が開かれた。現地の安徽省阜陽地区中級裁判所はこの事件に関わった被告に判決を下した。王進軍は死刑、趙金喜は無期懲役、紀洪礼、彭志中、祝伝済は懲役七~一五年であった。共産党レベルの処分としては、利辛県党委員会書記戴文虎に「党内警告処分」、副県長の徐懐棠に行政上の降格処分、紀王場郷党委員会書記李坤富に「党内重大警告処分」、同副書記兼郷長康子昌は解任し「留党察看処分」、郷党委副書記の任開才は解任。村人は溜飲を下げた。では問題が解決したのか。二〇〇一年二月、陳桂棣が訪問したところ、丁作明の父親は病気がち、母親は半身不随で寝たきりであった。妻祝多芳は化学肥料工場で右腕を骨折し、重労働ができない体になっていた。彼らにとって「莫大な裁判費用は納めた」のに、判決で決められた被害者への「賠償金の支払いは行われていなかった」。これが本書冒頭のエピソードである。
 続く話は九三年末、臨泉県白廟鎮王営村の王俊彬らの直訴騒動である。党員王俊彬は農民負担の軽減を要求する直訴を国務院弁公庁信訪局に行った。担当者は安徽省農民負担軽減指導グループを訪ねるように指示した。九四年一月王俊彬らは臨泉県党委員会張西徳書記を訪ねると、白廟鎮党委員会宛のメモを書いてくれた。「過度に徴収した分は全額村民に返済するよう善処されたい」。この日から二ヶ月を経ても村民に返済された額は微々たるものであった。他方、直訴運動のリーダーである王俊彬は鎮の土地管理所を突然解雇されてしまった。仲間の王向東と王洪超は待ち伏せしていた鎮政府職員から袋叩きにされた。過度に徴収した部分が返済されないどころか、直訴者は報復された。県党紀律検査委員会は王俊彬の党籍除名を決定し、王向東と王洪超は公務執行妨害のカドで懲役一~二年の判決を受けた。九五年になって中央への直訴がついに成功して王向東は無罪となり、王俊彬と王洪欽も釈放された。九六年初め臨泉県党委員会張西徳書記は解任された。
 これらのエピソードに続けて、朱鎔基や温家宝といった中央指導者の対応、農業問題に取り組むエコノミストたちの苦闘など、さまざまの面から農村問題を描く。そして末尾に信じられないようなエピソードを紹介する。それはかつての直訴事件の主役王俊彬が白廟鎮党委員会書記としてやった罪状を暴いたものであった。「わが王営村村民の民主的権利、財産権、生存権はひどい侵害を受けています。白廟鎮党委員会副書記李侠、鎮民政主任周占民、党支部書記王俊彬の非道を訴えます」という投書であった。かつての直訴リーダーはいまや「災害減免金横領事件」を起こしたと村人から告発されている。なんたるめぐりあわせか。
 明末清初の思想家黄宗羲の本に「積累莫返之害」の六文字がある。「累積する税額が元に戻ったり、軽減されることはない」という慨嘆である。
 この本では挙げていないが、「積重難返」という成語もある。これは清朝の顧炎武『日知録・巻十』の「是則民間之田一入于官、而一畝之糧化而為十四畝矣。此固其積重難返之勢、始于景定、迄于洪武、而征科之類之額十倍于紹熙以前者也」で記述されたことを四文字にまとめたものだ。
 唐代の両税法、明代の一条鞭法、清代の攤丁入畝など歴代の税制改革は、一時的には減税を通じて民力を養う機会を与えたものの、まもなくその反動が起こり、農民の負担は重くなるばかりだという悲観論もこの本で引用されている。
 役人の削減→機構膨張→人員再削減→機構再膨張の悪循環として、パーキンソンの法則として説く論者もある。筆者は農業エコノミスト何開蔭の口を借りて、共産党が黄宗羲の法則を打破することに希望を託して結びとしているが、ここから明るい未来を感じ取ることのできる読者はどれだけあるだろうか。

[追記]邦訳について、ケアレスミスを指摘しておく。
(1)訳本二〇〇ページで出てくる「朱琳主任」について、訳者は「農村改革推進派の李鵬夫人」とご丁寧に訳注しているが、これは二重三重の間違いである。文脈からして安徽省某県北京弁事処主任・党組書記の朱琳であり、男性である。中国には同姓同名が「掃いて捨てるほど」あるのだ。むろん李鵬夫人たる朱琳は最も有名だが、ほかにも女優やらスポーツ選手やら、いくらでもいることを忘れてはならない。性別では「琳」は女性が多いが、ここで登場する朱琳はなんと男性なのだ。もう一つ。ここで登場する朱琳はたしかに「農村改革推進派」であろうが、李鵬首相や李鵬首相夫人について「農村改革推進派」などという説明を聞くと、訳者がどの程度中身を理解しているのか、疑問になる。
(2)次のルビの問題。人名地名に日本語ルビをつける場合には、「漢音」で読むのが常識だが、本書で一部で呉音を用いたり、同じ人物のルビが違っていたりするのは困る。たとえば杜潤生は「生セイ」であり、「生ショウ」ではない(165ページ)。杜鷹は「よう」とすべきであり、「おう」は困る(166ページ)。鉄道京浦線は「キョウ」(233ページ)ではなく「ケイ」である。「留党察看」などの処分用語も不適切な個所がある。
(3)最後に、124ページの「七十九万の人民公社」は、「七十九万の合作社(協同組合)」の誤訳である。人民公社数は最大のときでさえ五万余であった。
 

               
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