第31号 2007.2.8発行 by 矢吹 晋
    瓢箪から駒が出た話

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 旧臘、旧知の井上栄教授から新著『感染症』(中公新書)が届いたので、さっそく著者ご指定の該当個所をめくる。
感染症の表紙
 
   「とっぴな話になるが、飛沫感染の起こりにくさに日本語の発音の特徴も関係しているという、次のような仮説を考えた。これはSARS流行時に、中国専門家の矢吹晋・横浜市立大学教授に中国の状況についてうかがったときの会話のなかで生まれたものである。


  英語・中国語には有気音がある。有気音とは、p・t・k(中国語ではさらにq・ch・c)の破裂音のあとに母音が来ると、息がはげしく吐き出されることをいう。口の前にハンカチをたらしておくとそれがめくれ上がることで分かる。息を出すときウィルスをふくむ飛沫もとびだすだろう。


  いっぽう日本語では、p・t・kは息を出さない無息音として発音される。しかも日本語ではp音はあまり使われていない。ハ行音は、奈良時代p音だったのがのちf音に変わり、いまはh音になっている。現在、パ行音は外来語か擬声語・擬態語に使われるだけである。


  米国人旅行者が中国で土産物屋に入ったとき、店員は英語で話しかけ、日本人旅行者には日本語で話しかけるだろう。もし店員がSARSウィルスに感染していて、まだその初期で咳をすることなく仕事をしていたとすると、英語を喋ればウィルスを飛沫でとばすが、日本語では飛沫は少ないだろう。


  この仮説は世界中で誰も考えていないだろうから、どこかに発表しようと英国の医学週刊誌『ランセット』の通信欄に投稿してみた。驚いたことに、わずか一週間後に校正ゲラ刷りが届いた。いまは電子メールが使われ、さらに通信欄は編集者が掲載の可否を決めるので、返事が早かったのだ。ゲラ刷りはプリントアウトし、校正して署名したものをファクスで送り返すようになっている。


  掲載されたのは2003年7月12日号だったが、冬になってSARSが再来するかどうかが話題になったとき、この仮説が日本の週刊誌で話題にされた。また、英国の週刊誌『教育ガーディアン』(2004年1月20日号)のコラムにも取りあげられた。その執筆者はノーベル賞のパロディ「イグ・ノーベル賞」の主催者M・アブラムス氏。イグ・ノーベル賞は「」人びとを笑わせ、そして考えさせた」研究に授与されるとのことで、日本人では「犬語翻訳機バウンガル」の発明者やカラオケの発明者がもらっている。アブラムス氏は、世界中が日本語を使えばSARS問題はなくなると茶化した。この記事のあと、言葉好き、物好きの外国人がネット上で議論を交わしたが、それを読むのは愉快だった。


  じつはいま私は、上記仮説はSARSには当てはまらない、と考えている。前述のように、病院外でのSARSの伝播は飛沫よりも手によるものが主だろう。しかし、SARS以外の感染症のいくつかには当てはまるかもしれない。たとえば、髄膜炎菌による髄膜炎はむかし日本でたくさんあったのだが、最近は非常に少なくなっている。この菌はヒトの口のなかに棲んでいる。菌がいても咳は出ないので、伝播は、喋るときに出る飛沫、および口から手へ、手から口への経路で起こると考えられている」(34~36ページ)。
 
  井上教授は元国立感染症研究所感染症情報センターの初代所長であり、定年退官後、大妻女子大学で健康教育に従事されている、この分野の専門家である。たしか2003年の初夏、新橋でビールのジョッキを傾けながら、中国を揺るがしていたSARS問題を論じたことがあり、ほとんど忘れかけていた往時を想起した。


  井上教授がまず私に問うたのは、中国語の発音についてであった。そこで私はいつも教室でやるようにハンカチを取りだして、有気音を実演した。NHKの国際放送のアナウンサーに標準的な2、3句を話してもらい、それを検査すれば、簡単に証明できるはずと付け加えたことも想起した。むろん井上教授は有気音のことは先刻ご承知であり、この話は簡単に済んだ。


  口角泡を飛ばす「中国語の飛沫」の話ならば、日本人や他の外国人でも中国であるいは他の地域で中国語を話す機会は、いくらでもあるはず。ところが日本人や他の外国人の間でSARSが流行せず、中国人の間(その後ベトナムにも飛び火した)でのみ流行しているのはなぜか。これが難問であった。


  ここで私がとっさに想起したのは、大量の日本人観光客と、それを受け入れる中国側とのコミュニケーションの現場のイメージであった。日本人観光客はたしかに片言の中国語は話すかもしれない。しかしその場で行われる会話の大部分は日本語だろう。だから日本人には患者が現れないのではないか。私はそう答えた。これはほとんど口からでまかせ、とっさの思いつきにすぎなかったが、科学者はさっそくそれを英語の文章にまとめ、投稿してしまった。まもなくその投稿が掲載されたという知らせを教授から受けて、私はひどく驚いたことをいま想起する。このような迅速なコミュニケーションは、私の想定を超えた成行きであった。


  私は英語という世界共通語の広がりや自然科学のなかでも医学の普遍性、とりわけ一刻を争う感染症研究の話題だからこそ、このような迅速な情報流通がありうるのだと思い当たり、「アジアは一つ」どころか、「世界は一つ」ということばを実感させられた(逆の話。渡り鳥にとって国境なぞ、そもそもなかったが、いまは現実に見える形で存在しているらしい。朝鮮半島の中立地帯が渡り鳥の保養地・天国と化しているのは、実に面白い現象だと思われる)。


  井上教授はこの仮説が日本の週刊誌でも話題にされたと記しているが、これは寡聞にして知らない。むろんイグ・ノーベル賞の主宰者アブラムス氏の冗談も初耳であった。「アブラムス氏は、世界中が日本語を使えばSARS問題はなくなると茶化した」そうだが、この文章の二つの言葉を置き換えてみよう。


  「アブラムス氏曰く、世界中が日本国憲法を使えば戦争はなくなる」。アブラムス氏に先だち、わが大田光総理はこの真理を喝破していたのだ。職業政治家をすべて投獄して漫才家と入れ替えるのが第9条を守る方策かもしれない。


  折しも、宮崎で、岡山で鳥インフルエンザは猛威を振るっている。これがヒト・インフルエンザに突然変異する日は、いよいよ近づいているのかもしれない。今度、お会いしたら井上教授に直接聞いてみたい。朝鮮半島の無核化を目指す6カ国会議のマラソン交渉のゴールはどこにあるのか、その日時は鳥インフルエンザの変身に追いつかないのではないか。これは誰に聞いたらよいのか。やはり大田総理か。
 

               
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