第35号 2007.8.8発行 by 矢吹 晋
    17回党大会 人事の目玉
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 秋の党大会へ向けて、準備作業はいよいよ急ピッチで動いているようだ。外交部の大会代表名のなかに、戴秉国常務副部長の名がないことから憶測が広まり、一時は、引退説も流れた。しかしこれはありえない話だ。1938年生まれの唐家璇国務委員が引退するとすれば、その後任の仕事は1941年生まれの戴秉国常務副部長・外交部党委員会書記以外に、他の人物を想定できないことは、これまでの活動状況から判断して疑いを容れないからだ。 写真:戴秉国
戴秉国 
写真:戴秉国  果たして戴秉国の名は、「土家族」枠のなかに含まれていた。
 日本では国政選挙における候補者枠の調整は大問題であるが、類似の事情は中国も同じである。
 さて、外交部常務副部長・兼外交部党委員会書記のポストは、誰に渡るのか。駐日大使王毅の栄転が内定した。つまり、王毅は党大会で中央候補委員に選出され、行政レベルでは、外交部常務副部長として外交部長楊潔篪を支えることになる。
戴秉国 

写真:楊潔篪 写真:王光亜 写真:王毅
楊潔篪 王光亜 王毅
 こうして外交部関係の中央委員・中央候補委員のポストは次のようになる。
1戴秉国・1941年生まれ、中央委員・国務委員副総理(あるいは国務委員)
2楊潔篪・1950年生まれ、中央委員・国務院外交部長
3王光亜・1950年生まれ、中央委員・現国連大使(2003年8月に赴任し、すでに在任4年を超えたので、配置転換の可能性あり)
4王毅氏・1953年生まれ、中央候補委員・外交部党委員会書記
 
 秋に開かれるのは、いうまでもなく党大会である。党の人事と政府人事との関係を見る恰好の事例がここにある。
 党大会で外交部関係の中央委員・中央候補委員がどのように選ばれるかは、2008年3月の全国人民代表大会でスタートする第2期温家宝内閣の閣僚ポストをあらかじめ教えている。閣僚ポストを想定したうえで、党レベルの地位を決定する仕組みがここに浮き彫りにされているわけである。

 昨年秋に陳良宇上海市書記が汚職事件として、突然電撃的なやり方で事実上逮捕拘禁されたことは、すでにいくどか触れてきた。高級幹部については、特に全国人民代表には「不逮捕」の特権もあり、「双規」という特有の用語を用いて事態の真相をわかりにくくする。「二つの規制を受ける」ことを「双規」と称するが、これは「いつでも、どこへでも」取調のために出頭するという意味である。いつでも、どこへでも、と聞くとなにやらドラエモンみたいな話と誤解されかねないが、これはそんな悠長な話ではない。取調のために、いつでも、どこへでも出向かせるためには、なによりも身柄を確保しておかなければならないことは、当然だ。こうして事実上の逮捕・拘禁あるいは軟禁を「双規shuanggui」なる曖昧な用語で扱うことが共産党一流の「文明」作法なのだ。
 さて陳良宇がまず「双規」処分を受けたときに、ほとんどすべてのチャイナ・ウオッチャーが陳良宇を重用してきた黄菊副総理まで責任追及が及ぶかどうかに視線を向けた。昨年9月の陳良宇処分から9カ月後の、2007年6月に黄菊は病死した。そこで黄菊自身に対する追及は沙汰止みになった。しかし、最近の報道によると、黄菊の秘書王維工は、黄菊の死去直後の7月に逮捕されていた(『財経』電子版)。
写真:2005年9月、雲南視察時の王維工(左)と黄菊
2005年9月、雲南視察時の王維工(左)と黄菊。
 王維工は黄菊が上海市党委員会書記兼市長を務めていた1994年当時から黄菊の秘書を勤め、今年初めにようやく上海市のエネルギー関連国有企業幹部に転身した。かつて文化大革命期のような、権力闘争が華やかなりしころ、まず秘書を攻撃して、悪い秘書を使う主人への脅迫とすることがしばしば行われた。今回のケースは、黄菊の地位からして(すなわち、黄菊という番頭を用いてきたのは、江沢民である)、陳良宇処分に対して、抵抗闘争を行わないかぎり、黄菊自身には手をつけないとする、一種の「司法取引」にも似た扱いが行われてきた。しかし、黄菊の死後、その秘書を処分することによって、事実上、黄菊の犯罪を示唆し、陳良宇問題は黄菊問題である事実を裏書きしたに等しい、と私は解している。
 こうして、上海閥退治は、陳良宇の直属上司まで波及した。しかし、最大の黒幕・江沢民へは追及の手が及ばない。そして江沢民のボディガードを長年勤めてきた由喜貴の名がしばしば出てくる。由喜貴中将は1939年5月生まれ、58年に中央警衛団戦士となり、以後一貫して要人警護の道を歩んだ。1985~94年、中共中央弁公庁警衛局副局長以来、中共中央弁公庁に移り、1994~97年中共中央弁公庁警衛局局長兼党委員会書記に昇格した。 写真:由喜貴
由喜貴(右端サングラス)、中央サングラスは江沢民
このポストは「副大軍区級」の高い地位として位置づけられている。97年10月中共中央弁公庁副主任(これは正部長級ポスト)兼警衛局党委員会書記(これは正大軍区級ポスト)。90年少将昇格、97年中将昇格、2004年上将昇格、と江沢民の権力拡大に対応して、由喜貴は少将から上将で上り詰めた。江沢民の退場とともに消えるのが当然だが、胡錦濤の人事固めに抵抗する代表的人物として、しばしば現れる。胡錦濤がこれらの残党をどのように整理するか。そこが人事の見どころの一つであろう。

               
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