第37号 2007.10.4発行 by 矢吹 晋
    温故知新――国交正常化35周年
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 今年は、国交正常化35周年である。中国側でとりわけ期待の高い福田康夫首相は、安倍政治の空白埋めに多忙で、当面訪中どころではない政治日程である。しかし、首脳が電話をかけただけで、双方ともに安心しているのは、小泉・安倍時代とはまるで異なる雰囲気だ。
 いまから5年前、国交正常化30周年の2002年は、小泉抜きで、橋本派を中心に国会議員100余名が北京に集った。「北京からお呼びでない」小泉首相は、方向を変えて、ピョンヤンに飛び、支持率を急回復した。しかし、元来がパフォーマンスの域を出ない小泉訪朝は、その後、拉致問題で身動きがつかない。
 拉致問題を煽ることによって大衆のプチ・ナショナリズムに訴えた安倍は、私の予想通り、拉致拘泥が命取りになった。安倍の失敗の直接的契機として、拉致一本槍を挙げる向きは必ずしも多くないが、中期的に展望すると、拉致問題で「男を挙げた」(?)安倍が、これを乗り越えて進む東アジアポスト冷戦体制への枠組み作りで蚊帳の外におかれ、ついに自爆した印象は、くっきりと浮き彫りにされる。
黄山雨過・東山魁夷の世界57ページ
黄山雨過・東山魁夷の世界57ページ
 田中角栄の毛沢東への手土産――東山魁夷「春暁」
 私自身は、9月末に長野県日中友好協会に招かれて記念講演を行い、シンポジウムに参加した。「温故知新」の一例として、田中訪中における日中誤解の原点を詳しく説明したところ、聴衆の反応はまずまずであった。
 そのときに、田中の毛沢東への手土産が東山魁夷画伯の「春暁」(20号)であると偶然に触れたところ、聴衆の間にざわめきが生じた。
 実は会場のすぐ近く善光寺境内の横側に信濃美術館があり、それに隣接して東山魁夷館があり、信濃人はこれをたいへん誇りにしていたのだ。明2008年は東山魁夷生誕100周年だ。「春暁」は係員に調べてもらったところ、1972年春、すなわち田中訪中の半年前に、比叡山で描かれたものという。
 ところが、売店で用意しているどの図録をみても、この歴史的贈物「春暁」についての記述はない。この贈物を制作する前後、魁夷は日中文化交流史に残る唐招提寺御影堂の障壁画を描いている。そして76年4~5月、77年8~9月、78年5~7月、80年5月と魁夷の訪中は4回を数える。これらのうち、主なものは魁夷館で見ることができる。
 こうした魁夷と中国を結ぶ環境のなかで、肝心の贈物「春暁」が忘れられているのが実情だ。私を魁夷館に案内してくれた友好協会事務局長布施正幸氏も、この失念に驚いていたので、私は魁夷の描いた中国物を絵はがきシリーズにすると、恰好の土産グッズができるのではないかと提案した次第である。
桂林月夜・東山魁夷の世界56ページ
桂林月夜・東山魁夷の世界56ページ
 甚だ不可解! NHK「その時歴史が動いた・日中国交正常化35周年特集」
 長野の美酒をしたたかに呑んで、我が家にたどりついたところ、昔の教え子からのメールが届いていた。
 曰く、先週、NHK「その時歴史が動いた・日中国交正常化35周年特集」を見ておりまして、『楚辞集註』の「そ」の字もなかったことや、「迷惑」について踏み込んだ紹介がなく、せっかくの特集なのに……と、とても残念で、NHKにもっと勉強してもらいたいと思うと同時に、先生にますますご活躍頂きたいと、しみじみ感じた次第です」とあった。
 実はこの番組が放映された直後にも、知人が「腑に落ちない」とメールをくれたので、以下のように返信した。
 近年、日中間対話のなかで日本は日中戦争について謝罪をしていないとする非難が中国側からしばしば繰り返して提起され、それについて、すでに「ン十回の謝罪が行われた」とする言い方も行われてきたことは、ご承知の通りです。ここで焦点は、田中角栄・周恩来日中会談ですね。この点について、わが外務省会談録のなかに、田中の謝罪は、記録されておらず、私が中国側記録をもとに、「改竄された外務省の記録」(『激辛書評で知る中国の政治経済の虚実』86ページ以下)を書いたことは、ご承知の通りです。
 今回の番組では、日本側記録に謝罪の記録が欠如していることについては口をつぐみ、中国側「姫鵬飛回憶録」なるものに基づいて、田中の謝罪を説明して、交渉が成ったとしています。ここで問題は二つあります。一つは、当時の中国課長橋本恕氏(のち中国大使)の回想談を長々と引用しながら、外務省記録からこの部分を削除したこと、肝心の削除問題については、問いただすことさえしていません。歴史の真実を掘り起こすことが謳い文句の、この番組にしては甚だ不可解です。単に外務省当局者の後向きの弁解を繰り返すだけでは、真実を隠蔽したことになります。これは理解に苦しむところです。
 もう一つは、「姫鵬飛回想録」をもとに、田中の謝罪を説いていますが、実はそのような題名の中国語本はありません。この回想論文の真のタイトルは「飲水不忘挖井人」です。この姫鵬飛回想録は、NHKが国交正常化20年を記してまとめた『周恩来の決断』の日本語版にはなく、その中国訳版の「付録」として、中国の党史研究者・李海文女史が、外交部資料をまとめ、姫鵬飛の確認をとって発表したものですが、これは日本側記録があまりにも杜撰あるいは欠落が多いので、これを補うためでした(この間の事情は、『激辛』105ページ以下に書いた通りです)。
 番組担当者は明らかに、拙著に基づいて謝罪部分のシナリオを書きながら、良く読んでいないために、あるいはこの本を無視したいために、馬脚をあらわしたようです。これでは20週年の番組、30周年の番組をなぞっただけになります。実は、20周年記念の『周恩来の決断』において、橋本課長に「通訳の訳語の問題もあった」ことを証言させておけば、江沢民が古い問題を蒸し返したときに、田中の真意を語ることが可能でした。ところが、ここでも橋本課長は「迷惑」ということばを選ぶために熟考に熟考を重ねたと強調しながら、その中国語訳の適否には、触れていないのです。挙句の果ては、迷惑という言葉の選び方に間違いはないと強弁する始末です。ここで真の問題は、田中の謝罪を中国側がどのように受け止めたかであるはずなのに、20年後も、35年後も、橋本課長には、その後のトラブルの原因がどこにあったのかが分かっていない。台湾ロビー対策に苦労したという苦労話ばかりです。
 インタビューするNHKの側にも問題が分かっていないので、急所を質問できない。こうして田中訪中に始まった日中誤解は、35年を経ても、まだ問題の所在が分かっていないとは、あきれた話です。ただし、長野で、私の話を直接聞いた人々はよく分かってくれたようで、いい話を聞いたと好評でした。ここで自慢しても始まらないのですが、「春暁」のような名画のことさえ忘れてしまうわけですから、ややこしい迷惑論争のあとさきが忘れられるのも、無理からぬところかも。しかしこれでは「前事を忘れず、後事の師となす」ことはできないですね。
 毛沢東書斎における会談記録も、日本側に記録の欠如していることは、拙著に書いた通りです。これは中国側記録もいまだ公表されていません。私自身は私的な関係を通じて、内容を確認しましたが(『激辛』109ページ以下)、番組は、通訳の王効賢女史をインタビューしたとして、説明しています。しかし、「通訳に聞けば、真相が分かる」と考えるのは皮相です。通訳たちはメモ類を含めて、すべての記録を没収され、書斎での出来事を一切話してはならないと厳命されて、20~30年、事後の彼女たちの記憶は、後日の公式発表を通じて形成されるのです。このあたりをよほど点検しないと、証言を求めてもよい証言にはならない。
 たとえば「添了麻煩」について、毛沢東が問うた際に、「大平外相が答えた」と書かれています(岩波版、『日中国交正常化・・・交渉』横堀克己インタビュー、263ページ)。「これは、中国側の意見に従って改め、解決しました」と発言したのが大平外相だとするのは、記憶違いですね。「添了麻煩」を語ったのが、田中であり、しかもこの場に田中がいるにもかかわらず、大平が弁明するはずはないのです。事実、中国側記録には、田中の発言として記録されています。その場に在席した者の証言だからと鵜呑みにしてはならない。つまりヒアリング記録には留保が必要です。岩波版『日中国交正常化、日中平和条約締結交渉』に収められた中国側通訳女史の談話は、その限界を露呈しています。
 最後に、もう一つ。橋本課長の交渉記録改竄問題のほかに、当時の条約課長、のち北米大使栗山氏の弁明も、不満が残るものです。彼は当時条約課長としての国会答弁で、台湾問題について、当時の日本政府の公式見解を明確に述べています。「日本は領有した台湾を中国に返還するのであり、返還された台湾の帰属について、あれこれ発言できる立場にはない」。この趣旨が当時の国会答弁でした。しかしその後、台湾の帰属について当時の言及がないのは、日本政府の「留保を意味する」といった趣旨の、不可解な発言に軌道修正するのを聞いて、私は驚いたことがあります。政治家の健忘症は許されないし、いわんや条約課長がこのような三百代言では、日本政府は信頼を失うでしょう。
 中国側の日本政治不信は、政治家の暴言のほかに、高級官僚諸氏の健忘症にも問題があります。日中国交正常化において、台湾問題が交渉の焦点であったのは、当然のことですが、その弁明を聞くことに終始して、交渉当事者の態度等を批判的に検討することを一切放棄したのでは、マスコミとして任務放棄になります。
 総じて、この番組は、国交正常化20年、30年当時の番組から少しも取材が深化しておらず、甚だ不満の残るものでした。松平キャスターは、300回の長寿番組を自賛していましたが、「番組の制度疲労」でなければ、幸いです。2005年に日露戦争のポーツマス講和百週年を扱った番組も、私にはかなり不満の残るものでした。
 要するに、田中謝罪であれ、毛沢東・田中会談であれ、日本側にまるで記録が欠如しているのは、大問題のはず。そこを衝きながら、往時を再構成するのではなく、当事者の苦労話を聞くばかりで、問題の所在を曖昧にするのは、報道機関の基本姿勢に関わると思います。                          不一。2007年9月30日

               
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