第41号 2008.6.25発行 by 矢吹 晋
    中国の「どん底世界」
――『中国低層訪談録』を読む――
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 本の表紙:『中国低層放談録』
 
  本書は廖亦武の『中国低層訪談録』(2001年、長江文芸出版社版)、同書の台湾麦田出版社版(全3巻、2002年)および大陸での地下出版『中国冤案録』(2005年)、および未発表インタビューを日本に住む研究者・劉燕子が編訳したものである。劉燕子の「訳者あとがき」によると、著書廖亦武は1958年四川省塩貞県の農村に生まれた。今年50歳になる。80年代は前衛詩人として活躍し、「体制側から与えられる賞」を20余受賞した。天安門事件を告発した長詩「大虐殺」やその姉妹編の映画詩「安魂」を制作し、反革命煽動罪で4年間投獄された。出獄後、職を得られず、獄中で僧侶から学んだ簫を吹く大道芸人として生活を立てながら、中国社会の最低層の人々の声を記録し続けてきた。その際に、録音機やノートなどは一切使わず、記憶力だけに依拠するという。95年には米国のヘルマン・ハメット賞を受賞した。2001年に前掲『中国低層訪談録』を出版し、反響を呼んだが、発禁にされた。翌2002年台湾の麦田出版社から刊行された版本で「自由創作賞」(『傾向』誌)を受賞した。2003年には『中国低層訪談録』のフランス語版が刊行され、2回目のヘルマン・ハメット賞を受賞した。2008年には英語版がランダムハウスから出版された。
 目次を一瞥してみよう。
 Ⅰ「はみだし者」の章に収められたのは、1浮浪児、2出稼ぎ労働者、3乞食の大将、4麻薬中毒者、5ハンセン病患者と誤認された者、6不法越境者、の6名である。
 Ⅱ「性をめぐる虚と実」に収められたのは、7同性愛者、8女遊びに熱中する男、9「三陪(サンペイ)小姐」、10新々人類、11人買い業者、12新疆生産建設兵団女性兵士の息子、の6名である。
 Ⅲ「変転する社会を生き抜いて」の章に収められたのは、13公衆トイレの番人、14死化粧師、15葬儀の楽師兼泣き男、16老地主、17老右派、18老紅衛兵、19「厳打キャンペーン」の生存者、20再開発で立ち退きを命じられた市民、21大陸反攻のために金門島から大陸に潜入して逮捕された者、22胡風(張光人)の囚人仲間、の10名である。
 Ⅳ「暴力と欺瞞の世界に真実を求めて」の章に収められたのは、23法輪功の修業者、24地下カトリック教徒、25百三歳の和尚、26チベット巡礼者、の4名である。
 Ⅴ「一寸の虫にも五分の魂」の章に収められたのは、27破産した企業家、28冤罪の農民、29「上訪」する詩人、30「反戦」を唱える反革命分子、31天安門事件の反革命分子、の5名である。
 
 現代中国史を彩る激動のなかで、運命をもてあそばれ、数奇な人生を生きた、あるいは生き抜いている、ほとんど虫けらのような人々を探し出し、著者は誠実に丹念に、その人生の変転を聞き出す。そこから浮かび上がった31名の老若男女の生きざまは、中国社会の現実とその矛盾を実に鮮やかに抉りだす。評者は文学の門外漢であり、社会科学の徒であるから、ここから「中国社会の諸階級」の底辺、それも一断面を読み取ることしかできないのだが、通常「ルンペンプロレタリアート」の一語で概括されるような、すなわち革命にも役立たず、社会の進歩にもなんら貢献できないとされているような「はみだし者」、「虫けらのような」人生のなかにこそ、現代の神仏が宿るという真理を著者は、紡ぎだしたように思われる。
 Ⅱ「性をめぐる虚と実」に収められた人々は、わが野坂昭如の「エロ事師」と似て非なるものがあり、Ⅳのさまざまな宗教に救いを求める人々のひたむきな姿は、外部からの非難とは逆に、最もヒューマニスティックな群像に見える。これは対象自体のもつ人間的魅力と著者の筆力の合力によるものか。
 評者自身は、陸学芸主編『当代中国社会階層研究報告』(社会科学文献出版社、2002年1月)、陸学芸主編『当代中国社会流動』(社会科学文献出版社、2004年7月)、周暁虹主編『中国中産階層調査』(社会科学文献出版社、2005年8月)のような研究報告に依拠して、中国的高度成長のもとで形成されつつある中産階級・階層を観察し、また李昌平『中国農村崩壊』(原題『我想総理説実話』光明日報社、2002年)、陳桂棣夫妻著『中国農民調査』(人民出版社、2004年1月)などにより、農民の姿をとらえようとしているが、廖亦武のような文学に接すると、改めて文力・筆力に感嘆し、評者の専攻分野がまさにdismal scienceであることを再認識させられる。何よりも本書の主人公たち、そして著者や訳者たちの幸運を祈らずにはいられない気分である。
 

               
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