第43号 2008.10.6発行 by 矢吹 晋
    書評・西茹著『中国の経済体制改革とメディア』
(集広社、2008年6月)
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本の表紙:『中国の経済体制改革とメディア』
 
本書の構成は次の通りである。

序章
第1章 メディアの市場化とメディア制度の変容第1節財政難の克服――二元体制の形成、第2節新聞のグループ化、第3節市場指向の『都市報』の急成長、第4節規制緩和と地域に跨がる新聞創刊の試み、第5節メディアの体制転換改革――事業法人から企業法人へ
第2章 政治とメディア――中国の新聞管理制度を中心に第1節中国のメディア管理体制――「党がメディアを管理する体制」、第2節新聞出版の許可申請制度と「主管・主弁(主宰)」制度、第3節内容規制、第4節出版・報道内容に関するチェック制度、第5節政治安定の装置としてのメディア管理体制
第3章 突発事件の報道――情報伝達機能第1節突発事件・情報概念の導入・プラス宣伝方針、第2節「SARS危機」――情報隠蔽から情報公開へ、第3節突発事件報道に関する政策規定とその情報伝達体制、第4節突発事件報道をめぐる民衆・メディアと権力側の認識上の隔たり
第4章 「世論監督」――中国メディアの監視機能第1節市場経済化の推進と世論監督の復活、第2節地方保護主義と「地域を跨がる監督(異地監督)」、第3節世論監督に関する新規定
第5章 党のメディアの管理強化と統治能力の向上第1節党のメディア管理強化と「三つの学習教育」、第2節党のイデオロギー管理の強化、第3節統治能力改善とメディアに対する党の管理強化
第6章 社会構造の多元化とメディアの「公共意識」第1節緊密な国家と社会の一体化から多元的かつ多様な社会へ、第2節メディアの報道理念の変化――「人民性は党性より高い」からメディアの公共意識の目覚めへ、第3節メディアの法治と政治改革
終章ほかに①引用・参考文献、②メディア関連年表、③事項索引、④人名索引、⑤解説高井潔司、⑥あとがき


序章について

1. 改革開放期の中国におけるメディアの変化に着目し、その原因・背景を探り、メディアの将来性を展望する問題意識が述べられている。
2. 西側メディア理論を、FredS.Siebert,TheodoreA.Peterson,WilburSchramm,FourPoliciesofthePress,
1956.J.HerbertAltschull,AgentsofPower,1984.VincentMosco,ThePoliticalEconomyofCommunication,1996.
などに即して検討しつつ、中国メディアの研究においては、「政治・経済・社会とメディアとが複雑に絡み合う関係」に着目し、「その動態的過程の解明が必要」だとする課題を提起する。
3. 中国の先行研究として挙げられているのは、何舟、陳懐林『中国伝媒新論』(1998年)、李金銓「政治経済学的悖論」(『21世紀』2003年6月号)、黄昇民「関於媒介産業化研究」(『黄昇民自選集』2004年)、魏永徴『中国新聞報綱要』1999年、郭鎮之「伝播政治経済学之我見」(『現代伝播』2002年1月号)、喩国明『中国新聞業透視』1993年)、唐緒軍『報業経済与報業経営』(2003年)、胡正栄「後WTO時代媒介産業重組・・・」(『新聞大学』2003年秋季号)などである。これらの先行研究について「中央の党と政府権力はメディアに対してトップダウン式に作用する」と理解されてきたが、「それだけでは不十分である」と批判し、「地方権力、各種の利益集団、経済勢力などが強力になってきた現在、それらの諸勢力とメディアの関係について」注意を喚起する。そして「複雑に入り組んだメディアの現状を踏まえ、先行研究を批判的に検証しつつ、メディア制度の変遷とその意義、方向性を探る」ことに主眼を置くのが、西茹論文の狙いである。本書の独自性について著者は、「中国メディア政策の展開とメディア現場の実践を結びつけ、特にメディアの産業面、イデオロギー面、報道面の新たな動きに着目し、政治・経済・社会の相互影響という視点からメディアを制度レベルにおいて考察し、社会主義市場経済下におけるメディア制度の実態と問題点を検討する」ところにあると、主張している。
4. 研究方法は、当局のメディア政策の検討や、文献分析、事例分析に加えて、北京・瀋陽・上海・武漢・広州・香港などにおいてインタビュー、資料収集が行われた。また今回の研究に先立ち、著者が13年間にわたってジャーナリストとして暮らした体験が中国メディアをいわば内側から観察する体験として活かされていることは、特筆に値する。



第1章メディアの市場化とメディア制度の変容
 改革開放期を迎えて、新聞が経営危機に陥り、「広告の復活」や、「郵発合一」の販売システムを打破し、多角経営に取り組んだ経過がまずレビューされる。次いで新聞のグループ化が進められ、夕刊ブーム、『都市報』ブームと続く過程が整理される。この『都市報』こそ市場化のなかで生まれ、市場化を加速した。この結果、党機関紙は「周縁化」した。『都市報』の主流化に対して、当局は管理強化を試みるが、これは失敗し、「地域に跨がる新聞」(異地報)の創刊を導く。一連の過程を、本論文はきわめて分かりやすく整理して、4点からなる「知見」にまとめている。これは現状認識としてきわめて的確だと思われる。


第2章政治とメディアの関係
 当局による新聞管理制度から分析する。元来は建国初期の「党がメディアを管理する体制」からスタートした。これは「業界内規制」を通じて行われ、それはメディア機構の「内部管理」として、機能した。たとえば新聞を創刊する場合に、どのような手続きが必要か、それは主管部門によってどのように「許可」を受け、以後、どのように「主宰」(主持)されるのか。
 その実例をたとえば、(1)党と国家指導者の報道や(2)民族と宗教に関する報道、(3)軍事関連報道に即して、分析した箇所は、きわめて具体的で興味深い。その他、(4)メディアの機密保持、(5)突発事件の報道、(6)金融・証券報道、(7)国際報道、(8)共産党史および中国史の報道、などについての「上からの指示」が詳細に分析されている。これらの方針に照らして、「審読制度」という、いわば「事後検閲」の具体的なあり方が分析されている。
 加えて「新聞閲評制度」という党委員会宣伝部門系列による「事後検閲」の具体的なあり方も分析される。そのうえさらに「審読制度」「新聞閲評制度」と並んで、サッカーにおけるイェロー・カードになぞらえることのできるような「警告制度」がある。「1年以内に3回の警告を受けた新聞・雑誌」に対して、新聞出版署が休業という行政処分を行うシステムは、まさにイェロー・カードがレッド・カードに変わる規則と酷似していると見てよい。
 このほか「重大なテーマ」については「事前届け出制度」もある。これらの規制によって実際に出版が禁じられた事例も紹介されており、その状況が具体的なイメージとして理解できるところまで分析が及んでいる。


第3章突発事件の報道をめぐる管理と現場の対応
 2003年春のサーズ騒動は、中国当局に対して「突発事件における報道」の諸問題に対して深刻な反省をもたらした。その後1年を経て2004年4月、国務院弁公庁は「応急対策の手引き」を発布した。サーズ危機における情報隠蔽から情報公開への事例は、突発事件報道の恰好の事例として詳細に分析されており、評者の見るところ、本論文の白眉である。


第4章「世論監督」――中国メディアの監視機能
 メディアを「党の道具」として位置づけるメディア統制が計画経済体制のもとで主流の考え方であったとすれば、市場経済化の時期には、メディアに対して「世論監督」の機能を与えることが主流の考え方となった。中央テレビの番組「焦点訪談」は、1994年4月にスタートしたニュース解説番組だが、市民の経済生活に直結する諸問題を追求して、圧倒的な視聴者の支持を得た。総理朱鎔基が行政に対する市民の不満を知る窓口としてこの番組を称賛したエピソードは有名だが、この「焦点訪談」を分析した郭鎮之「焦点訪談に関する研究報告」も面白い。
 それは一見「世論監督」に見えて、実は、行政当局によって処分が宣告されたものや結論の出ている事件を主としており、必ずしも「独自の調査報道」ではないとする厳しい見方を紹介している。「焦点訪談」という番組が「登場し、市民の支持を得たこと」、それは「市民の側からの独自の調査報道」というよりは、むしろ「行政当局の姿勢と緊密に対応した内容を中心とするものであった」とする分析は、市場経済化への転換を急ぎつつある中国の政治経済社会におけるメディアの現実を浮き彫りにしている。「当局による管理」と「市民側の需要」とが、このような形で均衡している姿がここに描かれている。
 「世論監督」は、往々、当地の主管部門の管理方針と正面からぶつかる。そこで登場したものが「地域を跨ぐ監督」(原文=異地監督)にほかならない。これによって中国メディア界は、地域縦割り行政の桎梏を部分的に脱しえた。孫旭培『当代中国新聞改革』(2004年)に依拠しつつ、その意義を説いた箇所は、本研究のもう一つの白眉であろう。
 ただし、このようにして発展する「世論監督」に対して、陜西省党委員会宣伝部が発出した6カ条の新規定を紹介することも著者は忘れず、周到に付記している。その一例として、福建省メディアと新華社との台風「桑美」(台風8号)をめぐる応酬が挙げられる。ここから著者は中国における世論監督制度の難しさを論じている。すなわち「福建省側の地方保護主義」に対して、中央政府が譲歩した結果として、「弱い中央政府vs強い地方政府」という構図が生まれた。「福建省当局と(地元)メディアの一体化した保護主義勢力」に対しては、「地域を越えた監督」(ここでは浙江省新華社支社)が及ばない事例として著者は見ているわけである。メディアと政治に関わる現実の姿がいかに複雑な対抗・協調関係にあるかを示す象徴的な事例であろう。


第5章党によるメディア管理の再編成
 中国のメディアはいま、政治的には「党性の原則」によって束縛され、他方経済面では「市場経済のもとでの利潤追求」を迫られている。政治的イデオロギーによる束縛と、市場原理による束縛という「二つの束縛」を受けて、中国メディアはどこへ行くのか。
 サーズ以後、イデオロギー面では、江沢民流の「三つの学習教育」なる指示が与えられた。これによって党は再度、イデオロギー面での管理強化を意図した。インターネットに対する規制も強化された。これは管理・規制の「緩和と再強化の循環」の一例である。


第6章社会構造の多元化とメディアの公共意識
 改革開放初期の1979年3月、当時の『人民日報』社長胡績偉は、毛沢東時代の大躍進や文化大革命への反省から「党機関紙は人民の声を反映させよ」と主張した。この胡績偉発言は「メディアの党性か、人民性か」という論争を巻き起こした(胡績偉『従華国鋒下台到胡耀邦下台』1997年)。これを胡喬木(当時中国社会科学院院長)が批判し、保守派による1883年の「反精神汚染キャンペーン」のなかで、胡績偉の主張は封じ込められた。1989年の天安門事件以後、11月に李瑞環(政治局常務委員、イデオロギー担当)が再度、「人民性と党性」問題に言及した。この論争は「改革派が人民性を説き、保守派が党性を説く」形で依然、未解決の課題として残されている。
 とはいえ、市場経済化に伴う社会変化のもとで、テレビの「民生新聞」は急激に広がり、「公共新聞」の観念が社会的に認知される状況が生まれた。すなわち「注水肉」(豚肉への水分注入事件)などの食品安全問題や、高価な医薬品問題、手抜き工事批判など、社会的関心を集める報道が「公共新聞」(英語のpublicjournalismの訳語)として、雑誌やテレビの人気番組と化したのである。
 1985年創刊の広州『南風窓』は、その代表誌であり、2001年には月刊から隔週刊に発展するに至りし、ピーク時には月80万部を突破した。これは市場経済化の進展に伴い、社会構造が変化しつつある過程で生じた社会問題に焦点を当てることによって成功した雑誌の典型例として筆者は分析している。ここから「報道法を制定せよ」とする世論も盛り上がってきた。


終章について
1~5章で扱ったテーマから、それぞれの結論を引き出して結びとしている。そこで著者が発見したのは、「メディアと政治・市場・社会とのインタラクティブな関係」であり、その関係のなかから、メディアの制度レベルにおける変容とその変化の限界を見極め、今後のメディア改革の見通しを、より深いレベルで描こうとしている。


本書への評価を要約すれば、以下のごとくであろう。

1. 中国メディアの市場経済化過程における変化とその限界とを豊富な事例分析を踏まえて明らかにした本書は、中国メディア研究史に残る高度な内容であると評価できよう。
2. 本書の特質は徹底的な実証性にある。「社会主義即上からのイデオロギー統制」といった単純な図式を排して、「政治とメディア、社会変化とメディアとの相互関係」を具体的な事例に即して実証分析した本書は、中国メディア研究として画期的な水準である。
3. 中国大陸におけるメディア研究は、政治的制約に由来する多くのタブーに阻まれている。他方、西側の中国メディア研究は、中国大陸の具体的な現実に深く立ち入ることができないために、やはり実証性に欠けるところがある。著者・西茹氏は中国政治・メディア界の現実をよく知る中国人研究者としての強みを活かしながら、日本在住の研究者であるがゆえに可能な「表現の自由」を極力活かしつつ、問題点を抉ることに成功した。これは特筆すべき成果であると評してよいのではないか。
4. あえて注文をつけるとすれば、本研究の対象は中国メディアであり、日本のメディア事情とは異なるので、多くのキーワードについて中国語の原文を付しておいたほうが分かりやすい。できれば、本研究は中国語版を用意するのが望ましい。
5. その中国語版を基に英訳版が出版されるならば、内外のメディア研究に裨益するところ大きいであろう。それはメディア研究の領域を越えて、中国の政治改革を展望する上でも有用だと思われる。

 

               
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