第52号 2010.01.30発行 by 矢吹 晋
    興味津々、日中インターネットシンポジウム
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 2010年1月19日午後、経団連国際会議場を借りて、北大大学院メディア研究科主催のインターネット・シンポジウムが行われた。これはかねて日中コミュニケーション研究会が続けてきた一連のシンポジウムの後継版であり、北大にとっては大学院研究科が新発足したお披露目興行である。
 そこで発表された張平記者(もと『南方都市報』副編集長、現在は光栄にもヒラ記者に格下げ、筆名は長平)の報告・「代表されない」(原文=“不被代表”)という発表は、出色のスピーチであり、会場を沸かせた。タイトルの意味は、内容を聞かないと分からない新語だ。サブタイトル「広東省番禺事件に見るインターネットと中国公民社会」ならば、意味がよく分かる。

画像:You Tube「草泥馬」の検索より 画像:You Tube 「草泥馬」の検索より
You Tubeの画像

 番禺事件とは、番禺の住民が当局による住民の意志を無視したゴミ焼却場建設計画にネットを利用して反対運動を起こし、それに成功した話である。2009年11月23日、一千余名の市民が広州市城管委(都市管理委員会)と市役所前に集まった。午前8時から午後2時半までスローガンを叫び、坐わりこんで示威を行い、最後には数百名の警察によって追い散らされた。これは天安門事件の起こった1989年以来、広州市内で発生した最大规模の抗議活動であったという。抗議の原因は広州市番禺の住民が同区で建設しようとしているゴミ焼却発電所建設に反対して起こしたものである。政府はすでに5年にわたって、付近の住民に何も知らせないままで建設計画を進めてきた。環境アセスメント等の法定手続きもないまま、手続きを進め、ついには市政府が記者会見を行い、断固として推進することを明らかにするに至った。ここで抗議活動が爆発した。事態をこのように説明した後、張平記者はホームビデオで撮影した動画を示した。高い建物から写したデモ隊の姿である。この動画がネットにアップされ、人々が広くこのニュースに接した。
 そして、この抗議活動の中から生まれたスローガンが「代表されない」(“不被代表”)の4文字であった。これはネットから生まれ、ネットで大流行した新語だ。ここから「~~されない」(“被”の一字)が流行語となった。たとえば“被自殺”、“被就業”、“被代表”などである。
 “被自殺”は「自殺させられた」とも訳せるが、ここでそのように訳したら誤訳である。新語の新語たるゆえんが分からなくなる。中国では(日本でも治安維持法のもとで小林多喜二がそうであったように)、警察での取り調べ中に被疑者が死亡する事件がしばしば起こる。これがまさに“被自殺”であり、これは自殺ではなく、官憲によって殺害されたケースについて「自殺として発表された」の意味になる。ズバリいえば、「殺された」と民衆が信じているものが警察発表では「自殺扱い」に分類される現実を、このような言い方で静かに抗議しているわけだ。
 “被就業”とは、以前政府によって行われていた大学生の就職の「アンパイ」のことではない。失業者のことだ。政府が「失業率は高くない」という数字を発表するとき、失業者たちが「俺も就職したことになっている」「俺も就職できたらしい」と笑っているのだ。むろん失業は続く。
 要するに、“被~~”とは、表向きは、タテマエとしては、そういうことになっているが、これは大ウソだ、政府発表は、(わが旧時の大本営発表のように、負け戦はすべて大勝利に変身してしまう)、と不思議の国のアリスみたいだと笑っているのだ。
 番禺事件はどのように発生したのか。ある日《番禺日報》は、トップ記事として番禺区の「人民代表」70余名が現場を視察して“ゴミ焼却発電所の建設は民心を得たプロジェクトだ”“政府がこの民心を得たプロジェクト建設を促進することを支持する”と報じた。ここで住民の持ち出したコトバがまさに“被代表”であった。これらの公認「人民代表」たちは、住民の意志を代表していない。民意は彼らによって代表されないと抗議を始めた。
 張平記者は、ゴミ焼却発電所反対運動には、組織者もいないのに、抗議活動が整然と行われた理由を、ショートメール(手機短信)、QQ、MSN(マイクロソフトの提供するホットメールなど)によって情報が伝わったためだと証言した。ここで念のために書いておくが、QQは「テンセントQQ」ともいい、インスタントメッセンジャー(IM)ソフトの一種だ。中国のIT企業・テンセント(株価はうなぎ上り)が無償で運営しているもので、ネットカフェはもちろん勤務先、学校のパソコンにもインストールされる程の人気がある。パソコンを所持する家庭には、必ずQQがインストールされているともいわれるほどの知名度であり、インスタントメッセージ・サービスの総称としても用いられる。携帯やメールと同じ感覚で、友人同士の連絡と交流を盛り上げてくれる存在になっている。また詐欺事件など社会問題でも話題になる。
 その連絡網の活動場所がまさに「コミュニティ・フォラム」(社区論壇)であり、広東省の場合、最も著名なサイトが「麗江花園」や「江外江」である。これらのネット上のコミュニティ・フォラムでは、通常は日常品の値段や、こどもの育児の話題などありふれた生活上の話題が多い。しかし2008年の5月12日四川地震以後、コミュニティ・フォラムを通じてモノやカネが集められ、被災区へ送られたことから、世間話のレベルを超えてボランティアたちの情報空間に発展していった。
 そしてこのような経験から、話題がゴミ焼却発電所になると、抗議の時間・場所・方式がおのずから地域住民の意志として結集されたのだと張平記者は説いた。中山大学政治学の郭巍青教授が《ミニ・コミュニティ・フォーラムは素晴らしい》と書いて、これに積極的な位置づけを与えたという。このようにして結集された住民の意志をさらに盛り上げたのは、ネット上のパロディ(網絡悪搞)であった。広州市政府副秘書長吕志毅がゴミ焼却場の利権をめぐる「利益集団代表」として悪役になった。その弟吕志平はゴミ焼却場経営を請け負う「広日集団」の責任者であり、その息子はゴミ焼却場に投資した広州環境投資公司のマネージャーであった。
 ここで張平記者はもう一つの動画を示した。それは著名な映画監督馮小剛(たとえば矢吹は「戦場のレクエイム」に対して映画評を書いた)の用いた挿入曲《牛三斤》の替え歌が大いに歌われた。もとの歌词は“牛三斤よ,牛三斤よ,あんたの嫁は吕桂花・・・・”というものだが、これを替え歌にした。“吕志毅[副書記]よ,吕志毅よ,あんたの弟は吕志平・・・”とはやしたてた。住民はこうして広州市副秘書長とその弟がゴミ焼却場でもうけようとしていることを替え歌で暴いた。張平記者はさらに、三鹿の毒粉ミルク事件の例を挙げた。この事件が発生したとき、三鹿公司は責任を「酪農家」に転嫁しようとした。そこでネット民は、こう揶揄した。「乳牛は草に責任を転嫁し、草は泥や馬に責任を転嫁した」、つまりは「草泥馬」、とはやしたてた。こうして「草泥馬」と称する奇怪な架空の動画が描かれた。「草泥馬」とは、cao-ni-maであり、「肏你媽」(fuck your mother)である。メラニン毒入り粉ミルクで大儲けしながら、責任はほおかぶりし、牛や草に転嫁するとは、コンチクショウ、という罵倒である。結局、三鹿公司は破産宣告を受けつぶれたが、後遺症に悩まされる幼児の被害は補償されていない。民衆はこのような形で政府の無策や悪徳業者を笑い飛ばし、しゃれのめしている。


 動画サイト「ユーチューブ」で、「草泥馬」を検索すると、動画版「草泥馬の歌」を見ることができ、またCCTVならぬCJTV制作の「童声合唱」「草泥馬の歌」も、面白い。「草泥馬」が、ついには「河蟹」(he-xie)に食われてしまったという結びは「河蟹」(he-xie)と「和諧」(he-xie)のかけことばだ。つまり胡錦濤の和諧社会論なんて、何の役に立つものか、糞喰らえ、と笑い飛ばしているわけだ。


 中国のことば遊びには、長い伝統があり、「歇後語」はその一つである。「歇後語」とは、「後を休む語」の意であり、「しゃれことば」の一種である。この場合、「上の句」を提示してナゾをかけ、「下の句」の意味を当てさせる遊びである。たとえば「イヌがネズミをかむ」とナゾをかける。そのココロは、「余計なお世話」である。「ネコがネズミをかむ」のは当たり前だが、「イヌが(ネコを真似て)ネズミをかむ」のは、余計なお世話だ、とからかう。魯迅は、反動派の側から「反革命」と罵倒されたとき、「反・反革命」を自称したが、これは二重否定であるから、魯迅こそが「革命派」になる。これを反動派は、またもや「反・反反革命」と罵倒した。こうして敵のスローガンを逆用するのは、中国政治の伝統であるから、和諧社会など「河蟹に喰われてしまえ」というのは、「無告の民」によるネガティブな政治参加と見るべきである。わが国では戦時中「贅沢は敵だ」というスローガンが巷にあふれた。そのときに、勇敢な誰かが「敵」のまえに「ス」を書き込んだ。耐乏生活を強要する政府に対して「ぜいたくほどステキなものはない」と抵抗した有名なエピソードである。

補足

「ネットが変える中国、ネットで変わる日中関係」( 2010.1.19)閉会挨拶
横浜市立大学名誉教授、日中コミュニケーション研究会理事 矢吹晋

 中国から6名の専門家をお招きした日中シンポジウムの閉会に際して、一言ご挨拶を申し上げます。今回のテーマはたいへん時宜にかなったもので、有意義な討論を行うことができました。「大成功」と評価できると思います。皆さんにお礼を申しあげます。在席のみなさん、ご感想はいかがでしょうか。ご満足のことと拝察いたします。
 ここで最初に、中国からお出でくださった6名の来賓にお礼を申しあげます。
 中国社会科学院新聞・伝播研究所所長尹韻公先生、
 中国社会科学院新聞・伝播研究所党書記荘前生先生、
 人民日報網絡中心与情観測室副秘書長単学剛先生、
 南方都市報主席研究員張平先生、
 ショートフィルム・クリエイター胡戈先生、
 北京外国語大学国際新聞・伝播系展江教授、
 今回の私どものシンポジウムにご参加くださってまことにありがとうございました。心からお礼を申しあげます。
 実は、ちょうど1週間前に、グーグル・チャイナ(Google.cn)の撤退騒動が報じられ、私どもはたいへん心配しました。つまり、「ネットのあり方」という敏感なテーマの討論に際して、中国の客人をお迎えできなくなる事態を心配したのです。と申しますのは、2003年12月、「対日新思考」シンポジウムを企画した際に、北京の某研究所では、この企画を批判する「つるし上げ会」が開かれ、その模様が『中国青年報』で報じられる事件がありました。私どもは北京まで出向いて、シンポジウムの趣旨を改めて説明し、会議を成功させた経験があり、その二の舞を懸念した次第でございます。幸い、この7年間の日中関係の緊張緩和は著しく、私どもの心配は杞憂に終わりました。
 今回のシンポジウムの印象を3点申しあげます。
 一つは、今回の訪日団はたいへんバランスのよい顔触れでありました。胡錦涛氏のネットに関する発言を引用しつつ、展江教授は、中国のメディアを三つに分類しました。①党報およびテレビ。これは共産党宣伝部が直接管理しています。②都市報類。これらは、たとえば『南方都市報』が党報である『南方日報』の傘下に置かれているように、党からの間接管理になります。③インターネットは、プロバイダーは管理されていますが、ブログやミニブログ(ツイッター)になると、管理がむずかしい。こうした三段階の管理あるいは検閲が行われています。このうち、①に属するのは、単学剛さんです。
 二つは、顔触れのなかで、特に注目を浴びた若手の二人の役割です。張平さんは、いま述べた分類では②に属します。いわゆる都市報を拠点として大胆な活動を展開された代表選手の一人です。「ショートフィルム・クリエイター」という肩書は、おそらくこのパロディ動画を見ない方には、なかなか分かりにくいものと思われます。胡戈青年は、③に属します。ネットのなかで生まれ育った「新人類」であり、無名の若者が映画界の大御所陳凱歌を「笑い飛ばす」「しゃれのめす」話であります。ご在席の企業広告担当の方に提案しますが、胡戈青年にCMを発注されてはいかがでしょうか。斬新な感覚で13億人を引きつけるCMを期待できると思います。(胡戈青年のブログ http://blog.sina.com.cn/s/blog_4888f5070100gay8.html
 三つは、中国におけるネットの社会的役割およびこれに対する政府の関与について、若干の討論が行われたことであります。これを考える上で、恰好の素材の一つがグーグル問題ですね。これはGoogle.com(英語、親会社)とGoogle.cn(中国語、中国における子会社)に分けないと議論が混乱します。中国における「検索市場」において「百度」が7割、グーグルが3割という場合、Google.com(英語)を指しています。中国のユーザーは国内がらみのニーズの場合は大部分が中国語で使える「百度」を用いており、少数の英語(あるいは西洋言語)のできるインテリ、企業関係者、政府官僚だけがGoogle.com(英語)を用いており、この構造は今後も変わらないでありましょう。
 問題は中国語を媒体とするグーグル・チャイナであります。天安門広場の動画を流したのはこのサイトです。このグーグル・チャイナのシェアは、ほとんど1%程度とといわれており、これはグーグル・チャイナの営業的失敗、市場的失敗に見えます。これについて、グーグル側は、市場拡大に成功しなかったのは、中国当局の検閲制度のため、と弁解する。中国当局は、グーグル・ライブラリーの著作権問題など、グーグル側の協定違反のためだとしています。著作権問題については事情は日本も同じであり、日本ペンクラブや大手出版社連合との間で話し合いがついたと報じられています。これは印税の配分問題なので、交渉でまとめることのできる課題でしょう。
 グーグル問題の真の争点は、私見では、検閲制度の問題と思われます。グーグルのメールやアドレス等通信の秘密に関わるデータが流出し、人権活動家、民主化運動家たちの身辺が危ういことで、グーグル・コムは「中国当局の人権侵害に加担した」カドで、アメリカで提訴されていると聞いています。そこでグーグルとしては、この問題においては譲歩できない立場に置かれているとみます。つまり、今日の討論でも問題は提起されながら、論点を深めることのできなかった課題は、ネット管理、ネット規制、検閲制度の分析であります。これは政治改革そのものと深く関わる課題であるために、容易ならぬ課題だと認識しております。尹韻公所長は、「長期的に見れば、ネットの管理はより強められるのではなく、自由な空間はより拡大される」といった趣旨の楽観論を提起されました。なるほど、過去数年の発展の過程で、今日ご発表を伺った張平さんがゴミ焼却場建設をめぐって、「代表されない」(不被代表)というキーワードによって、「世論を真に代表する意見」を提示して成功した話、若いショートフィルム・クリエイター胡戈青年の陳凱歌の権威に対する見事な挑戦など、中国のネットに溢れる巨大なエネルギーを知り得たのは大きな収穫でした。この延長線で「ネット空間の拡大」を予想するのは、一つの見方でありましょう。ただし、私個人は、中国政府はこれまで管理しきれなかった「ブログ、ミニブログ」を含めて、管理・検閲を強化していく可能性を危惧しております。ネットと中国社会の行方は、予断を許さないものと見ております。これは到底短いシンポジウムで扱う範囲を超えており、今後の課題として、さまざまな側面から日中双方で論点を深めていくべきテーマでありましょう。
 最後に主催者・後援者側の一人として、関係者にお礼を申し上げます。通訳団のみなさんに感謝します。会場を準備された後援団体経済広報センターのご協力にお礼を申し上げます。日本広告学会、国際善隣協会、日中コミュニケーション研究会、これらの後援団体にお礼を申しあげます。外務省の日中研究交流支援事業の一環として行われたことについて感謝します。最後に、ご多忙のなか、このテーマに関心を寄せられ、熱心に支えてくださった在席のみなさんに熱くお礼を申し上げ、閉会の辞といたします。


 

               
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