第53号 2010.03.08発行 by 矢吹 晋
    中国が世界を支配するとき
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 新年2月に『図説・中国力---その強さと脆さ』を出版した。一仕事が終わって、なにか書き漏らしたことがないかと気になった。そこで目についたのがMartin Jacques 著When China Rules the World: The End of the Western World and the Birth of a New Global Order ( The Penguin Press, 2009)であった。アマゾンで調べて見ると、2300円と書いてあるので、早速ワンクリック注文(クレジットカードが登録してあるので、文字通りワンクリックで注文できてしまうから恐ろしい)。
 4~5日後、550ページ、ハードカバーの現物が届いた。同時に注文した日本の文庫本は327ページで1300円だ。2冊を比べながら、改めて「円高の威力」と、「日本の物価高」を実感した。定価から推測してペーパーバック版とおもいきや、なんとハードカバーの価格なのであった。
若いころ、アイザック・ドイッチャーの『トロツキー伝』(3部作)をロンドンに住む友人からプレゼントされたとき、狂喜した。ポンドが安くなる前のことで、安月給ではとうてい買えなかった。ポケットマネーで買えるのはペンギンなど文庫本に限られていた。
 驚きをもう一つ。ワンクリック注文から本が届くまでのスピードの速さ。昔は普通は船便で早くて1カ月、2~3カ月に到着することが多く、本が届くころには注文したことを忘れていることもしばしばであった。いまネットで注文し、2~3日か、4~5日で洋書が届く時代だ。このスピードは実に脅威的である。まさにグローバル経済を実感する瞬間だ。

 小著『中国力』では、かなりの図表を用いたので、編集部は「図表一覧」の作成だけでも、一苦労したが、ジャックスの新著は7表、53図、13地図を用いている。図表を見ると、およその内容は分かるので、これをぱらぱらとめくる。「そうか、この程度ならば」、と一安心しつつ、面白そうなグラフに視線が行く。

図表1
グラフ:図表1

 上の図表1は、2025年と2050年のGDP予想図である。2025年におよそ20兆ドルで中国がアメリカに肉薄し、2050年には中国70兆ドルでアメリカの40兆ドルを軽く超えるという展望である。誰の予想か。アメリカの証券会社ゴールドマンサックスの、褒め殺しにも似た試算だ。ヘンリー・ポールソンは2006~2009年ブッシュ政権の財務長官を務め、米中戦略対話のアメリカ側代表であったが、政界入りの前はゴールドマンサックス社のCEOであり、「訪中歴○×回」と豪語していた。要するに、ポールソンは、アメリカ金融証券界を代表して中国を米中協調(結託)路線に引き込む顔役というわけだ。
 という事情からして、中国の成長に期待し、G2のパートナーとして育て上げようとするスタンスは明らかであり、そのような戦略(下心)をもって中国との対話を続けてきた。この文脈で、ゴールドマンサックス社の展望は、「期待値そのもの」であることが分かる。

図50
グラフ:図50

 中国の若者たちの見方はどうか。彼らは「偉大な世界パワーとして国際問題で指導力発揮」することができるのは20年後と見ているが、これはまさにゴールドマンサックス社のGDP予想と重なるものだ。
 もう一つだけグラフを見ておきたい。インターネットの言語地図だ。英語利用者4.27億人に対して、中国は2.33億人、スペイン1.22億人、日本9400万人である。私はこの地図にいささか不満だ。これはそれぞれの言語を日常語として用いている人々の数にすぎまい。より重要なのは、インターネット世界で実際に行われている(提供されている)情報がいかなる言語で発信されているか、ではないのか。私自身が中国語情報を追っているから特に目につくという偏見は否定しえないが、過去数年、インターネット世界における中国語情報の氾濫はすさまじいものがある。特に私が注目しているのは、FT, WSJなどの中国語版だ。

図44
グラフ:図44

 さて、この本を書いた著者マーチン・ジェイクスとはどんな人物か。1945年生まれのイギリス人である。マンチェスター大卒、ケンブリッジ大キングズ・カレッジで博士号。1977~91年はMarxism Today の編集長として活躍した。この雑誌はイギリス共産党の理論誌である。共著としてThe Forward March of Labour Halted? (1981), The Politics of Thatcherism (1983) and New Times (1989).などがあり、「サッチャー主義」の造語は彼が作ったものという(http://en.wikipedia.org/wiki/Marxism_Today)。現在はThe GuardianNew Statesman にコラムを執筆中(http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Jacques)。




 なるほど、このような思想傾向が分かると、その中国アプローチもなんとなく理解できる気がする。しかしイギリスやアメリカの知的世界のことはほとんど分からないので、この本がどのように受け取られているのかを考えているうちに、恰好の書評を教えてくれたのは、旧知の蒲地典子(ミシガン大名誉教授)さんであった。「あら、知らないの。Michiko Kakutani (角谷美智子)がThe New York Times に書いているわ」、とあっさり言う。「あら、ミチコも知らないの」とあきれたように繰り返す。「知りません。残念ながら」。
 帰宅後調べて見ると、ちゃんと書いてありました。
 ミチコ・カクタニはイェール大学の数学者Shizuo Kakutaniの娘であり、イェール大学で英文学を学んだ後、The Washington Post, Time magazine の記者を経て、1979年以来The New York Times記者、そして1983年以来、「きわめて影響力のある文藝批評家」だという(a highly influential literary critic for The New York Times since 1983)。彼女の辛辣な批評は "one-woman kamikaze" と評されているという。1998年にビューリツァー賞を得たというから一流の批評家なのであろう。
 というわけで、ミチコの書評をニューヨーク・タイムズ(January 3, 2010)のネットで読んでみる。
・1945年以来、アメリカは世界の支配的な勢力であったが、旧ソ連の崩壊後、アメリカの地位はさらに強まった。アメリカ文明とはヨーロッパ文明の生み出したものであり、その意味では、過去2世紀にわたってヨーロッパ文明とアメリカ文明とが世界において支配的地位を占めてきたが、いまやわれわれは歴史的変化を目撃しつつある。
・1973年には世界のGDPの6割を先進国が占めていたが、2001年には5割に減少した。有力な途上国の勃興は世界の経済力バランスを大きく変えつつある。21世紀に入る前後の20年、世界の商品価格は値上がりを始めたが、これは中国を初めとする途上国が経済成長の隊列に加わったことによる。
・他方で東アジアの際立った経済発展は、巨大な外貨準備を飲み込んできた。その外貨のかなりの部分は中国国際金融有限公司(China International Capital Corporation Limited,CICC)やシンガポール政府投資公社(Government of Singapore Investment Corporation、GIC)のような国策投資会社が西側や中東への投資に振り向けてきた。
・2008年9月のウォールストリートの一部の金融機関の崩壊は、経済力のシフトを裏書した。倒れた巨人たちはシンガポールGICや中国CICCに救援を求めたが、もし彼らが資金供与を拒否していたならば、ドルの価値体系は崩壊していたであろう。今回の金融危機は金満の東アジアと長年にわたって赤字を続けるアメリカの不均衡を鮮やかに描き出した。
・ゴールドマンサックスの予測によれば、2050年のトップ3は、中国、アメリカ、インドであり、現在のG7のうち4国のみが残り、イギリスとドイツは、9位と10位である。類似の別の予測によれば、ブラジルの経済は日本より大きくなり、ロシア、メキシコ、インドネシア経済がドイツ、フランス、イギリスよりも大きくなる。これらの予測通りになるならば、20年後の世界は今日とは非常に異なった姿になるであろう。




 「カミカゼ女性評論家」というあだ名から、辛辣な書評を、なかば期待していたのだが、概して著者の主張を肯定的に受け止めているようだ。どうやらリーマンブラザーズ破綻を契機とする世界経済危機のなかで、世界経済の主役が歴史的な交代時期を迎えつつあることは、もはや既定の事実として受け入れられ始めているように見える。『中国が世界を支配するとき----西洋世界の終焉とグローバル新秩序の誕生』という挑発的な書名に、大きな反発が見られない事実は、アメリカを中心とする旧世界の自信喪失を端的に物語るのではないか。
 だからこそ、私自身は『中国力』(はしがき)で書いたように、「奢る中国」の暴走を杞憂するのだ。




Martin Jacques

 ここまで書いて、著者がどんなイギリス人か、顔を見たくなった。ウィキペディアには顔写真はない。ところが、Sir David Frost が著者と、『エコノミスト』のJohn Micklethwait編集長を招いてインタビューした13分のテレビ動画がyou-tubeに投稿されていることに気づいた。上に掲げたのは、そこからコピーした顔写真である。この番組とはFrost over the World: Martin Jacques and John Micklethwait 、「フロスト卿の世界展望」といったイギリスの番組である。
 ところが、この動画の投稿者は、なんとALJazeeraEnglish( June 20, 2009)ではないか。リードに曰く。
For over 200 years we have lived in a Western-made world, in which being modern means being Western. But this is about to change, Martin Jacques tells Sir David Frost. Sir David also speaks to John Micklethwait - editor-in-chief of the Economist magazine and author of "God is Back", a new book that says people aroud the world are embracing faith and making it an important part of their lives.......
 なるほど、なるほど。私は単に書名が気になったようなものだが、ALJazeeraは、その内容に着目したらしい。番組冒頭でフロスト卿がマーチンに「あなたの本は、『もし中国が世界を支配したら(if)』ではなく、『支配する時(when)』なのだね、と念を押しているのが耳に残った。
 

               
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