第54号 2010.03.26発行 by 矢吹 晋
    「パクス・アメリカーナ(Pax Americana)からパクス・シニカ(Pax Sinica)への転換を説いたジェイクスの新著を酷評した英紙書評」 <目次>へ
 前回イギリスのジャーナリスト、マーチン・ジェイクスの『中国が世界を支配するとき----西洋世界の終焉とグローバル新秩序の誕生』を紹介した。これに対して早速本野英一教授(早稲田大学)からメールが届いた。「昨年刊行当時、イギリスの新聞が盛んに取り上げておりました。確か、Financial Times, Daily Telegraphなどです」、「当時のイギリスの新聞書評は、この書物には一様に批判的でした。量的な経済成長をするたびごとに、反体制勢力の攻撃が強まって、内部から瓦解してしまうのが、明末以来の中国の国家構造です」、「今度も同じ轍を踏むのではなかろうか、すでにその兆候は至る所に現れていると小生は見ています」、「このまま経済成長が続くのは、労働力人口に余裕がある2010年代まででしょう。この予想に反して、経済発展を遂げ、太平洋地域への軍事的支配意欲を露骨に示すようになったとき、あるいは経済成長が続かなくなって、また内部分裂に陥ればどうなるのか。どちらにしても、日本にとってろくなことにならないのではないでしょうか」。
 この示唆を受けて、早速、2紙の書評をインターネットで探したところ、即座にダウンロードできた。略称FTことFinancial Timesの書評はDavid Pillingによるもので、June 13, 2009の日付でアップされていた。Allen Lane社刊の定価は30ポンド、しかし実買の価格は25ポンドと書かれ、さらにFT書店部に申し込むと20ポンドという。三つの価格を並記しているのが面白い。


 中国が世界を支配する」ことに関わる本は、これまで「もし支配するならば」と“if”付きで語られてきたが、いまや「支配するとき」、すなわち“when”で語られる。これがわれわれの住む時代だ。「ジェイクスの本は、中国の急速な経済成長がストップしないのかどうかの問題をほとんど考慮していない」と、まずこの点を批判する。中国の奇跡がいつ終わるかという、きわめて蓋然性の高い想定をほとんど無視している。ジェイクスの本は、2050年までに中国がアメリカを追い抜いて世界最大の経済大国になるという「外挿法extrapolation」に基づく(外挿法とは、要するに、成長率のトレンドを延長すれば、という話だ、矢吹注)。
 経済力を基礎として、中国は政治的にも軍事的にも世界最強国になると著者はいう。ここで、「中国のGDPがアメリカを追い抜く」という想定、および「経済力と国威との間にはほとんど機械的な関係が見られる」という著者の想定を問うべきだ。
 ところが著者はこの二つを飛び越えて、いきなり「中国が支配者になれば、何が起こるか」という議論に飛んでしまう。著者のテーゼは、中国の勃興は「近代化とは何かについての西洋の考え方を覆す」、というものである。これまでのところ、日本を例外として欧米だけが経済発展に成功してきた。ある国が近代化するとは、すなわち西洋化することであった。この思考にあまりにも慣れてきたので、西洋化以外の道をまるで考えなかった。中国はその地勢、巨大な人口、人種的同質性、中華であることへの確信からして、「これが近代化だ」と主張しうる資格を持つと著者はいう。「もしイギリスが海洋時代の覇者ならば、アメリカは航空機と経済の時代の覇者だ。そして中国は文化的覇者になるであろう」と著者は予言する。中国の確信は2世紀にわたる屈辱から生まれたものであり、「西洋に追いつく」のではなく、「世界の卓越した文明にふさわしい地位を回復するもの」だという。
 世界の支配的地位に立つ中国は、人種主義+中華文化の観点から、世界を位階制的秩序に押し込めようとするように見える。儒教と家父長倫理は、民主主義の原則と調和しにくい。それゆえ中国は「チリのピノチェット大統領からいくらも前進していないようなレベルの、現行体制の継続」が「中国にとっても世界にとっても望ましい」とまで主張するに至る。
 これがMarxism Todayの元編集者の結論だ。著者は文化的服従をさておき、「中国と隣国との朝貢関係」の要素を予期している。「国民国家」に対して「文明国家」と著者が呼ぶ活ける文明は、その統一が脅かされるとき、とりわけ台湾問題のように、決して譲歩することはない。価値についての議論は、「イデオロギーよりは文化に起因する」もの、「中国特有の歴史と文化に基づく」と見るのが著者の主要な論点である。
 中国の文化と歴史は優れたものであるから、西洋の基準で曲げられるものではない。もし曲げる必要があるとすれば、それは西洋の側だと著者はいう。最後の香港総督クリス・パッテンは東西を隔てるのは「文化的差異ではなく、タイムラグだ」と述べたが、著者の考えとはまるで違う。著者は「国家の運命を決める要素は文化である」と固く信じている。個人よりはコミュニティを、法律よりは人間関係を、自由よりは安定を偏愛するアジア的文化を過度に強調し、自らの個人的アイデンティティよりもグループの一員であることをより重視するとまで論理を飛躍させる。これでは「アジアの価値」を強調してやまないシンガポール国の宣伝にしかなるまい。
 多文化のアメリカと比べて、中国は本質的に人種主義的文化だと著者は説く。「中国人は他の人種よりも優れているとみなしているので、この人種主義的信念は世界の他の人種との間に深刻な問題を生むであろう」。「中華意識」(“Middle Kingdom mentality”)とは、西洋文化への劣等感と他の文化への優越感との混合物である。こうしたアンビバレントな感情が普通なので、一方ではフラストレーション感情に陥り、他方ではアルゼンチンや日本のような、遥かに隔たった文化に対してさえ、個別文化の違いは無視される。
 中国の勃興は「軍事的というよりは文化的なものだ」と認識しつつも、著者はやはり脅威と感じている。「中国こそが文明の中心だ」とする中華世界的観点の赴くところ、世界を「中国流のイメージで文化的、人種的に再編成する傾向」に導くであろう。もし著者の予期するように、中国が世界覇権国としてアメリカに挑戦するとすれば、近代化への道は、米中型、異なる二本道となるはずだ。それは近代化の内実について、二つの異なる解釈が行われることを意味するが、果たしてそうなのか。



 Daily Telegraph の書評は Adrian Michaelsによるもので、2009年7月11日にネットに掲げられた。かいつまんで読んで見よう。
 2009年6月にアメリカ財務長官ガイトナー(Tim Geithner)が北京を訪れた姿を見ると、時代がいかに変化したかに驚く。訪中するたいていのアメリカ高官は、人権について長口舌をふるうか、安い人民元が中国の輸出を助けていると批判するのが常であった。しかしガイトナーはその代わりに、「何千億ドルものアメリカの政府債券を買い続けてくれるように」と懇願したのであった。オバマ政権の採る措置は、成長を回復するものだと中国に保証する旅を行ったのだ。「拘束なき資本主義、規制なき資本主義」と酷評されたグローバル経済の崩壊は、西洋世界を中国のような諸国から切り離すかに見えたのであろう。北朝鮮問題から環境問題まで、「西側は中国の助けを求めるほかない」かのように見えた。
 ゴールドマンサックスは、「中国が2027年にアメリカを追い抜いて世界最大の経済になる」と予測している。「外国人に搾取された100年前の農村経済」から、今日の中国への飛躍的な発展は異例のものだ。新たに復活した中国は、外国をどのように見るのか。外国側は中国にどのように対するのか。西側は決定的に敗北するのか、それともすでに成功が証明されてきた西洋型モデルを、中国はこれから経済、国家、社会各面で取り入れるのか。これらの問いに対する答えは誰にも分からない。だからこそ中国論は書き手にとって魅力的なテーマになる。
 最近の本で評判の高いのは、左翼ジャーナリストWill Huttonの書いた The Writing on the Wall やフィナンシャル・タイムズ前北京特派員James Kyngeの書いた China Shakes the World である。これらのタイトルは薄気味悪い。そこへ現れたのが、Martin Jacques 著 When China Rules the World: the Rise of the Middle Kingdom and the End of the Western World. である。
 この本の著者ジェイクスはMarxism Today の前編集者であり、Guardian のコラムニストであり、多くの研究機関の訪問研究者である。
 ジェイクスのテーマは、ヨーロッパにおける共産主義の崩壊に伴って生じた、「アメリカ一人勝ち」ムードへの冷水をかけたに等しい。
 この本は啓蒙的価値や制度、競争、選挙制度、勢力均衡、知る権利、透明度、司法機関とメディアの独立などが中国にとって必要だと説いたハットンの本を、名指しはしていないものの、事実上これを攻撃したに近い。
 ハットンは中国の「巨大な矛盾とトラブル」を見据えるが、ジェイクスは逆に、「西側の覇権は終わり、中国はますます繁栄する」と展望する。そのうえジェイクスは、他の多くの国々が「中国の軌道に入り」、「死滅しつつある西洋のやり方から離れ、中国流に転換する」とさえ主張する。
 中国は世界の資源をすべて消費することなしには、現在の成長率で成長し続けることはできない。輸出を発展させ続けるためには、生産性をあげて、資本の効率を高めなければならない。ジェイクスはそれが可能だというのか。中国は社会的不平等と取り組み、国内消費を育てなければならない。そのためには、貧しい中国人を救済する社会保障制度が必要だが、それは可能なのか。
 中国人はなぜ過少消費なのか。それを理解するには、健康保険への政府支出がわずか16%にすぎないことを知ればよい。アメリカでは政府が44%を支出し、ヨーロッパでは70%以上支出している。毛沢東の時代には健康保険はすべて政府が支出したが、いまは信じられないような低水準だ。
 中国は「ヨーロッパのようにやることによってのみ繁栄するという考え方」に必然性はない、とジェイクスがいうのは正しいとしても、この本には間違いがしばしばあり、明白に矛盾した記述も見られる。たとえばザンビアの前回の大統領選は2008年なのに、平気で2006年と書いている。
 「東アジアはなぜ西側よりも早く、技術革新ができるのか」を説くに際して、西側のファッション産業は「年2回コレクションを開く」のに対して、「日本のデザイナーはいつでも新しい衣装を持ち出す」といった例を挙げている。それはザラを所有するInditex社の話ではないか。H & Mは毎週変えている事実を見よ。
著者は東アジアについて、「絶えず変化しつつあるという一点」だけが変わらないと、「変化」を強調しているが、4ページ後では、中国人のヨーロッパに対する態度は、長い歴史に起因する深いアイデンティティ感覚だと「不変性」を強調している。「変わる」といいたいのか、「変わらない」といいたいのか。矛盾した記述だ。
 著者は国家と経済構造とに深く関わる「文化の違い」を長々と論じているが混乱を招きやすい。時には不誠実な書き方だ。たとえばダルフールの平和維持活動に中国が貢献していると著者はいうが、James Kynge が指摘したように、中国はスーダンの残忍な体制に対する最大の武器供与国である事実に言及しない。これは不誠実だ。
 著者は別の箇所で、「アフリカでより悪いことをやったのは西側だ」という。著者によれば「東アジアでは軍拡競争はなかった」というが、中国の2009年の軍事予算の伸びは14.9%である。北朝鮮の核実験は軍核ではないのか。これらの問題をもっともっと論じなければならないことは明らかではないか。



 これら二つの書評は、本野教授の指摘のように、確かに手厳しい。では、この本を取り巻く全体の状況をどう認識したらよいのか。素人なりの見取り図を描くならば、こうなるであろう。
 (1)イギリスの左傾したジャーナリストが中国に甘い本を書いた。このジャーナリストは、必ずしも中国専門家ではない。
 (2)その甘い中国論をイギリスの『フィナンシャル・タイムズ』や『ディリー・テレグラフ』の書評がこきおろした。
 (3)ところが、大西洋を渡って『ニューヨーク・タイムズ』は、一方ではイギリスの辛口書評を意識しつつ、他方では、ガイトナーの中国行きを眺めながら、好意的な書評を書いた。
 (4)辛口のイギリス、甘口のアメリカ、二つの対照は、それぞれの国民の対中国スタンスの一面を鮮やかに映していると見るのは、牽強付会であろうか。
 (5)アメリカはいま金貸し国・中国に頭が上がらない。他方、イギリスは香港を通じて長らく中国とつきあってきた体験を踏まえ、さらにいまや覇権国の地位を降りて久しい。覇権を譲り渡すかどうか瀬戸際にあるアメリカよりは冷静に挑戦者・中国を眺める余裕がある。
 (6)では、日本はどうつきあうのか。その答えは読者に委ねることにしよう。(2010.3.11)
 

               
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