第68号 2012.05.17発行 by 矢吹 晋
    書評 矢板明夫著『習近平――共産中国最弱の帝王』
(文藝春秋社)
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 本書を読んで日本人記者の書いた本の匂いがあまりしない。文章は読みやすい達意の日本語で書かれている。だが、中国の匂いがするのは、著者の生い立ちによるのであろう。中国天津市に生まれ、15歳で日本に引き揚げるまで「残留孤児2世」として生きてきたので、物事を見る視点や発想が中国人的なのだ。やはり小学生や中学生時代の体験の重要なことが分かる。私はここまで中国の政治文化に肉薄した著者をほめて、「中国の匂い」と呼んでみたいのだ。誤解しないでほしい。

(1) 習近平はどんな人物なのか

 第1部は習近平はなぜ選ばれたのかを論じている。
 第1章習近平はどんな人物なのか、第2章指導者はどのように選ばれるのか、第3章太子党とはなにか、第4章長老政治が復活するのか、第5章権力闘争激化で不安定な時代へ、第6章派閥対抗はどう変遷するのか、の6章からなる。
 日本語ならば七転び八起きに似た言い方で中国語には「七上八下」という。これは、英訳ならばan unsettled state of mindだが、この日常用語が2002年秋の党大会でいきなり、政治用語に変身した。すなわち67歳なら上があり、「68歳なら下がる、すなわち引退」である。そして67歳で昇格して5年任期ならば、72歳で引退になる。
 この本が「中国の政治家の定年は72歳」というトピックから解説を始めるのは、きわめて要点を押さえた表現になる。それだけではない。59歳で秋に政治局常務委員から国家主席に昇格する習近平は、2017年の党大会年齢も64歳だから、2022年まで留任できる。62歳で総理に昇格予定の李克強は同じく2017年に67歳であるから、2022年まで務めることができる。このようなキマリが2002年秋に決定し、これまで「2期10年」行われてきたので、習近平、李克強の体制は2012~22年の「2期10年」続くと、解説するのは、中国共産党の制度をよく理解して核心を説明している。
 その通りだ。この種の説明が私を十分に満足させてくれる(16~17ページ)。
 ただし、次のトピック2009年12月15日に天皇と「特例会見」を行い、日本側の反発を招いたウラ事情の解説はあまり説得的ではない。特に「中国軍事委員会副主席にはまだなっておらず、後継者としての地位は完全に固まっていなかった。李克強副首相にとって、まだ逆転できるわずかな望みを残していた」(28ページ)と書くのは、ミスリーディングだ。
 ここで焦点は、2009年4中全会で軍事委員会副主席昇格が実現せず、2010年「5中全会まで1年 遅れたことの意味」であろう。これはおそらく中南海にとって2009年9月のウルムチ暴動への対応が困難であったためと見てよい。習近平個人の問題ではなく、組織としての中国共産党の問題だ。
天皇会見の有無にかかわらず、「1年遅れの人事」は想定されており、これによって「李克強との逆転」などそもそもありえないのだ。著者が「わずかな望み」と書いたのは、日本側のムードに妥協した色彩が感じられるが、これはよくない。類似の間違った解説を日本のマスコミはほとんどすべてが、「習近平の党務・李克強の政務」が決まった時点から「5年内に逆転も」と繰り返してきたが、この弁解は胡錦濤=李克強の敗北を隠蔽するとりつくろいにすぎないのだ。党務優先システムへの間違った解釈であることを私は繰り返し、指摘してきた。このあたり、事情を知る著者には、もっと毅然として、自らの見解を主張してほしい。

(2)革命による既得権益を私物化する総司令部

 「習近平の生涯最大の屈辱」の項がおもしろい。
1997年の15回党大会で44歳の福建省副書記習近平は中央候補委員151名中の151位であった。辛うじて候補委員に当選したものの順位はビリであった。ちなみにライバル李克強は候補委員ではなく、正規の中央委員に当選したから、この時点における出世競争では、相当な格差がついていた。ところが10年後の2007年党大会では、李克強をおしのけて、トップすなわち「胡錦濤の後継者」の地位を約束されたのだ。
 この人事が決定されたとき、私はズバリ「李克強つぶし」だと結論した。清華大学系の指導者で固められた感のある常務委員会に北京大学法律系卒、経済学修士の文科系指導者が加わることに奇怪なバッシングが行なわれたのだ。在米の民主活動家が「李克強は中国のゴルバチョフになる可能性」を期待したことについて、これを恐怖する既得権益層から拒否権が発動されたことは当時から知られていた。すなわち民主化へ走る恐れのある李克強をトップにしてはならない。既得権益を危うくする後継者とする認識から李克強を拒否して、代わりに10年前はビリの候補委員にすぎなかった習近平を、化粧し直して引き上げたということになる。
 「習近平は党内で人気があるから」異例の昇格となったとする解説を鼻白む思いで聞いたのは、私が「順位151位」の投票結果を覚えていたからだ。
 ただし、ここでもう一つ付け加えておくべきだろう。1997年の党大会で習近平がビリになったのは、単に習近平に人気がなかたったためばかりではない。当時は鄧小平死去半年後であり、鄧小平らの遺訓がまだ残っていた。すなわち共産党の最高幹部たちの子息を政治局委員以上に引き上げることへの躊躇である。中央委員や候補委員まではよいが、政治局委員や常務委員といった政権中枢に加えることは、権力の世襲を意味するものとして、これを避ける良識がまだ働いていた(ちなみに鄧小平は当時、金正日の昇格にさえ難色を示していた。いわんや金正恩への継承など、鄧小平ならば許さなかったはずだ)。
事実、鄧小平は長男鄧樸方を、陳雲は長男陳元を中央候補委員までしか上げなかったし、葉剣英は長男葉選平を中央委員までしかあげなかった。こうして1997年の第15回党大会までは、「党内民主化への流れ」はまだ続いており、太子党が我が物顔に権力を私物化することへの自制が効いていたのだ。党内にはまだ権力私物化への自制心が働いていた。この底流が江沢民2期(1997~2002年)の間に、太子党の天下へと逆流したことが問題の核心だ。江沢民の罪悪として私が糾弾しつつけているのは、このことだ。
 2002年に「七上八下」の引退ルールが決定したのは、一見よいことに見えるが、その陰で、太子党への権力世襲が容認され、中国共産党政権の腐敗が加速する。しかもこの時期は、国有企業体制の市場経済化への部分的移行が進展して、株式化を通じての不労所得の獲得が合法化され、太子党は文字通り、権力を金銭に変える(以権易銭)動きが一大潮流と化した。その方向へ大きく舵を切ったのは、江沢民であり、太子党グループは江沢民の下に結集し、これを隠れ蓑として、資産作りに狂奔したことはその後の事態に照らして明らかだ。
 「中国の太子党の場合は、派閥のボスも名簿も規則もなく、数千人ないし数万人の政・官・財の既得権益者によって構成される巨大な人間関係のネックワークを指す」「太子党と呼ばれる人たちは、個人差はあるものの、ものごとを判断するとき、地縁血縁の影響を受け、自分たちのグループの共通利益の最大化の実現に向かって自然と行動するのが特徴だ」「共産党一党独裁という政治体制とその後の改革開放が、太子党を政治経済の双方に影響力を持つ一つの利益共同体にした。他の国にない独特な現象」(51ページ)と定義づけているのは、実に的確である。
 太子党のルーツとして、1948年に成立した華東保育院をあげ、曽山の妻鄧六金が中心となり、陳毅元帥、粟裕大将の子息らが集められたこと、曽山・鄧六金夫婦の長男曽慶紅(8歳)もその一人であった経緯の説明も、日本では紹介されることが少なかった。この保育院の設立目的は、革命烈士の子女を孤児の運命から救うために、党組織が設立した施設なのだが、これが革命による既得権益を死守する階級の司令部になることは、誰も予想だにしなかったはずだ。革命の大義のために犠牲となった人々の子女を守る施設が革命による既得権益を私物化する総司令部と化したのだ。曽慶紅が江沢民の支配を支持しつつ、ついに国家副主席のポストまで昇格したのは、中国革命の堕落と変質の象徴と見るべきである。著者は、華東保育院の設立から、その中心人物鄧六金・曽慶紅母子を描きつつ、太子党の源流を描いて、それはきわめて適切なのだが、保育院設立初心あるいは、革命精神との矛盾についての言及はない。既得権益死守を当初から当然のことと見る世代だからかもしれない。ここには革命の初心などを頭から信頼せず、現実の太子党の動静に迫る年若いジャーナリストの感性あるいは中国の庶民感情が見える。
 中国の太子党エリート学校としては、東城区にある北京景山学校が有名だ。これは小学6年、初級中学3年、高級中学3年からなる12年制を一貫して実験教育を行う超エリート校として著名だ。
 これと並んで有名なのが、北京八一小学と八一中学である。習近平は15歳までこの学校に学んでいる。著者はここで、習近平より14歳年長でこの学校に学んだ馬国超少将(元解放軍海軍航空部隊副政治委員)の主催する太子党パーティに招かれた経験を語っているが、これは興味深い(54~59ページ)。馬国超少将の知名度は高くないが、戦時中に病死した回民の指導者・馬本斎は、かなり著名であり、馬国超は回民の烈士遺族子弟として建軍節に由来するこの学校で教育された。ちなみに毛沢東の長女李敏もこの学校のOBだ。著者がここまで取材できるのは、中国育ちの語学力を駆使してのことであろう。これは得難い条件だ。

(3)「赤い政権の色を変えない人」が絶対条件

 2007年北戴河会議について著者の紹介するエピソードは、面白い。
 ここで習近平昇格が事実上決定されたからだ。その経緯を著者はこう説明している。
 2006年9月に上海市書記陳良宇が巨額の汚職事件で失脚し、懲役18年の刑を受けるまで、胡錦濤の後継者として最も有力なのは、陳良宇であったという。彼は中国随一の経済都市・上海市のトップとして辣腕を古い、かつ江沢民の子分でもあったので、その威勢を笠に着て、胡錦濤・温家宝の執行部のリーダーシップにしばしば挑戦した。胡錦濤は汚職についての動かぬ証拠を手にしてようやく陳良宇の解任に成功して、メンツを保持した。
 だが、ここでメンツを失った江沢民の逆襲が始まる。それは胡錦濤が後継者候補として養成してきた李克強の昇格を阻むことであった。2007年の北戴河会議で江沢民はこう発言したという。後継者を選ぶとき、この「赤い政権の色を変えない人」が絶対条件だ。「ソ連のゴルバチョフと台湾の李登輝の例」を忘れてはいけない。「私は習近平を推薦する。彼なら自分の父親の墓を暴くようなことはしないだろう」(63ページ)。
 習近平が2007年党大会の前夜に突如浮上した背景については、党内の人気、下馬評が高いためとか、党内の予備選挙によるものとかする解説がさかんに行われてきた。私は10年前に候補委員ビリの人物が10年後にいきなり、人気が出るのは、はなはだ不可解と感じて、李克強に「中国のゴルバチョフ」のレッテルを貼ることによってトップの座を潰したのだと理解してきた。李克強を台湾の李登輝と並べるに至っては、余りにもイメージが異なるので、一度もそのような比較をしたことはないが、「李登輝憎しの江沢民」からすれば、そのような比喩はいかにもありそうな話である。
それはさておき、江沢民発言を核心として、人気のない習近平を押し出すために、曽慶紅がどのように段取りを準備したかを著者は丁寧に描いていて実に説得的である。話の流れは私の想定してきたものとまったく同じだが、このような解説が日本のメディアでは、管見だが、少なかったのではないか。私が本書を推すのは、この分析だ。
 政治過程の細部はともかくとして、習近平後継が急浮上した内部事情がこのようなものであったことは、ほぼ確かであろう。李克強をゴルバチョフや李登輝と並べてくさすことが妥当か否か、江沢民の発想はかなり疑問だが、明確なことは胡錦濤がこれに反撃できなかったことだ。江沢民は元来、鄧小平が後継者に選んだ胡錦濤人事を納得していなかったようだが、ここで胡錦濤の後継者をつぶし、太子党習近平を押すことによって、胡錦濤をレイムダック化したのは、権力闘争そのものだが、私が恐れるのはその帰結である。すなわち中国共産党は「ゴルバチョフのような改革は絶対にやらない人物」として習近平を選んだのであるから、政治改革を習近平に期待することはできないであろう。政治改革なき政権維持は、ますます権力の腐敗を増進させ、民衆の怨嗟の的となるほかあるまい。

(4)習近平政権をとりまく長老グループ

 中国の長老たちがなぜ長寿なのかを中央組織部の内部資料で説明した箇所は特に面白い。
元政治局常務委員(およびそれに準ずる国家副主席、全人代委員長など)は、2005年時点で12名いたが、1人の引退指導者ごとに、15人がついていた。内訳は護衛のための武装警官6名、運転手2名、生活秘書2名、秘書2名、料理人1名、医師1名、看護士1名である。このほか国内移動の場合は、政府特別機、特別列車使用の特権がある。
 では元政治局委員(およびこれに準ずる全人代副委員長経験者など)はどうか。このレベルの待遇を受ける者は2005年当時105名いたが、1人につき7名がついていた。内訳は護衛のための武装警官2名、運転手1名、生活秘書2名、料理人1名、医師1名である。国内移動の場合は、航空機ファーストクラスの貸し切り、列車の特別車両使用の特権がある。
 その下のレベルの幹部、すなわち元中央委員、中央候補委員級の幹部についても、数名の「尻尾」がつくきまりである。「尻尾」と文革期に李一哲「大字報」によって揶揄されたのは、運転手や秘書などがこれらの幹部一人一人に「ついて動く」からだ。こうして「尻尾の長さ」こそが中国共産党の幹部のエラサの象徴になる。
 中国における権力闘争が欧米や日本と比べて激しいのは、「政治家たちが老後のより恵まれた生活のため、党内におけるランクを一つでもあげようと必死になる」ためと、著者は説いている(71ページ)。なるほど、それは一因であろう。だが、もう一つ、より重要な要素を付加すべきであろう。資本主義社会では、富と権力を求めるにはさまざまのチャネルがある。しかし共産党独裁の政治体制のもとでは、単一の共産党ヒエラルキーに秩序が集約される。富と権力のすべてが党内地位の序列に一元化されるのだ。党内順位にすべてが一元化される構造こそが、人々をして序列争いに狂奔させるのであり、これは旧ソ連や東欧諸国で普遍的にみられた現象である。
 国家指導者級のこれらの幹部たちが手厚く保護されることは、情報提供の面でも同じだ。
 中国共産党の情報支配は、ヒラ党員の閲覧する「内部資料」、課長級幹部の閲覧できる「秘密」資料、局長級幹部の「機密」資料、閣僚(=部長)級以上が閲覧できる「絶密」資料にランクわけされていることは、かなり知られていよう。
 そして高級幹部たちは引退後も現役時の最終ポストに対応する機密文書が配布される。つまり、高級幹部たちは、住居等を含む生活面の待遇と情報提供(情報支配国家にとっての情報提供というチャネルの重さ)の両面で、定年引退前後で何も変わらないのだ。違いは役人としてハンコを捺す権限を持つか否かだけである。
 ただし、手厚く保護されることは、外国から隔離されることにつながる。例えば閣僚(=部長)級以上の幹部の部屋から外国と直接通話することはできない制限がつく。秘書の待機する事務室まで出向く必要があり、しかもこれらはすべて当局によって録音されている。また引退後は出国の自由が制限されるだけでなく、外国賓客との面談も容易でない。すべては国家機密の漏洩防止のためだ。
 この結果、元閣僚(=部長)級以上の幹部の長老たちは、否応なしに外国情報から遮断され、ドメスチックになり、保守化せざるをえない。かつての「八老治国」時代のような長老支配ではないとしても、習近平政権をとりまくものは、江沢民・曽慶紅の長老グループ(上海閥と太子党)、胡錦濤、温家宝らの新長老グループ(共青団と非共青団)、その他の長老グループの大姑、小姑たちだ。習近平は江沢民に象徴される長老たちの強い推薦を受けて昇格しただけに、バランスを考慮した政権運営に徹するほかなく、それゆえに権力闘争の行方は「不透明さを増す」(76~81ページ)-----これが著者の見立てである。
 2010年5月に「天上人間」という最高級ナイトクラブが摘発された。北京市東三環路沿いにあるこのナイトクラブ名の意味は「この世の天国極楽」だが、不動産開発業者が政府高官を接待する場として、有名であった。この摘発以後、北京では「三大派閥による風俗業界の主導権争い」が起こったとする著者の解説は、日本の低俗週刊誌の煽情記事に似て、興味津々だ。摘発は、胡錦濤がそれまで安徽省書記を務めていた郭金竜を北京市長に起用したことに始まり、上海閥と太子党閥の二分する北京風俗業界に、第3の共青団系統「夜宴」「八号公館」がなぐりこみをかけたというから、これはまさに北京風俗業界三国志だ(94~95ページ)。
 「習近平が最も意識している政敵は、同じ太子党グループに属している薄煕来で、いまでも薄から挑戦を受けている」「習近平と李克強の競合関係はキリスト教と仏教の対立のようなものだ。二つの宗教は確かにライバルといえるが、信者はほとんど重なっていないし、その教えはあまりにも違うから全面抗争には発展しにくい」「古今東西の宗教戦争は、同じ宗教の中の宗派間で協議をめぐる微妙な解釈や、信者の奪い合い、主導権の争いを巡って、大きな衝突に発展する方がずっと多い。現在も将来も激しくぶつかり合うのはむしろ習近平と薄煕来だ」(106~107ページ)。
 この本が出版されたのは、2012年3月であり、薄煕来失脚前に執筆されている。その後、薄煕来は谷開来夫人による英国人ニール・ヘイウッド(MI6系Hakluyt社の協力者)の毒殺と彼女がシンガポール国籍を保有していた紀律違反、あるいは子息薄瓜瓜のオクスフォード大学でのメンター役ロード・ポウルがMI5系Diligence社幹部であった事実など公表されていない、より重大な紀律違反を問われて、まず重慶市書記を解任され(3月15日)、ついで政治局委員・中央委員の職務を停止され(4月9日)、完全に失脚した。
 この舞台裏を著者が今後、どのように描くか期待されるが、太子党内の主導権争いから薄煕来と習近平の不仲を説く見方は、とりわけ面白い。私自身は、同じ共青団出身で胡錦濤よりも出世が格段に早かった王兆国を胡錦濤が追い抜いてからの、王兆国の出世止まり、胡錦濤の大躍進を観察してきた経験から、薄煕来と習近平の関係を観察してきたが、権力闘争の実態はまさに著者の説く通りなのだ。日本では、太子党の一角がくずれたから、共青団に有利といった単純な二元論ばかりが横行しているので、著者の見方を大いに宣伝したい気分である。

(5)習近平の父習仲勲の失脚と復活

 第2部 謎に満ちた習近平の人間像は、第7章波瀾万丈の家族史、第8章青春期の原点を訪ねて、第9章浮上する学歴詐称疑惑、第10章性格のわかるエピソード、第11章政治人生を支えた家族、第12章趣味と仲間たち、の6章からなる。
 第7章では、習近平の父習仲勲の失脚は、1962年夏、小説『劉志丹』の原稿が副総理習仲勲のもとにもちこまれ、これを審査する過程で「劉志丹の名を借りて、高崗の名誉回復を狙うもの」とする、ためにする批判が行われ、以後文革が終わるまで反革命分子として投獄された事件を描く。1954年の高崗・饒漱石事件は、若い高崗がスターリンの支持と自らの実績に依拠して、劉少奇、周恩来に権力闘争を挑んだもので、建国以来最大の権力闘争として大いに騒がれた。この事件の余波が8年後にぶりかえしたのは、58~60年の大躍進政策の失敗により、毛沢東の権威が揺らいでいたからだ。毛沢東は8期10中全会で逆襲に転じたが、その嚆矢が小説『劉志丹』批判であった。
 毛沢東曰く「小説執筆を利用して反党活動を行うというのは大きな発明だ。およそ政府を覆そうとすれば、まず世論を作り出し、イデオロギーを支配し、上部構造を支配しなければならない。革命をやるにもこうするし、反革命をふるにもこうする」。この毛沢東語録は、イデオロギー領域における闘争を革命闘争のなかに位置づけたものとして、文革期に繰り返し引用された。
 毛沢東の権威回復をめざす文革の最初の犠牲者が習仲勲たちであった。この事実は当時誰でも知っていたので、脱文革期に真っ先に冤罪を雪がれたのも、習仲勲たちであった。名誉回復された父習仲勲と習近平が初めて会ったのは1973年、習近平20歳の時だ(125ページ)。
 復活した習仲勲が広東省書記として鄧小平の改革開放路線のために働いたことはよく知られている。1988年には全人代副委員長という名誉職につき、2002年に88歳で死去した。この経緯はよく知られているが、1990年代末、喬石(当時政治局常務委員)が見舞った際に、習仲勲が突然泣きだして「私は反革命ではない」「逮捕しないでくれ」と叫んだエピソードは、初めて知った。著者は「長年の厳しい権力闘争や投獄経験が老人の精神に大きなダメージを与えたことがうかがえる」と書いているが、まことにその通りであろう。

(6)「清華大学と共謀して学歴を捏造した」習近平

 第8章は、文革期に下放された習近平の体験を現地取材で描く。その下放体験は多くの実権派幹部子弟と大同小異だ。
 第9章は、習近平の学歴を検討している。彼は13歳から教育を中断され、下放した。そして1975年「工農兵大学生」として、清華大学化学学部に入学した。著者は当時の学力は「小卒程度」と推測している。文革で停止されていた大学入試が再開されたのは77年のことであり、過去12年分の高校卒者が一気に殺到した狭き門はいまも語り種になっている。この入試の合格者は建国以来最も厳しい試験をパスした優秀な若者と呼ばれるが、それも当然だ。
 習近平のライバル李克強はこの77年北京大法律系合格組であり、最近失脚した薄煕来は1978年に北京大歴史系に合格している。著者はこの間の卒業証書の価値について「77年入学組は金メダル、78年以降は銀メダル、70~76年の工農兵大学生は銅メダル」と呼ぶ、巷の実力評価を紹介する。ちなみに李源潮は工農兵大学生として上海師範大学を卒業した後、78年に復旦大学に再入学した。そして李源潮の略歴には「復旦大学卒」としか書いていない。このあたりは、著者の筆が冴える。
 では、銅メダルを習近平はどう塗り替えたか。
 2002~2005年に、習近平は母校清華大学人文社会学院で「マルクス主義理論」を専攻して法学博士を取得したとされている。清華大学で化学を専攻した者が福建省長の要職をこなしながら、1000キロ離れた北京の大学で博士課程を学ぶことは事実上不可能であり、「清華大学と共謀して学歴を捏造した可能性が極めて高い」と著者は結論する。実は李克強も北京大学経済学博士を取得し、李源潮も中央党校で法学博士を取得している(151~157ページ)。
 中国では高学歴ブームなのだ。特に際立つのは解放軍内の高学歴ブームであり、大卒者何パーセント、博士号取得者何パーセントと、学歴を自慢する風潮が蔓延している。文革期に知識人が「臭老九」と罵倒されたことの真逆であろう。私は大学で働き、中国における大学設立ブームなども身近に観察してきたので、インフレ教授や、論文剽窃教授、学位詐称の例等はいくつも知っているが、文革期における教育や知識の空白をこのような形で穴埋めしようとする方向自体は、あながち全否定してはならないと考えている。
 第10章で紹介するエピソードも面白い。
 一つは軍事委員会副主席に昇格した習近平が劉少奇の4男劉源を総後勤部政治委員に抜擢したと見る観測、元中央党校校長の高揚の葬儀が2009年4月9日に行なわれた際に、現役の中央党校校長習近平が欠席したのはなぜか。これは父習仲勲と高揚との確執、不和のためと著者は見る。他方、河北省正定県で河北省書記高揚と対立した習近平は、父の人脈で、当時の福建省書記項南に頼んで廈門副市長に引いてもらった。項南は晋江地区の偽薬事件で解任されたが、1997年に死去するまで項南宅訪問を欠かさなかった由だ(165~169ページ)。
 マスコミにはあまり報じられないこの種のエピソードを入手する著者の取材能力は、際立つ。これも香港や台湾で出版された数々の太子党関係本に加えて、語学力と、人脈を活かした取材力の成果であろう。
第11章の家族調べや第12章の習近平人脈の話も面白いが、省く。

 第3部は習近平時代の中国はどうなるのかというテーマを設定し、第13章習近平は軍を掌握できるのか、第14章中国の外交は強硬路線に転じるのか、第15章少数民族問題は命取りになるのか、第16章言論統制はいつまでできるのか、第17章習近平時代の中国は崩壊するのか、の4章から論じている。いずれも現代中国の抱える矛盾の核心に切り込むテーマだが、これらは後日改めて論じたい。


[追記]
 著者は毛沢東が田中角栄に『楚辞集注』を贈呈した真意は何か、「いまだに日中外交史上の謎となっている」と書いている(190~191ページ)。この問題は、私の『日中の風穴』(勉誠出版、2004年)や『激辛書評で知る中国の政治経済の虚実』(日経BP社、2007年)、そして『チャイメリカ---米中結託と日本の進路』(花伝社、2012年5月)などで、繰り返し論じている。

以上 

               
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