第69号 2012.06.12発行 by 矢吹 晋
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 今年は田中訪中40周年である。私は国交正常化以後40年の日中関係を回顧して、小著『チャイメリカ』(花伝社、2012年5月)第3部に「日中相互不信の原点を探る」と題した文章を二つ書いた。一つは、大佛次郎賞・服部龍二著『日中国交正常化』の読み方であり、もう一つは外務省高官は、いかなる国益を守ったのか、である。
 その過程で、改めて田中角栄首相や大平正芳外相の政治家としての見識、決断力をレビューして、彼らの勇気と努力に敬意を感じると共に、和解の精神を踏みにじってきた外務省高官たちへの憤りを感じて批判を書き留めた。これが私なりに40年を記念する作業であったが、5月のあるとき、毛沢東がなぜ田中に『楚辞集注』を贈呈したか、その理由を書いた記事が『人民日報』(海外版、2011年07月19日)に出ていたよ、と教えてくれる人があった。さっそくネットで探して見ると、その趣旨は以下のごとくである。



 毛沢東が田中に『楚辞集注』を贈呈したのは、田中が用いた「迷惑」という語彙と関係があるように思われる。日本語の「めいわく」は、中国語の「添了麻烦」の意味だ。これに対して毛沢東は、中国語の「迷惑mihuo」は、『楚辞•九辩』の「慷慨绝兮不得,中瞀乱兮迷惑」に見られるような使い方をするから、日本語とは異なると指摘し、正式文件では「重大な損害をもたらした責任を痛感し、深刻な反省を表明する」と書いて、国交正常化が実現した---これがこの一文の趣旨である。この文の筆者は、馬保奉氏であり、中国外交部礼賓司の外交官で、2005年以来、外交学院の兼職教授でもあるという(下記の資料参照) 。



 私は2003~04年に「戦争を謝罪しない日本」という、中国側のいわゆる愛国主義教育、すなわち「反日キャンペーン」に接して、田中は「誠心誠意的謝罪」を表明したことを、①田中の帰国直後のスピーチと、②中国側記録を併せ読み解くことによって論証したつもりである。この趣旨を記した一文は、この問題を研究していた李海文さん(元中共中央党史研究室)の紹介で『百年潮』(2004年2月号)に掲載され、さらに『新華文摘』(半月刊、2004年10期)にも転載された。『新華文摘』は、重要な文章の「摘要」を紹介する雑誌であり、ここで紹介されたことは、書かれた内容について、中国当局によって肯定的評価が行なわれたことを意味すると教えてくれたのは、むろん中国の友人たちである。
 7年後の今日、この毛沢東と田中角栄のエピソードを紹介する人が現れ、改めて「迷惑」という一語の日中異同に関心が向けられることは意味があるとは思うが、最初にこのテーマに対して一つの答を提示した拙文を無視することは、礼儀にかなったことといえるであろうか。



資料1 矢吹晋「田中角栄与毛沢東的談判真相」『新華文摘』2004年10期。




資料2 馬保奉「毛泽东为啥送田中角荣《楚辞集注》」
『人民日報』海外版2011年07月19日


資料3 馬保奉氏の経歴



毛泽东为啥送田中角荣《楚辞集注》来源: 人民日报海外版2011年07月19日
田中访华 毛主席则向田中首相赠送《楚辞集注》,似与田中在中方欢迎宴会上就日侵华战争谢罪使用“迷惑”一词有关。中文、日文都有“迷惑”一词,可意思不一样。日文中“迷惑”めいわく,(汉语拼音读meiwaku),汉语意思是“添了麻烦”。田中说:“遗憾的是,过去几十年间,日中关系经历了不幸的过程。其间,我国给中国国民添了很大的麻烦,我对此再次表示深切的反省之意。”其中“添麻烦”就是用的日语“迷惑”一词。毛泽东指出:“年轻人坚持说‘添了麻烦’这样的话不够分量。因为在中国,只有像出现不留意把水溅到妇女的裙子上,表示道歉时才用这个词。”在《楚辞•九辩》中有“慷慨绝兮不得,中瞀乱兮迷惑”,那是“迷惑”一词的源头。日方接受了中方意见,在双方发表的正式文件中改为:“日本方面痛感日本过去由于战争给中国人民造成的重大损害的责任,表示深刻的反省。”田中来访不久,实现了中日邦交正常化。
马保奉,山东冠县人。1965年北京外国语学院毕业入外交部礼宾司。长期参与驻华使馆管理、国宾接待、我国家领导人出国访问礼宾工作。其间,还曾在驻捷克斯洛伐克使馆、驻列宁格勒总领事馆、驻塔吉克斯坦使馆供职。历任秘书、副处长、领事、政务参赞。2005年被聘为外交学院兼职教授。 近年来主要从事外交礼宾教材编写和培训工作。著有《外交礼仪漫谈》及相关丛书数种,此外发表有关外交礼宾、礼仪等数篇文章:在中央各部委及各省市外事部门、大学、企业讲座多场。
以上 

               
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