第71号 2012.10.02発行 by 矢吹 晋
    尖閣騒動――頂門の一針 <目次>へ

 あるジャーナリストの話である――今の日本のメディア特に民放は、桜井よしことか中西輝政とか渡辺利夫のようなシロウトに中国を語らせますが、無節操もはなはだしい。今回の尖閣国有化をめぐっては、7月の段階ですでにCCTV4の「中国新聞」で、 「非法」(不法)、「購島」(島の政府買い上げ)、「閙劇」(茶番劇)」をキーワードに連日日本批判を繰り返していました。
 9月13日の昼ニュースは、最初から30分間、尖閣問題のオンパレード。小生はこのままでは済まないと思っていたのですが、同日夜NHKの「ニュース9」と、翌14日の「おはよう日本」7時~7時45分のニュースには「尖閣なし」。あまりにも大きなギャップに絶句――
 このジャーナリストの絶句に近い体験を私はこの半年、数回味わった。
 3月16日、国際善隣協会で講演した際には、2月16日夜、北京での日本友好7団体の胡錦涛会見拒否に触れつつ、「40周年記念イベントの幕開け」がこの体たらくでは「本番の秋は更に凄まじいことになりそうだ」と警告した(『善隣』4月号  http://www25.big.jp/~yabuki/2012/mitsugetsu.pdf)。
 私の予想というか、危惧は、遺憾ながら的中した。
 問題は、このような形で日中の矛盾が爆発したにもかかわらず、依然として何事が起こったのかを大方の日本人が自覚できていないことだ。
 尖閣は日本固有の領土だ、と金切り声をあげる政治家を英雄扱いし、「中国は事実上、尖閣諸島の領有権を放棄した」と明々白々の事実誤認を書いた御用学者(服部龍二『日中国交正常化』)を繰り返しマスコミに登用させている(毎日、朝日、NHKなど)。私はこの本が史実を隠蔽し、改竄する本であり、田中角栄・周恩来会談の真相をゆがめるものだと批判してきたが、私の批判は無視されている。
http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_65.html この本は、外務省高官の自画自賛にすぎず、「鳥なき里の蝙蝠の饒舌」ではないかと批判してきた。田中角栄、大平正芳、園田直ら、国交正常化を真に担った人々の没後に、その精神をゆがめる解釈ではないかと批判してきた。http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_66.html
 40年来の史実をこのようにゆがめることがいかなる自体を招くかを、深く憂慮してきた。というのは、これらはすべて中国から見ると、「日本右翼の挑戦」、尖閣についての「黙契と共識」(暗黙の了解と共通認識)の無視と受け止められることを危惧したからだ。果たして、誠に遺憾ながら、そのような結果になった。 しかしながら、事ここに及んでも、まるで事の成り行きに無頓着というか、事態がどのように進展しつつあるかを認知できていない。日本社会の「尖閣カルト」はもはや、カルトと呼ぶほかないような錯乱ぶりではないか。



 実は、「領土問題は存在しない」という民主党政権=外務省の強弁は、すでに破産したのだ。この問題が登場して以来識者たちが指摘してきた、周知の事柄ではあるが、中国の『尖閣白書』(9月25日)がついに、この論点を明確に据えて、日本の「無主地先占」論の弱点を鋭く衝いてきた。日本側が「固有の領土とする原点」が大きく揺らいでいる。


 1885年9月22日、沖縄県令が釣魚島を秘密調査した後、山県有朋内務卿に提出した秘密報告では、これらの無人島は「『中山伝信録』に記載された釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼などと同一の島嶼であり」、すでに清朝の冊封使船によってよく知られ、かつ琉球に向かう航海の目印として、それぞれ名称が付けられている。したがって、国の標杭を立てるべきかどうか懸念があり、それについて上の指示を仰ぐ、としている。 同85年10月9日、山県有朋内務卿井上馨外務卿に書簡を送り、意見を求めた。10月21日、井上馨から山県有朋宛ての回答書簡では、「この時機に公然と国の標杭を立てれば、必ずや清国の猜疑心を招くゆえに当面は実地調査およびその港湾の形状、後日開発が期待できるような土地や物産などを詳細に報告するにとどめるべきである。国の標識設置や開発着手などは、後ほど機会を見て行えばよい」としている。井上馨はまた、「今回の調査の件は、おそらくいずれも官報や新聞に掲載しないほうがいい」ことをとくに強調した。そのため、日本政府は沖縄県が国の標杭を立てる要求に同意しなかった。1890年1月13日、沖縄県知事はまた内務大臣に、釣魚島などの島嶼は「無人島であり、今までその所轄がまだ定められていない」、「それを本県管轄下の八重山役所の所轄にしてほしい」との伺いを出した。1893年11月2日、沖縄県知事は国の標杭を立て、版図に組み入れることをふたたび上申したが、日本政府はやはり回答を示さなかった。
 以上で指摘された諸事実は、『日本外交文書』に基づくものであり、中国が偽造したものではない(ただし、念のために書くが、これらの史料を私自身は、確認していない。信頼できる内外の歴史家の分析に依拠している)。
 以上の事実は、すべて日本政府が「無主地先占」を主張して以後の事柄だ。もし尖閣がほんとうに「無主地」ならば、なぜ山県有朋や井上馨がこのような態度をとったのか、それを説明しなければならないのだ。この「史実」をどこまで無視できるか。それが問われているのだ。
なお、「棚上げの黙契」の有無を疑う人々は、以下の史料を読んだ上で発言してほしい。



尖閣問題の交渉経緯の真相
 以下の資料1.から分かるように、第三回首脳会談で田中が尖閣を提起し、周恩来が「今、これを話すのはよくない」と棚上げ案を返答しています。外務省会談記録は、その趣旨を次のように記録しています。

資料1. 外務省が公表した「田中角栄首相、周恩来総理会談」記録によれば、第三回首脳会談1972年9月27日午後4時10分から、国際問題を語り、そのなかで尖閣を話した。
田中総理 「尖閣諸島についてどう思うか?  私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」。
周総理 「尖閣諸島問題については、今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」。
――『記録と考証、日中国交正常化』岩波書店、2003年、68ページ。
 もう少し詳細な記録が欲しいところですが、この簡潔な要旨記録から明らかなように、田中は第三回首脳会談で尖閣を提起して、周恩来は、以上のように答えています。


 その後、橋本恕中国課長は、次のような証言を行いました。
資料2.橋本恕の第4回[実は第3回]首脳会談1972年9月28日[実は27日]の回想。
「台湾問題が結着したあと」、周首相が「いよいよこれですべて終わりましたね」と言った。ところが「イヤ、まだ残っている」と田中首相が持ち出したのが尖閣列島問題だった。周首相「これを言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう」と言ったので、田中首相の方も「それはそうだ、じゃ、これは別の機会に」、ということで交渉はすべて終わったのです。
――橋本恕の2000年4月4日清水幹夫への証言、大平正芳記念財団編『去華就実 聞き書き大平正芳』2000年。『記録と考証、日中国交正常化』岩波書店、2003年、223-4ページに再録。

 ここで橋本が、外務省記録にある27日の尖閣発言の翌日、再度問題を提起したと証言しているのは、記憶違いのように思われる。周恩来が「双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わらない」という理由で、棚上げを提案し、田中が同意したのは、話の内容が27日の対話と同じだ。27日の田中・周恩来会談のやりとりを最も詳しく証言しているのは、中国外交部顧問張香山の回想記である。

資料3. 中国外交部顧問として、日中会談に同席した張香山の回想記はもっとも詳しくやりとりを記録している。これは中国側会談記録に基づくものと矢吹は推測する。
 張香山曰く、この問題に関しては、第3回首脳会談[9月27日]がまもなく終わろうという時に話が始まったが、双方は態度を表明しただけで議論はしなかった――
 田中首相1――「私はやはり一言言いたい。私はあなたの側の寛大な態度に感謝しつつ、この場を借りて、中国側の尖閣列島(=釣魚島)に対する態度如何を伺いたい」。
 周総理1――「この問題について私は今回は話したくない。今話しても利益がない」。
田中首相2――「私が北京に来た以上、提起もしないで帰ると困難に遭遇する。いま私がちょっと提起しておけば、彼らに申し開きできる」[申し開きの中国語=交待]。
 周総理2――「もっともだ! そこは海底に石油が発見されたから、台湾はそれを取り上げて問題にする。現在アメリカもこれをあげつらおうとし、この問題を大きくしている。
田中3――「よし!これ以上話す必要はなくなった。またにしよう」。
総理3――「またにしよう。今回我々は解決できる基本問題、たとえば両国関係の正常化問題を先に解決する。これは最も差し迫った問題だ。いくつかの問題は時の推移を待ってから話そう」。
田中4――「一旦国交が正常化すれば、私はその他の問題は解決できると信じる」。
出所:《日本学刊》1998年第1期

 以上から分かるように、「田中が4回、周恩来が3回」発言した。ちなみに日本外務省の会談記録では、「田中1回、周恩来1回」だけの応答であったように記録されている。
在第三次首脑会谈快要结束的时候谈起的,双方只是表个态就不谈了。当时
a田中首相说:我还想说一句话,我对贵方的宽大态度很感谢,借这个机会我想问一下贵方对“尖阁列岛”(即我钓鱼岛)的态度如何?
b周总理说:这个问题我这次不想谈,现在谈没有好处。
c田中首相说:既然我到了北京,不提一下,回去会遇到一些困难。现在我提了一下,就可以向他们交待了。
d周总理说:对!就因为那里海底发现了石油,台湾拿它大作文章,现在美国也要作这个文章,把这个问题搞得很大。
e田中说:好!不需要再谈了,以后再说。
f总理也说:以后再说,这次我们把能解决的基本问题,比如两国关系正常化问题先解决。这是最迫切的问题。有些问题要等到时间转移后来谈。
g田中说:一旦邦交正常化,我相信其他问题是能够解决的。
张香山中日复交谈判回顾《日本学刊》 1998年第1期
  ちなみに、もう一つのキーワード「共同開発」について、張香山は次のように記録している。
釣魚島の「共同開発」問題に関して、私[張香山]の知るところでは、1979年5月鄧小平副総理が訪中した鈴木善幸氏と会談した時に提起されたものである。鈴木善幸氏は聞いた後、この意見を持ち帰り、大平正芳首相に知らせると表明した。
关于钓鱼岛共同开发问题,据我所知是在1979年5月邓小平副总理同来华访问的铃木善幸先生会谈时提出来的。铃木先生听后表示要把这个意见带回去,告诉大平首相。
  反霸条款问题,总理向竹入提出的八条三项方案里就有这一条。总理告诉竹入说,这是基辛格的发明,已写入中美公报中,现在中日联合声明也用上了,这样中国、美国、日本三国都同意了。竹入听了以后说,这一条可能会产生一些影响。总理说:如果日苏会谈,苏联也讲这一句不是很好吗!总理还说因为这个东西是美国搞的,估计美国是不会反对的。当然,如果这个问题田中首相觉得有问题,可以商量。竹入表示很感谢,说要去说服他们两位。结果,在古井先生带来的日本对案中,已写入这一条,倒是到签订中日和平友好条约时却发生了问题。
出所:《日本学刊》1998年第1期
 このやりとりを指して、中国側は「黙契」(暗黙の了解)・「共識」(共通認識の意)と呼んでいます。 「黙契や共通認識はなかった」とする日本政府の主張は、田中・周恩来会談の真相をゆがめるものです。中国はいま、日本政府の認識と尖閣国有化は、田中・周恩来会談における棚上げを反故にしたものと非難しています。
 改竄された外務省記録をもとに戻すことが必要です。当事者の橋本恕中国課長(のち中国大使)は「1972年の真実」を28年後の2000年になってようやく告白した経緯を知らない日本人は、「尖閣問題の棚上げ」「尖閣問題についての共通認識」はなかったと受け取り、「尖閣は日本固有の領土だ」とする一方的理解だけが刷り込まれてしまったのですが、これを是正することが必要です。
 以下に三つの関連資料を挙げます。一つは、いわゆる竹入メモの筆者竹入義勝の回顧録。もう一つは、国交正常化6年後の1978年に来日した鄧小平記者会見の尖閣についての発言です。周恩来の認識と鄧小平の認識は、基本的に同じです。「尖閣は日本固有の領土だ」とする日本側主張に対して、「釣魚島は中国固有の領土だ」と主張しています。そして両者の立場表明を前提としつつ、棚上げで合意しているのです。この合意を日本政府が否定したことによって、国交正常化当時の約束が反故にされたと中国は主張しているわけです。田中・周恩来会談において、「中国側は領有権主張を行わなかった」とする解釈は、明らかに間違いであり、そのような記述を行った服部龍二『日中国交正常化』(中公新書、2011年)に、アジア・太平洋賞特別賞を与えた『毎日新聞』や、大佛次郎論壇賞を与えた『朝日新聞』は、日本世論をミスリードした責任を免れないのです。最後に2年前の国会論議を一つ。大平も園田も、野田政権みたいな独善的態度ではなかったことは明らかです。
資料4.当時公明党委員長として田中訪中へのメッセンジャー役を務めた竹入義勝は、次のような証言を残している。
 尖閣列島の帰属は、周首相との会談で、どうしても言わざるを得なかった。「歴史上も文献からしても日本の固有の領土だ」と言うと周首相は笑いながら答えた。「竹入さん、われわれも同じことを言いますよ。釣魚島は昔から中国の領土で、わが方も見解を変えるわけにはいかない」。さらに「この問題を取り上げれば、際限ない。ぶつかりあうだけで何も出てこない。棚上げして、後の賢い人たちに任せしょう」と強調した。
――『記録と考証、日中国交正常化』岩波書店、2003年、204ページ。

 1978年の尖閣合意(コンセンサス、共識)について。
資料5. 1978年8月10日、園田外相が訪中して北京で、鄧小平・園田会談が行なわれた。尖閣についてのやりとりは、張香山著『中日関系管窺与見証』によると、以下の通り。なお、日本外務省の会談記録は、尖閣の箇所を削除したものしか発表していない。
  • 中日両国間には若干の懸案がないわけではない。たとえば、日本は尖閣列島と呼び、中国は釣魚島と呼ぶ、この問題もあるし、大陸棚の問題もある(我們両国併不是不存在一些問題的。比如你們説的尖閣列島,我們叫釣魚台問題,還有大陸架問題)
  • 日本では一部の人がこの問題を利用して『友好条約』の調印を妨害したではありませんか。わが国にも調印を妨害した人がいないわけではない。たとえばアメリカに留学し、アメリカ国籍をとった者、一部の華僑たち、彼らの中に「保釣」運動がある。台湾にも「保釣」運動がありますよ(但在你們国内不是有一些人企図挑起這様的事情来妨礙和平友好条約的簽訂嗎?我們中国人也不是没有這種人,比如説,我們留美的,加入美国籍的,有些還是華僑,不是有一個保釣島嗎? 在台湾也有"保釣"呢!)
  • この種の問題は、今引っ張りだしてはいけない。『平和友好条約』の精神がありさえすれば、何年か放って置いておいて構わない。何十年か経って協議整わずでもかまわない。まさか解決できなければ、仲違いでもないでしょう(這様的問題現在不要牽進去, 本着「和平友好条約」的精神, 放幾年不要緊, 很可能這様的問題,幾十年也達不成協議。達不成,我們就不友好了嗎?)
  • 釣魚島問題は片方に置いてゆっくりゆうゆうと考えればよい。中日両国間には確かに懸案はある(要把釣魚台問題放在一辺,慢慢来,従容考慮。我們両国之間是有問題的)
  • 両国は政治体制も置かれている立場も異なる。いかなる問題でも同じ言い方になるのは不可能だ。とはいえ、同時に両国は共通点も多い。要するに、『小異を残して大同に就く』ことが重要だ(我們両国政治体制不同,処境不同,不可能任何問題上都是同様語言。但是我們間共同点很多,凡是都可以「求大同,存小異」)
  • われわれは多くの共通点を探し、相互協力、相互援助、相呼応する道を探るべきです。『友好条約』の性格はつまりこのような方向を定めている。まさに園田先生のいう新たな起点です(我們要更多的尋求共同点,尋求相互合作,相互幫助,相互配合的途径)条約的性質就是規定了這方向,正是你説的一個新的起点)。
 これを受けて、園田は次のように応じた――鄧小平閣下がこの問題に言及されたので、日本外相として私も一言発言しないわけにはいきません。もし発言しないとすれば、帰国してから申し開きできない。尖閣に対する日本の立場は閣下がご存じの通りです。今後二度とあのような偶然[張香山注、中国漁船隊が尖閣海域に侵入したこと]が起こらないよう希望したい。私はこの一言を申し上げたい(你談了這個問題,我作為日本外相,也不能不説一点。如果不説,回去就不好交代。関于日本対尖閣的立場,閣下是知道的,希望不再発生那様的偶然事情 指中国捕魚船隊,一度進入釣魚島海域,我講這麽一句)
 これを受けて、鄧小平は次のように応じた――この種の事柄を並べると、われわれの世代の者には、解決方法が見出せない。次の世代は、その次の世代は、解決方法を探し当てることができるでしょう(把這様的事情擺開, 我們這一代人, 没有找到辦法, 我們的下一代,再下一代総会找到辦法解決的)
――張香山著『中日関系管窺与見証』当代世界出版社、1998年

 園田外相の訪中を踏まえて友好条約が調印されたので、その批准書交換のために鄧小平の訪日が行なわれた。鄧小平は1978年10月25日日本記者クラブで、記者会見を行った。その発言趣旨は、資料5.と酷似している。つまり、北京における園田・鄧小平会談を踏まえて、資料6があることは明らかだ。

資料6. 鄧小平副首相 尖閣列島は、我々は釣魚諸島と言います。だから名前も呼び方も違っております。だから、確かにこの点については、双方に食い違った見方があります。中日国交正常化の際も、双方はこの問題に触れないということを約束しました。今回、中日平和友好条約を交渉した際もやはり同じく、この問題に触れないということで一致しました。中国人の知恵からして、こういう方法しか考え出せません。というのは、その問題に触れますと、それははっきり言えなくなってしまいます。そこで、確かに一部のものはこういう問題を借りて、中日両国の関係に水を差したがっております。ですから、両国政府が交渉する際、この問題を避けるということが良いと思います。こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわないと思います。十年棚上げにしてもかまいません。我々の、この世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう。――鄧小平記者会見「未来に目を向けた友好関係を」1978年10月25日日本記者クラブホームページhttp://www.jnpc.or.jp/files/opdf/117.pdf

 資料5.と資料6.で得られた「合意、共識、コンセンサス」は、その後、国会でどのように認識されていたかを示す資料を一つだけ掲げる。
資料7.衆院安保特別委(2010年10月21日)の議事録。
 船長逮捕事件における前原誠司発言が出た際の、民主党議員の質問です。「棚上げ」を園田直外相も大平正芳首相も認めていたと紹介しています。
 ○神風英男委員(民主)=(野田内閣・野田改造の防衛大臣政務官)
 日本としては、(棚上げ)合意がないという立場であろうと思います。ただ、当時大平内閣のもとで、当時の沖縄開発庁が調査団を尖閣諸島に派遣した、この調査に関して、中国が、鄧小平副首相との合意に反するという抗議があったわけであります。これを受けて、衆議院の外務委員会において、当時の園田直外務大臣がこのように述べられている。
 「日本の国益ということを考えた場合に、じっとして今の状態を続けていった方が国益なのか、あるいはここに問題をいろいろ起こした方が国益なのか、私は、じっとして、鄧小平副主席が言われた、二十年、三十年、今のままでいいじゃないかというような状態で通すことが日本独自の利益からいってもありがたいことではないかと考えます。」
 こういうように述べられているわけでありまして、いわば棚上げ状態にしておくことが日本の国益にも合致するんだというような趣旨のことを当時の園田外務大臣が述べられ、また、いろいろその当時の議事録を拝見しますと、大平総理も同じような立場に立っているようであります。




資料8.尖閣問題を紛争のタネにするな--『読売新聞』1979年5月31日付社説
以上 

               
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