第73号 2012.11.09発行 by 矢吹 晋
    岡田充著『尖閣問題―領土ナショナリズムの魔力』を推す <目次>へ


 日中尖閣紛争は、私見では起こるべくして起こったものだが、大方の国民にとっては、いきなり官許反日デモが現れて、国交正常化40年の友好運動の積み重ねが一挙に瓦解し、何が何やらまるで事態を把握できない状況であろう。まさにこのとき、快刀乱麻を絶つように現れたのが本書であり、一読を強くお勧めする次第である。著者岡田充(おかだ・たかし)は、1948年北海道生まれ。1972年慶応大学法学部卒業後、共同通信社に入社。香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から共同通信客員論説委員を務め、桜美林大非常勤講師を兼ねる。主要著作として、『中国と台湾――対立と共存の両岸関係』(講談社現代新書、2003年2月)があり、この新書は90年代央の台湾独立運動が、海峡両岸の経済的合作の強化に伴い、「独立ではなく、統一でもない」「対立と共存の関係」に移行した現実を主として台湾から見つめ直した本として、話題になった。
 今回の新著は、海峡両岸から視野を東に少し移して、日中尖閣紛争を「領土ナショナリズム」の相剋として描いたものだ。タイトル『領土ナショナリズムの魔力』とは、いい得て妙である。まさにこの「魔力」にとりつかれ、両国国民は、実際にはごく一部の人々だが、「明日にも戦争か」、といった脅迫観念にとりつかれている。まさに「魔力」の魔力たる所以だ。国交正常化40周年の記念すべき年を、あたかも回り舞台が暗転するがごとく、一気に転換させた「魔力」を過不足なく解明した本であり、必読の一冊としてお勧めしたい。
 著者岡田充さんと評者(矢吹)のつきあいは、およそ10年前に遡る。著者が台北支局長を務めていた21世紀初頭、私は2~3度台北を訪れる機会があり、たまたま紹介されて酒を酌み交わし、急速に親しくなった。海峡両岸の諸問題についての見方が大筋で一致することを互いに確認し、自信を深めあったのではないかと、酔い覚めの頭で思う。今回は私の関係する21世紀中国総研ホームページに、尖閣論を投稿されたのを早速読み、続編を期待しているうちに、本書の形でまとまった。単著の緊急出版を願望した者として、あえて犬馬の労をとり、本書を紹介するのは、以上の成り行きからだ。練達のジャーナリストの本であるから、きわめて読みやすい。難解な表現は皆無である。しかもサービス精神にあふれているので、「はじめに」を見ただけで、結論は読み取れる。




 2012年7月、反米を売り物にしてきたはずの石原都知事がなんと米国ヘリテージ財団で「尖閣買い上げ」のハッタリを提起するや、内閣支持率だけを気にする首相が早速にじり寄り密談し、怪しげな政治が動き始めた当時の霞が関の雰囲気を岡田は活写する。
 ――「国内世論はだいたい国有化支持で足並みを揃えたのではないでしょうか」。洋食のテーブルをはさんで、霞ヶ関のある官僚が口を開いた。政府が尖閣国有化方針を明らかにした7月の暑い日だった。大手メディアは、東京都が購入するより国有化するほうが中国との摩擦は少ないと読み、国有化支持を打ち出していた。だが中国は、国有化に対しても撤回要求の強硬姿勢を崩さず、先がはっきり見えない頃である。
 ――「中国は本気で奪うつもりなのだろうか」と問うと、彼はすこし考えた後「このままいけばとってこようとするかもしれません」。
 ――さらに「尖閣を差し上げれば、次は与那国や沖縄本島まで差し上げることになるが、それでもいいのかと聞けば、多くの人は黙ってしまう」。
 霞ヶ関の中心にいる官僚が、仮定の話に基づいて「領土をとられてもいいのか」という論理をふりかざす。語り口は柔らかだが、あの前知事の論理構造とほとんど変わらない。こう問われれば、多くの人は「それは、ちょっと困るけど……」と反応するだろう。この反応こそ、メーン・テーマの「領土ナショナリズムの魔力」である。この魔力はまず、「とられるかもしれない」という被害者意識を誘発し、「とられてはならない」との反射的回答を瞬時に引き出す。思考ではなく反射ゲームのキーワードだ。問題の領土が「本当にわれわれのものなのか」「かれらに理はないのか」という思考を経たものではないからだ。
 岡田の紹介するこのエピソードを聞いて、私は改めて背筋が寒くなった。そうか、ここまで無知と傲慢が広まっていたのか。岡田のいう官僚がどの省の誰でも構わない。いやしくもキャリア試験を経て霞が関に務めるエリートたちなら、たとえ何省であれ、中国との国交正常化40年略史程度は知るべきであり、日本の安全保障にとって、この核大国とのつきあい方が決定的な意味をもつ程度のことは、基本的に分かっていてもらわないと困る。いまどき地方都市の国際課でさえ、姉妹都市との交流やどんな土産物を売り込むか、考える時代だ。霞が関のエリートがここまで無邪気に中国「脅威」論に汚染されているとは、驚きを通り越してほとんど絶句するほかない惨状である。岡田は『領土ナショナリズムの魔力』の一例として、このエピソードを挙げたにすぎないが、私がこの1年「尖閣カルト」と揶揄してきた珍現象は、霞が関をも包み込む汚染ガスでもあった。
 このような問題意識、というよりは危機意識に迫られて著者は筆を進めた。「はしがき」で、概要を次のように説明している。
第一章で、知事の挑発を契機に、国有化によって爆発した今回の日中対立を整理した。
第二章では、歴史をふりかえり、関係者の主張を可能な限り紹介するよう努めた。
第三章では、なぜこれほど不毛な対立をもたらしたのかを、国際関係や国内要因から探った。
領土問題を単なる「反射ゲーム」の世界におしとどめず、「かれら」の立場に立って考える必要があるからである。領土ナショナリズムの魔力は、われわれの思考を国家主権という「絶対的価値」に囲い込む。「われわれ」と「かれら」の利益は常に相反し、われわれの利益こそが「国益」であり、かれらの利益に与くみすれば「利敵行為」や「国賊」と非難される。単純化された「二択論」に第三の答えはない。しかし、地球が小さくなり隣国との相互依存関係が深まれば、国家主権だけが百数十年前と同じ絶対性を維持することはできない。境界を超えて文化と人がつながり、共有された意識が広がると、偏狭な国家主権は溶かされていく。あの知事をはじめ、各国のリーダーが国家主義の旗を振る姿にドンキホーテを見る滑稽さを感じるのはそのためであろう。多くの人はその滑稽さに気づいてはいるが、「魔力」から自由ではない。
第四章では「魔力」を解き放つ努力として、現状維持という「第三の道」によって改善した中台の両岸関係の先例を取り上げ、さらに良好な日中関係こそ地域の安定のカギを握ると分析する米識者の観点を紹介している。尖閣を含む東シナ海が、豊かな共通生活圏だった歴史に学びながら、主権を棚上げして資源を共同利用する共通生活圏にする必要を強調した。国家主権を相対化する想像力こそが、「魔力」から自由になるカギである。
 いま下線を付した箇所が岡田の結論である。
  1. 尖閣を含む東シナ海は、由来豊かな共通生活圏だった歴史をもつ。この歴史に学び、
  2. 主権を棚上げして資源を共同利用する共通生活圏にすべきである。
  3. 国家主権を相対化する想像力こそが、「領土ナショナリズム」の「魔力」から自由になる呪文である。優れた見識であり、解決策であると評してよい。

巻末資料類も役立つ。日本、中国、台湾の基本資料をすべて押さえている。

  1. 日本(1)尖閣諸島の領有権についての基本見解(平成24年10月)(2)尖閣諸島に関するQ&A (3)尖閣諸島に関する事実関係〜我が国の立場とその根拠〜(4)尖閣諸島に関する三つの真実(平成24年10月4日)
  2. 中国(1)釣魚島問題の基本的状況(2012年9月15日)(2)「釣魚島は中国固有の領土である」白書(訳文)(2012年9月25日)
  3. 台湾(1)日本が釣魚台列島を占拠した歴史的証拠(2012年9月28日)(2)外交部:馬総統が「東シナ海平和イニシアチブ」を提起、関係国が平和的手段で釣魚台列島を巡る争議を処理するよう呼びかける(2012年8月6日)(3)馬英九総統が彭佳嶼を視察、重要談話を発表(2012年9月10日)
第一章 最悪の日中関係
 本書を読んで、私が教えられた箇所を抜き書きしてみよう。岡田は言う。

『朝日新聞』 10月31日

 『朝日新聞』(9月26日付)によると、野田は5月18日、官邸に高官を集め、国が尖閣を購入する「国有化」の検討に着手するよう指示した。官邸執務室に集まったのは藤村官房長官のほか、その後、地主との交渉にあたる長浜博行官房副長官、石原とのパイプ役も務める長島昭久首相補佐官、佐々江賢一郎外務次官ら。この席で長島が「国が購入した方が穏当」と発言。それまで「購入は都にまかせ、中国には一自治体がやっていることと説明すればいい」としていた佐々江次官も反対しなかったという。国有化に向け野田の背中を押したのは、①都への寄付金が10億円に近づき「切迫感」がでた、②「石原が買えば、取り返しのつかないことになる」というメッセージが北京から届いたことなどだが、結局「国有化したほうが、中国側の反発は少ないだろう」という判断が働いたと見られる。都の購入計画という「くせ球」に野田内閣がとまどい、政府内でも足並みがそろっていなかったことが分かろう(岡田21~22ページ)。
 この経過は、遺憾ながら9月18日の百万デモの後に報道された。5~6月時点でこの種の報道が行われ、その是非について、十分な検討が行われるべきであった。密室で不十分な情報に基づいて間違った判断が行なわれたことは、その後の事態に即して明らかだ。私がこれらの智恵なき人々の鳩首協議の話を聞いて、特に注目するのは、長島昭久補佐官の役割である。彼は慶応大法学部を出た後、ジョンホプキンス大学で修士課程を学んだから、多少は英語ができるはずだ。しかも慶応法では石原伸晃議員と先輩・後輩の関係である。親しい伸晃を通じて、慎太郎知事と会い、ヘリテージに連れて行ったのではないか。ということは、この時点で都知事と野田内閣は気脈を通じていたことになる。これが一つ。もう一つは、「国有化したほうが、中国側の反発は少ないだろう」と判断した致命的なミスである。この点について佐々江次官(現駐米大使)は、10月31日の『朝日』のインタビューで、尖閣国有化について、目的は「平穏かつ安定的な維持のためで、政府の判断としてベストという思いだった」と目論見を語り、「米政府は、反対しなかった」。「中国政府とも意思疎通をしていたが、理解を示さなかった」と述べた。事柄は日中紛争であるにもかかわらず、まず米国にお伺いを立て、そのあとで中国と「意思疎通」を行い、失敗する。ここには対米従属国・日本外務省のスタンスが端的に浮きでている。宗主国・米国の顔色をうかがってから、中国と接触するとは、いかにも従属国外交官らしい振る舞いだが、本末転倒ではないか。対中外交には失敗したが、宗主国の伺いは立てていたから、手続きに落ち度はないといわんばかりの、典型的な小役人作風ではないか。これが外務省事務方トップの行動パターンなのだ。情けないとしかいいようがない。
 佐々江次官はまた「尖閣有事の際は日米安保条約に従い出動するとの認識を示した」と『朝日』は書いているが、これまたはなはだ疑問である。というのは、尖閣のような島嶼については自衛隊が防衛するのが改定日米ガイドラインであり、在日米軍がいきなり出動する約束にはなっていない。さらに米軍の出動については、米国議会の承認が必要であり、ホワイトハウスが要請したとしても議会が簡単に認めるかどうか疑わしい。9月25日付けの米議会調査報告Senkaku (Diaoyu/Diaoyutai) Islands Dispute: U.S. Treaty Obligations, by Mark E. Manyin, Specialist in Asian Affairs, Congressional Research Service 7-5700, www.crs.gov., R42761.を読むと、佐々江次官の語る米国の立場とは、相当に距離のある観点から『米議会尖閣報告書』が書かれていることが分かる。たとえば米議会報告書にはこう書かれている。
 A US Congressional report published on Sep.25, 2012 said Washington has never recognized Japan’s sovereignty over the Diaoyu Isalands (known in Japan as Senkaku).「ワシントンは、断じて釣魚諸島(日本では尖閣として知られる)に対する日本の主権を認めたことはない」と2012年9月25日に発表された議会報告は述べている。これが沖縄返還協定に際しての米国政府の立場である。
 もう一つ。The report said the US recognizes only Japan’s administrative power over the disputed islands in the East China Sea after the Okinawa Reversion Treaty was signed in 1971. 米国は1971年に沖縄返還協定が署名された時に、東シナ海における争いのある諸島に対して「日本の施政権だけ」を認めた、と報告書は述べた。米議会報告が1971年の沖縄返還当時、主権ではなく、施政権だけを日本に引き渡したとしていることは、近年ようやく明らかになってきたが、1971年当時の福田外相は、「主権」と「施政権」の区別ができていなかった(後述)。




 さて岡田は、丹羽宇一郎駐中国大使の警告をこう紹介している。大使が英紙「フィナンシャル・タイムズ」(6月7日付)とのインタビューで「(購入すれば)日中関係は重大な危機に遭遇する」と述べ、購入計画に反対を明言したことが政府部内で問題にされた。玄葉光一郎外相は同日、杉山晋輔外務省アジア大洋州局長を通じて大使に注意。大使発言の何が問題なのか、その後の事態の展開を見れば、大使の警告が正鵠を射たものであることがわかる。外務省幹部は問題視した理由として「中国との間に領土問題があると受け取られかねない」と説明する。「日本固有の領土で、領土問題は存在していない」という政府の公式見解にしがみついた結果が、日中関係を過去40年で最悪の状況に陥らせたことを、われわれも思い知らされることになる。参考までに丹羽大使発言のさわり(外務省説明)を紹介する。「(尖閣諸島の)土地購入には、いろいろな条件をクリアする必要があるが、仮に東京都の石原慎太郎知事が言うようなことをやろうとすれば、日中関係は重大な危機に遭遇するだろう。それは避けなければならない。日中両国がけんかをするためでなく、仲良くするための努力をしなければならない。政治的にも経済的にも仲良くしようとしているのは、歴史が証明するようにそれが最も良い関係だからであり、日中はそのための努力をしなければならない。数十年の努力が水泡に帰すことがあってはならない」(岡田22~23ページ)。中国駐在の日本国大使がこのような警告を行っているなかで、『朝日』の報じたような密談が行なわれたのであるから、これは確信犯による致命的なミスなのだ。弁解の余地はない。決して日本政府の真意を中国当局が誤解したといった性質のものではないのだ。
 加えて、野田首相自身が7月26日、衆院本会議で「我が国の領土、領海で不法行為が発生した場合は、必要に応じて自衛隊を用いることを含め、政府全体で毅然と対応する」と述べたことにも岡田は注目した。「一般論」という弁解を後に付け加えたが、紛争相手から見れば「衣の下から鎧がのぞく」に等しい発言であり、中国外務省は翌27日に「無責任な発言に強烈な不満を表明」する談話を発表した(岡田33~34ページ)。安全保障に関わる軽視できない不用意発言を行うのは由々しいことだ。これを契機に中国側は、こう揚言した。「中国解放軍はいつでも出動できる体制を整えている。ただし、自衛隊の出動前に出動させることはない」と繰り返し声高に宣伝し、事態が外交合戦から軍事行動をも含むレベルへと一挙にエスカレートさせた。これはポピュリスト野田の軽率発言として記憶に留めるに値する。

第二章 過去をふりかえる
 この章では主として井上清著「『尖閣』列島――釣魚諸島の史的解明」(「第三書館」1996年10月)を引用しつつ、中国側の『尖閣白書』と対比しつつ、史実を説いている。まず日本を占領した米軍は、日本の領土をどのように認識していたか。
 (1)これを示すのが1946年の「連合軍最高司令官訓令第557号」の領土規定だ。それによると「日本の領土は四島(北海道、本州、四国、九州)及び対馬諸島、北緯30度以南にある約一千近くの島からなる琉球諸島」と書く。ここには尖閣は含まれないと解釈されている。[矢吹補足--これはカイロ宣言に基づく。すなわち「台湾および澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する」投降の条件である。尖閣のような無人島の名は言及していないが、地理的に台湾に属するからには、この文言に尖閣が含まれるとするのは自然な解釈だ]。
 (2)サンフランシスコ条約発効後の1953年12月25日、米国民政府が出した「布告第27号」は、琉球列島で米国民政府及び琉球政府が管轄する区域、つまり米政府の施政権が及ぶ領域が書かれている。この区域には尖閣諸島が含まれている。[矢吹補足—ここが今回の紛争の直近の原点である。カイロ宣言、ポツダム宣言に従えば、中華民国に返還されるはずの一部島嶼に対して米占領軍は、米政府の施政権の及ぶ範囲とし、いわば「占領軍預かり」としたわけだ]。
 (3)上述の(1)と(2)の食い違いは、これは何を意味するか。評者(矢吹)ならば、こう説明する。中華人民共和国の建国とこれに伴う中華民国政府の台湾亡命という状況の変化過程で、中華民国(大陸)にも、中華民国(台湾)にも返還しない島嶼を米政府が「対日占領行政」の名において、東アジア情勢をにらみながら、「施政権」の名において確保した。そして沖縄返還当時に、この「施政権のみ」を日本に返還した。この点について岡田は「つまり米政府は、尖閣の領有権と施政権を最初から分離していたことが理解できるだろう」と書いている。なるほど両者を分離したことは理解できるが、いま私が行ったような補足があるともっと分かりやすくなる。米軍のこのような恣意的な占領方針により、中国側はいずれは主権が戻ると信じ、日本側は「施政権」の返還を「主権」の返還と錯覚したのだ。
 (4)その典型的な一例を、沖縄返還当時の福田外相答弁に見ることができる。


 福田外相は、「尖閣列島がわが国の領土として、完全な領土として、施政権が今度返ってくるんだ」と答弁している。ところが米国の見解によれば、「完全な領土」(主権)≠「施政権」である。米国が「異なる」としたものを福田は「イコール」とした。これは外務省が福田外相を騙したためか、それとも、福田外相は、米国の真意を理解しつつあえて国民にウソをついたのか、そのいずれか、あるいは双方であろう。いずれにせよ、尖閣の主権をもつのは、日本か、中国か、台湾か、について「米国の立場」と「日本政府の解釈」は明らかに異なる。ここを曖昧にぼかしたことが今回の日中紛争の直接的契機である。一連の曖昧さが、中国の対日不信を増幅し、日本国民の狭い愛国心を煽動した結果、今回の日中衝突が起こったのであり、われわれは紛争の核心を見つめ直すところから日中の修復を考えなければならない。
岡田はいう。米政府は沖縄返還に当たっても「主権・施政権の分離」を貫いた。最近の米国務省の公式見解は「尖閣諸島は日本の施政権下にあり、日本防衛義務を定めた日米安保条約5条の適用対象であるとしつつ、同時に米国は尖閣諸島の最終的な主権について(特定の)立場は取らない。平和的手段による解決を期待する」(「共同通信」7月9日)というものである。なぜ米国政府は、日中台の間で争いのタネになっている主権(領有権)問題で、曖昧姿勢をとってきたのか。『産経新聞』は9月28日、米国立公文書館にある文書をもとに、尖閣諸島の日本返還に反対していた中華民国(台湾)が71年当時沖縄返還協定の条文に「尖閣諸島の施政権はどこにも属さない」という一文を入れるよう米側に要求していたと報じた。ロジャース国務長官らが、台湾の意向を反映させるようホワイトハウスに働きかけたが、ニクソン大統領は「施政権返還は日本とすでに合意しており、今さらそんなことはできない」と拒否した。結局、日米両政府は1971年6月17 日に沖縄返還協定に調印したが、ロジャース 国務長官やピーターソン大統領補佐官、ケネディ繊維交渉担当特別大使らは、調印直前まで台湾寄りの助言を繰り返した。沖縄返還と尖閣主権問題が、米政権内部で繊維交渉の対日圧力のカードとして考えられていたニクソンは沖縄返還と、翌年の中国訪問を控え、日中の政策上のバランスに配慮する必要に迫られていたと報じた、と岡田は紹介する(岡田93~94ページ)。
 ここでは沖縄返還当時の日米中三角関係と、そこで対日・対中のバランスをとりながら「漁夫の利」を追求するニクソン政権のしたたかさが巧みに活写されている。遺憾なのは、このようなニクソンに騙されて、「施政権」の返還を「主権」の返還と錯覚させられた日本政府(とりわけ福田赳夫外相)も、その返還を討議した国会も、その後何も学習せず、反省せずに、再び米国に鼻づらを引き回され続けていることだ。そして怒りの対象はひたすら中国に誘導される。これはほとんど悲劇を超えて喜劇である。
それだけではない。岡田はこの三角関係の構図を130年前の「ユリシーズ・グラント元大統領の調停」と重ねるのが憎い。グラント調停すなわち「沖縄列島3分割案」とはなにか。日本は明治5年に琉球王朝を併合し、清朝は強く反発した。アメリカ南北戦争の北軍司令官のグラントは50ドル紙幣で有名だが、大統領任期後、2年半の世界漫遊の旅に出た。清国で李鴻章と軍機大臣恭親王と会い、日本を何とか抑えてくれと依頼された。天津から日本に来て明治天皇と2回会う。下図は1879年、明治天皇がグラント将軍を謁見した図である。

 

 グラント前大統領は鹿鳴館の前身・延遼館に1カ月宿泊した。7月4日、アメリカの独立記念日を選んで明治天皇はグラントを謁見し、グラントはその後避暑を兼ねて日光見物に出向いた。そこへ内務卿伊藤博文と陸軍卿西郷従道が訪れ、琉球処分問題を協議したのだ。その後8月10日天皇は、もう一回グラント将軍に非公式に会っている。グラント提案を知るには、下の地図が分かりやすい。奄美大島は日本がとる。沖縄本島は「中立の独立国」とする。宮古と八重山は清国に割譲する。この3分割がグラント調停案だ。翌年、グラント提案を実行に移すべく、北京で総理衙門との交渉が行われ、それは仮調印まで進んだ。その結果が下図の2本の赤線のうち、沖縄本島と宮古を隔てる下方のラインにほかならない。
こう答弁した。


 「沖縄本島まで」は日本のものとし、その南の「宮古、八重山」は清国に割譲する形だ。ここでグラントの「3分割案」は「2分割案」に置き替えられた。北京で交渉中の宍戸公使からの報告を受けた井上馨は、こう指示した。「グラント氏の互譲の説を施行する場合と相成り、誠に以て両国人民の幸福を維持するは、野生[自分]に於いて本懐、この事に御座候」と書き、「必ず国内から、領土の割譲に等しいとの異論が出て、攻撃を受ける事は必然だが、それでよい」と。
 当時の日清両国の力関係からして、この辺で線を引くしかないと井上馨は決断したのだ。では、仮調印はなぜ流れたか。宍戸公使は総理衙門の責任者と交渉していたが、実力者李鴻章が拒否し、結局井上馨の認めた「2分割案」は流れた。この国境未定問題は、日清戦後の台湾割譲でようやく結着し、台湾までが日本の領土となった。領土紛争を戦争を通じて解決した典型的な事例である。そしてこの戦争で得た領土を日中戦争における日本の敗北で失った。これもまた戦争を通じて領土を取り戻す典型的な事例だ。日清戦後の台湾割譲と、日中戦争敗北による台湾返還のことは知らない者はない。しかし、尖閣の運命を二つの戦争と切り離してしまうと問題の所在はまるで分からなくなる。特に肝心なのは日清戦争前夜の状況だ。当時は、琉球を三つに分けるか、二つに分けるか、が、国境問題の焦点であった。「尖閣は固有の領土」と無邪気に繰り返す人々は、近代史に対する無知を自ら宣伝するに等しい。
 ちなみに、有名な林子平の『三国通覧図説』(1785年)に付された地図は、元来徐葆光『中山伝信録』(1721年)に基づくが、台湾の上に花瓶嶼、彭佳嶼、その次が魚釣島、九場島、大正島とつながる。この黒帯(沖縄トラフ)の東に久米島がある。久米島は琉球王国最西端の島と認識されていた。両者を隔てるのは沖縄トラフであり、黒潮が流れる。これは帆船時代には「黒水溝」とも呼び、琉球王国側も大陸側も「黒水溝」を境界と考えていた。この黒水溝を乗り越えたときに、必ず船でお祝いをやった。琉球王国側は大陸から冊封使が来るとき、久米島まで出迎え、那覇の首里城まで案内した。この島嶼群は島伝いに、冊封使が通るべきルートに指定されていたので、地名として多くの記録に残る。近代的な実効支配の国境ではなく、琉球王国と明清間で、版図として共通の了解があった。
 地図をもう一つ見たい。正保国絵図という琉球王国の地図は立派な地図だ。1枚で畳12畳、3枚で36畳の地図。私は『入来文書』を翻訳し「頼朝下文」とか「後醍醐天皇綸旨」の現物を見るために、国立博物館に行ったところ、たまたま現物が飾ってあり、現物を見た。この地図が、琉球王国の版図を示す最良の地図であるにもかかわらず、あまり言及されないのは不可解だ。私がこのように「我田引水」にも似た話をしたのは、130年前のグラント調停と2012年のパネッタ国防長官訪中とを重ねた岡田の卓抜な歴史認識に敬意を表してのことだ。
 田中角栄・周恩来会談記録の削除問題は、私自身が繰り返し、書いているので、紹介を省く。またこの会談の延長線にある日中平和友好条約交渉における園田直外相、鄧小平副総理会談も省く。
 第三章 国際関係のなかの尖閣諸島問題は、より視野を広げて、遠景から尖閣の位置を見直した検討であるが、これも省く。
 第四章 領土と国家の相対化。この章が本書の白眉である。
ここで岡田は、一般に「日本と中国」の紛争と見られている尖閣問題を「主権も棚上げした両岸関係」、すなわち「台湾海峡の視点」から説いていて、実に説得的である。というのは台湾宜蘭から出航する漁民の話と金門周辺の漁民の立場は同じだからだ。岡田は、馬英九の「領土と主権は分割できないが、天然資源は分けることができる」という発言に着目してこう指摘する。
 ――領土問題を解決するには、①譲渡、②棚上げ、③戦争の三つの選択肢しかない。「国有化」が引き起こした東アジアの動揺は、排他的な主権・領土論を乗り越える新しい思考の必要性を迫っている。尖閣、竹島も「北方四島」も本来は、そこで生活し、そこを生活圏にする人々のものであり、人工的国家のものではない(岡田180ページ)。
 ――領有権争いで強いのは「実効支配」している側であり、有利な立場を利用して支配を強化すれば紛争になる。日本の尖閣諸島国有化は、現状の一方的変更と映った。中国とは相互信頼関係がないだけに、国有化には丁寧な事前説明が必要だった。中国も日本の実効支配に力で挑戦しているわけではない。挑戦すれば戦争を覚悟しなければならない。あらゆる強硬姿勢で臨み、日本の反応を見つつ着地点を探っている。出口は「棚上げ」しかない。
 ――2000年に発効した中国との「漁業協定」も、排他的経済水域(EEZ)の「線引き」を棚上げした結果であった。2年前の衝突事件の後、中国との「棚上げ」を全面否定した民主党政権の責任は重い。固有領土論の幻想に基づく「領土問題は存在しない」という立場を維持し続けるのは、もはや困難である」(岡田181ページ)。
岡田がこのように語る時、彼の脳裏に浮かぶのは、台北特派員時代に、かつて中台緊張時に台湾側最前線であった金門島を訪問し、そこがいま平和的交流の前線になっている事実をつぶさに見たからだ。私も1997年夏に訪問した体験があり、折からの台湾海峡の危機が人為的につくられたものにすぎないことをいやというほど体験させられたことをいままざまざと想起する。岡田はそこに「境界のない世界」の原型を見た。その眼に映るのは、「台湾と沖縄との交流史」であり、とりわけ、「与那国と宜蘭の人々」との交流史だ。
そして沖縄のシーサー(獅子)は、台湾の「風獅爺」とぴったり重なる。
 ――風獅爺をよく見てほしい。どこかで見た記憶はないか。沖縄の魔除け「シーサー」である。シーサーとは琉球方言で「獅子」を意味し、門や屋根などに置かれる。風獅爺こそシーサーの先祖で、600年前の明朝時代、金門を含む福建から琉球に移住した人たちがもたらした。「風獅爺」はその後、九州にも入っている。
 ――多くの閩人が、台湾に移住したのもこのころだった。琉球の福建人は、現在の那覇市久米町辺りに住んだことから、彼らを「久米36姓」と呼ぶ。「36姓」とはたくさんの中国姓をもつ福建人が移住したことを意味している。天文学など当時の先進知識・技術を持っていたため、琉球王朝は重要な役職を与えた。沖縄県の仲井真知事は自ら「久米36姓」の末裔と公言している。
 ――「同祖」はシーサーと「風獅爺」だけではない。沖縄、奄美地方に多い亀甲墓もそうだ。亀の甲羅のような形からそう呼ばれるのだが、台湾と金門や福建の墓は同じ形の亀甲墓である。このように16~17世紀、東アジアでは、境界を超えた自由な往来と交流があった。
 ――欧州では「30年戦争」を経て、近代国家における領土、主権など国際法の基礎になる「ウェストファリア条約」(1648年)が締結されたころである。ちょうどこのころ、明朝、清朝の「冊封使」が海路、琉球へ航海する際、航海の目印としたのが尖閣諸島であった。
 ――繰り返しになるが、明治政府は琉球を併合した後、1895年1月の閣議で尖閣を日本領土にした。その3か月後、日清戦争に勝利し今度は台湾を割譲。沖縄と尖閣、台湾はその後、一つの経済圏を形成し自由な交流を続けてきた(岡田206~207ページ)。
 ――「台湾に最も近い日本の島、サンゴ礁に囲まれた与那国島から眺めてみよう。沖縄本島からの距離は520キロ、東京からは1900キロだが、台湾(宜蘭県蘇澳)とは110キロの近さ。西端の西崎灯台からは、気象状況がよければ、台湾が見える」
 ――「与那国の150年を振り返ると、支配者と国境がめまぐるしく変わる歴史だった。それはいつも島民の意思とはかかわりなく決められてきた」
 ――与那国と台湾との交流を振り返りながら、国境・境界の意味を考えたい。沖縄と台湾の接点が歴史的に確認できるのは1582年、スペインの航海者グアレーがまとめた台湾島の見聞録に登場する(岡田206~207)。
このような取材体験と歴史学習を通して、岡田は紛争地に生活する人々の立場から問題を考え、近代国家間の国境紛争が生活者とは無縁の「ナショナリズムの魔力」にとりつかれた理性を失った人々の愚行であることを穏やかな口調で説く。「ナショナリズムの魔力」は、シーサーの魔力を用いてその呪縛から解き放つ。まさに正論であり、私が本書を推す理由である。




 最後に、こうした愚劣な悲喜劇の舞台で、したり顔で芝居を続けてきた道化役者の証言の矛盾を指摘して結びとする。
 主役の一人は、外務省条約課長として日中共同声明の原案作りに参画し、その後条約局長や事務次官、アメリカ大使などを歴任した、外務省きっての秀才と評されたらしい栗山尚一の証言だ。中国で百万の反日デモが吹き荒れて1カ月後に、彼は『朝日新聞』のインタビューに答えて、次のように述べた。


 

 栗山尚一元次官は、『朝日』が解説しているように、40年前の国交正常化交渉に際して、田中角栄首相に随行し、条約課長として共同声明の原案作成に携わった経歴をもつ。
 ――栗山自身は田中・周恩来会談には同席しなかったが、田中訪中随行団の一員である。彼は「尖閣問題について説明を受けた」時に、次のように感じた。
 ――「棚上げ、先送りの首脳レベルでの『暗黙の了解』がそこでできたと当時考えたし、今もそう思う」と証言している。さらに「72年の暗黙の了解が、78年に[鄧小平・福田赳夫、園田直会談で]もう一度確認されたのが実態だと理解している」と。これが条約課長、のち条約局長として、外国との約束に責任を負う立場にあった当事者の証言である。しかしながら、誠に遺憾なことに、一連の交渉経緯が二つの日中会談記録、すなわち日中国交正常化交渉記録、日中平和友好条約交渉記録に明記されていない。
 中国側会談記録としてリークされているものと対比すると、日本側会談記録は明らかに一部が改竄されている。中国側が「暗黙の了解」があったはずだと主張し、日本側がこれを否定するところから今回の日中衝突が起こったが、食い違いの原因の半分は、外務省が正確な会談記録の発表を拒んでいるからだと私は考える。当事者の栗山課長は「当時考えたし、今もそう思う」根拠を示す義務がある。それを反省することなく、一見評論家風の感想、印象を述べて事足れりとしているのは、はなはだ不可解であり、それを迫らずに、弁明の機会を与えるだけの『朝日』は、情報隠しの共犯者と非難されてしかるべきだ。
 ――栗山の評論家ぶりは、次の解説でますます、明らかになる。曰く「中国が棚上げについて『日中間の明確な合意がある』と言うことには違和感がある。同時に「いかなる合意も存在しない」という今の日本政府の立場にも、若干、違和感をもつ」と。
 中国政府の解釈には「違和感をもち」、日本政府の解釈には「若干、違和感をもつ」と、「違和感」の違いで逃げている。ボキャブラリー貧困の政治家ならばいざ知らず、条約の一語一句を吟味すべき条約局長を務め、秀才ぶりを自他共に認める条約局長が「違和感」で語るとは、一体何を意味するのか。条約局はいつから文芸局になったのか。「違和感」で終わるのでは、三文文士と変わらない。中国との二つの歴史的会談の記録を恣意的に改竄した結果生じた日中の紛争に接して、衝突の真相を隠蔽し、責任を回避する苦肉の策としか考えられない。「72年に関わった者として憂慮している」と他人事みたいなコメントで結ぶのではなく、「72年に関わった者として」の責任を明らかにしなければならないのではないか(2012年11月8日)。

以上 

               
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