第74号 2012.11.19発行 by 矢吹 晋
    江沢民リモコン習近平体制のスタート <目次>へ
 中国共産党の第18回党大会が終り、胡錦濤の後継となる習近平新体制の人事が決定した。胡錦濤は軍事委主席をも含めて完全引退し、老醜をさらす江沢民院政に一矢を報いた。11月15日記者会見が行なわれたトップ7の顔触れは、習近平(国家主席)、李克強(国務院総理)、張徳江(全人代委員長)、兪正声(政協主席)、劉雲山(国家副主席、中央書記処常務書記)、王岐山(中共中央紀律検査委員会書記)、張高麗(常務副総理)である。括弧内は担当を分野を筆者が推定したものだ。
 一瞥して党内の激しい権力闘争の結果、老獪な江沢民が、押しの弱い胡錦濤を完璧にノックアウトした印象を否めない。激烈な権力闘争の結果、大会の開催自体が1カ月も遅れた。これは人事の調整が混迷をきわめた結果とみてよい。仁義なき権力闘争のすさまじさをまざまざと示すのは、李克強を除いて胡錦濤の推した共青団系列の顔触れが皆無であることだ。その経緯を分析してみよう。


表1


 昨年11月、イギリス人ビジネスマンのニール・ヘイウッドが薄煕来夫人・谷開来によって毒殺される事件が起こった。 2月に薄煕来の右腕、王立軍・重慶市公安局長(副市長兼任)の米国総領事館への亡命騒動を契機にこのスキャンダルが明らかになり、世界を騒がせた。胡錦濤執行部はこれを奇貨として、薄煕来処分に踏み切り、3月14日の政治局会議で薄煕来を重慶市書記から解任することに成功した(中共中央弁公庁3月15日通知)。
 この勢いを借りて、胡錦濤派に優勢な形で常務委員選考人事が始まった。まず5月7日北京の京西賓館で「省級・部級の幹部」(各省級書記・副書記と国務院各部長・副部長級の幹部からなる高級幹部群を指す、引退者を含む)360名が集まり、「常務委員5名」と「政治局委員11名」を選ぶために、各自がそれぞれ1票、計2票を投じた。ここで常務委員の第1次候補35名のリストがつくられた。
 ここまでは胡錦濤の思惑通りに進んだ。たとえば常務委員5名を選ぶとは、すでに確定している習近平と李克強に加えて5名であるから、「7名からなる常務委員会」を想定していた。すなわち江沢民が多数派工作を意図して9名に増やした定員を「鄧小平時代の7名に戻すこと」が含意されていたわけだ。

ところが天に不測の風雲あり。ここから江沢民の逆襲が始まる。
 7月初め「党内高層生活会」が開かれた。
これは「党内会議」であり、党員の紀律等を相互に点検し合うもので、政治局会議や中央委員会等、表ての正式会議とは異なる(ちなみに1988年暮の胡耀邦失脚事件は、彼が「党内生活会」で長老たちから批判された一幕に始まる)。この席で賈慶林(政協主席)が江沢民の意を体して、胡錦濤の番頭役の令計画(中共中央弁公庁主任)の息子のスキャンダルを提起した。息子がフェラーリを運転して事故死したという高級幹部子弟にありがちな話だが、胡錦濤はこれをかばいきれなかった。その後令計画は中共中央統一戦線部長に左遷され、政治局入りを入り口で阻まれた。胡錦濤の長年の秘書、令計画の役割は、胡錦濤の意を体して党大会の事務局をとりしきるものであり、彼の更迭は大会準備を大混乱させた。賈慶林の狙いは明らかに「将〔胡錦濤〕を射んとすれば、馬〔令計画〕を射よ」を地で行くものであり、江沢民派は初戦に成功した。
 8月上旬から中旬にかけて北戴河会議が開かれたが、令計画の後任には、習近平が栗戦書(1950年8月生まれ、貴州省書記)を抜擢して中共中央弁公庁主任とし、以後、栗が大会準備の事務局を務めた。党大会前夜にその事務局のカナメの人物が「射落とされる」のは、改革開放期30年来初めての珍事である。


 さて、北戴河会議では、常務委員を7名にしぼることを前提に、常務委員候補を9名までしぼった。この9名の絞り込みリストは発表されていないが、これまでの慣例からして現行政治局委員のうち常務委員昇格の可能性をもつ、兪正声、劉雲山、張徳江、汪洋、李源潮、王岐山、張高麗、劉延東のほか、「不明の新人」一人であろう。
 このころ、「兪正声昇格に反対の声が強い」といったウワサが故意に流され、同情を得た形で兪正声昇格が固まる。その煽りで、この国家副主席ポストに目されていた李源潮がまず外されてしまう。かなり手の込んだ情報操作、謀略と見てよい。ここで胡錦濤は李源潮(中央組織部長)を失う。
 9月初めから権力闘争はいよいよ激化し、人事調整工作は壁にぶつかる。1カ月半後の10月中旬になって、ようやく「差額選挙による結着」案に落ち着き、10月22日午前、政治局会議が開かれた。
 会議前に「現任政治局委員24名」と「引退した元常務委員11名」(牛泪は書いていないが、07年に辞めた曽慶紅、呉官正、羅幹、02年に辞めた李鵬、朱鎔基、李瑞環、尉建行、李嵐清、97年に辞めた喬石、92年に辞めた胡啓立、そして万里などか)、計35名の投票により、習近平、李克強を含めて7名の顔触れが揃った。このリストに汪洋の名はなかった。江沢民派による多数派工作の結果だ。ここで胡錦濤は汪洋を失う(牛泪「十八大常委六度変局」多維新聞2012年11月14日)。
 この手続きを経て、常務委員7名がようやく内定した。
 顔触れを見て驚かされるのは、共青団出身者が李克強ただ一人にすぎず、下馬評の高かった李源潮と汪洋がともに外されたことだ。江沢民直系の人々、たとえば張徳江、劉雲山、張高麗のほか、元祖太子党ともいうべき兪正声(父親黄敬は、後に毛沢東夫人となった江青の最初の夫)が加わる。江沢民は、「7名にしぼる」という胡錦濤提案を逆手にとり、「李源潮・汪洋を外す」寝業に成功した形だ。少数精鋭を意図した胡錦濤の思惑の失敗は明らかだ。もし9人枠を堅持したならば、李源潮と汪洋を加えることができた可能性が強い。かつて江沢民がポストを2つ増やして自派を優勢に導いたのとは、まるで逆のポスト争奪戦となった。
 顧みると胡錦濤時代は、2期10年のうち1期目は、常務委員9名のうち江沢民派5対胡錦濤派4で少数、2期目は江沢民派6対胡錦濤派3(温家宝と李克強)の構図でやはり少数派にとどめられた。胡錦濤はいわば雇われマダムのような地位に置かれた。江沢民=西太后にいびられる光緒帝=胡錦濤のイメージは、的確な比喩なのだ。その結果「和諧社会」作りというスローガンは、政策としては何も実現できず、政治改革停滞の下で、権力の腐敗は深まり、社会矛盾は激化した。


表2


 次に政治局レベルの人事(表2)を一瞥しておきたい。
 定数18名について出身母体を見ると、省市レベル書記は、6名である。4直轄市のほか、広東省と新疆自治区の書記が選ばれ、全体の33%を占める。中共中央各部と国務院からは、それぞれ4名ずつ計8名であり、全体の44%を占める。残りの23%を軍1割強と全人代・政協1割強で分ける構造だ。政治局委員の顔触れで注目されるのは、孫政才(重慶市書記)と胡春華(広東省委書記)である。平均60歳前後で選ばれる委員と比べて、この二人は49歳であり、他のメンバーよりも10歳若い。これはポスト習近平時代のリーダーとして選抜されている。したがって仮に現行の政治制度が維持されるとすれば、2017年の党大会では、二人揃って常務委員に昇格する可能性が強い。これは5年前に習近平と李克強が昇格したケースと同じだ。
 軍代表のポスト二つも変わらない。軍事委副主席のポストは、国務院ならば副総理と同格、国防部長は、普通の国務院各部長と同格に位置づけられている。


表3


 新軍事委員会のメンバーは表3の通りである。胡錦涛の完全引退は、引き際のいさぎよさとしては好感がもてる。
 胡錦涛の政治報告を読んで見よう。12項目からなる。
1.中国の特色ある社会主義の道や2.「小康社会」の建設と改革開放の深化、3.社会主義市場経済体制の整備と経済発展方式の転換など、大部分の項目はこれまでと基本的に変わらない。
 あえて違いを見ようとすれば、民生改善が強調され、エコ文明づくつりの脈絡で「海洋資源の開発能力を高め、海洋権益を守り、海洋強国を築く」と明記した点であろう。「新たな時期の積極的防御の軍事戦略方針を貫くために、海洋・宇宙・ネット空間の安全保障を重視すべきだ」としたことも注目しておく必要があろう。
以上 

               
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