第76号 2013.09.24発行 by 矢吹 晋
    ニクソン訪中計画こそが尖閣の運命を変えた
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米国は1971年に「沖縄の残存主権」から尖閣を外して、中華民国等の領有請求権を認めることを上院で確認した。尖閣衝突は沖縄返還に始まることを知らない立論はすべて崩壊を免れない


1 国際司法裁判所 (ICJ)提訴問題について
 日本政府は2012年8月17日、竹島問題について国際司法裁判所に提訴する方針を表明した。しかしながら、韓国が事件についての「管轄を受諾する宣言」(強制管轄受諾宣言)をするか、あるいは日本側の提訴に対して「応訴」しないかぎり、裁判は始まらないルールである。竹島について韓国はこれを拒否すると明言した。
 尖閣問題はどうか。日本が仮に提訴したとしても、中国は韓国と同じく、「受諾」も「応訴」もしないであろう。竹島の場合、日本が韓国の外交権を事実上奪い併合の直前に領土編入を行った経緯がある。尖閣諸島は、下関条約の数カ月前に領土編入を行った。竹島と尖閣とは、いずれが実効支配を行っているかの違いがある。ほかにも違いがないわけではないが、日本帝国主義の台湾割譲、それに続く朝鮮半島支配という文脈では、共通性が見られる。「無主地(terra nullius)先占(occupatio)」という法理は、国際法の原則とされており、これこそが領土問題を規定する鉄則であるかのごとく強調する向きが少なくないので、この法理の性格を考えてみよう。
1-1.先占(occupatio)の法理とは何か
 近世の「国際法において先占」(occupatio)の法理がもち出され、承認されていった背景として、いわゆる新大陸、新航路の「発見」にともない展開された、植民地の獲得、国際通商の独占をめざした、激しい国家間の闘争があげられる。国家間の行動を共通に規律することを目指す国際法の背景には、他国に対して自国の行動を正当づけるといった動機が、多くの場合背景になっていたことは、周知の通りであろう。では、「無主地」とはなにか。無主地(無人の土地)について、国際法の「無主地」は「無人の土地」だけにかぎるのではない。すでに「人が住んでいても、その土地がどの国にも属していなければ無主の土地」とされる。ちなみに、ヨーロッパ諸国によって「先占される前のアフリカ」はその一例だ。そこには「未開のネイティブ」が住んでいたが、彼らは「国際法上の国家」を構成していなかったゆえに、その土地は「無主の土地」と解されてきた。19世紀になると、「先占」は土地を現実に占有し支配しなければならないと主張され、しだいに諸国の慣行となり、19世紀後半には、国際法における「先占」は実効的でなければならないことが確立したとされる。国際法における「先占」の概念とは、以上の経緯からして帝国主義勢力、すなわち列強の支配の論理であることは容易に察せられる。とするならば、このような論理が旧植民地にとって受け入れにくいものであることは明らかではないか。尖閣諸島についていえば、日本はこれを「無主地」とみなして「先占」を閣議決定し、かつ「国際法によって」認められてきたとしているが、これは事実上は、「列強によって」認められただけではないのか。旧植民地国として治外法権を余儀なくされてきた中国側の事情を考慮するならば、「無主地先占」をどこまで主張できるか疑問とせざるをえない。
1-2.禁反言(英語:estoppel エストッペル)の法理とは何か
 「禁反言」(エストッペル)という法律用語は、一方の言動により、他方がその事実を信用し、それを前提として行動した場合に、それと矛盾した事実を主張することを禁ぜられる、という法理である。「禁反言」や「エストッペル」といえばいかめしいが、事実の積み重ねのうえに約束ごとが成り立つとする信義則としては、古今の智慧とみてよい。ここで想起したいのは、周恩来が田中角栄に強調した「言必信、行有果」の6文字であろう。そして田中がこれに答えて墨書した「信は万事の元」のやりとりは、信頼に基づく約束とその履行を確認し合ったものだ。ここで「信」がキーワードだ。さて、上の文における「一方」を日本に、「他方」を中国と置き替えて見よう。上の文はこう変わる。「日本」の領有宣言が行われ、中国がそれを前提として行動した場合には、[事後に]尖閣が無主地ではないとか、自国のものだとか主張することを禁ぜられる、という解釈になる。では、この置き替え文のどこがおかしいのか。
 一つは、日本が尖閣を「無主地と断定した」こと、もう一つは、その時点で「清朝が抗議をしなかった、抗議なし」と断定すること、この両者である。前者を否定する根拠としては、井上馨や山県有朋の書簡があげられよう。明らかに彼らは清朝による抗議を予想して慎重に行動していた。後者についていえば、日清戦争の敗色が明確になり、台湾割譲が想定され実行される前夜に、誰が無人の尖閣諸島を議論するだろうか。これは常識に属する話だ。要するに日本は、下関条約の数カ月前に「無主地先占」を閣議で決定したと主張する。これに対して中国は、日本による尖閣への実効支配は「台湾割譲の一環」であるから、カイロ宣言に基づいて返還されるべきだ、と主張する。このように見てくると、「無主地先占」の法理も、「禁反言」の法理も、これを絶対化できるような万能の原則ではなく、結局は関係「当事国の平和的な協議」以外に道はないことが明らかになる。国際司法裁判所提訴よりは、国連憲章第2条4項(紛争の平和的解決)の精神に照らして、歴史的経過に真摯に向き合い、正確な史実を踏まえて、道理に基づく交渉によって解決するほかに道はないという常識に落ち着く。
1-3決定的期日(critical date)について
 領土紛争が発生した時点を、どこで捉えるのか。国際法では、これを決定的期日(critical date)」と呼ぶ。そして「決定的期日以前の事実や国家行為」のみに、証拠能力を認める。となると、決定的期日の認定方法が大きな争点になる。北京や台北からすれば、日本政府が尖閣の領有を閣議決定した1895年1月が当然、そのcritical dateになり、無主地先占の有効性を争う。しかし、日本政府の立場からすれば、中華民国政府が外交部声明で尖閣の領有を初めて指摘したのは、1971年6月である。中華人民共和国外交部声明は1971年12月である。したがって、日本政府からすれば、1971年6~12月がcritical dateになり、ここから領有権の紛争が始まったと認められる。
 日本政府からすれば、1895年の閣議決定以来、今日まで百数十年にわたって実効支配を続けてきた。日本の領有権は疑いないという主張になる。だが、中華民国政府や中華人民共和国政府の立場からすれば、1945年の日本敗戦から1971年の沖縄返還までは、米軍(連合国軍)が施政権を行使してきた。ここで中華民国は連合国の一員であることはいうまでもない。したがって、日本の実効支配は、1945~1971年の間、中断していたことになる。日本が現在、実効支配を行っている事実のもつ意味は重いが、そこに中断があり、しかもそこに連合国の一員としての中華民国が関わるので、もつれた糸を解くのは難しい。

2.小川和久氏の錯覚について-(1)
 小川和久氏は、「公研セミナー・日本の安全保障と日米同盟」(『公研』2013年9月号)において、次のように述べている1。「(a)国際法的に言うと、中国は1953年の段階で、尖閣諸島の領有権を放棄したと見なされるような外交的行動をとっている。公式の場でそこを突かれると、彼らは猛然と反論しますが、よく知っている中国人に言うと黙ってしまう。具体的にどういうことかと言うと、昭和28(1953)年の1月8日付の『人民日報』に報道されています。中国政府は、アメリカ政府に対して、「琉球群島人民の自決権を要求する」という行動をとっているのです。「琉球群島人民の反独占闘争は、日本人民の反独占闘争と一体である」として、琉球群島の範囲がどこからどこまでかを定義しています。そこで最初に出てくるのが「尖閣諸島」です。「釣魚島」とは書いてない。それから「琉球群島」「奄美群島」、そして「大隅諸島」――。これは日本領だと認めていることにほかならない。それをきちんと詰めて、国際司法裁判所に持って行けという話です」「(b)かつては中国側が国際司法裁判所と言っていて、日本は逃げていた。ところがこの3月、『読売新聞』のフォーラムで、谷内さん[元外務次官]が「尖閣については、国際法的に見て日本は100%勝てる。国際司法裁判所に行くべきだ」と言っています」。


 小川が得意気に指摘したのは、外務省資料「我が国の立場とその根拠」に挙げられているものだ。曰く「中国の発刊物にも、中国が尖閣諸島を日本領と認識していたことを裏付ける記述がある」「1953年1月8日付『人民日報』記事には」「琉球諸島」は、(中略)尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、トカラ諸島、大隅諸島の7組の島嶼からなる」という記述があり、中国が尖閣諸島を琉球諸島の一部と認識していたことが分かる」。
 中国共産党の機関紙『人民日報』が「資料」として、上記の記事を掲げたことは事実である。これは米国が1945年6月琉球群島を占領して以後、軍事基地を建設したこと、それは朝鮮戦争が始まる前であること、琉球の3分の1に相当する土地を基地としたこと、などをUS News and World Report, June 22, 1951等の資料に基づいて記述し、さらに沖縄駐在の米国官員が「沖縄を太平洋のジブラルタルにするため、4.8億ドルを費やして建設する」と述べたことなどを紹介した解説記事である。後半には次の一句が見える。「1952年以来米侵略者はカイロ宣言、ポツダム宣言等の国際協議で規定された琉球群島を信託管理するという決定を無視して、ソ連政府と中華人民共和国政府の再三の声明を顧みず、百万琉球人民の断固たる反対を顧みず、日本吉田政府と結託して片面的対日講和を行い、こう規定した。すなわち「日本は米国が国連の提起した北緯29度以南の琉球群島を国連の信託統治の下におき、米国を唯一の管理当局とするいかなる提案にも同意する」「米国はこれらの島嶼と領土およびその居民(領水を含む)に一切の行政、立法、司法の権力を有する」とした。「米国はこの卑劣な手段で無期限に琉球群島を占領する侵略行為に合法の衣装をまとい、52年4月1日に比嘉秀平を頭とする琉球傀儡政府」を樹立した」――
 この『人民日報』資料は、要するに中国共産党の「時事解説」にすぎない。この記事から分かるように、中華人民共和国は日中戦争の当事者であるにもかかわらず、サンフランシスコ講和会議から排除された。すなわち日中間は、1953年当時、実際の戦闘こそすでに終わっているが、国際法的には、交戦国同士である。また米国もまた第二次大戦の戦勝国だが、中華人民共和国と国交正常化を行ったのは1979年であり、この記事の26年後である。当時の時点で、中華人民共和国は「日本とも米国とも国交がなく」「国連の代表権も台湾の中華民国が行使」していた。国際的に認知されていない中華人民共和国側の発言、それも単なる時事解説をもって、正常な国家間関係にある国の発言と認めることができるであろうか。国際法にいう「禁反言=エストッペル」条項を適用できるかどうか。中華人民共和国の正統性を認めなかった過去を忘れて(政府を無視しつつ)、その断片的発言だけをあげつらうのは、妥当ではないことは明らかではないか。この例をしたり顔に強調する大方の論者は、国際法と戦後の日中関係に対する無知を示すものと私には思われる。

2.小川和久氏の錯覚について-(2)
 小川の後半の指摘「この3月、『読売新聞』のフォーラムで、谷内[元外務次官]さんが「尖閣については、国際法的に見て日本は100%勝てる。国際司法裁判所に行くべきだ」とするコメントはどうか。国際司法裁判所が裁いた4つの領土紛争判例を一瞥してみよう。資料は「米CRS 海洋領域報告書付録( Dave Ackerman, American Law Division執筆, September 2001.)である。これら4つの判例に尖閣に類似するものがあるだろうか。比定できるような類似のケースは見当たらない。尖閣は、➊無主地先占を閣議で決定したが、対外的宣言等は一切行っていない。しかも時期は日清戦争勝利の帰趨が見えた時期である。❷日本は、第二次大戦において連合国に敗北したが、日本の戦後処理を決定した1943~45年における中華民国を含む連合国の戦後処理構想はいかなるものであったか、その間の事情も単純ではない。❸1971年6月の日米沖縄返還協定において、沖縄は日本に返還されたが、これは施政権の返還にすぎないことを米国は繰り返し、指摘して今日に至っている。米国はなぜこれを強調するのか。それは中華民国との約束に基づく。すなわち尖閣諸島についてのfinal statusは決定していないと米国は認識している。米国はこの立場を中華民国と約束すると共に、国務省スポークスマンの声明をもって世界に公言している。これらの事実を鑑みると、「国際法的に見て日本は100%勝てる」とする発言は、何の裏付けもない希望的観測であることが知られる。

 次の表は、米国のまとめた国際司法裁判所の典型的判例集だ。(1)パルマス島紛争は、米国とオランダが争い、1928年オランダに帰属すると判定された。この島は、フィリピンミンダナオ島沖にある。(2)クリパートン島紛争は、フランスとメキシコが争い、1931年フランスに帰属するとされた。太平洋のメキシコ沖に浮かぶ絶海の孤島で無人島クリッパートン島の領有権をめぐるメキシコ・フランス間の紛争で、フランスの帰属と判定された。無人島の「先占と実効支配」が領有権確定の基準とされたことで知られる。(3)マンキエ・エクレオ諸島紛争は、英国とフランスが争い、1951年英に帰属すると判定された。マンキエおよびエクレオは、英国領チャンネル諸島の1つジャージー島とフランス本土の間にある小島群で、19世紀の末以来、英仏間でその帰属が争われたものである。(4)エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア国境紛争は、1992年に国境線画定の判決が出て、2006年に画定作業が終わった。両国の対立は69年7月、サッカーのワールドカップ(W杯)予選でホンジュラスが負けたことがきっかけで武力衝突(「サッカー戦争」と呼ばれた)に発展し、約5000人が死亡した。92年に国際司法裁判所が新たな国境線を提示し、両国が受け入れたものだ。
 これら4例のうち、前3者が「島嶼の帰属」に関わるものだ。それぞれ米・蘭、仏・メキ、英・仏間の争いだが、性質はいずれも尖閣諸島ほどに複雑ではない。しいていえば、(3)マンキエ・エクレオ諸島紛争は歴史が長いが、先発の英国が勝ち、後発のフランスが敗れた。
 これらと比べて尖閣の複雑性とはなにか。それは日本の「無主地先占」閣議決定が下関条約の数カ月前であること、間に日中戦争における日本の敗北(1945~1971年)を挟み、現実の紛争の発生が沖縄返還を契機とすることだ。日本の尖閣領有は二つの日中戦争と深い関わりをもつがゆえに、「無主地先占」論だけでは、済まないのだ。この歴史を忘れて、「無主地先占」の観念を説き、「禁反言」を説き、「決定的日付」を論じても、ほとんど説得力を持たないのである。
紛争名称 争った国 国際司法裁判所判決
(1)パルマス島紛争Island of Palmas Case 米国とオランダが争い、1928年オランダに帰属。 Report of International Arbitral Awards, vol.2, 1948, pp.829-871
パルマス島事件とは、フィリピンミンダナオ島のサン・オーガスチン岬と、オランダ領東インド(当時)の北にあるナヌーサ群島の中間にある孤島パルマス島(別名ミアンガス島)の領有権を巡って、アメリカとオランダが1906年から争った領土紛争である。1928年に常設仲裁裁判所でオランダの領土であるとする判決を下した。この判決はアメリカが主張する「隣接性に基づく権原」を否定し、オランダによる主権の行使は平和的なものであったと認めた。
(2)クリパートン島紛争Clipperton Island Case フランスとメキシコが争い、1931年フランスに帰属。 イタリア国王による判決は1931128日に下され、フランスの帰属とされた。
クリッパートン島紛争とは、太平洋のメキシコ沖に浮かぶ絶海の孤島で無人島クリッパートン島の領有権をめぐるメキシコ・フランス間の紛争で、フランスの帰属と判定された。無人島の「先占と実効支配」が領有権確定の基準とされた。メキシコはローマ法王アレクサンデル6世の勅書によりスペインに帰属したのち1836年以降はメキシコが継承したと主張した。フランスは1858年に領有する意思を明確に示し、布告・通告・公布・新聞による公表で領有は成立しているとされ、「先住民が存在しない無主地を先占した」ものと認められた。
(3)マンキエ・エクレオ諸島紛争 英国とフランスが争い、1951年英に帰属。 Report of Judgments, Advisory Opinions and Orders.1953, pp.47-109
マンキエおよびエクレオは、英国領チャンネル諸島の1つジャージー島とフランス本土の間にある小島群で、19世紀の末以来、英仏間でその帰属が争われた。両国は1951年12月5日、国際司法裁判所に訴えを提起したが、裁判所は英国の実効的占有による権原の主張を認め、マンキエ・エクレオに対する主権が英国に帰属する旨の判決を下した(全員一致)。エクレオは13世紀初めイギリス王保有の封土であるチャンネル諸島の構成部分として扱われ、14世紀初めには英王が裁判権、課税権を行使し、19世紀初めから、カキ漁業の重要性が増すにつれて、エクレオとジャージーとの関係が緊密になった。フランスは、1886年に主権を主張するまで、有効な権原を保持した証拠を提出していない。これらの事実からして裁判所は、エクレオに対する主権が英国に帰属すると結論した。マンキエは17世紀初めジャージーにおける封土ノワールモンの一部として扱われ、裁判権が行使されてきた。フランスが主権を主張したのは、1888年になってからであり、マンキエに対する主権は英国に帰属すると判定された。
(4)エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア国境紛争 エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグアの国境紛争は1992年に国境線画定の判決が出たが、2006年に画定作業が終わった。 1992年9月11日
中米エルサルバドルの大統領と隣国ホンジュラスの大統領が2006年4月18日、両国の国境地帯の町で全長375キロにおよぶ国境線画定に関する文書に署名した。これにより1969年に「サッカー戦争」と呼ばれる衝突にまで発展した国境紛争が終った。両国の対立は69年7月、サッカーのワールドカップ(W杯)予選でホンジュラスが負けたことがきっかけで武力衝突(「サッカー戦争」と呼ばれた)に発展し、約5000人が死亡したとされる。92年に国際司法裁判所が新たな国境線を提示し、両国とも受け入れを表明したが、実際の画定作業は遅れ、06年に調印した。


尖閣の日本領有をめぐる主な論点
・1895(明治28)年に日本の領土に編入されるまで、同諸島は無主の地であったのか、それとも中国の領土であったのか。明治政府の当局者たちが、この問題の扱いにおいてきわめて慎重であったことは、さまざまの公文書の示す通りである(たとえば村田忠禧『日中領土問題の起源—公文書が語る不都合な真実』花伝社、2013年)。「中国の領土」と断定しにくいとしても、「無主の地」と断定できるかは、疑問が残る。
・閣議決定による日本の領土編入は有効に行なわれたのか。「先占」とは、いずれの国家領域にも属していない地域を、領有意思をもって実効的に占有することをいう。領有の意思は通常、当該地域を自国領土に編入することの宣言や、他国への通告によって表示される。明治政府は閣議決定を行ったのみであり、「宣言」も、「他国への通告」(たとえば清朝政府)も行っていない。
・領土編入以降、日本は同諸島に対して継続的かつ平穏に主権を行使しているか。ここで「継続的かつ平穏な主権の行使の有無」は、領土の帰属をめぐる過去の国際裁判においても、重視されていることに着目したい。尖閣の場合、1945-1971の中断をどう見るか、が重要な論点となろう。この間、沖縄においては米軍が施政権を行使していたことは周知の通りである。この米軍支配下においても、米軍から地主への賃借料は支払われた事実があるが、これらの支払い行為をもって、日本国が尖閣への実効支配を継続していたといえるのか、これはきわめて大きな問題であろう。
この点で注目を要するのは、1971年6月17日に日米間で沖縄返還協定が調印された前後の二つの中華民国外交部声明である。

➊中華民国政府外交部声明(1971年6月11日)
[解説]原タイトルは「中華民國外交部關於琉球群島與釣魚台列嶼問題的聲明」。これは返還協定が調印された6月17日の1週間前に調印に抗議して発表されたものである。訳文は日本外務省暫定訳をもとに一部修正した。出所は外務省ホームページ。
中華民国政府は近年来、琉球群島の地位問題に対し、深い関心を寄せ、一再ならずこの問題についての意見およびアジア太平洋地域の安全確保問題に対する憂慮を表明しつつ、関係各国政府の注意を促してきた。この度、米国政府と日本政府がまもなく琉球群島移管の正式文書に署名し、そこに中華民国が領土主権を有する魚釣台列嶼が含まれていることを知り、中華民国政府はこれに対する立場を再び全世界に宣明する。
(1)琉球群島に関して――中、米、英など主要同盟国は1943年に共同でカイロ宣言を発表し、さらに1945年発表されたポツダム宣言にはカイロ宣言条項を実施すべきことが規定され日本の主権は本州、北海道、九州、四国および主要同盟国が決定した他の小島だけに限られるべしと定めている。したがって琉球群島の未来の地位は、明らかに主要同盟国によって決定されるべきである。1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ対日平和条約は、上述宣言の要旨に基づくものであり、同条約第3条の内容によって、琉球の法律地位およびその将来の処理についてはすでに明確に規定されている。琉球の最終的処置に対する中華民国の一貫した立場は、関係同盟国がカイロ宣言およびポツダム宣言に基づいて協議決定すべしとする決議に依拠する。この立場を米国政府は由来熟知している。中華民国は対日交戦の主要同盟国の一国であり、当然この協議に参加すべきである。しかるに米国はいまだにこの問題について協議せず、性急に琉球を日本に返還すると決定したことに、中華民国はきわめて不満である[矢吹注、これは中華民国が「琉球への主権」を主張したものではなく、「琉球の最終的処置の決定」に際しては、中華民国が協議に参加すべきこと、中華民国を除外した協議手続きに反対を主張したものである]
(2)魚釣台列嶼に関して――中華民国政府は米国の魚釣台列嶼を琉球群島と一括して移管する声明に対し、特に驚きを感ずる。同列嶼は台湾省に付属し、中華民国領土の一部分を構成しており、地理位置、地質構造、歴史連携ならびに台湾省住民の長期にわたる継続的使用の理由に基づき、すでに中華民国と密接につながっており、中華民国政府は領土保全の神聖な義務に基づき、いかなる状況下にあっても、微小な領土であれその主権を絶対に放棄することはできない。それ故、中華民国政府はこれまで絶え間なく米国政府および日本政府に通告し、同列嶼は歴史上、地理上、使用上および法理上の理由に基づき、中華民国の領土であることは疑う余地がないので、米国が管理を終結する暁には、中華民国に返還すべきであると指摘してきた。[矢吹注、これらの論点は駐米大使館を通して国務省に提出された口上書の論点と同一である]。いま、米国は直接同列嶼の行政権を琉球群島と一括して日本に引渡そうとしている。中華民国政府はこれを絶対に受け入れない。またこの米日間の移管は、絶対に中華民国の同列嶼に対する主権主張に影響するのではないと認識し、強硬に反対する。中華民国政府は従来通り、関係各国が同列嶼に対するわが国の主権を尊重し、直ちに合理、合法の措置をとること、アジア太平洋に重大結果を導くのを避けるべきである、と切望する。

❷中華民国(台湾)政府外交部声明(1972年5月9日)
[解説]原タイトルは「中華民國政府外交部聲明」。これは返還協定に基づき、返還が施行される5月15日の直前に返還に抗議して発表されたものである。著者が訳出した。
中華民國政府は琉球群島の地位問題に対して、一貫して深い関心を抱き、これまでこの問題に対する立場を明らかにしてきた。ここに米国政府が民国61年(1972年)5月15日に琉球群島を日本に引き渡すに際して、中華民國が領土主權をもつ釣魚臺列嶼もその範囲に含まれることについて、中華民國政府は特に再度その立場を鄭重に世界に告げる。琉球群島に対して、中華民國政府が一貫して主張してきたのは、中華民國を含む第二次大戰期の主要同盟國が、カイロ宣言およびポツダム宣言が揭げた原則に基づき、共同して協議し處理することである。米國は遵守すべき協商手続きを無視して、一方的に琉球を日本に引き渡そうとしているが、中華民國政府はこれに遺憾の意を表明する。釣魚臺列嶼が中華民國領土の一部分であることは、地理的位置、地質構造、歷史的淵源、長期に繼續使用してきた事実および法理の各方面の理由からして、この領土主權主張は、疑いを容れないものである[矢吹注、これらの論点は駐米大使館を通して国務省に提出された口上書の論点と同一である]。いま米國が当該列嶼の行政權を琉球とともに日本に引き渡そう(原文=交還)としていることに、中華民國政府は断固として反對する。中華民國政府は領土保全を擁護する神聖な職責を遂行するものであり、いかなる状況においても、釣魚臺列嶼の領土主權を放棄することは断じてありえない。

[補足1]施政権の返還は領有権の返還に非ず[米国の豹変]
 日米の間で尖閣諸島についての合意がなされたのは沖縄返還協定の調印時であることが分かる。その経緯をより詳しく見ておこう。The Okinawa Reversion Treaty, which was signed on June 17, 1971, and entered into force on May 15, 1972, provided for the return to Japan of “all and any powers of administration, legislation and jurisdiction” over the Ryukyu and Daito islands, which the United States had held under the Japan Peace Treaty. (沖縄返還協定は1971年6月17日に調印され、5月15日に発効した。これは米国がサンフランシスコ平和条約に基づいて保有した琉球と大東諸島に対する、すべての施政権、立法権、司法権を日本に返還した)。Article I of the Okinawa Reversion Treaty defines the term “the Ryukyu Islands and the Daito Islands” as “all territories with their territorial waters with respect to which the right to exercise all and any powers of administration, legislation and jurisdiction was accorded to the United States of America under Article 3 of the Treaty of Peace with Japan....”(返還協定第一条は、サンフランシスコ平和条約第三条の規定と同じく、琉球と大東諸島の領域、水域に対するすべての施政権、立法権、司法権と規定している)。An Agreed Minute to the Okinawa Reversion Treaty defines the boundaries of the Ryukyu Islands and the Daito islands “as designated under” USCAR 27. (返還協定の合意文書には、琉球と大東諸島の範囲を布告第27号(USCAR 27)において指定されたものとしている)。Moreover, the latitude and longitude boundaries set forth in the Agreed Minute appear to include the Senkakus (Diaoyu/Diaoyutai). (さらに合意文書で指定された緯度と経度には、尖閣=釣魚島が含まれているように見える)。[矢吹注。appear to include the Senkakus と書かれている。「含まれるように見える」、思われる、という言い方だ。ここでも尖閣の名は特定されていない]。A letter of October 20, 1971, by Robert Starr, Acting Assistant Legal Adviser for East Asian and Pacific Affairs—acting on the instructions of Secretary of State William Rogers—states that the Okinawa Reversion Treaty contained “the terms and conditions for the reversion of the Ryukyu Islands, including the Senkakus.”(国務長官ウィリアム・ロジャースの代理、東アジア太平洋担当の法律顧問ロバート・スターの1971年10月20日書簡は、琉球返還の条件には尖閣諸島が含まれると述べられている)。[矢吹注。米国は琉球返還には尖閣諸島の施政権返還が含まれることを認めているが、施政権とは区別される「領有権は別だ」と、米国は次のように主張した]During Senate deliberations on whether to consent to the ratification of the Okinawa Reversion Treaty, the State Department asserted that the United States took a neutral position with regard to the competing claims of Japan, China, and Taiwan, despite the return of the islands to Japanese administration. (上院は沖縄返還協定の批准を考慮した際に、尖閣諸島を日本の施政権に返還するけれども、日本、中国、台湾の主権主張については、米国は中立の立場をとると国務省は主張した)。Department officials asserted that reversion of administrative rights to Japan did not prejudice any claims to the islands. When asked by the Chairman of the Senate Foreign Relations Committee how the Okinawa Reversion Treaty would affect the determination of sovereignty over the Senkakus (Diaoyu/Diaoyutai), Secretary of State William Rogers answered that “this treaty does not affect the legal status of those islands at all.”(国務省官員は日本への施政権返還は、(中華民国の)尖閣へのいかなる権利主張をも損なわないと主張した。「沖縄返還協定」は「尖閣=釣魚島に対する主権の決定」に影響ありやと上院外交委員長から問われて、ロジャース国務長官は、この返還協定は「尖閣諸島に対する法的地位にまったく影響しない」(this treaty does not affect the legal status of those islands at all.)と答弁した)。
以下は法律顧問ロバート・スターの書面陳述である。In his letter of October 20, 1971, Acting Assistant Legal Adviser Robert Starr stated: The Governments of the Republic of China and Japan are in disagreement as to sovereignty over the Senkaku Islands. You should know as well that the People’s Republic of China has also claimed sovereignty over the islands. (1971年10月20日付書簡で、ロバート・スター法律顧問代理は、中華民国と日本が尖閣諸島の主権を争っていることを指摘しつつ、中華人民共和国もまた尖閣諸島の主権を主張していることを知るべきだ、と指摘した)。The United States believes that a return of administrative rights over those islands to Japan, from which the rights were received, can in no way prejudice any underlying claims(of the Republic of China). The United States cannot add to the legal rights Japan possessed before it transferred administration of the islands to us, nor can the United States, by giving back what it received, diminish the rights of other claimants. The United States has made no claim to the Senkaku Islands and considers that any conflicting claims to the islands are a matter for resolution by the parties concerned.(尖閣諸島の施政権は日本に返還されるが、日本が受け取る権利は、尖閣諸島に対するいかなる潜在主権をも損なうものではない。米国は日本から引き渡された施政権をそのまま返還するのであり、返還によって権利が増えることも減じることもない。米国は尖閣諸島に対して、いかなる権利をも主張しない。尖閣諸島に対する主権の争いは、関係当事者が解決すべき事柄だ)。Successive U.S. administrations have restated this position of neutrality regarding the claims, particularly during periods when tensions over the islands have flared, as in 1996, 2010, and 2012.(1996年、2010年、2012年と相次いで、尖閣諸島の緊張の火が燃え上がったが、米国は尖閣諸島の主権について中立の立場を再三繰り返してきた)。

[補足2]ニクソン政権の豹変についてのウィキペディアの解説
The Nixon Administration removed the Senkakus from its inclusion in the concept of Japanese "residual sovereignty"[ニクソンは日本の残存主権から尖閣を除いた] in presenting the Okinawa Reversion Treaty to the U.S. Senate for ratification. On October 20, 1971, Secretary of State William Rogers sent a letter to U.S Congress. In his letter, Acting Assistant Legal Adviser Robert Starr stated "The United States believes that a return of administrative rights over those islands to Japan, from which the rights were received, can in no way prejudice any underlying claims.[ここでは中華民国の要求] The United States cannot add to the legal rights Japan possessed before it transferred administration of the islands to us, nor can the United States, by giving back what it received, diminish the rights of other claimants... [中華民国を指す]The United States has made no claim to the Senkaku Islands and considers that any conflicting claims to the islands are a matter for resolution by the parties concerned."
[79 http://fpc.state.gov/documents/organization/198821.pdf] ウィキペディアの解説は、ニクソン訪中を意識した豹変と解説している。しかしながら当時は、中華民国との繊維交渉および安全保障問題が台北ワシントン間で語られていた。Several experts have attributed this Nixon Administration policy shift as having been influenced by White House overtures to China during 1971-1972, culminating in the Nixon visit to China.[76.Dumbaugh, Kerry; et al. (November 12, 2001). "China’s Maritime Territorial Claims: Implications for U.S. Interests". Congressional Research Service]
[補足3]ニクソンの決断と台北、日本への伝達
ニクソンの最終決定をケネディ特使が蔣経国に通告。同時に、ロジャースが愛知に通告した(134. Backchannel Message From the President’s Assistant for International Economic Affairs (Peterson) to Ambassador Kennedy, in Taipei)。On June 7 Kennedy told Chiang Ching-kuo of the decision on the Senkaku Islands.Chiang asked that the U.S. Government categorically state at the time of the signing of the Okinawa reversion agreement that the final status of the islands had not been determined and should be settled by all parties involved. (Backchannel message from Kennedy to Peterson, June 9; ibid., White House Special Files, Staff Member and Office Files, Peter Peterson, Box 1, 1971, Textile Negotiations (cables)) In a June 10 memorandum to Kissinger, Johnson noted that Rogers had raised this issue with Japanese Foreign Minister Aichi at their meeting in Paris on June 9. (Ibid., RG 59, U. Alexis Johnson Files: Lot 96 D 695, Kissinger, Henry, 1971) On June 12 Peterson informed Kennedy, who was in Seoul, that Rogers had approached Aichi, “strongly urging GOJ to discuss issue with GRC prior to signature of Okinawa Agreement on June 17.” He also noted that a Department of State spokesman would announce on June 17 that a return of “administrative rights” to Japan of the Senkaku Islands “can in no way prejudice the underlying claims of the Republic of China.” (Ibid., Nixon Presidential Materials, White House Special Files, Staff Member and Office Files, Peter Peterson, Box 1, 1971, Textile Negotiations (cables)) On June 15 Peterson cabled Kennedy, in Seoul, stating that Aichi had met with the ROC Ambassador in Tokyo to discuss the Senkaku issue. (Ibid.) On July 12 Chiang Ching-kuo complained to McConaughy that “the Japanese so far have refused to talk in any meaningful way on the subject.” (Telegram 3388 from Taipei, July 12; ibid., RG 59,Central Files 1970–73, POL CHINAT) The President deeply appreciates what you are doing.77 An exchange of notes between Rogers and Ambassador Shen on June 29 extended and amended the October 12, 1967, agreement on trade in cotton textiles. See TIAS 6361 (the 1967 agreement), TIAS 7011 (an exchange of notes for an interim agreement signed in late December 1970), and TIAS 7135 (the June 1971 notes). The agreement was further extended and amended in August 1971 (TIAS 7177). A new agreement was reached in December 1971 (TIAS 7249, corrected in TIAS 7469). The United States and the Republic of China were also parties to a multilateral accord on trade in wool and man-made fiber textile products in December 1971 (TIAS 7493 and 7498).

[補足4]
中華民国の強い主張に鑑みて、尖閣の「米軍預かり」(日本返還なし)を提案したケネディ繊維特使の議論
Ambassador Kennedy's argument on the Senkaku follows: “This is a major issue in Taiwan with both domestic and international implications. If the U.S. were to maintain administrative control, it would give the GRC a tremendous public boost since they have expressed themselves so forcefully on the issues. Further, it would be a very direct indication of our continued interest in and support for the GRC—and it would be done at Japan's expense, a point that is vital to our ability to proceed effectively with textile negotiations in Hong Kong and Korea and subsequently in Japan. Announcement of such a decision allows the GRC to save face both at home (it takes the Vice Premier off the hook) and abroad. Taiwan could accept the current textile package in face of Hong Kong and Korean pressure.“In addition, such an act would, in my opinion, provide a very badly needed shock effect on the Japanese. It would indicate that U.S. acquiescence in all matters requested by the Japanese could no longer be taken for granted.“I can fully appreciate the opposition which such a proposal will generate in certain quarters of our government. But I feel that this can and must be done. We accepted stewardship of these Islands after World War II. Neither historically nor geographically are they a part of the Ryukyus Chain containing Okinawa. Consequently, the GRC suffers a great loss of face if we allow Japan to gain administrative control of them. Since possession of the Islands is still in dispute, there is every reason for the United States to maintain administrative control until such time as the dispute is settled. Taiwan feels very strongly that once Japan had administrative control there is absolutely no possibility of their ever relinquishing that control. By no means am I suggesting that we hand the islands over to Taiwan. Rather, I am strongly recommending the wisdom of preserving the status quo rather than allowing Japan to assume administrative control with the great loss of face this entails for Taiwan.“I know of no other action sufficiently important or sufficiently dramatic to resolve our textile problems specifically as well as to pave the way for resolution of several general international trade difficulties. The stakes involved are very high which I fully realize. I realize, too, that only the President can make such a decision. Therefore, I urge you in the strongest possible terms to present to him all the potential benefits and ramifications of my recommendations.”


:ここで一例として公研セミナーを取り上げるのは、このセミナーの出席者たちの社会的位相を考慮してのことである。一流企業の幹部職員が参加しており、決してレベルの低い人々の集まりではない。出席者はたとえば、東京電力、中部電力、東北電力、九州電力、中国電力、北海道電力、四国電力、電源開発、大和リース、JFEスチール、三菱重工業、日揮、三菱電機、ダイヘン、サンコーシャ、富士電機、扶桑電通、ビスキャス、日本工営、川北電気工業、鹿島建設、熊谷組、佐藤工業、五洋建設、大和小田急建設、フジクラエンジリアリング、日本エヌ・ユー・エス、高砂熱学工業、日立セメント、群馬電工、日本コンクリート工業、東京発電、日本電力調査委員会等である。
(2013年9月18日、矢吹晋)
以上 

               
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