第87号 2015.05.28発行 by 矢吹 晋
    腐敗の元凶は江沢民・曽慶紅にある <目次>へ
◆習近平「虎退治」の「助手としての李克強・王岐山」
 江沢民の「執政十年、院政十年」期に中国では、途方もない汚職が蔓延し、習近平は「虎もハエもたたく」汚職追放作戦に就任直後から取り組んだ。その皮切りに選ばれた教材が、なんとフランス革命前夜のエピソードであった。19世紀フランスの政治学者トクヴィルが『旧体制と大革命』という著書で、革命前夜のフランスを描いた一文を示す。
 「この政府がこれだけ侵略的であり専制的であったにもかかわらず、最も微小な犯行や軽微な批判でも極度な不安に陥ってしまう」
「人々の拝金的な欲望を刺激してはそれを挫折させ、恰も相反する二つの方向から自らの破滅を促している」。
 この本は習近平指導部のキーパーソンである李克強首相と汚職追放に取り組む紀律検査委員会書記王岐山が愛読し、周辺に薦めていると報じられた時、現代中国の独裁権力の腐敗ぶりは承知していたから、やはり「革命前夜のフランス」か、腐敗退治を怠るならば、中国の独裁政権が危ういとする警告と理解した。
 同時に、愛読書推薦の担い手がナンバー2の李克強とナンバー6の王岐山である事実に私は特に着目していた。それはマスコミでは、太子党と共青団との権力闘争が語られすぎて、「李克強首相の地位が王岐山によって奪われる」と見るような軽薄ウォッチャーの間違いを修正する動きと解したからだ。
 その後、2年余、現在に至るも、太子党が共青団を脅かす、李克強の地位を習近平が脅かす、王岐山が脅かすと見る誤解を繰り返す自称専門家が後を絶たない。習近平はあたかも「プチ毛沢東」のように権力を固め、独裁権力をもつに至ったが、それによって「李克強や王岐山の地位が弱くなった」のではない。
 習近平を支える「助手としての李克強や王岐山の地位」には何ら変化がない。この「党高政低」の構図は、毛沢東対周恩来、江沢民対朱鎔基、胡錦濤対温家宝、すべてに共通する「党務優先システム」にほかならない。ちなみに王岐山は党務として紀律検査委会書記を務め、政務として国務院監察部を指揮しているが、その任務は習近平の指揮のもとで、虎退治作戦を「実行する任務」であり、実践面で、監察部の行政機構を駆使して、摘発チームを派遣し、汚職調査を展開している。これは基本的に紀律検査委という党機構を通じて行う「政務」レベルへの橋渡し活動なのだ。

◆江沢民主席を支えた二人の軍副主席が「買官売官」で失脚した
 江沢民の指導体制は、1989の天安門事件を契機としてスタートしつつ、一切の政治改革を封印して市場経済への道を歩み、世界第二の経済大国になったことは誰もが知る。その裏面は「汚職と腐敗」の高度成長期でもあった。日本の列島改造期にも似た不動産開発ブームと証券市場の急速な発展が不公正取引の温床と化した(たとえば「原始株」操作等々)。開発の許認可に関わる贈収賄の弊害が解放軍所有の不動産を管理する兵站部門におよび、ひいては大将・中将・少将のポストまで「買官売官」の対象となる始末だ。一説では将官級の買官疑惑者は200名にのぼるというからすさまじい。
 政治改革を封印したまま「荒っぽい資本主義」(ワイルド・キャピタリズム)を加速した結果が汚職の高度成長という苦い結果をもたらしたことになる。極め付きは軍の制服組のトップ徐才厚副主席が「買官売官」の嫌疑で党から除名され、徐才厚の情実人事提案に「副署」してきたもう一人の副主席郭伯雄の責任も追及されるに至ったことだ。長男郭正鋼少将(浙江省軍区副政治委員)が全人代の開会前夜の2015年3月2日北京に護送され取り調べ中だ。江沢民によって47軍軍長から副主席のトップまで引き上げられた父・郭伯雄の罪状固めの一環とみられる。
 江沢民軍事委員会主席を支えた二人の副主席が揃って「買官売官」がらみで失脚とは、空前の事態ではないか? 江沢民の提起した「三つの代表」〔中国共産党は、①先進的な社会生産力の発展の要求、②先進的文化の前進の方向、③最も広範な人民の根本的利益、を代表すべき〕を薄めるために「四つの全面」〔①小康社会の全面的建設、②改革の全面的深化、③全面的な法による国家統治、④全面的な厳しい党内統治〕を前面に押し出す必要性はここにある。
 現状を放置するならば、民心は中国共産党や党の指揮する軍から離れ、党による統治の崩壊は必至である。すなわちフランス大革命に類似した中国大革命の再到来だ。習近平の虎退治はそのような危機意識に基づいて着手された。習近平が否応なしに、虎退治に乗り出した直接的契機は、2012年の党大会前夜の人事抗争にあると見てよい。

◆曽慶紅は後継者として周永康を選んだ
 習近平は、胡錦濤、温家宝の力を借りて、まず自らの政治的ライバルと目されていた薄煕来(重慶市書記、政治局委員)の処分に成功した。ついで2014年7月初めに徐才厚(2007~12年軍事委員会副主席、政治局委員)を処分し、7月末に周永康(2007~12年政治局常務委員)を処分した。そして昨年12月には令計画(2007~12年中共中央弁公庁主任)を「組織調査」処分に付した。ここで「組織調査」とは、紀律検査委員会が犯罪の嫌疑で「処分含みの調査」を決定した意である。
 薄煕来事件が摘発された当時、一部の中国メディアは、「新四人組」として、「薄煕来、徐才厚、周永康、令計画の結託」を指摘していたが、結果的にはその見通しを裏付けた形になる。「新四人組」とは、習近平が中国共産党のトップ指導者に就任する際に、これを妨害し、あるいは「棚上げ」を図った勢力を指す。
 江沢民時代に、「経済改革優先、政治改革停止」の政経股裂き戦略を強行した結果、市場経済への移行過程の間隙に乗じた腐敗が生まれ、全面的な腐敗に発展した。
 ここで鄧小平時代と江沢民時代との大きな違いを一つ挙げておく。



 第15期中共中央政治局委員(江沢民総書記) 
 第16期中共中央政治局委員(胡錦濤総書記。左から5番目が曽慶紅) 
 
  第17期中共中央政治局委員(胡錦濤総書記。下段左から4番目が周永康)
 
第18期中共中央政治局委員(習近平総書記) 
 
 


 鄧小平時代には、太子党の子女は中央委員レベル止まりであり、経済活動のみしか許されなかった。しかし江沢民時代には、この制約が解かれ、太子党の政治局入りを容認した。これによって政治権力と経済権力、そして軍事権力との癒着、結託の構造が定着し、中国版の産軍複合体(ミリタリー・インダストリーコンプレックス)がビルトインされた。
 では、誰が大泥棒周永康を権力の座に引き入れたのか?
 曽慶紅前常務委員兼国家副主席である。
 第15~18期常務委員一覧を見ると、一目瞭然である。2002年秋、引退する江沢民は後継者として曽慶紅を常務委員に昇格させるとともに、常務委員ポストを二つ増やした。7名から9名に増やすことによって、江沢民派を5名(曽慶紅、呉邦国、賈慶林、黄菊、李長春)に増やした。常務委員会の多数派をつくるために恣意的な配置を行った。
 5年後の2007年秋、引退する曽慶紅が自らの後継者として常務委員に選んだのは周永康である。しかもその担当分野としては、汚職摘発を握りつぶす権能をもつ政法委員会書記であった。汚職を摘発すべき機能をもつ党務の系統が汚職もみ消しを旨とする腐敗官僚に牛耳られた結果、汚職は摘発を免れ、汚職が汚職を呼ぶ構造となる。こうして空前の腐敗が横行した。
 さて、このような体制を放置したならば、フランス大革命の二の舞だ。どこから手をつけるか?
 核心は、周永康の子分たちからなる政法委員会を解体し、再編することだ。
 手順としては、常務委員を2名減員して7名体制とし、政法委員会を常務委員級からひとまずヒラの政治局レベルに格下げする(現在の政法委員会書記は孟建柱政治局委員)。そのうえで、新たな18期常務委員のなかから王岐山を抜擢して、紀律検査委を再建し、政法委を含めて腐敗退治を指揮する。この特別な措置を通じて王岐山はようやく周永康の妨害を排して紀律検査委と政法委の再編により虎退治を進めることができた。これにはどうしても習近平のプチ独裁が不可欠だ。
 ここで念のために記すが、中共中央政法委員会は、情報・治安・司法・検察・公安などの部門を主管する機構である。中共中央紀律検査委員会と共同で国務院の監察部門を指揮し、中共中央軍事委員会と共同で人民武装警察(武警)の指揮を執る。政法委員会のトップである書記は、司法部長(法務大臣)や最高人民法院院長(最高裁長官)らを束ねる立場で、その権力は絶大である。
 では、中共中央紀律検査委員会とは、何か。中共の路線の実行や党紀の整頓、党員の腐敗などを監督する機関である。委員は中共全国代表大会で選出され、書記、副書記、常務委員は中紀委全体会議で選出される。つまり組織上は中央委員会と並ぶ位置にあり、政治局の下に設けられる政法委員会よりは地位が高い。しかしながら、16期および17期においては、政法委員会が「独立王国」化して、事実上、中央紀律検査委の活動さえ、その掣肘を受ける始末であった。由来、法治国家を支えるのは、「法と道徳」である。人々を「外側から規制する」のが法律であり、「内側から自律する」のが道徳すなわち党員の紀律である。「規制する法律」と「自律する内面紀律」とは、相互補完により法治社会のシステムを整える。共産党という体制の本質からして、紀律が上位に立つ。しかしながら現実には、法の悪用を是認する風潮が広まり、それが紀律検査の活動さえも制約する倒錯した現実が往々生み出される。
 それゆえ王岐山の虎退治とは、まず紀律検査委を改組して委員会内部の腐敗を一掃し、ついで紀律検査委の権限を行使して政法委員会の膿みを摘発して、法治主義に依拠した司法行政を目指す。
 とはいえ、すべての司法行政は、「共産党独裁下における法治」なので、「司法の独立」による権力のチェックアンドバランスには、大きな限界がある。「党の指導下の司法」においては、党中枢自体が腐敗した場合、 「腐敗した党中枢の指導する司法行政」となる。ここでは「腐敗を摘発する」のではなく、「腐敗を隠蔽し、助長する」結果となることを習近平の虎退治が逆証明していることになる。

◆曽慶紅を風刺した「大清"裸官"慶親王的作風問題」が登場
 全人代前夜の2月25日紀律検査委のホームページに奇怪な影射史学エッセイが現れた。筆者の実名は「習驊」。エッセイのタイトルは「大清"裸官"慶親王的作風問題」(2015年2月25日)である。
 慶親王奕劻(えききょう)(1838~1917)は、西太后(慈禧)のもとで、首席軍機大臣や内閣総理大臣を務めた政治家だが、「宴会大好き、麻雀大好き」人間であった。「中級幹部の段芝貴が銀10万両を贈呈したところ、ただちに黒龍江代理巡撫のポストを与えた」。英国『タイムズ』の有名記者モリソンによると、「慶親王の預金は712.5万ポンドの巨額に上る。ちなみに作家ジェイン・エアが家庭教師で得た年収は30ポンドにすぎず、ダーウィンが購入した豪邸も2000ポンドだから、慶親王の預金の大きさが分かる」。慶親王はとりわけ英国系の香港上海銀行が好みで、国内の民族金融期間には一銭も預けなかった。もし百年後に生まれていたならば、慶親王は「裸官」といわれたであろう(周知のように、裸官とは、中国には資産や家族を置かず、すぐに海外逃亡可能にしている状態の高官を指す)。モリソンは少しも気兼ねなくこう書いた。「慶親王のやることは、まるで国家を生き埋めにするようなものだ。ナベの湯が沸騰しているのに、魚自身はそれに気づかない」(まさに日本流なら「茹で蛙」の図柄か)。それゆえ「慶親王のケースは、平和時にリスクを思う(居安思危)格好の教訓ではないか」。
 影射史学とは、古に仮託して現代の政治を風刺したり、人物を揶揄するものだ。文化大革命期の有名な例としては「批林批孔」がある。批林が林彪批判であることは誰にも分かる。批孔は孔子を批判する意だが、ここでは「周恩来を孔子になぞらえて」批判したもので、これは江青夫人ら四人組が行ったキャンペーンの一つである。
 この種の影射史学は、鄧小平時代になると文化大革命の忌まわしい記憶とともに忘れられた。そのような、文化大革命期を思わせるあてこすりが、王岐山の率いるホームページに掲げられたので、大騒ぎになった。「慶親王」とは誰を皮肉ったものか?
 「慶」の文字から、賈慶林、曽慶紅説が現れ、いなこれは裸官批判の一般論にすぎまいといった論評が続いた。
 これは、明らかに曽慶紅を風刺したものと読むべきだ。
 キーワードは外資銀行への巨額の預金である。モリソンは英『タイムズ』の特派員として北京に駐在したが、国籍はオーストラリア人である。外国銀行に預けた巨額の預金とオーストラリアから、曽慶紅が息子曽偉をキャンベラに移住させたポイントを容易に想起させる。曽慶紅は1939年生まれだから、「もし1838年の百年後に生まれたら」という年齢もほぼ重なる。

◆米政策プランナーは「裸官慶親王」にショックを受けたが
 このあたりが巷間語られている最中に、米国紙『ウォールストリートジャーナル』がD.シャンボー(ジョージワシントン大学教授)の「中国絶縁声明」を発表した。(The Coming Chinese Crackup, WSJ, 2015.3.6)
①中国のエリートは片足を中国から出して、外交への逃亡を準備している
②「九号文件」に端的に示されるような政治的引き締めが習近平の統治下で深まっているが、これは政権崩壊に対処するためだ。
③体制に忠誠心をもつ者でさえも、党活動はやるふりをするのみ。
④腐敗蔓延が蔓延している。
 これらの5カ条を挙げて、かつて旧ソ連が解体したように、中国共産党の支配も崩壊が近づいている。これらの条件を指摘して「明日にも中国が崩壊する」と語りつづけるオオカミ少年は、枚挙にいとまのないほど大勢いるから、この種の理由づけ自体は珍しくない。ただし、彼のエッセイには大きな特徴が一つある。
 それは曽慶紅のリーダーシップに対する最高度の評価を行う。その曽慶紅が処分され、影響力を失うとすれば、もはや中国に希望はないと分析した。
 元祖太子党として既得権益を擁護する人々の利益代表を中国発展の担い手とする評価は、どうみても唐突な内容であり、人々を驚かせるに十分であった。
 シャンボーの宗旨替えは何を意味するのか?
 近年しばしば訪中し、中国の要人や研究者等と交流し、彼らのいうResponsible Stakehoder-ism作りのために努力してきたシャンボーに何が起こったのか?
 それが「裸官慶親王」ショックにほかならない。
 私自身は腐敗の根源が江沢民にあることをだいぶ前から見抜いていたので、江沢民の大番頭役・曽慶紅の失脚に驚くことはなく、むしろ拍手を送りたい気分だ。
 ところがシャンボーは、曽慶紅一派に望みをつなぎ、米中対話のカウンターパートの黒幕と認識していたという事実には、少なからず驚いた。シャンボーと曽慶紅との交流がどのようなものであったかは知らないが、米中戦略対話は数年続いており、しかも対話を止められない事情が双方にあるから、曽慶紅失脚に接して、あわてるのは政治分析家としては、未熟といわざるをえない。いわんや曽慶紅とのパイプ断絶をもって、中国全体の未来を語るのは、軽率と評するほかはない。とはいえ、シャンボーの絶縁声明は反響が大きく、その後まもなく『ニーヨーク・タイムズ』(2015.3月15日号)がバックリーによるインタビューを掲げた(Shambaugh on the Risks to Chinese Communist Rule,NYT By Chris Buckley March 15, 2015)
 ここで重要なことは、ワシントンという政治都市では、政策作り優先ですべてが動いている事実だ。近年の米中対話の中心にあったシャンボーの変心がワシントンの対中政策にどのような影響を与えるのか? ポスト・シャンボーの政策プランナーは誰なのか? 注視しておく必要がある。
 

               
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