第88号 2016.07.13発行 by 矢吹 晋
    南シナ海バトルと日本v.s.中国 <目次>へ
1.沖ノ鳥島への台湾公船派遣とその撤収騒動
 台北時事電によると、台湾で5月20日発足した民進党の蔡英文政権は23日、日本の海上保安庁が沖ノ鳥島沖で台湾漁船を拿捕したことに反発し、同島を「岩」と主張して国際仲裁での解決も辞さない構えを見せていた国民党の馬英九前政権の方針を撤回する考えを表明し、台湾の巡視船は退去を開始した。国民党から民進党への政権交代を契機として、危惧されていた巡視艇同士の衝突といった緊張状態は回避され、一転平和な海にもどりつつある。これは5月23日、日台間で「海洋協力の対話枠組みを創設する」ことで一致したことによる。この対話は、漁業に限らず、環境保護、海洋調査、緊急救難など幅広い分野で話し合いを進めていく方針だ、と時事電は報じている。台湾の政策転換の舞台裏に何があったのか? 岸信夫衆院議員[安倍首相の実弟]ら自民党の「日本・台湾経済文化交流を促進する若手議員の会」(日台若手議連)の議員6人が民進党本部に蔡英文主席を訪問し会談した結果、「できるだけ早く収束させる」ことで意見が一致したと、各紙台北電(2016年5月5日)が報じている。蔡英文新政権が日本政府との間で、漁民の操業等について対話路線に転じたことはむろん歓迎すべきである。この日台対話が日中・日韓対話を促す契機となることを望む。近隣の対立に乗じて単に「漁夫の利」を漁るだけならば、日中・日韓対話にとってマイナスになりかねない。そこが見どころとなろう。日本としては海の境界を接する各国ナショナリズムと折り合いをつけることによってのみ、東アジアの海の平和を確保できるという原点を忘れてはなるまい。
2.領海ナショナリズムが日本を滅ぼす
 2015年8月6日からマレーシアの首都クアラルンプールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議において、中国の王毅外相は南シナ海のスプラトリー諸島での「岩礁埋め立て」を批判する岸田外相に対し、日本政府が沖ノ鳥島で進めている港湾施設整備を取り上げて反論した
王毅は、岩礁埋め立てについて「合法的権利はない」などと指摘した岸田に対して「まず日本が何を行ったか見るべきだ」と切り返した。「日本は100億円を投じて沖ノ鳥島に人工島を造成し、その後、国連に対して沖ノ鳥島を中心に200カイリの排他的経済水域(EEZ)設定を要求したではないか。これに対して、国連の多くのメンバーは日本の主張を理解できず、受け入れていない」。
 王毅は100億円という数字を出したが、実は予算は概算750億円だ。王毅が「日本は沖ノ鳥島を中心に200カイリの排他的経済水域(EEZ)設定を要求したが、国連の多くのメンバーは日本の主張を理解していない。受け入れていない」というのは、日本が2008年に国連大陸棚の限界委員会に対して、九州パラオ海嶺の排他的経済水域と大陸棚延伸を申請したものの、2012年に同委員会が出した「勧告」で、この申請が却下された事実を指す。申請の経緯と審議の経過、そして申請が「先送り」された。問題は、日本政府の言う「先送り課題」がいずれは日本の主張として認められることがありうるのか、それともロッコール島の運命か。筆者(矢吹)の理解する限り、①島の浸食および②国際的環境という二つの条件に照らして、状況は圧倒的に日本に不利だ。
 可能な唯一の道は、これまでの日本とこの島との関わりの歴史を尊重して、島の定義に幅をもたせて解釈する方向である。この場合に、日本は説得により、隣国中国と韓国の同意を得ることが必須の条件となろう。日本に最も近い二つの隣国が強く反対している事柄が国連大陸棚限定委員会で多数の支持を得られないことは火を見るよりも明らかではないか。この事実から目を背けてはならない。
 王毅が「国連の多くのメンバーは日本の主張を理解できず、受け入れていない」と指摘しているのは、「勧告」が日本の申請を認めなかった理由として「中国と韓国の反対」を挙げている事実である。これを想起するならば、意味深長であろう。つまり日本政府は、直接的利害関係のない南シナ海の「岩礁埋め立て」に干渉して、逆に、中国側の沖ノ鳥島埋め立て反対の意志を固めさせたのだ。実に愚劣極まりない。これはほとんど「外交以前」というべきであり、利害得失をまるで忘却した精神分裂症患者の行動に比するほかない。
 周知のように、日本政府は、「中国の海洋進出に対抗するため」と称して、沖ノ鳥島を安全保障上の要衝と位置付け重視してきた。ところが、国連の大陸棚限界委員会は2012年、四国海盆海域などについて200カイリを超えて最大350カイリまで認められる大陸棚延伸を認める勧告を採択したが、「沖ノ鳥島は『島』ではなく『岩』だ」とする中国や韓国の異議申し立てに遭って、大陸棚限界委員会は中韓の主張を認めて日本の申請を却下した形なのだ。日本政府は「先送り」と宣伝しているが、客観的にみれば、3分の2必要な票決において「(日本案は)賛成5票、反対8票、棄権3票」で敗れたのであり、中国や韓国の反対が委員会の空気を決めるうえで重要な役割を果たしたことが察せられる。いいかえれば、中国や韓国が反対を続ける限り、認められる可能性はほとんどない。日本のマスメディアは真実を報道しないので、国民には真相は分からない。真実を無視した領海ナショナリズムが日本を亡ぼすことを私は憂えている。
 王毅は南シナ海諸島に関して、「70年前に中国はカイロ、ポツダム両宣言に基づき、日本に違法に占領された南沙、西沙両諸島を法に基づき奪い返し、主権を回復した」と訴えた。この論点は正しいか? 現在のスプラトリー諸島は、かつて日本が実効支配し、台湾総督府が管轄していた。日本の敗戦に伴い、1952年に結ばれた日華平和条約第2条には「日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第2条に基づき、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄したことが承認される」と書かれている。西沙群島とは、現在も使われている地名なのでこれがパラセル群島を指すことは、容易に分かる。だが「新南群島」とは何かを直ちに答えられる人は少ないかもしれない。ところが、第2条の英訳を見ると、一目瞭然であり、いまでは死語と化した「新南群島」とは、実はスプラトリー諸島に対して日本が命名した島嶼名なのだ。この条約は、日本が中国大陸を支配する中国共産党との間に結んだ条約ではなく、内戦に敗れた中国国民党の蔣介石政権と結んだ条約だ。北京当局は自ら結んだものではなく、政敵の結んだ条約であるために、この条約に直接言及することを避けてきたきらいがある。「中国は日本に違法に占領された南沙、西沙両諸島を法に基づき奪い返し、主権を回復した」と語る王毅の言は、スプラトリー問題もまた帝国主義日本の敗戦処理と深く関わることを忘れたかのごとき態度でこの問題を扱う日本政府へのいらだちを秘めているのだ。これも歴史認識というよりは、歴史忘却の一コマである。
 王毅はこのほか、南シナ海での①埋め立て②建設③挑発的行動の「三つの中止」を提案したケリー米国務長官に対し、「停止の内容や基準は何か、各国で主張が違い、実行可能性に乏しい」と一蹴した。



南シナ海における各国の埋め立て工事
(資料)The Economist, The South China Sea: Making waves, China tries to stregthen its hand in a dangerous dispute, May 2nd 2015


 図は英『エコノミスト』が掲げたものだ。これによると、埋め立て工事(reclamation work)をやっているのは中国だけではない。中国のほかに台湾もベトナムもマレーシアもフィリピンもそれをやっており、滑走路建設も中国だけではない。中国のスプラトリー諸島海域作戦は遅れて始まり、他の諸国の埋め立てはほとんど終わったときに、すなわち2014-2015年にかけて急激に行われた。日本敗戦から数十年に及ぶ沿岸諸国の実効支配競争と先行する滑走路建設は不問にして、遅れてこの競争に参加した中国のみを非難し、攻撃するのは明らかにフェアな態度ではない。この点で米国と距離をおく英誌の図は比較的公平な態度をとろうと努めていることが察せられる。
 筆者は2012年に書いた『チャイメリカ――米中結託と日本の進路』のなかで「米中結託」をキーワードの一つに選んだ。ところが、その後、「米中結託」よりは「米中対決」が基調となったかに見える。米中関係の核心は「結託」ではなく「対決」ではないかという見方が広く行われている。これはメダルの表と裏である。どちら側から見るかによって見方は変わる。日本政府は米国政府に追随して、反中国を煽っているため、日本のメディア等は「対決」論一色だ。「攻撃的中国」の横暴に対して、日米協調により、「中国を封じ込める」と称する倒錯した議論が日本を席捲している。だが、これは特殊日本的な偏見、謬論にすぎない。ベトナムやフィリピンは、スプラトリー諸島の領有をめぐって中国と鋭く衝突しているが、両者ともに中国の提唱するアジアインフラ投資銀行には「創設国として」参加し、中国の提唱する「一帯一路」構想がグローバル経済の発展に役立つとする認識で一致している。アジアインフラ投資銀行の可能性を否定して、参加を拒否して、外野席で悪口ばかり繰り返す日本とは大違いなのだ。ベトナムもフィリピンも国益を第一に考慮して、近隣の大国とのつきあいを慎重に模索している姿の一端をこの一例から窺うことができよう。
3.米中軍事力のバランス
 さて米中関係だが、2015年10月27日、米軍は鳴り物入りで、南シナ海へイージス艦「ラッセン」派遣し、中国が領有権を主張している人工島の12カイリ内を航行させた。アメリカが中国の「領有権主張」をくじき、「公海における自由航行権の違反」は許されないことを中国にはっきりと主張するための「明白な行動だ」と日本では報道された。しかしながら、そのタテマエとはウラハラに、この示威活動は及び腰の印象を否めない。
 中国による人工島の施設建設がほぼ完成に近づいてから実施された行動であること、さらにベトナムとマレーシアが領有権を主張する島々の12カイリをも通過して、中国だけではなく、「他の諸国にも注意を促す」という、とってつけたような解説さえ行っている。もしアメリカが、その言のごとく、真に中国の海洋進出を阻止したいならば、攻撃力のない「イージス艦」ではなく、攻撃能力のある空母部隊を派遣しなければなるまい。ところがその戦略はすでに時代遅れになり、もはや有効性を失ったと見てよい。
この点は1996年3月のいわゆる台湾海峡危機に際して採った軍事行動と対比すれば、その違いは明らかだ。中国では台湾の李登輝総統の「独立パフォーマンス」に対する警告として台湾沖に対してミサイル演習を繰り返した。これに対して米軍は横須賀から空母インデペンデンス号を、中東から空母ニミッツ号を派遣して、中国の軍事行動を牽制し、効果を収めた。20年前のこの米中対決と比べると変化は明らかだ。
 攻撃力の強い空母艦隊を派遣できず、イージス艦にとどめたのは、単なる警告あるいは威嚇にとどまることを明言したに等しい。実はアメリカのいう第一島嶼線は中国の「接近拒否、領海拒否」がすでに実現した形なのだ。ペンタゴンの中国軍事力分析によると、東太平洋には第一島嶼線と第二島嶼線という二本の線が引かれている。第一島嶼線は鹿児島から沖縄列島から台湾沖を経て南シナ海を囲むもの、第二島嶼線は横須賀からグアム基地を経てパラオからインドネシアに至る線である。
2015年9月の軍事パレードで偉容を示した東風21号の中距離ミサイルの射程はグアム基地までは届かないが、第一島嶼線をはるかに超えて第二島嶼線に限りなく近づきつつある。このミサイルは「空母キラー」の俗称から分かるように、その精度は格段に向上しており、いまや空母派遣による軍事力の示威は単にミサイルの標的、餌食になるにすぎない。90年代には圧倒的に優位性を誇った米軍空母船団にいま昔日の権威はない。かつてのような威嚇がまるで無力になった軍事力のバランスの決定的な変化をイージス艦派遣は示唆したことになる。
 軍事力のバランスが劇的に変化したことを示すもう一つの資料はランド・コーポレーションの調査報告である。台湾海峡の米中軍事バランスとスプラトリーの米中軍事バランスを①米基地への中国空軍の攻撃力、②米中の制空権の優位性、③米軍の宇宙浸透力、④中国基地への米国空軍の攻撃力、⑤中国の対艦戦闘力、⑥米国の対艦戦闘力、⑦米国の宇宙戦力、⑧中国の宇宙戦力、⑨米中サイバー戦力、そして⑩核戦力、の10項目について力比べを試みている(Heginbotham, Eric, author. The U.S.-China military scorecard : forces, geography, and the evolving balance of power, 1996-2017)。2010年の台湾海峡を見ると、黄色と薄緑が拮抗して五分五分なのである。2017年には①と③で中国がすでに優勢なのだ。国力とともに軍事力は日々強化されているので、この傾向が逆転することはなく、中国の優位性は日々強まりつつある。台湾海峡で2010年の時点で見られた「形勢」は、2017年のスプラトリーの戦力バランスに似ている。スプラトリーは2024年には台湾で2017年に見られた姿になる。すなわちバランスは確実に中国の優位性に傾く。



世界の軍事大国
(資料)SIPRI, Military Expendure by country, 1991-2015


 グローバルな軍事力のバランスについて見よう。ストックフォルム国際平和研究所の推計によると、2014年の米国軍事力は約6000億ドル、中国のそれは約2000億ドルで3分の1にすぎない。グローバルなレベルで見ると、米軍の圧倒的な優位性は明らかだ。ここで問題はグローバルな軍事力ではない。米中がいま対峙しているのは、東アジア世界における対立であるから、この地域におけるバランスを見なければなるまい。そしてこの地域に限ってのことになるが、バランスは中国優位に転換しつつある。太平洋を越えて補給線が延びる米国と自国の兵站を利用できる中国とは、そもそも比較にならない。自分に有利な地点で、自分なりの戦略で、地の利を活かすことは毛沢東軍事戦略の要諦なのだ。
 2015年11月7日、イージス艦を派遣した直後、アメリカと中国の海軍は、米フロリダ沖で合同演習を実施した。この演習には、アメリカを友好訪問した中国海軍のサイル駆逐艦や補給艦なども参加した。アメリカ海軍のミサイル駆逐艦や巡洋艦も参加し、それぞれの戦力を互いに見せ合った。合同演習の目的は、「海上での通信」「編隊航行」「救難訓練」とされている。一方で示威行動を行い、その直後に「合同演習」などを実施する。これが米中間の軍事交流のもう一つの姿である。対決一本槍のイメージとは、まるで異なる局面にも注意を払うべきだ。


南シナ海領土紛争と日本

注:尖閣の国有化騒動、南シナ海紛争、沖ノ鳥島への台湾警備艇の派遣事件等はすべて高度に複雑な、そして相互に関連する一連の動きとしてとらえる必要があり、私はそれを近刊の『南シナ海領土紛争と日本』(花伝社、2016年)に書いた次第である。 

               
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