第18号 2005.10.1発行 by 中村 公省
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 中国は年産1660万台のオートバイを生産しており(2004年)、世界生産(3047万台)の半分を占め、世界最大のオートバイ大国である(下表参照)。


中国のオートバイ(二輪生産実績)
(資料:中国汽車工業協会)


 しかし、いまだ独自の研究開発能力がなく、その製品の大半(7割近く)は日本メーカーの模倣車と言われる。「模倣には、(1)エンジンの構造を模倣・模造する等の特許権侵害、(2)車全体のデザインを偽造する等の意匠権侵害、(3)製品名などを模倣する等の商標権侵害など多様にある」「模倣品のうち約500万台がホンダ製品がモデルとされる」(日本自動車工業会『JAMAレポート』№88)。
 模倣の是非はともかく逆に見ると、オートバイ大国を技術、製品開発面で支えているのは、日本のホンダ、ヤマハ、スズキであるという皮肉な構図になっている。
 日本メーカーの対中ビジネスは、1980年代の技術提携から始まり、1990年代前半に一斉に現地有力メーカーとの合弁生産に転じた。
 ホンダは92年五羊-本田摩托(広州)、天津本田摩托、93年嘉陵-本田発動機(重慶)を、ヤマハは92年重慶建設・雅馬哈摩托車、93年株州南方雅馬哈摩托(湖南省)、94年江蘇林海雅馬哈摩托を、スズキは94年済南軽騎鈴木摩托車(山東省)、南京金城鈴木摩托車をそれぞれ設立し、他にエンジン、サスペンションなどの部品製造拠点も設けた。
 これらの日系合弁メーカーが稼動し、本格生産に乗り出した90年代後半以降に中国オートバイ業界に異変が生じた。アウトサイダーである民営メーカーが日系合弁メーカー製品を模倣した安価なオートバイを引っさげて市場に参入し、折からの新規需要拡大の中で市場は爆発的に増加したのである。
 中国オートバイ生産台数は95年784万台が97年には1000万台を突破し、2002年には1300万台近くになった。しかし、日系メーカーのシェアは急激に低下した。ホンダの資料によれば、中国における販売数は95年約160万台シェア24%だったものが、99年80万台シェア7%に低下した。
 この窮状にあってホンダは敢えて火中の栗を拾い、ニセモノ有力メーカー海南新大洲摩托車股 を抱きこむ奇策に打って出た。具体的には既存の合弁会社天津本田摩托と海南新大洲摩托の二輪事業部門とを合併し、新合弁会社・新大洲本田摩托を設立した(資本金約113.5億円、ホンダ出資50%)。新大洲本田は2001年営業開始、125cc二輪車を5500元(日本円約8万円)で売り出し地方都市・農村部マーケットに参入する一方、50ccスクーターを日本向け輸出しはじめた。この奇策は奏功し、落ち込む一方であったシェアが反転し、新大洲本田は2002年外資企業ランキングでいきなり140位(日系企業では17位)にランクされた(売上高25億8171万元)。
 ホンダはもう1つの正攻法にも打って出た。2003年、上海に二輪研究所・本田摩托車研究開発をスタートさせたのである。中国オートバイメーカーの泣き所は独自の研究開発能力がないところにある。模倣は麻薬でもある。
 中国オートバイ産業は「外資企業の古い製品設計や部品技術の範囲から抜け出られなくなる『技術的ロックイン』をももたらすというジレンマ」に陥っている(藤本隆宏「擬似オープン・アーキテクチャと技術的ロックイン」)。
 

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