第51号 2008.11.03発行 by 中村 公省
    メラミン投入牛乳事件における市場モラル <目次>へ戻る
三鹿ブランドの粉ミルクの写真
写真は三鹿ブランドの粉ミルク   捜狐 財経 2008年09月12日より
(1)牛乳へメラミンを投入した狡知
 メラミン投入牛乳事件は、私に中学生の昔の記憶を呼び起こした。
 当時、我が生家は農業を営んでおり乳業を飼育し搾乳して家計を立てていた。私が高校に進学できたのはひとえに酪農のおかげと今でも感謝してやまないが、私の日々の役割は近所の豆腐屋から「おから」を貰い受け、このホルスタイン様の食に供することであった。牧草を食っているのと大違いで、蛋白質濃厚な「おから」をしこたま摂取した我が家の牛乳は蛋白質濃度、脂肪濃度が抜群で、リットル当たり単価特級を維持した。毎朝、集乳所に原乳を届けるのも私の役割であったが、サンプル採取の時には胸が高鳴ったものである。
 メラミン入り牛乳は、このおからのかわりに原乳にプラスチック食器の原料であるメラミンをぶち込んだものであろう。蛋白質濃度検査は窒素含有量によって測定するので、窒素をたくさん含むメラミンは蛋白質濃度検査結果を向上させる効果をもたらす。搾乳した牛乳を水増しして、メラミンを投入すれば販売乳量の増加を偽装することができる。
(2)「蛋白粉」の発明・製造販売者の素顔

 新華社9月10日電が、メラミン入り「蛋白粉」発明者の素顔を伝えている。記事全文を翻訳しておく。


 張玉軍、男、四十歳、河北省曲周県河南疃鎮北張荘出身。2007年7月以前はずっと村で肉牛の飼育をしていた。牛を飼育する中で彼は、尿素をグルテンに混ぜると「蛋白粉」(プロテイン)が精製され、それを乳牛飼育場や集乳所(站・場・庁)に売れば利をむさぼることが出来ることを知り、処方に従って調合した。しかし、こうしてつくった「蛋白粉」は強い異臭があって販売には不向きであった。その後、張玉軍は実験を繰り返し、メラミンとグルテンを一定の比率で調合して「蛋白粉」をつくる方法を発明し、「牛乳の蛋白質含有を高め、気化しないし、検出されない」と称した。
 張玉軍は金儲けの道を探り当てたとばかり、村の自分の牛飼育場で製造を始めた。
 2007年11月、張玉軍は山東省歴城区党家荘へ行って、「張海濤」の偽名で塗料接着剤生産と偽り、場所を借り受け、二台の攪拌機を設置して、故郷から人を雇って大量生産を始めた。インターネットで河南省濮陽市メラミン工場から十数回にわたりメラミン百トン余、済南市からグルテンを買い付けて済南歴城区党家荘の地下倉庫に直接送らせ、「蛋白粉」の生産に用いた。
 警察の初歩的な捜査では、2007年9月から2008年8月までに地下倉庫で生産した「蛋白粉」は総計600トン余、稼ぎは約50万元余に達した。張の供述によると、30万元で車を買ったほかは全部「飲食と享楽に費やした」。
 一味には食品添加物商店の個人経営者や乳牛飼育者、牛乳買い付け商が多いという。こうした者の手を経て、メラミン入り「蛋白粉」は違法な集乳所に流入した。そのうち南和県のある乳牛飼育場主は2008年4月に、このネットワークを通じて購入したメラミン入り「蛋白粉」60キロを全部原乳にぶち込んで三鹿集団に売りつけた。


 9月14日現在、公安部に喚問をうけた者が78人、そのうち19人が有毒・有害食品の生産・販売罪の嫌疑で刑事拘留された。19人のうち18名は牧場、乳牛飼育者、集乳所経営者で、残り一人は添加剤を違法に販売した嫌疑だそうだ。(9月14日新華社)
 しかし、9月28日の報道によると「蛋白粉」の発明は張玉軍の独占でなかったらしい。別の製造販売者も摘発されたのである。
 高俊傑、男、32歳、黒龍江省チャムス市出身、現住所は河北省正定県。肖玉、女、32歳、河北省正定県正定鎮出身。警察の捜査によると、2007年後半以降、ぼろもうけをたくらんだ高俊傑・肖玉夫妻は正定県の地下工場で、メラミン入りの「蛋白粉」70余トンを違法に生産した。そのほとんどが乳牛飼育場、集乳所(站・場・庁)の違法経営者に販売された。(『河南青年報』2008年9月28日)
(3)犯罪者としての大牛乳メーカー

 搾乳した牛乳を水でのばしてメラミンを投入して濃度をごまかすという知恵は、中国の地場市場における売り買いの駆け引きを想起させる。市場に売りに出す豚や牛にしこたま水を飲ませ重量をごまかす農民、販売する肉塊に水を注射して斤量をいつわる肉屋。偽装や誇張を見透かして値切る買い手……。
 売買が成立すれば売り手は、してやったり! しかし、ごまかしの手口はやがてばれる。やられた買い手は、二度と同じ手口で騙されない。売り手は同じ手口で同じ買い手を二度だますことはできないのである。商売と詐欺との違いは、商売においては売買が繰り返されるところにあり、その繰り返す取引の中で信用の復元が図られ売り手・買い手のモラルが形成される。
 しかし、牛乳へメラミンを混入して蛋白質濃度を上げるという詐術は、長い間、ばれることがなかったかのようである。相対の売買における商品の品定めの責任は買い手にある。買い手にばれなければ売り手の詐術は繰り返される。商取引のレベルにおいて、三鹿集団をはじめとする牛乳メーカーは、メラミンを投入した末端酪農農家、末端集乳業者に長らく、してやられたアホであったと言い得る。
 国家品質監督検査検疫総局によると、中国で175社ある粉ミルク生産企業のうち109社を調べた結果、22社の69ロットの製品からメラミンが検出されたという。三鹿、蒙牛、伊利、光明……粉ミルクのトップメーカーが並んでいる。あまりにもアホの数が多すぎるではないか。彼らは買い入れる原乳に対して本当にメラミン検出検査をしていなかったのだろうか。
 実はメラミンの効能のブラック情報は広範に知られていたと思われる。『南方日報』10月30日によれば、メラミンを添加した飼料は5年前からウナギ養殖など水産業で使われ始め、次第に畜産、養鶏等に蔓延していったもので、メラミンを飼料業界で使用していたのは「公然の秘密」であったという。(『南方日報』10月30日)
 メラミンを混入した乳牛飼料製造業者が三社摘発されている。日本で中国から輸入した乾燥全卵からメラミンが検出されたが、元凶は「蛋白粉」を鶏の濃厚飼料に転用した濃厚飼料メーカーであろう。昨年、米国で騒ぎになった中国製ペットフードによる犬猫の死亡は、原料のグルテンへのメラミン混入が原因であった。
 状況証拠からして、中国の名だたる大牛乳メーカーがメラミン混入牛乳の存在を知らなかったとは考え難い。知っていながら、検査を怠り、メラミン入り粉ミルクの製造を続けていたと推測し得る。大牛乳メーカーも、末端酪農農家、末端集乳業者と同様に、その製品にメラミンが混入している事実が問題にならなければいい、という売り手の傲岸な意識のとりこになっていたのではないか。
 大牛乳メーカーの下流の市場は、寡占的な製造者と不特定多数の購買者との間の広大な大衆市場である。大衆市場においては、商品の質の保証をするのは買い手ではなく売り手でなくてはならない。その売値は「定価」であり、通常、値決めの主導権は買い手の側ではなく売り手のほうにある。言い換えれば、消費者は、ブランドによって品質を保証された粉ミルクを大メーカーが決めた売り値で買ったのである。メラミン入り粉ミルク事件の直接責任は総じて粉ミルクメーカーにある。
 汚染牛乳を原料にした粉ミルクを飲んだ乳幼児が腎臓障害を発症し、初めて深刻な事態が発覚した。末端酪農農家のおろかな行為は、牛乳会社をだましただけではなく、母親を欺き、嬰児の命を傷つけ奪った。大牛乳の「ばれなければいい」という奢りは事件の拡大を招いた。

(4)50年昔へのタイムトラベル

 私が中学生だったのは昭和30年(1955年)代初期で、戦後の物不足による混乱がようやく収まり、物あまり経済への過渡期にあった。供出-配給と闇市の並存から大量生産・大量消費へ、「もはや戦後ではない」と言われ、第一次高度成長が始まった。ちょうど、その折、森永砒素ミルク事件が起こったのである。
 「森永乳業は1953年頃(昭和28年)から全国の工場で乳製品の溶解度を高める為、安価であるという理由から工業用のヒ素を触媒にして作られた化合物(添加物)を粉ミルクに添加していたが、1955年に徳島工場が製造した缶入り粉ミルク(代用乳)「森永ドライミルク」の製造過程で用いられた添加物・工業用の第二燐酸ソーダ中に不純物としてヒ素が含まれていたため、これを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になり、130名以上の中毒による死亡者も出た。」(フリー百科辞典「ウィキペディア」より)
 50年後の中国は日本の昭和30年(1955年)代と共通するものが多い。市場の劇的な変化に、市場の主体である生産者、消費者の意識と行動が追いついていけない過渡期のなかで悲劇が生じている。前号で指摘したように、法令の制定、行政の指導・管理体制などかかわる国家・地方の政治・行政幹部が人民の命を守る真摯な知性と誠意を欠いていることがより重大な問題であることは言うまでもない。

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