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     第1号 2004.5.15発行 by 藤野 彰
    以人為本 <目次>へ戻る
 2003年10月の中国共産党第16期中央委員会第3回総会で初めて中央文件に盛り込まれた言葉で、胡錦濤総書記ら党指導部の面々が重要会議での講話や現場視察のたびに、執政の基本方針を表すスローガンとして、好んで用いている。「人をもって本となす」。平たく言えば、「党天下第一」でも「経済発展第一」でもなく、「人間第一」という意味である。実際には、こんな形で使われる。「党と国家の指導者が誘拐された人たちに寄せた関心は、『人をもって本となし、民のために骨身を惜しまず政を行う』という執政思想の具体的な表れである」(4月13日、中国外務省当局者が、イラクで人質になった中国人が釈放されたのを受けて語った言葉)。中国の理論界には、「以人為本」の登場について、文化大革命時代の「階級闘争を要とする」というイデオロギーと対比し、「中国共産党の指導思想上の極めて重大な転換であり、(党が)『階級闘争を要とする』の陰影から完全に抜け出たことを示している」との分析もある(『当代思潮』2004年第2号)。
 「以人為本」は、党の国民重視路線の流れから言えば、江沢民前総書記が打ち出した指導思想「三つの代表」の中の「党は広範な人民の根本利益を代表する」という考え方と相通じるものがある。「三つの代表」は登場からまだ4年しかたっておらず、その意味では、新たに「以人為本」が打ち出されたことは屋上屋を架す嫌いがないではない。ただ、胡錦濤政権がこうしたスローガンをわざわざ掲げたことの意義は、ただ単に江沢民前政権の言葉を鸚鵡返しに使うのではなく、できるだけ自分の言葉で国民に語りかけ、第四世代の清新さをアピールしようという点にある。
 胡錦濤総書記は2003年7月1日、党創立82周年を記念して行った演説で、「民の楽しみを楽しむ者は、民も亦其の楽しみを楽しむ。民の憂いを憂うる者は、民も亦其の憂いを憂う」との『孟子』の中の言葉を引用し、「人心が従うか背くかは、一つの政党、一つの政権の盛衰を決める根本的な要因である」と訴えた。このような発想にたつ政治スタイルを、胡錦濤流に一語に集約したのが「以人為本」であると見ていいだろう。中国共産党がそれを打ち出すに至った淵源は──「三つの代表」についても言えることだが──疑いなく、ソ連・東欧社会主義の崩壊という、深刻な歴史的教訓に求めることができる。国民生活の安定と向上を保障できず、人権意識の高まりなど、人々の価値観の変化にも対応できない政権は、いかに強権で国を統治しようとしても、いずれは国民から見放され、崩れ去る運命にある。中国もその例外ではあり得ない。「以人為本」の背後には、政権のこうした政治的危機感が潜んでいる。「以人為本」は、共産党側の一党独裁体制死守という観点からとらえれば、皮肉を込めて、「国民(の支持)あっての物種」と意訳することも可能かもしれない。
 もっとも、共産党が天下をとってから55年、改革・開放開始を起点としても26年という長い歳月が過ぎているにもかかわらず、ある意味で分かりきったことを、今になってことさら強調して言わなければならないということは、裏返せば、中国の現実の政治状況がいかに「以人為本」とかけ離れているかを物語っている。例えば、中国農民の惨状をルポして話題を呼んだノンフィクション『中国農民調査』(人民文学出版社)には、封建時代の土豪さながらに農村に君臨し、罪のない農民を虐待する党幹部のおぞましい姿が赤裸々に描かれている(その内容の衝撃性から禁書扱いとなったが、街には海賊版が多数出回っている)。同書がえぐり出した問題は氷山の一角に過ぎないが、共産党のそもそもの政権基盤である農民が、今の中国において最も虐げられた階層であるという点に、救いがたい矛盾と悲劇がある。「『以人為本』とはお説いちいちごもっとも。問題はお上が実際の行動で示せるかどうかじゃないですか」。察するに、それが一般国民の言い分だろう。
 
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