中国、市場とメディア (MARKET & MEDIA IN CHINA)
     第1号 2008.7.5発行 by 渡辺 浩平
    地震報道への報復 <目次>へ戻る
 「先生、『南方周末』がたいへんなことになっています」
 中国人留学生が興奮のおももちで言う。
 「どうたいへんなの?」と聞くと、「被災地で…」と口ごもった後、「『搶劫』が起こってるんです」とのこと。「略奪」という日本語がうかんでこなかったのだろう、「搶劫」という言葉のみ中国語をつかった。つまり、南方周末の地震報道では、被災地での治安の悪化がそのまま報じられているというのだ。
 中国のメディアは宣伝(プロパガンダ)の道具だ。ゆえに「正面報道(プラス報道)」を第一義とする。「負面報道(マイナス面の報道)」は避けるべきものだ。1989年の六四天安門事件の半年後に、当時の政治局常務委員であった李瑞環はその名もズバリ「正面宣伝を主とする方針を堅持する」というメディア向けの講話を行っている1。その基本方針は現在もかわらない。
 5月12日に四川大地震が発生して後、イデオロギーを統括する政治局常務委員・李長春は、地震報道を新華社や中央電視台などの中央直轄メディアに一元化するよう指示した。党機関紙以外の商業紙が、まして、地震被害のマイナス面を伝えることは、李長春指示に反する行為だ。
原始社会への回帰
写真:南方周末5月22日号より
南方周末5月22日号
 ネットで南方周末5月22日号を見ると、「孤島汶川的人性百態」という見出しが読みとれる。極限状況の被災者の姿が描かれているのだろう。が、新聞本紙がそのまま画像で掲載されているため、齢50になった私の目には、ディスプレイの文字は小さすぎて読めない。
写真:南方周末5月22日号より
南方周末5月22日号

 大学の資料室に行くと5月15日号はとどいていた。「徒歩汶川」という太字ゴチックの見出しの上に、解放軍のヘリコプターが汶川に着陸した写真がのっている。写真は「当地の被災者提供」。新華社のものではない。南方周末の記者は現在、汶川に歩いてむかっているという。都江堰から汶川への道路沿いの被害の状況が報じられていた2 。李春長の「統一配信」の指示は守られていないのである。
 南方周末とは、広東省党委員会の機関紙「南方日報」を冠とする南方日報報業集団が発行する週刊紙だ。
 数日後、5月22日号が届いた。被災者が商店に押し入り商品を奪ったことが伝えられている。「一切が原始社会へ回帰した」という小見出しもある3
 阪神淡路大震災を取材した中国人記者が、震災で治安の悪化が起こらなかったことに驚いたという話を人づてに聞いたことがある。その記者は、1976年の唐山地震を経験していたのだ。
 ここで私は、日本と中国の「民度」の違いを指摘しようというのではない。救援がおくれた被災地にあって、店舗からの商品の盗難が起こることは驚くことではない。まして、唐山大地震は文化大革命中に発生したできごとだ。人心はすさみきっていた。当時の党中央は被災民救済よりも政治運動にかまけていた。略奪がおこらないほうがおかしいくらいだ。
 中国においては、長らく、宣伝の利益にならないマイナス報道はゆるされざるものだった。今回その禁がやぶられた。そのことを書きのこしておきたいだけである。
 5月20日付けの法輪功のサイト「大紀元」の記事(自由アジアラジオ石山記者の記事の転載)によると、四川大地震で、各メディアが独自に派遣した記者は50名にのぼったという。その報道には、従来の中国の官製報道とは異なる「ニュース」といえるものもあったという4
 南方周末の記事もそのひとつと言える。翌週号では、トップから4ページをつかって、小中学校の倒壊の問題をとりあげていた 5。多くの子供たちを死なせた校舎の崩落が、手抜き工事による人災によるのではないかという指摘である。
 
色メガネをとれ
 香港誌「亜洲週刊」によると、流れが変わったのは6月3日だという6 。その日、新華社のウェブサイト「新華網」に南方周末を批判する二つの文章が転載された。ひとつは、ウェブサイト「浙江在線」に掲載された記事7 、もうひとつは「検察日報」6月3日の記事である 8
 どちらも、同紙の5月22日号「大地震現場報告」を批判したものだった。前者は、瓦礫のなかで発せられた「助けてくれ、俺は××書記だ!」という幹部の発言を同紙がつたえ、ネットで「史上もっともドシガタイ役人の発言」とされたことに触れ、幹部の片言隻句を揶揄することを批判したものである。
 後者は、先に示した汶川での治安の悪化の報道を、人間性の暗黒面をあばきたてる「斜に構えた姿勢」とし、「南方周末よ、色メガネをとれ」とうったえるものだった。
 批判を受けた同号には、旅行中に被災した香港の観光客が、汶川の被災民から食事の提供を受けたという話が、人間性のまた違う一面として紹介されていたが、検察日報のコラムはそのことには触れていない。
 なお、事実を歪曲するという意味での「メディアの色メガネ」という表現は、劉少奇が1948年に使っている 9。中国においてメディアは党の喉と舌(代弁者)だ。ゆえに、メディアを批判する際は、しばしば、過去の党幹部の言葉が、権威づけのためにつかわれることが多い。
 さきの亜洲週刊の記事によると、広東省の党書記・汪洋は南方周末と南方都市報を名指しで批判したという。南方都市報は、同じく南方日報報業集団が発行する都市報である。同紙は地震特集号で、歴史学者の朱学勤の以下のようなコメントを掲載した。
 「これは天の戒めではないか? 死んだ人々はなんの罪を犯したわけではない。天の戒めでないのなら、なぜ釈迦の誕生日に大地震が起こるのか?」
 2008年5月12日は、旧暦の4月8日のお釈迦さまの誕生日であった。
 「天譴(天の戒め)」という言葉に、ネットユーザーから非難がおこった。「地震はチベットの報い」というシャロン・ストーンの発言と同様の反応である。
 汪洋は「両紙の記事は、地震における広東省の業績を抹殺するものだ」と激怒したという。南方日報報業集団の記者は四川からの撤収を命じられた。党機関紙などの一部のメディアを除いて、他のメディアの記者にも撤退が指示されたという。南方周末は、6月5日の「大地震報告第三弾」のトップで解放軍のヘリコプター事故をとりあげ 10、6月12日の「第四弾」では、被災地の復興について特集を組んだ 11。どちらにも、第一弾第二弾のような震災の暗部をつたえるものはなかった。
 四川大地震のいっときの自由な報道は、2003年SARSの時と酷似している。SARS制圧宣言が出されると、いくつかのメディアは停刊処分となった。南方都市報の社長と編集局長は汚職容疑で逮捕された。同紙はSARS問題を含めてかなり踏み込んだ報道をしていた。同紙の社長喩華峰は、刑期を短縮され、今年の旧正月前に釈放されたばかりだった。彼の釈放は、五輪を前にしてイメージ向上をはかるため、中国当局が打った一手と考えられた。
 今回の地震報道では、停刊処分や逮捕者が出るのであろうか。現在の中国のメディア統制がいかほどのものかを理解するうえで、注目すべき点だ。
 
 
 1 李瑞環「堅持正面宣伝為主的方針」1989年11月25日
 2 「徒歩汶川」『南方周末』2008年5月15
 3 「大地震現場報告」『南方周末』2008年5月22日号
 4 「川震期間 中国媒体冲破中宣部禁令」『大紀元』2008年5月20日
 5 「大地震現場再報告」『南方周末』2008年5月29日号
 6 「南方報業遭批評 震災記者被撤回」『亜洲週刊』2008年6月15日号
 7 「断章取義、娯楽至死『最牛官腔』報道譲人堵心」『浙江在線』2008年6月1日
 8 「南方周末、摘下你的有色眼鏡吧!」『検察日報』2008年6月3日
 9 劉少奇「対華北記者団的談話」1948年10月2日
 10 「失事直昇機的最後一刻」『南方周末』2008年6月5日号
 11 「災区復蘇」『南方周末』2008年6月12日号

<このページの上へ>
<目次>へ戻る