中国、市場とメディア (MARKET & MEDIA IN CHINA)
     第12号 2010.5.17発行 by 渡辺 浩平
    王家嶺の奇跡 <目次>へ戻る
 「偉大なる奇跡!」
 4月6日、人民日報がトップでそのようにうたいあげるのも頷ける。前日の4月5日、炭坑に閉じ込められた作業員153名のうち115人が救出されたのだ。8日ぶりの帰還だった。事故が起きたのは3月28日、山西省の王家嶺の建設中の炭坑で、浸水事故が発生した。建設作業に従事していた作業員は261名、うち108名は脱出できたが、153名が坑内に残された。排水作業は難航した。胡錦濤、温家宝は救援隊を激励、省党書記、省長も現場で指揮をとった。昼夜兼行の救出作業ののち、100名を超える生存者が助け出されたのだ。
 王家嶺炭坑で浸水事故が起こったのは、毒餃子事件の容疑者拘束のニュースが日本で流れた翌日のことだった。私は私用で訪れていた台湾でそのことを知った。台湾では毒餃子よりも炭鉱事故のほうが大きく報じられていた。
 中国が炭坑事故の多発国であることは有名だ。昨年だけで2631の死者を出している。それでも最多であった2002年の6955人に比べると減少傾向にある。ただこの数字は世に出たものだけ。その背後にはまだ隠された死者がいるという疑いはぬぐいきれない。疑心を抱かせるのは、近年、事故を隠蔽する事件が、つぎつぎと明らかになっているからだ。
書かない記者
  王家嶺の事故が発生した二日後、活字メディアを所管する新聞出版総署は、9名の記者が実刑判決を受けたことを明らかにした。2008年に起こった河北省蔚県の炭坑事故で「封口費(口止め料)」を受け取った罪である。
 事件が起こったのは2008年7月14日のことだ。河北省張家口市蔚県の李家洼炭坑で爆発事故が発生、34人が死亡し、1人が行方不明となった。事故のあった炭坑は新たに掘った無認可であったため、炭坑主は地元の幹部や警察の協力のもと、遺体を運びだし、現場を発破で爆破した。そして記者に口止め料を払った。
 国務院の調査により、事件が明るみになったのは、昨年2009年11月のことだ。蔚県の県長、県委員会書記、張家口市安全監督局長など48名が刑事責任を追及され、張家口副市長ら18名が処分を受けた。張家口市蔚県の炭坑事故で、炭坑主がメディアに配った金は、260万元強にのぼるといわれていた。それらの金をポケットにしまいこんだ記者への判決が、事件後1年半以上たってようやく下されたのである。新聞出版総署はあわせて「有償新聞(ちょうちん記事)」と「有償不聞(口止め料を受け取っての記事の差し止め)」を厳しく罰する通知を出した。
 炭坑事故が起こった際のメディアに対する口止め料の話は、中国の新聞記者からしばしば聞いていた。口止め料を主な生活の糧とする「書かない記者」もおり、「デスク」が「書かない記者」に年間の口止め料のノルマを課しているところもあると聞いたことがある。その時聞いた年間のノルマは、何十万元という数字だった。
 
 「封口費」を暴いた男 
 炭坑事故における口止め料の存在を世にしらしめたのは、一人の記者の活躍による。記者という表現は厳密には正しくない、「西部時報」という新聞の通訊員・戴驍軍だ。通訊員とは記者証を持たない非正規雇用の新聞社の雇員である。事件が起こったのは、河北の事故の2か月後の2008年9月20日。山西省霍宝の乾河炭坑で、炭坑作業員一人が死亡するという事故が起こった。事故発生後、記者の間に「口止め料」が配られているという噂が飛び交い、当時「西部時報」山西支局に勤めていた戴驍軍がカメラをもって炭坑に行き、事務所で金を受け取る記者の姿を撮影したのである。戴驍軍は相棒を車で待たせ、何ショットかを立て続けにとって逃走したという。
 「口止め料を受け取るために列をなす記者」の写真をネットに載せる。だが、掲載後、ネット管理者によって消され、電話では日に何十本も脅迫まがいの電話をうけるようになる。しかし、彼は執拗にネットに掲載しつづけ、同事件は世に知られることとなった。事件は当局の知るところとなり、60名の関係者が処罰を受ける。うちメディア関係者30名(記者職4名)、28名はニセモノ記者であった。
 山西省は炭坑の集中地区である。冒頭掲げた王家嶺の事件も山西、前回触れた奴隷工事件も山西省で起こった。山西省の鉱山主の羽振りのよさはつとに有名だ。北京の高級マンションの所有者のうち、山西炭坑のオーナーは少なくない。
 感覚的なものいいで恐縮だが、同事件が起こる前のメディアがらみの炭坑不祥事は、認可をとってない不法メディアや、ニセ記者が、脛に傷持つ炭坑主から、「取材」を名目にゆすりたかりをするというものがほとんどだったように思う。しかし、この事件が示すように、金の無心に来るなかには、相当数、本当のメディアの人間もいるということが明らかになったのだ。

 炭坑の歴史に多少興味を持っており、時間があると、札幌の北に広がる空知の旧産炭地に行き、炭坑遺跡を見るようにしている。昨年は、福岡に用事があったので、足を伸ばし筑豊にいった。「青春の門」で描かれたあらくれの世界をいささかの憧れをもって見ていたので、香春岳を仰ぎ見ながら、田川の街を歩いてみたいとかねがね思っていた。かつて日本でも、炭坑では事故が多発し多くの人が死んだ。戦後でも、三桁の人が死ぬ事故は幾度か起きている。1963年の三井三池のガス爆発では458の人が亡くなっている。1980年代に入っても夕張では何十人もの炭鉱労働者が一度に落命する事故が発生している。エネルギー政策の転換により日本では、釧路沖の研修用を残す以外、炭鉱はなくなった。
 山西の炭坑の労働条件は、往時の日本のそれ以上に過酷なものだろう。特に、私営のそれは、苛烈を極めることは想像に難くない。経済発展が至上命令の中国にとって、石炭は金を生む黒いダイヤだ。ならず者の炭坑夫の命を犠牲にしても、採掘のスピードは速めねばならない。
 8昼夜の時を経て、100名以上の労働者の命が助けられたのはまさに奇跡であり、喜ばしいことだ。中国のメディアが、王家嶺を美談として描くのは、胡温政権の弱者への配慮への好個の事例であるからだ。であるからこそ、王家嶺の奇跡がことあげされればされるほど、山西の坑内にどれだけの死者が眠っており、現在も過酷な労働環境のなかで人々が働いているという現実に、思いがいたってしまう。そして中国のメディアはその炭鉱の現実を冷静にかつ客観的に描くことができないでいる。
 

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