第3号 2004.7.21発行 by 渡辺 浩平
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  この10年あまり、中国の都市部で最も消費が伸びた食品は何か、答えは牛乳である。
 上位三種は、牛乳、家禽類、水産品。一人あたりの消費の伸びは、1990年を1として、2002年に牛乳が3.4倍、家禽が2.7倍、水産品が1.7倍となった。アヒルやニワトリなどの家禽類も水産品もご馳走に属するものであったが、それらハレの日の食材は、養鶏、養魚技術の向上によって、気楽に食卓にのぼるようになったということだ。
 反対にケの食品である米、麦などの糧食の消費量は、同じく1990年を1として、2002年に0.6となり、野菜も下降傾向で、0.84となった。市場経済化以降の都市部の食卓は、総じて「少主食、少野菜、多動物食」へと変化している。
 では、牛乳消費が大きく伸びた要因は何か。酪農産業が発達し、都市部において牛乳の流通体制が確立したからである。と言うと、愛想もなにもないのだが、そこには、日本が関係する大きな「事件」があり、そのことに触発されて、ある「制度」が打ちたてられたからである。
 いささか勿体をつけたはじまりとなってしまったが、今回は、牛乳消費の急成長の裏に隠された「ある物語」について。
 と、ここまで書いて、読者の気をそぐようなことを申し上げて恐縮だが、実はこのエピソード、私が北海道大学二年生向けに使っている、朝日出版社発行の「2004年度版時事中国語の教科書」(三潴正道、陳祖?著)に紹介されていたこと。この教科書は、前年度に中国で話題になったトピックを集めて、平易な中国語にリライトされて編まれた中国語中級テキスト。中国事情を語るには最適と毎年使わせてもらっている。つまり、この話題は麗澤大学の三潴先生、外務省研修所の陳先生の二番煎じだが、とても興味深い話しだったので、少し調べてみた次第。

 1.96センチの重み
 「事件」の発端は、1997年にまでさかのぼる。当時の国家体育委員会(現国家体育総局)が、中国全土19の省、区、市を選んで、中国初の全国的な身体測定を行い、その結果を、日本の文部省が行った調査結果と比較したところ、40才を境に、それより上の男性の平均身長は、中国人の方が高かったものの、39才以下では、逆に中国人の平均身長が低いことが判明したのである。特に若年層は差がひらき、7歳から22歳では、1.96センチ低く、7歳から14歳では2.28センチも低いことがわかった。
 元来、中国の常識として、日本人は背が低いとされていた。日本人に対する罵言の「小日本」も、「大日本帝国」などと、ことさら「大」の字を用いて、夜郎自大におちいったかつての日本に対する侮蔑も含まれていたのであろうが、日本人の背の低さも意味していた。
 もともと日本人の背は、東アジアの他の国々との比較でもかなり低かったようだ。以前どこかで、唐の長安に集まった周辺の朝貢国の使節を描いた絵を見たことがあるが、一番背が低く、貧相な装いの男が日本人だった。倭人の倭の字は、中国語で低を意味する「矮」の字にも通ずる。
 しかし、戦後、日本人の背は急成長する。本件を報じた1999年12月7日の中国青年報によれば、1902年から1997年の間に、日本人の身長は12センチ伸び、特に1948年から1997年の間で7センチも伸びた、とのこと。青年報は、この平均身長の伸びは、日本経済の急速な発展と日本政府が国民の体質強化を行ってきたからだと説明した。そして、「人力資源は国家の総合国力の一部であり、身長は人体の重要な要素なので、その変化は、わが国の経済と社会の発展の現況と問題点を反映している」という国会体育総局の幹部のコメントを紹介している。身長は、総合国力の一要素であるからして、あだや疎かに考えるなということだ。
 ちなみに、女性の平均身長は、すべての世代を通じて中国人の方が日本人よりも高い。ただ、その差は、高齢者に比べて若年層は、縮まってはいる。
 本件を報ずる当時の記事には、「1.96センチは、小さな数字だが、…国家と民族の発展に関係している」とか、教育関係者がこの調査結果に接して、「たいへん動揺し、……慙愧と憂慮と悲哀を深く感じた」というような文言が見える(99年12月14日光明日報)。「中国の若い男性の平均身長が、日本人よりも低かった」というこのニュースは、多くの人々の心を揺さぶったようで、中国の教育が、知育偏重におちいり、体育や栄養面に注意を怠ってきたことを先の光明日報同様、慨嘆する記事が目立った。
 このニュースから、二つのことを感じた。
 一つは、男の身長(女性の身長ではなく)の高低は、その民族の、複雑で言葉にならない感情、まさにコンプレックスを強く刺激する怪しい力を秘めたものなのだということと、もう一つは、日本に対する屈折した感情だ。
 この身体測定調査の報道には、韓国との比較はなかった。韓国政府も国民の身体測定を定期的に行っており、2002年の数字で見ると、韓国人の男性の平均身長は日本人よりも3センチほど高い。
 恐らく体育総局は、この調査結果を報道機関に公表する際に、日本との比較を分かりやすい例として示し、韓国とのそれはださなかったということなのであろう。体育総局はむしろ「勉強偏重、身体能力向上軽視」の風潮に対して、もっとも強い一石を投ずるために、中国人が身体的優位性をかねてから抱いていた日本の例を持ち出したのかもしれない。

 学生牛乳飲用計画
 
http://www.ccdairy.com/ty20oo.htm より

 同年より「学生牛乳飲用計画(学生?用???)」なるプロジェクトが、まず、北京、上海、天津、広州、瀋陽の五都市で実験的に開始される。学生牛乳飲用計画とは、国家基準を設けて牛乳メーカーを審査し、合格したところを指定工場として、学生牛乳マークの入った牛乳を生産させて、牛乳を小中学校に配給するというもの。
 中国政府は、1997年の調査結果が出てから、日本の学校給食制度をかなり研究した模様で、当時の記事にも、日本が戦後、粉ミルクからはじまった学校給食の普及により、子供たちの身体が格段に向上したことを説くものがあった。
 否、事の真相はそうではなく、先の日本との比較の記事は、この学生牛乳飲用計画がすでに出来上がっており、その普及のための記事のように見える。97年の数字を、99年に発表するのはおかしい。そうすると、先の報道は、日本をダシにした啓蒙のためのショック療法ということとなる。
 翌年2000年には、農業部他が「学生牛乳飲用計画の実施に関する通知」を発令し、計画実施地域を、五都市から、全国の省都と一部経済発展都市に広げ、学生牛乳計画が正式にはじまる。
 しかしながら、学生牛乳計画は、日本の学校給食とは異なり、児童は牛乳をあくまで個人の希望によって自腹で飲むもの。行政の仕事は、安全基準を満たしたメーカーを指定して、中間コストを切り詰めるよう指導をし、安全な牛乳を学校に届けることにある。コールドチェーンが整備されていない地域では、牛乳の輸送という問題がまず解決されるべき課題であるからだ。もう一つ計画の重要な目的は、子供たちに牛乳飲用の習慣をつけさせることだ。
 先の教科書でも指摘していたが、かつて、中国において牛乳は、病人や乳幼児が飲むものとされ、牛乳を買う際は医者の証明書が求められた。学生時代を過ごした80年代初頭の上海で、牛乳を含めた乳製品は、外国人専用の商店(友諠商店とはまた別)にしか売っておらず、それも外交官や、日本語教師などの「専家」と呼ばれる人々しか、商品を買うことはできなかった。同時期に北京に留学していたつれあいによると、乳製品は、建国門外の友誼商店で普通に売っていたとのこと。上海は、生産地から遠くにあったので、酪農品の購買が容易ではなかったのだ。
 街で売っているケーキはバタークリームのものしかなく、租界時代からの老舗で、何軒か生クリームのお菓子を出す店があったが、まだ、配給制が残っていた当時は、そのような希少な商品を、幹部と縁故のない人間が手にいれることができなかった。クリスマス前に、上海に親戚のいる華僑の同級生のツテで、生クリームのケーキを一年ぶりに食べた時の感動は尋常ならざるものがあった。
 1990年代初頭の北京では、輸入のロングライフミルクは一部商店にあったが値が高く、フレッシュミルクは友諠商店にしか売っていなかった。友諠商店の生鮮食料品売り場には生クリームも売っていたが、一度、買って帰ると明らかににおいが変だった。翌日、店員に文句を言うと、「そんなことはない」と返品に応じない。においを嗅がせても納得しないので、「生クリームを食べたことがあるのか」と問うと、「一度もない」という返事が帰ってきた。牛乳の宅配制度はすでにあったが、牛乳宅配を受けている家はそう多くはなかったと記憶している。いまから10年前、乳製品は北京の庶民にとって、たいへん遠い存在であった。
 そのような市場ゆえに、中国の子供達に牛乳の飲用習慣はなかったと言える。また、幼い時からの飲用習慣がないので、乳糖の分解酵素が育たない子供が、中国には多いとも言われている。よって、牛乳飲用の習慣化という問題が、「計画」の目的の一つとなったのである。  
 学生牛乳飲用計画では、2003年年初の段階で、28都市の4468の小中学校で行われており、毎日200万本の牛乳が学校で消費されているという。これは、都市部の学校の5.84%に過ぎない。中国には、2002年の数字で、小学校は45万7千あまりあり、中学校は約9万4千。よって、農村部を含めた学校数で割るという単純計算をすると、計画の普及率は1%にも満たないのだ。
 学生牛乳計画のスローガンは、「一杯牛?強壮一個民族(一杯の牛乳は強い民族を作る)」。牛乳を2億人の小中学生に行き渡らせるという、計画の所期の目的を達成するまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 日中、乳業の明暗
 ということは、中国の乳業が発展する余地はまだまだあるということ。中国の牛乳市場を概観すると、2002年の数字で、中国の牛乳生産量は1299.8万トン。世界の生産量が約5億万トンだから、中国市場の占める割合は3%にも満たないのだ。但し、これはあくまで、牛乳生産量であるので、一部がチーズやバターなどの乳製品にもなる。中国は乳加工製品の消費量はまだまだ少ないので、飲料用牛乳の消費量となるともう少し率としては高くなる。中国の新聞記事には、中国市場シェアは8%という数字が紹介されていた。しかしそれにしても、第一回目に書いたインスタントラーメンに比べれば、中国は「小国」であることは間違いない。
 牛乳生産の絶対量はまだまだ少ないが、その伸びは急速だ。伸び率を見ると、先の学生牛乳飲用計画の5都市での試行がはじまった1998年に、対前年比10%増、99年は8%に過ぎなかったが、00年に15%、01年は23%、02年は26%と加速度がついて生産量が増えている。02年までの数字は統計年鑑のものだが、03年には60%の成長率という報道があった。先の学生牛乳飲用計画が直接的、間接的に影響を与えていると思われる。 
 なお、先の1299.8万トンという数字は、牛乳のそれで、乳類の全生産量は、1400.4万トンとなる、その差は山羊乳とのことだ。(『中国の食品産業』白石和良 農文協)山羊乳生産の上位省は、陝西省29.1万トン、山東省26.5万トン。両省では、山羊乳を飲む習慣がかねてからあったのだろう。
 私的な嗜好の話で恐縮だが、私は山羊乳のあの癖のある味がすこぶる好きで、山羊チーズや山羊乳を使ったお菓子が好物。陝西と山東に次回行くときの楽しみができた。
 次に、牛乳の一人あたりの消費量を見ると、中国の都市部におけるそれは02年の数字で年平均15.72キロ。農村部を含めた消費量が、01年の数字で一人あたり7.2キロとのこと。上海や北京などの大都市では、乳製品の支出が全国平均の倍以上なので、牛乳の消費量も少なくとも都市住民平均の倍と考えられる。日本の平均消費量は40キロ。それも横ばいから下降気味。日本の乳業関係者から見ると、中国はなんとも羨ましい市場だ。
 中国の乳製品メーカー各社も、急成長を続けている。フフホトの蒙古伊利、北京三元、上海光明が三大乳業企業だ。三社とも、先に書いた学生牛乳飲用計画指定メーカー48社(2004年7月現在)に入っている。
 三元、光明は北京、上海という巨大市場を控えており、発展は当然のことであろうが、伊利の躍進が特筆に価する。伊利はもともと、回族の小さな牛乳メーカーであったが、03年の第一〜第三四半期で、売上高50億元に達し、前年同期比154%という大きな成長を示し、業界トップに躍り出た。
 光明は、上海経済の活況とともに、90年代売上を伸ばしてきたが、03年に伊利に首位の座をあけわたした。光明は租界時代の牛乳会社から、人民共和国建国後に国有化され、50年代の一時期、江沢民が工場長を勤めていた。光明のブランドもその時代に登記されたと、光明のホームページに紹介されている。光明躍進の裏には江の後ろ盾があったと想像される。

 牛乳と国力
 私は今、北大の国際広報メディア研究科なる大学院で、広告についての科目も持っているのだが、その授業の一環として、昨年、ホクレンに牛乳の話を聞きにいった。ホクレンは、ここ何年か、「牛乳キャンペーン」を北海道庁などと一緒にやっており、その広告活動について説明を聞き、後に、学生から、牛乳市場の分析と広告活動について、考えさせた内容を発表させたのだ。
 発表の巧拙はおいておくとして、学生の発表が終わってから、ホクレンの広告担当の方々と、「若者の牛乳離れ」といった話になり、学生に「牛乳について、本音のところは」と聞くと、多くの学生が「実のところ、牛乳はあまり好きではない」と語り始めたのだ。
 北海道の酪農業を含めた農業の総本山とも言えるホクレンで、「あたし牛乳好きではない」などと言われてしまい、引率教員としては、面目が立たない事態となった。だが、昨今の多くの若者にとって、牛乳はあまり魅力的な飲み物ではないことはどうも間違いないようだ。
 「太る」「アトピーの原因」「アレルゲンの牛乳は給食からはずすべき」という意見さえ聞こえ、日本における牛乳の旗色はなんとも悪い。牛乳の栄養的マイナス面を強くうたった書籍も話題になっている。日本にかつてあった「牛乳信仰」は徐々に薄れつつある。
 読売新聞のデータベースで、「身長」というキーワードで記事検索をしたら、200年12月24日の「編集手帳」にこのようなコラムを見つけた。司馬遼太郎さんの「オランダ紀行」に書かれていた、オランダ人はかつて小さかったが、インドネシアを植民地化してから身長が伸びたというエピソードから、作者は以下のようにコラムを結ぶ。「戦後一貫して急伸を続けてきた日本の十七歳男子の身長だが、実は六年前の百七十・九センチをピークに、以降は足踏み状態が続いている。日本の豊かさに陰りが見えたことと関係があるのかどうか」。ここにおいても、先の光明日報の記事同様、男の身長と国の豊かさが関連付けられている。
 学生牛乳飲用計画の考え方は、「牛乳飲用→体格の向上→総合国力の発展」という極めてシンプルな模式である。戦後の学校給食のなかで、「牛乳信仰」を強く植え付けられ、札幌に来てからは、「やっぱ北海道の低温殺菌は違う」と言いながら牛乳を愛飲している私のような人間は、編集手帳の主張や、また、学生牛乳飲用計画の考え方に引っ張られ、牛乳と国力を結びつけて考える誘惑にかられてしまう。
 だが、見方を変えれば、日本という国が、戦後50年を過ぎた頃から、「身長コンプレックス」「牛乳信仰」という古典的な思考の枠組みから、ようやく自由になれたという言い方もできるのかもしれない。



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