第5号 2004.12.6発行 by 渡辺 浩平
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 快餐文化

 『マクドナルドはグローバルか−東アジアのファーストフード』(ジェームズ・ワトソン編、新曜社)を読んでいて面白いくだりをみつけた。
 「多くの人びとは、マクドナルドが行列をつくらせた香港で最初の『公けの』というべき組織であり、それゆえ『文明化』した社会秩序の形成に助力した功績があるとしている」   
 香港では、1975年にマクドナルドができるまでは、ある商品やサービスを享受するために「ならぶ」ということがなく、マックがそのような社会秩序を客に「教育」したと信じられているというのである。いささか「白人史観」に根ざした、アジア人としては抵抗感をもたざるをえないエピソードだが、振り返ってみれば、中国大陸のマクドナルドでも、それに近い傾向があるような気もする。たかだか百食にも満たない経験だが、私は中国のマックで割り込みをされたことがない。 
 マクドナルド(麦当労)が中国に誕生したのは90年代に入ってからで、私が交通機関や商店でしばしば割り込みをされたのは主に80年代だ(もちろん現在に至るも列をつくらないということはあるが)。だから、一概に比較はできないのかもしれない。しかし、中国においても、マクドナルドに行くと、客は多少とも「文明化」した仕草をしなければならないと考えられているような気がするのだ。
 前掲書にも、90年代半ば、中国のマックの客へのインタビューで、使ったトレーをゴミ箱の上の所定の位置に運ぶのは常連に多く、彼ら彼女たちは、そのやりかたを外国人から学んだと答えており、また、マックの客は、他の中華レストランの客より小声で話をし、全体的に自己抑制が効いている、という報告がなされている。

http://www.mcdonalds.com.cn より

 王府井のロナルド

 1992年4月に王府井と長安街が交差する東北角、いまの東方広場の西南に、マクドナルドができた時、日本から取材にいったことがある。王府井のマックは、1990年にできた深圳店につぐ二店舗目であった。
 当時私は博報堂の本社勤務で、その前年に北京勤務から戻っていて、土日をつかって駄文雑文のたぐいを書いていた。文藝春秋のいまわなき「マルコポーロ」という雑誌に、マクドナルドと骨董街を通して、北京の新旧二つの姿を描くという企画を出し、週末を使ってカメラマンと二人で王府井にチーズバーガーを食べに来たのである。バブル期ゆえに許されたなんとも贅沢な仕事だった。
 王府井のマックは700席と当時世界最大。長安街の晴れ上がった空に、ゴールデンアーチが屹立する姿は、その三年前に、斜め向かいの天安門広場で学生による民主化を求める座り込みと、6月4日の悲劇的な結末を見てきたものの眼には、新鮮でもあり、同時に、なにかしっくりとこない風景に思えた。
 店外のベンチには等身大人形のロナルド・マクドナルドが鎮座し、その隣に人々が順に座り、ロナルドと一緒に記念写真をとっていた。王府井と長安街が交差する人通りの多い歩道を、マックの店員は掃除をし、それを行きかう人々が、眺めていた。
 公道を掃除する中国の公衆衛生に携わる人々は、だいたいが不機嫌な顔つきで、ゴミをほうきで舞い上げて通りの隅にまとめていくのが常であったが、マックの店員は、小ぶりのほうきとチリトリで、こまめにゴミをひろっていた。これまで「笑顔で、キビキビと公道を掃除をする人」というものを見たことのない北京の人々は、あっけにとられたような面持ちで、マックの店員を眺めていた。
 店内に入ると、これまた戸外の王府井と変わらぬ込み具合で、カウンターに長蛇の列ができていた。フロアの店員が、列をつくって待っている客にメニューを配り、注文の仕方を教えていた。チーズバーガーとコーヒーを買って席についた。偶然、同席した教員だという男性に「マックのどこがいいんですか」と聞くと、「時間の節約ができる、だいたい中国人は飯に時間をかけすぎ」というまさに「文明化」された答えが返ってきたことを覚えている。

http://www.kfc.com.cn/kfccda/default.aspx より

 中国人はフライドチキン好き?

 私の行った王府井入り口のマクドナルドは、東方広場の建設のためになくなってしまったが、その後マックは中国大陸でも急速に増え、2002年の数字で、中国の17省、74の大中都市に460店舗を数えるほどになった。(http://www.mcdonalds.com.cn/
 しかしながら中国には、マックを越えるファーストフード(快餐)があることはご存知の通り。いわずと知れた、ケンタッキーフライドチキン(肯徳基)である。KFCの店舗は、同じ02年の数字で約1000店。その分布はマックよりも広域で、現在30省市、200都市に及ぶ。(http://www.kfc.com.cn/kfccda/default.aspx
 チベット以外の省市、つまり、寧夏回族自治区銀川市(二店舗)でも、青海省西寧市(一店舗)でも、貴州省貴陽市(二店舗、ほか遵義にも一店舗)でも、ケンタッキーのフライドチキンを食べられるのだ。
 当然、世界的規模で見れば、KFCよりマックのほうが上だ。マックは世界121カ国、KFCは85カ国に店を構える。日本の店舗はマックが3773に対して、KFSは1163である(03年)。中国はKFCがマックを凌駕する唯一の国という記事を読んだことがある。ただし、KFCはペムシコ傘下の企業。ペプシコは他にピザハットやタコベルといったレストランを有する。よって、マック対ペプシコという争いになるとどちらに軍配があがるのであろうか。
 中国人の家禽好きはつとに有名だ。以前書いたことがあるが、家禽類は生きたものをしめて食べるものだった。それが、市場経済化により、鶏は切り身や冷凍モノが出回るようになり消費がぐんと伸びた。都市住民の一人あたりの肉の消費量(年)を見ると、1990年、豚肉18.46kg、牛羊肉3.28kg、家禽3.42kgであったものが、2002年になると豚肉20.28kg、牛羊肉 3kg、家禽 9.24kgとなっている。
 都市部の家禽消費量は、12年の間で2.5倍となった。その増加率は、「中国統計年鑑」に記載されている食品カテゴリーでは、以前とりあげた牛乳の次に位置する。
 まわりの中国人留学生15人ほどに「マックとケンタッキーのどちらが好き」と聞くと、「どちらも好きではない」が3人いたが、他すべて、フライドチキンを選んだ。帰郷すると必ずケンタッキーに寄るという学生もいた。チキンにかかっているスパイスが、日本のとは微妙に違うし、それよりも、ハンバーガーよりチキンサンドのほうが、「肉を食べた」という気がするのだそうだ。

 姚明との契約

 マックがケンタの後塵を拝しているといっても、すでに中国全土に460店舗を誇るまでになった。これは急成長という名に値する。ただ、97年時点で、中国の責任者が20世紀末までに600店舗という数字を出しているので、予想よりも多少伸び悩んでいるともいえる。それが、「マクドナルド化」(『マクドナルド化する社会』『マクドナルド化の世界』ジョージ・リッツア、早稲田大学出版部)という言葉に代表されるマック批判や、マック自身の経営後退が影響をしているのか、あるいは、中国の食文化による障害なのかは私にはわからない。ちなみに日本のマクドナルドは1971年にスタートし、先に書いた通り、30年で3773店舗に達した。
 本年はじめ、マクドナルドはNBAのヒューストン・ロケッツの姚明とスポンサー契約を結んだ。姚明は「歩く万里の長城」という異名(2メートル26センチ)をもちながらも、動きはやわらかくかつ敏捷なセンタープレイヤー。2002年に上海シャークスから、ヒューストン・ロケッツに移った。米国の大学外から、ドラフト一位でNBAのチームに指名されたのは姚明がはじめてである。その後の活躍は目覚しく、何億もの中国人がテレビに釘付けになるのみならず、米国でも多くのファンを獲得した。中国にとって姚明は、日本のイチローや松井、いやそれ以上の国民的ヒーローだ。
 その姚明がマクドナルドと複数年で契約を結んだのである。姚明はすでに、リーボックやアップルコンピューター、VISAカードとスポンサー契約を結んでいる。
 むろん、メインターゲットは中国市場である。姚明人気にあやかろうとしているのは、上記スポンサーだけではない。トヨタは、対中国市場をにらみ、昨年、ロケッツのスタジアムの命名権を買い取り、トヨタセンターとした。
 2004年11月5日読売新聞の米国紙の翻訳記事(「知的で率直、米プロバスケットボールでの姚明の成功」)を読むと彼の立ち居振る舞いは、なかなかスマートで、姚明が米国人に極めて好意的に受け入れられていることがわかる。
 人気プレイヤー、シャキール・オニールがマスコミを通じてでたらめな中国語を披露した時、姚明は「中国語は難しいから」と軽くいなしたそうだ。米国人にとって姚明は、まずもって「文明化」された存在であった、それゆえにマクドナルドは彼と契約を結んだ。
 ファーストフードに対する批判は、中国においても少なくない。その産業構造のいびつさを指摘した『ファーストフードが世界を食いつぶす』(エリック・シュローサー、草思社)は、マックやKFCなどのファーストフード文化(快餐文化)を批判する際にとりあげられる。そして、快餐文化が、文化のファーストフード化(文化快餐)をもたらしたという議論もある。しかし、価値判断は別にして、この10年、マックやKFCに代表される米国のファーストフードが中国社会の深層に与えた影響は少なくない。
 そして、ファーストフードの雄マクドナルドは、中国と米国を結ぶたぐいまれなるNBAプレイヤー姚明をつかって、2008年の北京オリンピックに向け走りはじめている。

  
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