第15号 2006.8.9発行 by 渡辺 浩平
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 金城武が康師傅(カンシーフ)のCFに出演することを聞いたのは、今春、上海に行った時だった。広告関係の知人から、同社が夏に向かって飲料を売り出し、そのキャラクターとして金城武を使うというのだ。
 本連載の1号で書いたが、康師傅(カンシーフ)は台湾彰化の零細企業を出自とし、1989年に製油業で大陸進出を果たし、後に、康師傅(康親方)という親しみのある名前を即席麺に冠して販売、同製品は大陸市場を席巻したのだ。現在、同社は中国大陸屈指の総合食品会社となり、台湾企業の中国大陸での成功事例としてしばしば名があげられる企業となった。
 台湾出身の企業が、中国大陸の消費者向けに、日本人の血を半分引く金城武を使う。その話を聞いて、一瞬当惑もし、同時に、商品がこれまた出自を日本とする麦茶であることを知り、納得させられもした。
 
おしどり夫婦と台湾
 実は、金城武について、半年ほどあれこれ考える機会があった。
 昨年の中ごろ、愛知大学現代中国学部の台湾人研究者黄英哲さんから、「日台イメージの錯綜」というテーマでシンポジウムを開くから、何かやらないか、交流協会の助成も得られたので、台湾、香港、米国、中国から面白い人を招聘できそうだし、と誘われた。元広告屋の経験を活かして、日本アジア航空(JAA)の広告作品から読み取る日本人の台湾イメージの変化という主題でならできそうだ、JAAから作品を借り受けられるかどうか聞いてみると答えた。
 幸いJAAからも快い返事をもらい、話も聞くことができた。さらに、同社の近年の広告作品が、古巣の博報堂の制作というので、同社へも行き担当営業の方とも会った。
 日本アジア航空にとって最初のキャンペーンといえるものは、1982、83年のペギー葉山根上淳夫妻の「夫婦で台湾、君うるわしく」である。このキャンペーンは、おしどり夫婦として有名なペギーと根上をつかって、当時、買春観光の目的地というイメージが強かった台湾観光に、「夫婦で」という新たなコンセプトを提案するためのものだった。
 その後も、「男性」のイメージを消すために、女性のキャラクターが主に使われ、1998年の金城の登場で初めて男性一人のキャラクターが誕生したのである。1998年という年は、すでに香港の王家衛(ウォン・カーウァイ)作品で勇名を馳せていた金城が、「不夜城」で日本デビューを果たした年である。
 JAAの社史にも、金城の起用に社内で異論を唱える意見があったことが記されている。つまり、以前の「男性」のイメージを想起させるのではないかという危惧である。金城の登用は、JAAの広告史にとってメルクマールとなる事件であった。
 今年の3月、愛知大で行われた「日台相互イメージの錯綜」での私の発表の枠組みはいたって単純で、JAAの作品を鑑賞しつつ、同社の広告作品の含意が、先の「男性」色の払拭に力点があったことを紹介し、同時に、広告で描き出される風景が、外省人的正統中華の世界から、台湾の郷土的側面の強調に移っていった点を説明するものだった。ペギー根上の作品では、いかにも中国的な真紅の背景を背にした二人が、豪華な中華料理を前にして、根上がペギーに鶴口の徳利で紹興酒をサーブするという場面が描かれていた。報告の最後で、近年のJAA作品が、台湾色を打ち出しながらも、作品におけるモチーフは、日本人の旅行に求める二大要素である「食」と「癒し」に集約され、台湾郷土の描写の上に、日本人の二大欲望が投影された画面構成になっていることを語った。
 私が報告したセクションのまとめ役は、東京在住のコラムニストで、元「台湾時報」東京支局長の劉黎児さん(棋士の王銘琬氏夫人)だった。東京に来た当初は、日本における台湾イメージが芳しくなく、台湾女性である自分が軽々しく見られているのではないかという不安を抱いたが、JAAの広告作品が年を経るごとに洗練され、台湾イメージも向上し、そのことによってずいぶん励まされた。私の話を聞きそのことを思い出した、と語られた。この報告は、正直、作品あってのもので、私自身の努力はさほどではないのだが、劉さんが、感慨深げに語るので、私も、いくらかは人様によいことをする仕事ができたのではないかと思い、嬉しくなった。
 
「とっても日本」
 その後のパーティーの席でなされた台湾出身のとある文化研究者の発言が印象的だった。私が、1998年の金城武の広告は、「台湾育ち」の金城が、日本人に向けて、新しい台湾を紹介するという設定のものだと説明した(その広告は、金城の顔のアップに、「台湾新発売」というコピーが添えられたもの)。そのことを受けて、「金城が日本では『台湾的』ととらえられていることに驚いた。台湾では、金城は『とっても日本』なのに。だから彼はどこに行っても人気がでる」と語った点だ。
 ただ、私の指導学生の台湾人留学生よれば、金城は当初から「とっても日本」であったわけでないという。王家衛作品に出る前の金城は、台湾語のラップをうたう、台湾人の野暮なニイチャンという風情だったが、日本で有名になってから、日本色を出すようになっていったというのだ。その「日本化」のプロセスは、「哈日(日本好き)」という言葉が流布していく過程と軌を一にするのではないか、ともいう。90年代末に台湾で放映された携帯電話の広告において金城は、台湾語も国語(北京語)もしゃべらず、台詞は日本語だけだったそうだ。
 ここで、「野暮なニイチャン」という言葉を使ったのは、金城を貶めることを意図したものではない。彼と彼の所属するプロダクションが、時代の空気を読みつつ、金城のポジションを微妙に修正していったその妙を書き残しておきたいと思ったからだ。
 なお、そのシンポジウムにおける主要な報告は、7月号の台湾「聯号文学」に掲載され、拙文も載っている。(「注視台湾的変化」『聯合文学』261期、2006年7月号、聯合文学出版社、台湾)
 名古屋のシンポジウムの翌週に上海に行き、康師傅(カンシーフ)の広告に金城武が出演をすることを知った。「だから彼はどこに行っても人気がでる」というコメントを思い出した。
 しばらくすると、その麦茶の発売とともに、その商品「大麦香茶」の専用サイトもあらわれ、金城出演のCFも動画で見られるようになった。一面の麦畑のなかで、白シャツ姿の金城が立ち、最後に、「陽光麦香、自然洒脱」と中国語で語る、それだけの映像なのだが、黄金の麦の穂が風になびき、眼に鮮やかな作品になっていた。撮影は、金城が指名をした日本のコマーシャルフォトの大家、操上和美氏だという。
 「大麦香茶」サイトには、麦茶はもともと日本のもので、健康茶として、アジア各国で受け容れられているという文言があり、広告作品は、日本生まれの「健康茶」と金城武をオーバーラップさせる構造となっており、この広告における金城は「とっても日本」であることは間違いない。
 
日本のアニメは若い人を誤らせる?
 6月上旬に北京に行った。
 社会科学院の劉志明氏が、日系企業向けに広報とCSR(企業の社会的責任)についてのセミナーを開くというので、そこに参加するためである。基調報告は、環球時報の副編集長だった。環球時報は、人民日報が経営する日刊紙(土日は休刊)だ。「環球時報(Global Times)」の名の通り、国際報道を売りにし、米国や日本、また台湾問題を、民族主義を前面に押し出して報道することで定評のある新聞だ。外信では、人民日報の特派員以外の現地の非常勤記者に書かせることが多く、それも売りの一つだが、日本関連の記事を見る限り、事実誤認が目立ち、お世辞にも質が高い新聞とはいえないものである。劉氏の意図は、日本に対して非友好的な大衆紙の幹部を呼び、日系企業の広報担当者と名刺と意見を交換させることにあったと思われる。
 副編集長氏は、環球時報の対日報道はバランスが取れていると力説したが、フロアにいる人々からは厳しい質問が飛んだ。最後の質問で、若い中国人女性が、最近、環球時報は日本のアニメが若い世代を誤らせるという記事が書いたが、いかなることか、私は日本のアニメによって育ったが、自分が害されたとは思わない、という趣旨の発言をした。
 日本の外務省が、靖国問題で冷え込んだ中国、韓国向けに、アニメなどのサブカルチャーを中心としたあらたな文化外交の方針を打ち出し、それに対して、環球時報が、反対記事を掲載していた、そのことを言っているのだ。
 文化外交は漫画好きでつとに有名な麻生外務大臣の肝いりで出されたものと言われている。4月28日には、コンテンツ制作の専門大学であるデジタルハリウッド大学で大臣自らが講演を行っている。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0428.html
 
画像:麻生大臣の講演
この講演を伝えるデジタルハリウッド大学のホームページより


 戦後、アメリカンコミックが日本に入ってきたことにより、日本人の対米観が変わり、また、アトムやドラえもんが、輸出されたことにより、マイナスのイメージを持っていた産業用ロボットのイメージが好転したという話を枕に、「大衆に浸透するたくましい力をもったポップカルチャーを、われわれは味方につけたいし、ついてほしい」とし、それを「ニッポン印のブランド」として磨いてゆこう、と麻生外務大臣は訴えるのだ。
 アニメ、漫画、ゲーム、Jポップ、ドラマをより競争力のあるものに育ていこうとするコンテンツ産業振興策は、近年、経済産業省を中心に進められており、その背景には、韓国が行政の後押しにより、コンテンツ産業が著しく発展した事実があること(「冬ソナ」、「チャングム」の成功が代表例)はご存知の方も多いと思う。今回の外務省の方針は、コンテンツ産業を外交の施策にも取り入れるべきという考え方だ。そして、そのために、民間との協力関係を築き、「オールジャパン」の取り組みをすべきだと外相は説くのである。
 具体的には、外国人の漫画家を対象とした漫画賞をつくり、日本のアニメ作家を「文化大使」として海外に派遣し、日本を紹介する英語の海外放送をつくるというものだ。特に最後の問題を中心に据えた「わが国の発信力強化のための施策と体制」については、張富士夫氏が座長を務める「海外交流審議会」で、本年から二年かけて話し合いをするという。
 その外務省の新方針に対して、環球時報は6月2日に、「日本の文化輸出、アニメを先鋒に」というフルページの記事を掲載、そのなかで、日本の漫画が、若い世代を誤らせる、国内の民族漫画産業の発展が必須という意見を示したのだ。
 
熟考必要な「新文化政策」
 宣伝めいて恐縮だが、私自身、中国において日本のサブカルチャーが広く受け容れられてはいるが、同時に、若い人々の間に、「軍国主義の復活」といった日本の現実とはかなり遠いイメージが存在し、日本イメージが偏った形で、中国の閉ざされたメディア空間の中で乱反射している状況を、述べたことがあり(「乱反射する日本イメージ 中国の大衆文化における日本好き」『世界』「2001年3月号)、その問題については、これまでつらつらと考えてきたつもりだ。
 サブカルチャーを国益と絡める意見に懐疑的立場をとる人々は少なくない。先の愛知大で行ったシンポで、四方田犬彦氏は、日本の「かわいい」という概念の海外への伝播について報告を行った際、国益との関連付けに対しては反対の立場を示していた。岩淵功一氏は、日本のサブカルチャーのアジアにおける受容というこの問題をあつかった『トランスナショナル・ジャパン』(岩波書店、2001年)で、国益との連動をうたう思想を、「ソフト・ナショナリズム」と称して厳しく批判した。
 岩淵氏の先駆的労作に敬意を表しつつも、国益と絡めることを峻拒する立場に私は賛同しない。現状において、国家という枠組みに私たちがいる以上、「ナショナル」なものを優先して物事を判断するのはいたしかたのないことだと考えるからだ。もちろん、その場合の国益は、「閉じられた」ものではなく、他国の利益との調整が可能な「開かれた」ものでなければならないが。現在の日中関係を考えれば、使えるカードはすべて使ったほうが良いと考える。むしろ、外務省のこの方針は遅きに失した感さえある。
 しかし、今回のこの文化外交の方針の打ち出し方は、どう考えても巧みなものとは言えない。あまりにも楽観的過ぎる。もちろん、麻生大臣の総裁戦出馬があり、それに向けたパフォーマンスという側面は否定できず、外務省内部では、もう少し冷静で丁寧な議論がなされていると想像する。
 アニメを含めた日本のサブカルチャーが好きでたまらない人々が彼の地にいるのは事実だ。6月に北京に行った際、週末に時間があったので、知り合いの家に遊びに行くと、知人の家の20代の娘は、ネットで日本の歌番組「ミュージックステーション」を見ていた。誰かは知らねど、日本の番組があまたネットで無料配信されているという。以前、彼女は台湾のF4好きだったが、いまの旬はKAT-TUNで、彼らの出る番組は、すべてディスクに落としているというのだ。
 日本のサブカルチャーは、中国の若者に広く愛されている。しかし、日本のアニメや漫画の輸出は、中国政府から見れば、文化侵略とうつる。ODAなどの問題とは異なり、今の時期に、一方的な文化外交を打ち出せば、中国は防衛的になるのは当たり前だ。
 中国は、韓国の成功やまた台湾での動きなどもにらみ -その前提となるのは、ディズニーやハリウッドといったアメリカのソフト産業の圧倒的な強さであり、ポケットモンスターなどの日本のアニメの成功であるが- 民族漫画産業の育成を強く求めているのだから、漫画賞の創設などの施策を、中国への寄与というロジックで組み立てることはできなかったのか。この時期、「純正ニッポン」をそれも国家が打ち出すことはどう考えても無謀だ。
 
 広州ホンダは日本色の弱い企業だと言われる。中国経営報と北京大学経営管理学院が共同で行っている「尊敬される企業」のランキングは、数年前に始まった当初、日系企業が一社も入っていなかった。が、広州ホンダは、2,3年前に20位内に入り、現在も日系企業として唯一上位ランキング入りをしている企業である。広州の「広」の字を先に掲げ「広本(グワンベン)」と略称され、中国色を出したところが、高尊敬度につながった一因と考えられる。もちろん、「広本」の現地化は名のみではないだろう。
 日本車の技術力は中国人みなが知っている、アニメの面白さもわかっている。でも、表立って「純正ニッポン」を強調されることは、中国人にとってここちよいものではないだろう。
 日台の二つの血を受け、状況の変化によって、日本や台湾、そして中華との接点を巧みに出していく金城武のポジションの取り方から、日系企業は多くのことを学べるのではないか。そして今後東アジアにおいて、「ナショナル」なものを超えていくものが誕生するとしたら、そのような、極めて現実的でしたたかな戦略から、生まれてくるのではないかと考える。
 

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