第22号 2007.5.3発行 by 渡辺 浩平
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 4月24日、国務院は「情報公開条例(信息公開条例)」を公布し、来年5月1日より施行すると発表した。同日行われた国務院法制事務所の記者会見において、同事務所の張穹副主任は、行政機関はあまねく情報公開の義務を負い、公民、法人などの利益に関わる点や、公民の知るべき事項について積極的に情報公開をせねばならず、公民、法人は、行政機関に対して情報公開請求を行うことができる、とした。
 また、行政機関は、政府公報、ウェブサイトなどで広く情報を公開し、また、閲覧できる施設をつくらねばならず、情報公開にあたっては、個々の行政機関の公開度を審査し、市民の告発や訴訟を促し情報公開を監督すると、情報公開を実のあるものにするための措置も十全であることを強調した。
 
写真:国務院新聞弁公室の記者会見 写真:国務院新聞弁公室の記者会見
 国務院新聞弁公室の記者会見
(百度図片検索結果より)
知る権利の後ろ盾
 しかしながら、例外もある。国家の安全や社会の安定に損害を与える情報だ。
 同条例8条で「行政機関が公開する情報は、国家の安全、公共の安全、経済安全と社会の安定を損なってはならない」とうたっており、行政機関が情報公開する前に、「中華人民共和国国家秘密法」などの法律に照らして公開情報の審査を受けねばならない(14条)というのだ。
 この条例により、例えば、土地収用などで、農民と軋轢を起こしている地方政府を、公民が監督できるようになる。土地収用の行政措置が、正しい手続きによってなされているのか、買い取り価格は適切か、など収用のプロセスを、明らかにする権利を中国の人々が有することとなる。
 人民網のコラム「人民時評」(陳家興)で、同条例が「公民の知る権利の後ろ盾」としたのは、そのような背景があってのことだ。同コラムによれば、中国の法律において「知る権利」が明文化されたのは、本条例がはじめてだという。
 また、おなじ人民網の記事で、北京大学の姜明安は、情報公開条例の施行により、二つの障害が克服できるという。一つは、情報に対する幹部の「観念」だ。一部の官僚は、情報は自分たちの特権に属するものであり、情報を公にはしたがらず、また、市民にそれを明らかにすることは望まないという。情報公開法は、そのような幹部の古い考えを突き崩すことができるというのだ。
 もう一つは、情報公開にあたって行政は、専門の組織や、発表するメディアを準備せねばならないが、そのような制度整備により、市民が直接情報に触れるようになり、さらに正確な情報を得るよう求めるようになるというのだ。
 姜によれば、この二つの障害は、短期間で克服できるものではなく、長い道のりが必要ではあるが、庶民に「希望」が見えたと語っている。希望とは、社会におけるさまざまな問題を解決する民主的システムといったことを指していると想像できる。
 姜が述べる通り、この情報公開条例により、公民の知る権利が保障され、希望が生まれたことは間違いない。しかしながら、8条をたてに、行政機関が情報公開をしぶることは十二分にありうるし、だいたい、土地収用に抵抗する民衆に、暴力で対処する地方政府があとをたたず、権利擁護に動く弁護士に公安がはりつき、時に危害が加えられるかの国の実情と、情報公開や、知る権利の保護という、両者の「観念」の間には、かなりの懸隔があると言える。直截な表現を使うと、ヤクザ者に市民社会のルールを教えることに等しい。陳家興のコラムでも、同条例が、「本来の姿を失(走様)」ったり、「値引きされる(打折扣)」可能性を示唆していたが、条例が実のあるものになるまでの道のりは遠い。
 
さてメディアは
 米国のネットニュース「多維新聞」によれば、先の記者会見の席でウォールストリートジャーナルの記者が、「条例のなかで記者の権利について触れてはいないが、記者はいかなる権利を持つのか、また、メディアは情報公開においていかなる機能を発揮するのか」と質問をしたが、張穹副主任は、その質問に真正面から答えなかった。
 行政を、また企業を社会が監視するためには、マスメディアの働きが不可欠であるが、周知の通り、中国のメディアは党中央宣伝部の規制下にあり、報道の自由は大幅に制限されている。昨今は「異地監督」などといって、しがらみのない他地域の不正をメディアが暴くケースはあるが、それとて、背後に政治的意図があることが少なくない。
 4月2日に決着のついた、重慶立ち退き問題(いわゆる「最牛釘子戸(もっとも頑固な居座り一家」)でも、さきの人民代表大会で採択された私有財産保護を目的とした「物権法」の啓蒙という意図があったことは衆目の一致するところであろう。
 まず啓蒙的意図があっての報道緩和があり、そこに、重慶の区政府によりライフラインを止められても、周囲の敷地を掘り下げられ家一棟があたかも孤島の灯台のようになっても、頑強に抵抗した楊武、呉蘋夫婦がおり、二人の特異なキャラクターとあいまって、ニュースはネットで一気に中国内外に伝わった。そして、楊呉夫妻は、当初立ち退いた家族の何倍もの補償金を得て、家を離れ、事件は収束したのだ。
 「亜洲週刊」4月4日号によれば、この報道とて、3月24日に当局の指示により、主要ポータルサイトの同事件の特集は閉鎖されたという。「亜洲週刊」の同号の表紙には、ネット上に流布した、楊武を主人公としたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の翻案画が掲載された。つまりは、区政府の立ち退き要求に拒み、孤島灯台のごとき家の屋上で、五星紅旗をふり、憲法をかざして、私有財産の保護を主張する楊武を、フランスの自由を象徴するマリアンヌに擬したのである。その種の、楊呉夫妻を英雄視するパロディー画は、ネット上にあまたあらわれた。3月24日の当局の規制は、そのような、楊呉夫妻を西側の民主主義とからめて英雄視する風潮を戒めたものではないか。
 中国においてメディアの権利が保障されていないことを証明する事例は枚挙にいともがない。先の温家宝訪日の際の、中国メディアの日本に対する好意的な報道は、その証左であろう。
 07年4月22日付けの産経新聞によれば、今年の1月12日に党宣伝部がメディア関係者を集め、温家宝訪日をひかえ、中日関係の大局を妨げないよう指示を出したという。記事によれば、その議事録は伝達の範囲が限定されたものだった。確かに、人民網で党宣伝部長の劉雲山の活動歴も見ても、1月12日は空欄になっている。
 また、この情報公開条令公布のニュースも、新華社によって統一配信された。このような重要案件は、新華社によって一律配信されることが決まっている。メディアの方向性は、いまなお、党宣伝部によって決められ、自主性は大幅に制限されているのである。
 つまり、胡温政権がやろうとしていることは、水戸黄門の正義に近い。黄門さまの正義を振りかざしつつ、下から、、多元的な民主的システムを構築することは、困難を極める作業だ。
 
ネットがメディアの主流に!?
 一件だけ、メディアに関わることで気になる点を付記し本稿を終える。ネットメディアの存在感についてだ。前々号で書いたが、胡錦濤は、今年1月23日の政治局の会議で、ネットの管理とその健全な発展について述べた。4月23日、公開条例の公布の前々日、改めて胡は政治局会議で、ネット文化の建設と管理の重要性について、居並ぶ幹部に訓示をたれる。
 現在、アダルトサイト規制キャンペーンが張られており、また、主要サイトの責任者から、ネットの社会的責任という言葉が聞かれる。
 重慶立ち退き問題で、ネット報道や書き込みが重要な意味をもったことは先に書いた。さきの「亜洲週刊」4月4日号によれば、3月24日の報道規制は、ネットのみで、新聞に対しては行われなかったという。つまり、報道規制の軸足はむしろネットにあると中国当局は認識しているのではないか思えてくる。もちろんケースバイケースであろうが、中国国内の情報環境におけるネットの存在感は、日に日に増していることは明らかだ。
 米国バージニア州の大学での銃乱射事件が起った直後、「犯人は中国人」という誤った情報がネット空間を駆け回った。海外における中国イメージの向上をはかり、また、中国国内においては、他国や異文化についての知識の著しい欠如や偏りを、是正することは、中国共産党にとって喫緊の課題である。党宣伝部長の劉雲山も、「世界に中国を理解させ、中国に世界を理解させる」(06年11月10日、メディア王マードックとの会見)重要性を口にしている。
ネット上をかけまわる情報は、むろん、世界に中国を理解させ、中国に世界を知らしめることに貢献もするが、同時に、誤った情報により、中国の国益を大きく損ねる場合もある。そのような問題を語る以前に、現時点において、中国当局が、ネットにおける情報に制限をかけることなく、自分たちの存立基盤が保てると、思いきれてはいない。
 ここで言えることは、中国において、「ネットメディアがメディアの主役になりつつある」(4月18日「中国新聞傳播学評論」記事)ことであり、また、党中枢が、ネットをどう「建設」し「管理」するかという問題に、多くのエネルギーを傾注し、今後もしなければならないと強く意識しているという点だ、その二つは紛れもない事実であろう。
 
 

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