<目次へ>
     第1号 2004.5.15発行 by 村田忠禧
    魚釣島への中国人上陸問題の本質

  プロフィール>>
1785年、林子平三国通覧図説琉球三省并三十六島図
 3月24日に中国人活動家7名が釣魚島(日本側はこれを魚釣島と呼ぶ)に上陸したところ、沖縄県警に逮捕され、那覇に連行されるという事件が発生し、日本でも中国でも政府、マスコミが大騒ぎをする事態となった。26日には強制送還という形で上海に送り返されたため、ひとまず風波は収まる方向にある。日本と中国とがいずれもその領有権を主張するものとしての「尖閣諸島」(中国側は釣魚諸島と呼ぶ)をめぐる争いはどうして発生したのか。またこの問題をどのように理解したらよいのであろうか。

 無主地論は成り立つか

 「尖閣列島」とはPinnacle Islandsの翻訳で1900年に初めて登場する。しかし釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼などの名称ですでに明や清の時代の中国の文献に記載されている。沖縄は明治に入って日本に併合される前、中国と日本の二大国に従属
  
しつつも独立した琉球国として存在していた。琉球を構成しているのは本島と附属三十六島であるが、そこに釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼は含まれていない。これらの島々と琉球との間には深い海溝が存在し、小舟では簡単に往来することができず、琉球の人々にとってこれらの島々との結びつきはほとんどなかった。一方、深さ200メートル未満の大陸棚の縁に位置する釣魚島は、福建や台湾など中国沿海の漁民にとって悪天候時の避難場であった。帆船による航海で中国と琉球の往来がなされていた当時、冊封使を乗せた船は夏至の頃に西南の風を利用して福建の福州から出航し、釣魚嶼、黄尾嶼と大陸棚沿いに点在する島嶼を目標にしながら進み、赤尾嶼を過ぎて深い海溝に入り、それを渡り切ると久米島には琉球の派遣した役人が舟で待ち受けていて、那覇まで彼らが先導していくのであった。つまり中国と琉球との外交使節の往来にあたっては、両国の領域についての明確な了解が存在していた。無主地という見解は成り立たない。

 戦争に乗じた領有

 日本政府の領有権の主張はその基本見解にある通り「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです」というものである。
 しかしここには誤魔化しがある。すでに井上清・京都大学教授が明らかにしている通り、明治政府はこれらの島々が中国に属するものであることを知っていた。しかし琉球の完全支配を実現し、さらには台湾や中国大陸への野心を膨らましていたので、釣魚島のような小さな無人島のことで清国政府を刺激することは得策でない、と判断して具体的な動きを抑えていた。それが日清戦争において勝利が確実となり、台湾占領作戦を実施する段階になり、もはや清国政府に対する配慮は無用と判断して、釣魚島を沖縄県管轄とする標杭の建設を決定したのである。しかし狙いは台湾占領にあったので、実際にはこの時に標杭建設は行なわれなかった。のちにこの島々をめぐる帰属問題が発生したため、あわてて1969年5月に石垣市が地籍表示のための標柱を建てたのである。周辺海域から石油が産出する可能性あり、といわれてから領有権を主張し出したのは中国政府だけでなく、日本政府自身もそうである。
はたして本当に石油が出るのだろうか。沖縄返還を前にして日中間の対立の火種となるようにとアメリカが埋設した「地雷」のような気がしてならない。

 日中両国首脳の共通の理解

 日本と同様、中国側も石油が出るという情報に接して初めてこの島々の領有権問題を検討するようになった。この点については中国の周恩来総理は1971年7月28日、公明党の竹入義勝委員長に実に率直に述べている。同年9月に国交正常化のために訪中した田中角栄総理との間でも、この島の問題を取り上げないことを確認している。
日中平和友好条約の締結にあたって来日したケ小平副総理は1978年10月25日に日本記者クラブでの記者会見において棚上げ論を展開した。そして「われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話し合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと知恵があろう。その時はみんなが受け入れられるいい解決方法を見いだせるだろう」と、未来の世代の英知に託することを明言した。
 この島の領有権主張の根拠については双方にそれぞれの理屈があり、必ずしも一方が全面的に正しく、他方には全く根拠がない、と主張できるものではない。だからこそ領土紛争になっているのだ。しかし領土問題は双方の国民感情を刺激し、対立を煽動する手段として利用されやすい。これから新しい日中関係を築こうという時に、小さな無人島の領有をめぐって争うことは両国関係の発展とアジアの平和のために何ら益することがない。そのような大局的な判断から棚上げ論が提起され、それは両国首脳間の共通の了解事項となってきた。それは賢明な対応といえよう。

 靖国神社参拝への「しっぺ返し」

 しかし90年代に入り、とりわけその後半になると、日本では中国の急速な発展にたいする脅威論が、中国では日本の軍事大国化への警戒論が、さまざまな事件を契機にして沸き上がってきた。とりわけ歴史教科書や靖国神社参拝という歴史認識問題と結びつけてこの島の問題で行動を起こすことによって、反日民族主義を煽る動きが中国(香港、台湾を含めて)で起こるようになった。小泉総理の依怙地ともいえる靖国神社参拝行動は、かつて侵略戦争で被害をこうむった周辺諸国の人々の広範な反感を呼び起こしている。従来、中国人の釣魚島防衛運動は香港や台湾を活動拠点とした勢力の動きであったが、ここ数年、中国大陸に拠点を移し、しかもインターネットをも活用した反日運動として、急速かつ広範に展開されるようになっている。問題の対処を誤ると相互不信の感情は爆発的に伝播・拡大し、制御不能なことにすらなりかねない。小泉政権の傲慢な対中国政策にたいする一種の「しっぺ返し」ともいえよう。事態の悪化を望まないのなら、このような事件を惹起させるにいたった根源にまで目を向ける必要があろう。

ページトップへ上へ