第9号 2005.2.16発行 by 高井 潔司
    “党の喉舌”に留まるのか
  ――せめぎ合い続く中国メディア改革の行方
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 市場経済の進展に伴い、90年代中頃から、大きな変貌を遂げた中国メディア。胡錦濤政権下でさらに“社会の公器”としての役割が期待されたが、昨年秋の第16期共産党中央委員会第4回総会(4中総会)で、メディア改革の方向について、「党が管理する」との明確な方針が再確認され、“冬の時代”を迎えている。もっとも現場では、メディアの産業化が依然進行中であり、「市場化と統制」のせめぎ合いはまだまだ続きそうだ。


 メディアの変容――問題の背景1

 中国メディアは、90年代、市場経済の進展、高度成長の実現に伴って、広告の取り扱い量が激増した結果、多元化、多様化の一途を遂げた。新聞界では、従来の党機関紙や経済専門紙、夕刊紙に加え、市民のニーズに応える社会情報、生活情報、娯楽情報を満載した「都市報」が各地で相次いで創刊された。夕刊紙とともに、大衆紙が党機関紙に代わって、新聞界の主流となった。テレビ界でも、有線放送や衛星放送の普及で多チャンネル化が実現した。インターネットも2004年末で、1億人近い利用者を数え、「インターネット論壇」という、大衆の声を世界に対して、直接発信するメディアも誕生した。
 当然、党がメディアを独占するというこれまでの体制が揺らぎ始めた。マスメディアは「党の喉舌(代弁者)」という原則が打破され、「報道の自由」に向かいつつあるかにも見える。

 期待されたメディア改革――背景の2

 革命を直接体験していない第4世代の胡錦濤政権のスタートにあたって、政治体制改革の実現に向けて進展が期待された。これまで党の「喉舌」(宣伝機関)に留まっていたメディアの改革は、政治体制改革の柱の一つであった。胡錦濤政権は、その誕生となった02年の第16回党大会から03年の第10期全国人民代表大会にかけて、様々なメディア改革の方針を打ち出した。宣伝、イデオロギー担当の李長春党政治局常務委員は、メディアに対して、「三つ(実際、大衆、生活への)接近」を提唱し、イデオロギーの宣伝に捉われない、大衆の関心に密着した報道姿勢への転換を求めた。同じ頃、北京の有名大学で連続発生した爆発事件がインターネット報道などで速報された。以前ならこうした政治もからむ突発事件は、当局の調査と結論が出るまで報道されることはなかった。ニュース中心の報道が強調された。

 メディア改革を暗転させたSARS事件

 しかし、こうした動きを暗転させたのは、中国南部で発生した新型肺炎(SARS事件)であった。原因不明の奇病の発生は、順調に経済成長を続けてきた中国を不安の底に陥れた。2002年秋に発生した新型の伝染病について、中国当局はひたすら「情報隠し」に動いた。感染の拡大と世界保健機構(WHO)の勧告に加え、内部告発もあって、中国当局は2003年4月20日、一転して“情報公開”に踏み切った。当局はそれ以降、情報の公開に留まらず、メディアを通して、党指導者や医師、看護士たちの献身的な行動を称えるキャンペーンを展開し、新病と闘う団結心を強調した。
 事件をめぐって二つの立場が顕在化したといえよう。
 一つは情報の公開を求める一部メディアと知識人の声である。事件は発生源の広東では、すでに2月当時から奇病の発生が民衆の間に口コミで広がり、一部の医薬品や塩などの値上がりが始まっていた。大衆紙は、こうした状況を基に、当局に対して、情報の公開を求めている。うわさが不安を拡大していると当局を批判した。これに対して、当局は、感染はすでに抑えた、新聞こそ不安を煽り、医薬品や食品の値上がりを助長していると批判した。その後、WHOの勧告もあり、4月3日には中央政府の衛生相が記者会見を余儀なくされたが、それでも「すでに効果的に抑制された」「中国での仕事、生活、観光は安全」と“情報隠し”を続けた。これに対して、内部告発を行ったのが北京の人民解放軍の老医師であった。彼は海外のメディアに対して感染拡大の情報を流し、この情報が中国にも逆移入されて、中国当局の情報隠しの実態が明らかになり、内外から批判が高まった。当局が4月20日に情報公開に転換したのはこうした経過があった。事件を通して、「知情権」という国民の「知る権利」を意味する言葉も社会に普及し、メディアは「社会の公器」であって、SARSに限らず、メディアは高級幹部の腐敗や不正を暴き、政治を監督する機関であるべきだ、といった意見が知識人の間で高まった。
 他方は情報の管理はあくまで党が握るという立場である。胡錦濤政権のスタートにあたってはニュース主体、大衆の関心に配慮する報道姿勢が強調され、管理体制の開放が期待されたが、SARS事件以降は、再び管理強化が目立つようになった。4月20日以降の“情報公開”も、結局当局の宣伝、発表をメディアが大々的に追随しただけのことであった。情報の管理強化とも言えるだろう。当初、中国メディアによって高く評価された内部告発者の老医師はその後、一時的に軟禁状態に置かれた。情報公開を求めた新聞、雑誌の編集長が逮捕されたり、一時的に停刊されたりした。SARSに留まらず、「報道の自由」の実現を求める声が高まった。「(メディアを一手に統制してきた)党中央宣伝部を討伐せよ」といった北京大学助教授の評論が、インターネット上に流布されたのもこの頃である。メディアの一定の開放がそうした声を挙げさせたとも言えるし、インターネットという誰もが情報を発信できるメディアが登場したこともそれを可能にした。しかし、その後、報道の自由化を求めた学者、ジャーナリストたちは様々な処分を受けている。一時的に開放に向かうかに見えたメディア界は2003年秋以降、「マルクス主義新聞(ニュース)観」などを学ぶ「三項学習運動」が展開された。この点については、本欄の昨年6月15日号拙稿「『マルクス主義』が吹き荒れる中国メディア界」を参照して頂きたい。

 党によるメディア管理を再確認した4中総会

 こうしたメディア管理の保守化の基本方針としてまとめられたのが、4中総会での決定ではないだろうか。少し長くなるが、4中総会の決定のメディアに関する部分を引用してみよう。
 「しっかりと世論の方向性を掌握し、正しく社会世論を導くこと。党がメディアを管理するという原則を堅持し、世論を率いる能力を強化し、世論工作の主導権を握らねばならない。団結、安定、激励の姿勢を堅持し、プラス面(正面)の宣伝を主とし、ニュースメディアの政治意識、大局意識、社会的責任感の強化を指導し、さらに新聞や出版、ラジオ、テレビの宣伝を改善し、党の主張と人民の声の統一を体現し、その吸引力と影響力を高めよう。社会のホットな問題に対する指導を重視し、積極的に世論監督を展開し、ニュースの発表制度と重大突発事件についての速報体制のメカニズムを整備しなければない。インターネットなど新しいメディアの社会世論に対する影響力を高度に重視し、法律・規範の制定、行政監督、業界の自主規制、技術保障などを組み合わせた管理体制の設置を早め、インターネット宣伝の隊列建設を強化し、ネット上の強力なプラス(正面)世論の陣営を形成していこう」
 ここで注目したいのは、以下の三点だ。
 @党によるメディア管理の原則を再確認した。
 Aメディアの宣伝力とりわけ党の主張と人民の声の統一を強調した。
 Bインターネットの管理強化とりわけその宣伝力強化やインターネットにおける前向きな世論形成の必要性を強調した。
 この間、メディア管理の原則が緩み、各メディアが独自の主張をしたり、インターネットで過剰な民族主義、愛国主義の主張が書き込まれ、国際社会との軋轢も生じた。このまま放置していると、党や政府のコントロールができなく恐れもある。良くも悪くも、市場経済に伴う多様化の弊害を求める方針と言えようが、総じて言えば管理の強化である。
 この4中総会の決定のタイトルはずばり「党の統治能力強化の建設に関する決定」である。この決定には、いまや「世界の工場」とも称せられる経済成長の誇りなど感じられない。むしろ共産党の統治能力の低下、現体制の将来に対する異常なほどの危機感が感じられる。事もあろうに、「中央宣伝部を討伐せよ」といった過激な評論が公然と流れたインターネット・メディアに対する党の統治能力の低下はその最たるものなのだろう。

 「市民的公共圏」の広がりを警戒する当局

 そもそもヨーロッパのメディア史を紐解いてみれば、「プレスの自由」は市場経済の発展とともに、市民革命や資本主義社会形成の原動力になっていく。中国においてもメディアの多元化は、共産党が牛耳ってきた「公共圏」とは独立した「市民的公共圏」を形成していく状況にある。それは党にとって好ましい現象ではない。
 香港の「亜州週刊」2004年12月19日号によると、党中央宣伝部は11月11日、全国の報道機関に対し、第29号文献を通達し、現在の報道活動には「管理意識の欠如から、意図するしないにかかわらず西側の誤った観点を称揚している」「問題は多く、危険な状況が常時発生している」、ある者は西側の政治制度を、ある者は司法制度、ある者は民間の権利、ある者は報道の自由を言いふらし、歴史の暗黒面を拡大したり、刑事事件を政治化しようとする者もいる、と警告したという。
 また上海市の党機関紙「解放日報」は11月12日、15日に「人心を惑わすスローガン――『メディア公器論』に答える」、「表象から実質を見抜く――『公共知識分子論』を分析する」と題した吉方平署名評論を掲載した。この連続評論は、29号文献に沿ったメディアの変化の現状とそれに伴って現われた「自由主義」的な議論を批判したものである。まず最初の評論は「メディア公器論」は、ヨーロッパ近代においてブルジョア階級が封建階級と戦うために編み出した議論であり、ブルジョア階級のための理論に過ぎないと批判した。また「公共知識分子論」批判は、広東省の有力な新聞発行集団「南方日報集団」傘下の週刊誌が、西欧誌を真似て「中国の影響力ある50人の公共知識分子」を紹介した記事を批判したものだ。「公共知識分子という概念そのものが舶来のものであり、その独立性、批判性を主張する議論であり、いかなる集団にも階級にも属さない超越したグループと主張している」「公共知識分子の概念は、彼らを公共意識と公共の利益の門番、社会正義と良識の守護者、沈黙の大多数の代弁者であるかのように描いている」「彼らは知識分子が自らの専門から離れて、広範な「公共的事柄」について大いに意見を表明し、「万能知識分子」となり、映画、音楽、スポーツのスターに仕立てようとしている」と、警戒心をあらわにしている。
 ちなみに「解放日報」は、故ケ小平氏の意を体して、1991年に「皇甫平」という連続署名評論で、「思想の解放」、「改革・開放路線の加速」を呼びかけ、今日の中国の市場経済への移行と高度成長をもたらす契機を作ったと評価される新聞である。その由緒ある新聞がこうした連続評論を掲載すること自体、中国当局のメディアの現状に対する強い危機感を伺うことができる。4中総会決定も、29号文献も解放日報評論も同じ背景が出てきたものである。

 継続する「開放と管理」のジレンマ

 とはいえ、そもそも今日のメディアの変容をもたらしたのは市場経済であり、本来、市場経済の原理に沿ったメディアの管理が必要になってくるだろう。メディア開放の弊害が出てくると、たちまち「マルクス主義新聞(ニュース)観」へと逆戻りしてしまうところにこそ、中国共産党のメディア政策ひいては統治能力の危うさがあるといえよう。一連の保守化の動きの中で、メディアを巡って、中国国内で交わされている議論を読んでみると、4中総会の決定を「歴史的な決定」と持ち上げる地方機関紙の責任者もいれば、「新聞業界はより市場に密着しなければ生き残れない」と反論する編集者もいて、決して一筋縄ではいかない状況になっている。開放と管理のせめぎ合いはまだまだ続きそうだといえよう。


  
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