第16号 2012.04.21発行 by 高井 潔司
    薄熙来氏の解任によっても変わりそうにない
中国の「人治」
<目次>へ戻る
 今秋開かれる中国共産党大会で、最高指導部の党政治局常務委員会入りが有力視されていた薄熙来氏が、3月に中国の4大直轄市である重慶市の書記を解任されたのに続き、4月10日、党政治局員のポストからも解任され、重大な党規律違反で審査されていることも明らかにされた。夫人には英国人ビジネスマンの殺害容疑までかかっており、薄氏の解任については日本の新聞やテレビでも大々的に報じられた。昨年12月、蒼蒼社から出版した『中国文化強国宣言批判』の中で、中国メディア研究の立場から、すでに重慶市の現地調査を踏まえ、薄書記が最高指導部入りを狙ってメディアを総動員し、政治を私物化している点を指摘した筆者にとって、わが意を得たりの思いである。とくに同書では、薄氏を補佐してきた今回の事件のもう一人の主役でもある王立軍公安局長(当時)の暗躍ぶりを取り上げ、「重慶は赤いテロの時代」という現地記者の怒りの声まで紹介した。だが、日本のマスコミの報道ぶりはスキャンダラスな面にばかりに焦点が当てられ、事件が中国の政治体制問題の欠陥の典型的な現れだという視点に欠けている。
 日本の新聞の中で、今回の薄氏解任に至る“政治劇”を最も熱心に報道してきたのは朝日新聞である。重慶市書記の解任から政治局員解任までの間にも、1面記事や3面の背景解説のページを使い、英国人ビジネスマンの変死事件への関与の情報まで他社に先んじて書いていた。しかし、政治局員解任という決定的なニュースを特報したのは、失礼ながら、意外にも毎日新聞だった。
 薄氏の政治局員解任の中国側発表は10日午後11時(日本時間11日午前零時)過ぎ、国営新華社通信の報道を通して行われた。したがって、11日朝、東京23区や横浜、札幌などで配達される最終版(14版)には各社とも掲載されている。朝日などは1面と3面を使った大扱いの記事である。しかし、午後11時ごろに原稿が締め切られ東京近県や東京郊外で発行される13版では、毎日新聞にしか掲載されていない。最終版地区の北海道大学から13版地区の東京・町田市の桜美林大学に4月から移った筆者は偶然、この事実に気づいた。毎日新聞の書き出しはこうだ。
 「中国共産党中央が、重慶市トップの党委書記を3月に解任された薄熙来氏(62)について党政治局員と党中央委員の職務を停止したとする内部通知を出したことが10日、分かった。複数の党関係者が明らかにした。・・・」
 この記事は他紙のような新華社報道の転電ではない。独自の取材に基づいたものだ。見事な特報だが、毎日にとって残念だったのは都内最終版段階では横並びとなってしまったことだ。
 香港の『亜洲週刊』のインターネット版報道(12日早朝)によると、北京では10日午後6時半から党・政府機関の副処長(副課長)級以上の幹部の会議が一斉に開催され、」薄氏解任の決定が伝えられ、その情報は深夜になって新華社を通じ公表された。また日経新聞によると、解任情報は新華社報道の前に、アメリカ、イギリスには事前に通知されていたという。イギリスはビジネスマン殺害事件でいわば当事者であり、アメリカは事件の発端となった王立軍前公安局長が亡命を求め、米総領事館に駆け込んだという経緯があり、こちらも関係当事国である。重慶問題を、党関係者、外交筋の情報として報じてきた朝日だけに、幹部への伝達会議開催の情報くらい入ってきそうなものだ。毎日の後塵を拝した点を見るにつけ、それまで報じた情報の多くは、実はインターネット上に流されていた未確認情報をただ垂れ流ししていただけではないのか、と疑いたくなるほどだ。
 日本の重慶問題報道をめぐって、こうした報道合戦よりも気にかかるのは、なぜこの問題を大々的に報じるのかという視点の問題である。4直轄市の一つとはいえ、たかが中国の地方都市の書記の解任事件である。各紙の報道を読めば、中国の最高指導部が10年に一度一新される党大会(今秋開催予定)に向けて、有力候補が解任に追い込まれ、党内の権力闘争の様相を呈していること、またイギリス人ビジネスマン殺害といったスキャンダラスな要素があることが、ニュース価値として指摘できよう。確かに指導部人事を行う党大会前に、ライバルと見なされる有力指導者の失脚事件が繰り返される。6年前の同じ時期、やはり最高指導部入りが有力だった上海市書記の不正・腐敗事件が暴かれた。17年前には北京市書記が失脚に追い込まれている。
 これを権力闘争といえるのかどうか。その議論をさておくとしても、、きちんと書いてもらいたいのは、新指導部人事が形成される段階で、こうした問題が繰り返される政治体制の問題である。いったん追及が始まると、次から次へと暴かれる地方トップの腐敗や不正、犯罪だが、なぜ長年かくも組織的に放置されてきたのか。チェエクアンドバランスのメカニズムを欠いた現在の非民主的な政治体制が、まさに重慶のような地方独立王国を許してしまうのである。日頃、中国の民主化の遅れを批判する記事を掲載してやまない日本の新聞が、重慶問題に関してそこまで議論が及んでいないのは残念だ。
 拙著『中国文化強国宣言批判』では、「権威の基礎が脆弱となり、ここ数年、いわゆる政治的指令が中南海(中国共産党の総本山、共産党の代名詞)から出ず、地方の権力、あるいは一部の政治部門の権力に対して、上からの取り締まりもなく、下からの監督もないという状況になっている」と指摘する孫立平・清華大学教授の「社会総崩れ論」を紹介した上で、その典型的な例として、重慶の状況をルポした。公安局長だった王立軍は、いわば国会議員にあたる全人代代表も兼任し、メディアに対して、警察批判は、警察に対する名誉棄損として裁判に訴えると、公然とメディアを脅しつけていた。重慶市の宣伝部はメディアを締め付け、商業化された大衆紙であっても、重慶市の党機関紙の記事を1面から3面、日によっては5面まで転載させ、どの新聞も薄書記を持ち上げたり、市の行政の成果を宣伝する同一の記事で埋め尽くされていた。重慶市は連日のように海外や国内から著名人を招待して、会議やイベントを開き、重慶市の発展ぶりを称賛する声を紹介させる。その恩恵に預かった日本の政治家やジャーナリストもいる。革命歌を歌い、やくざ組織を撲滅するいわゆる「唱紅打黒」運動にしても、権力を使い大衆を動員し、自身の声望を高めようとする野心から出たに過ぎないことは、息子をイギリスやアメリカに留学させていることを見ても明らかだ。「左派」の代表でもなんでもない。どう見ても政治の私物化に過ぎない。だが、すべての権力を一身に集め、独立王国を築く薄氏を、「やり手」として評価し、提灯記事を書くジャーナリストや外交官は後を絶たなかった。
 事情を熟知する地元の記者たちは、様々な圧力を受け、脅しに震え上がって書くことができないでいた。書けば当の記者だけでなく編集長まで解任されてしまう。
 今回の薄氏の解任でそうした構造的な問題が改革されるのかどうか。現状では全く期待できないだろう。これまで薄氏の独立王国に口を閉ざしてきた地元のメディアに報道の自由が与えられたわけではない。党中央との一致団結をスローガンに、今回は党中央の方針に一致せよと相変わらずの統一報道を強いられているだけである。
 読売新聞はご丁寧に「関係部門の責任者は次のように表明した。我が国は社会主義法治国家であり、法律の尊厳と権威を踏みにじることは許されない。誰であろうと、法律を犯せば、法律に基づいて処分され、見逃すことは決してない」との解任を伝える新華社電の要旨を掲載している。これを掲載した読売は、この一件で、中国が本当に「人治」から「法治」に転換したと考えているのであろうか。公式にそういって見せているが、「社会主義」の冠を被った「法治」は「人治」に過ぎないことはこれまでの歴史の繰り返しを見ても明らかだろう。そう解説しなければ、この要旨を掲載する意味がない。そもそも新華社の「報道」が党の見解を伝えているだけで、報道機関としての機能を果たしていない。
 独裁体制の下で、立法機関、司法機関、マスメディアなどのチェックアンドバランスは日常的に機能せず、地方指導者の不正、腐敗は権力の交代期にのみ暴かれるという不安定な状況はいつまで続くのだろうか。






上へ

       
  <目次>へ戻る