第1号 2012.11.19発行 by 高井 潔司
    まえがきに代えて
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 対談相手の西茹・准教授は、趙紫陽時代の1980年代後半、遼寧省瀋陽で刊行されていた共産主義青年団(共青団)系の理論研究誌『新思維輯刊』の編集責任者を務めていた。同誌にはのちに天安門事件の理論的支柱だった厳家其氏ら現在の反体制派の論客、また胡錦濤政権のブレーンだった王滬寧氏、王逸舟氏らそうそうたる顔ぶれが登場している。彼女自身は、まだ大学を卒業したばかりの20歳代であった。それだけ改革全盛時代の空気を反映していたと言えよう。
 しかし、同誌は天安門事件の発生で、廃刊。その後、彼女は『遼寧青年』に移動され、青少年の相談コラムの編集などを担当していたが、99年に北海道大学大学院医学研究科博士課程に留学する夫に同行して来日した。それから一念発起して日本語の勉強を開始し、私が所属していた北大大学院国際広報メディア研究科に入学した。大学院では西側のジャーナリズム理論を学び、その視点から改革・開放以後の中国のマスメディアの転換を分析する博士論文を書き上げ、『中国の経済体制改革とメディア』(集広舎)を上梓した。計画経済時代の宣伝機関から、市場経済体制に対応した大衆メディアも誕生したが、一党指導体制を堅持する現体制は、メディア規制をむしろ強化し、メディアを管理下においている現状を明らかにしている。その視点から、日本の中国報道、中国研究を見ていると、しばしば日本のメディアのステレオタイプ、思い込み、そして取材不足を感じることがあるという。彼女の指摘は、中国の多くの研究者に見られる自己保身や体制翼賛的な発言と違って、「実事求是」から出発しているので、傾聴に値するものが多い。今回も、18回党大会の報道をめぐって、Eメールで、彼女から「どうしてこんな分析になるのですか」という質問を受け、私自身も大いに啓発された。そのやりとりを公開して、日本の読者の参考にしたらと思い、21世紀中国総合研究所のウェブサイトに定期的なコラムの設置をお願いした次第である。
 
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