中国の論調・翻訳紹介    
     第05号 2020.11.15発行 〈目次へ〉    
    私が目にしてきた豊かな農村を目指す中国の歩み 村田忠禧
訳者プロフィール>>
 私が中国語を学び始めた1965年当時は日本と中国との間に国交がなかったので中華人民共和国への留学はできなかった。中国研究をしていながら実際の中国での生活経験がないことは私の大きな「弱み」である。それを補おうと可能な限り中国への短期旅行を実施してきた。しかし現在は新型コロナ感染症の影響で中国旅行は実施不能になっている。一日も早く日中双方の渡航往来が正常に復帰するのを願っている。
 中国を理解するのに北京や上海などの大都市だけを見て判断すると間違いを犯しやすい。
 私は中国現代史、とりわけ中国共産党史を研究しているので、毛沢東などが活動した現場を自分の目で確認したいと思っている。中国を理解するのに北京や上海などの大都市だけを見て判断すると間違いを犯しやすい。幸いなことに中国の研究機関と研究者の協力が得られ、一般の外国人旅行者では行くことが難しい辺鄙な農村にも足を運ぶことができた。現地に行くことができれば、書物に書かれている以上に具体的に過去を「追体験」することができ、同時に現在の農村の姿を垣間見ることもできる。
 
最初に訪問した農村は河北省沙石峪
張貴順 沙石峪生産大隊党支部書記


 私の最初の中国訪問は1971年12月からの約1ヶ月。日中間に国交がなかった。その時、河北省遵化県にある人民公社生産大隊の沙石峪という貧しい農村を訪問し、一泊した。民家に泊まったのはこれが最初で最後のことである。
 当時は人民公社は社会主義中国の特色と見做されていた。しかも「以糧為綱」と穀物生産を最優先させた政策で、沙石峪のような石ころだらけの山村でも段々畑の開墾をしていた。山西省昔陽県の大寨と並んで沙石峪は確固たる奮闘精神で劣悪な自然環境と戦っている模範とされていた。
 しかしこの政策は自然環境の破壊をもたらし、農民の生産意欲を低下させ、最終的には1983年に人民公社は解体され、家庭を単位とする生産請負制が採用され、農民の生産意欲が高まった。また「退耕還林」(耕地を森林に戻す)政策が採用され、土地の条件に適合し、換金性の高い果樹などの植林が進められた。今日、WEB上で「沙石峪」を検索すると、葡萄の産地となっている。また「沙石峪記念館」が作られ、かつての奮闘精神に学ぶ学習基地になっているようである。この点は2009年3月に訪れた山西省の大寨も同様で、過去を一律に否定するのではなく、継承すべきは何かを考えさせようとしているようだ。ただ大寨や沙石峪はあくまでも「模範」であって、貧困に苦しむ多くの農村にそのまま適用できるとは思えない。また奮闘精神の発揚だけでは問題解決にならないことは明らかである。
 人民公社が解体したことで、働き手である農民は現金収入を求めて都市部に流入し、「世界の工場」の一つの重要な要件である安価な労働力の恒常的確保が可能となった。しかしそれは同時に、農村から中核となる労働力が流出し、残され子老人と子供によって維持される農村になり、農業は弱体になってしまう。このままでは都市と農村の格差は拡大する一方である。低賃金労働力のみに着目した企業は中国が豊かになるにつれ、次第に中国に魅力を感じなくなり、中国から出ていく、もしくは内陸部に生産拠点を移していく。農民工も故郷の近くに就労の場を見いだすようになり、沿海部に戻らなくなる。党と政府も格差是正、貧困撲滅に力を入れる。人民公社が廃止されて以降、おろそかにされてきた農村のインフラ整備とその土地の条件にあった産業の育成である。それを指導するために弱体化した党組織に外部から「第一書記」を派遣し、農村の指導体制を建て直し、強化していく。

大寨党支部 大寨村民委員会 大寨村民兵連 の入っている建物
(2009年3月)

 なお1971年に一緒に沙石峪を訪れた高見邦雄さんはのちに「緑の地球ネットワーク」(GEN)というボランティア団体を組織し、1992年から山西省大同市での緑化事業に協力している。大同には日本軍による被害の記憶がまだ残っていた。地道な緑化活動を続けた結果、次第に農民たちの信頼を勝ち取ることができ、いまでは「GEN」の活動は地球環境を守るための日中の共同協力事業として高い評価を得ている。2016年度からは河北省張家口市蔚県に拠点を移し、引き続き緑化事業への協力活動をしている。詳しくはhttps://gen-tree.org/index.htmlをご覧ください。
 
劣悪な自然環境のなかで生きる努力
 中国の人口は日本の11倍ほど、面積は26倍もある。大変広大な国土のように見えるが、1,000mを越す高地が58%にも達する。雲南省の騰沖から黒竜江省の黒河までを直線で分けると、その東側は面積では43%だが人口は94%にも達する。それに対し西側は面積では57%を占めるが、人口は6%を占めるに過ぎない。

人口密度分布図(2009年)

 しかも西側は大半が500m以上の土地で、内陸であるため降水量が少ない。日本の年間平均降水量は1,668㎜で、中国のそれは645㎜であり、水不足はそれほど深刻ではないように見えるが、降水量は南方に多く、北方は極端に少ない。山西省大同などでも年間降水量はそれなりにあるが、雨は夏に集中的に降り、表土を押し流してしまう。西北地方の山を見ると南側斜面は岩だらけであるのに、北側斜面に樹木が育っているのを目にする。乾燥しているうえに太陽光線が強烈なので、南斜面では雨や雪の水分は蒸発してしまう。北斜面はその割合が少ないので樹木が育つ。日本の常識では考えられないことである。貧困の発生はこのような劣悪な自然環境と密接に関係している。


 そのような劣悪な環境にも関わらず、昨今は緑の山並みが急速に増えている。2000年夏に陜西省延安から山西省太原へと車で向かった時、周囲の山は段々畑であったところに植林がなされていた。まだ細い木々であったが、おそらく今また訪れたら緑豊かな山林になっているであろう。かつては岩しかなかった万里の長城が今は緑に囲まれた長城に変わっているではないか。

延安から太原に向かう道中で見た陜西省北部の山(2000年8月)

少数民族について
 中国を外から見ている人々の「認識」と実際の現実との違いが目立つものは他にも多くある。なかでも「民族」についての誤解が多いように思う。
 中国は56の民族からなる多民族国家で、漢族はその一つに過ぎない。しかし人口のおよそ92%を占め、圧倒的に多数派である。残りの8%を55の少数民族が占めるが、1,000万人を超す民族が今日では4ある一方、7民族が1万人未満、中間に44の民族が存在している。回族はかなり全国に分散しているが、他の民族は辺境や自然環境の劣悪な地域に混在しているケースが多い。
 中国は連邦制ではなく、区域民族自治という、民族の集中状況と規模に基づいて「自治区」(省級)、「自治州」(地区級)、「自治県」(県級)の行政組織を設けている。「内蒙古」、「新疆ウイグル」、「広西チアン族」、「寧夏回族」、「チベット」の5が省と同格の「自治区」である。これらのうちチベット自治区だけ漢族が少数派(4.1%)で、他の自治区では漢族の割合が最も高い。民族人口の多寡だけが「自治」を決める基準ではないことがわかる。さらにより小さな自治組織として「民族郷」がある。「区域民族自治」制度は中国が実際の情況に基づいて創出した制度で、少数派の存在も尊重する優れた制度である。
 しかし実際には中国は数のうえで圧倒的な漢族が少数民族をいじめているかのような認識が多い。私が実際に体験したことを紹介したいと思う。
 青海省西寧のタール寺にて
 しかし実際には漢族が他の少数民族をいじめているかのような見方をする人が多い。 そこで2010年に青海省西寧のタール寺を訪問した時の体験を紹介する。

青海省西寧のタール寺でのツアー・ガイド、隣は朱建榮・東洋学園大学教授

 ツアーガイドの女性が語った。彼女の父は漢族、母はチベット族で、娘の彼女は父の要望で漢族になっていた。中国では18歳までなら変更は可能であるが、もはや18歳を過ぎてしまったのだろう。本人はチベット族になればよかった、と我々に語った。もしチベット族に対する偏見が強く存在しているのなら、このような発言は生まれるはずがない。
 別の角度から。少数民族の人口推移を調べたところ、1982年の満族の人口は430万ほどであったのが、1990年には982万人に倍増している。2000年には1,068万人と微増である。82年から90年の間に他の民族では急激な増加は見られない。なぜ満族だけが、しかも特定の時期にのみ倍増が発生したのだろうか。
 今日の満族は自身の言語である満語を話せる人はほとんどいない。みな共通語である漢語を話す。以前、オロチョン族の民族郷を訪問することがあったが その時のタクシーの運転手は満族であった。そこで「漢族と満族との違いは何か」と聞いたところ、「基本的に違いはない。ただ我々満族は犬を食べない」と言われたことがある。つまり82年から90年の間に急速に満族が増えたのは、それまでは満族であることを隠蔽してきたが、改革開放が進み、少数民族に対する偏見がなくなり、少数民族優遇政策が浸透し、少数民族を名乗ることへの不安がなくなった結果、漢族から満族への切り換えが進んだ結果と言える。

村田忠禧:见证中国农村发展的脚步 中文訳 (PDF) 
(中文のほうは少数民族の問題などは載せておりません。私も少数民族の件ではもう少し書きたいところがあり、その部分はいずれ。)