2006.2.13  3.27更新
写真:竹内実
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竹内易断

今年の運勢

竹内 実
(京都大学名誉教授)

写真:陰陽の護符
陰陽の護符
 
   
平成十八年のえと 丙戌 平成十七年のえと 乙酉
           

                         ◇      ◇     ◇

 まいとし、そのとしのえとによって運勢をみる。
 ここ数年のことで、一種の気やすめである。
 えとは、しられているように、「十干」(じっかん・じゅっかん)と「十二支」(じゅうにし)をくみあわせたものである。
 ことしは、「丙戌」(へいじゅつ、かのえ いぬ)のとしである。
 「十干」は十進法、「十二支」は十二進法。六十年たつと、えとの組合せがもとにもどる。「還暦」(かんれき)を祝う。
 時間というのは透明で機械的にすぎていくようであるが、やはりとしによって独特のうごきがある。それで、「十干」「十二支」のくみあわせのえとから、そのとしどしの世間のうごきを占(うらな)ってみようという気になった。その一端はすでに拙著『中国―欲望の経済学』(蒼蒼社)にもしるした(一八~三〇ページ)。
 これは平成十六年に出版したので、ここで、平成十八年について考えてみたい。平成十七年についても原文を(念のため)かかげる。必要があれば言及する。
 十干、十二支で、それぞれの文字の理解はもっぱら漢代(後漢)の字書、『説文解字』(せつもんかいじ)略して『説文』によっている。
 この本は本棚においてあって、いつでもみることができるが、そのとしの運勢をみるときは年があけてからみる。そうすると、文字が起(た)ちあがって眼にとびこんでくる。まえの年にみると、文字はねころんでいるようである。ビンとこない。
 滅!という字が、いきなりとびこんできた。「戌」の説明である。
 ショックだった。
 あまりありがたくない。えとによる占(うらな)いは、やめようかとおもった。しかし、まいとしの恒例(こうれい)なので、つつみかくさず、『説文』のとおり話をした。「滅」がいかなる事態を示しているのか、このときは、まだわからなかった。一月十五日のことである。
 翌日の夕刻、六時すぎ、なにげなくテレビをみていると、東京地検がライブドアに強制捜査にはいったというニュースがながれた。
 それから日を追って、ライブドアの事情が報道された。
 高層建築の耐震偽装や牛肉輸入の不手際(ふてぎわ)などなどが、しだいに相互の関連性を示すようになった。総選挙における小泉圧勝が「滅」なのだ。総選挙の結果をわたしは固定的にとらえていたので、この「滅」(!)の予言を正面からうけとめることができなかったのだ。
 「小泉チルドレン」の登場に象徴される「ミニ・バブル」の泡沫が、ここにはじけたのだ。
 しかし『説文』が約二千年後の東海の君子国(くんしこく)を洞察していたとも断定できない。
 『説文』原文の説くところをみてみよう。
 まず、戌――

                          ◇      ◇     ◇

 滅の話をしたので十二支の「ジュツ いぬ」から説明する。
 戌は小さいマサカリ戉(えつ)のかたちだという。戈は部首ほこづくり。

写真:ほこ〔戈〕
ほこ〔戈〕:学研 漢和大辞典(学習研究社)より

〔説文原文の訓読〕 滅(めつ)なり。九月、陽気微(かすか)にして、万物畢(ことごと)く成(な)り、陽下(くだ)りて地(ち)に入るなり。五行(ごぎょう)は土(ど)。戊(ぼ)に生まれ、戌(じゅつ)に盛(さか)んなり。戊に従(したが)い、一を含む。およそ戌の属みな戌に従う。

 『説文』は漢代の学術の集大成で、十干、十二支、五行のほかに漢代にさかんだった陰陽の学説もたっぷりつめこまれている。
 漢代は農業を中心としたので、文字にも農業的季節感が投影し、十二支は十二ヵ月にあてはめ、戌は九月となっている。九月には収穫がおわり、畑には作物がない。いちめんの平旦な畑地がひろがる。そのありさまを「滅」といったのだろうといちおう解釈ができる。
 「九月」は寒くなるから、それで「九月陽気かすかにして」といった。「万物」はここではもっぱら畑で栽培される作物をいい、それらがすべて成熟し、収穫がおわって、地上の畑にはなにもない。それは陽気が下って地下にもぐりこんだのだというのである。(陽気が消失したのではなく地下にもぐったのだから春になれば上昇して地面にあらわれる、というものである)。
 「五行」では木、火、土、金、水の「土」にあてはめる。「戊(ぼ)に生まれ、戌(じゅつ)に盛ん」というのは、よくわからないが、当時の学者にはわかっていたのだろう。「戌」のなかの「一」が、盛んなさまをあらわしているということかもしれない。
 「戊に従い」以下は字書としてここにまとめた文字はぜんぶ戊を部首とし、字のなかに「一」が入っているといっている。そして「戌」のたぐいの字はすべて「戌」にはいっていると、これも字書としての説明である。
 二行になっている注(割注(わりちゅう))は発音の指定で、文字のよみかたである。片かなや平かながないから、やはり漢字を使う。上の字はシン、下の字はイツだから、上の字の上、シと下の字の下、ツをとって、シツとよむと指定しているのである。「切」(せつ)は、つまり発音上の組みあわせということで「反」(はん)ともしるす。
 つぎに「十干」の「丙」をみてみよう――

                          ◇      ◇     ◇

 丙は字の意味はお供え用の机(つくえ)。それを十干の三番めにもってきた。いわばあて字である。

〔説文原文の訓読〕 丙は南方に位(くらい)し、万物成(な)り炳然(へいぜん、明るいさま)たり。陰気はじめて起り、陽気まさに虧(か)けんとす。一に従(したが)い、冂(かこい)に入る。一は陽なり。丙は乙(いつ)をうけ人の肩に象(かたど)る。およそ丙の属(ぞく)みな丙に従う。

                          ◇      ◇     ◇

 丙が示す運勢は戌よりも明るい。丙の字は南方に位置しているという。南方は作物がよく生い茂るから、「いろいろな作物が成熟し、明快に眼前にみえる。しかし陰がはじまって、南方の陽気にもかげりがみえ、陽気は(ちょうど月が欠けるように)欠けようとしている」というのである。丙の最初の一画「一」が文字を構成し、この「一」が「冂」(かこい、家をあらわす。けいがまえと訓む)に入ろうとする。「一」は陽なのである。丙は十干では乙のつぎで、人の肩をかたちどった字である。およそ丙に属する字はみな丙を部首とする」。

〔割注(わりちゅう)の訓読〕 徐鍇(じょかい。説文に注釈をくわえた学者)の説によると、「陽は功成(な)って「冂」に入るのである。冂は門のことである。天地陰陽の門なのだ。兵(ヘイ)永(エイ)の切(せつ)(ヘイとよめということ)。

ことしのえと ―― 綜合的解釈
 総合的にいうと、丙は陽である。万物が成熟したのである。丙の字の第一画「一」は陽気をあらわし、陽気が門のなかに入ってくるという、あかるい光景である。
 戌は滅だから陰である。しかし陽が地にもぐりこむのだから、春には復活して上昇するのが期待できる。いままでの辛抱が酬われるとみるべきだろう。すなわち、内容としては陽であるが、えととしては陰である。

さくねんのえと
 ここまで話すと、ではさくねんのえとはどうだったか、という疑問が生じよう。
 「乙酉」(いつゆう、きのと とり)のとしで、乙は陰、酉は陽、陰陽激突のとしというのがわたしの理解だった。

むすび
 えとが示す動向は日本にかぎらず、また政局にかぎらないが、日本の政局はさくねん激突し、ここにバラバラになった(あるいはバラバラになろうとしている)といえなくはない。しかしこれはあとになっての話である。
 いよいよ決定的な滅、すなわち破滅的な状況を呈するだろう、といわざるをえない。しかし覚悟をきめてじっくり『説文』をにらんでいると、意外に明るい気分をたたえているようにも、おもわれてくるのである。
 古典から教訓を汲みとるためには、謙虚になること、額(ひたい)に汗することをいとわないこと、がたいせつなようである。 
(平成十八年一月三十一日)

〔追記〕
 上記1/31の日付の拙文をしたためたあと、ホリエモン逮捕はさらに進展し、「滅」の方向が180度転換した。
 まだまだ転換する可能性がないとはいえない。
 友人から聞いた話で、西洋の死に神(しにがみ)が大きなカマをもっているのは畑の苅り入れを示しているのだという。「説文」の説明も、畑の穀物が苅りとられて、地上になにもなくなることだろうと、私は考えていた。偶然の一致だろうが、それは春になって芽生えることを期待させるのである。
 ちなみに、私は在ニューヨークの大竹慎一氏が毎年新春に東京、もしくは京都でひらくゼミによばれて、この「干支(えと)による今年の運勢」について話している。主催者の日本経営合理化協会(〒101-0047 東京都千代田区内神田1-3-3 さくらビル)がこれをテープにして販売しているのでこの紙面を拝借してお知らせする。
 電話は、03-3293-0041、担当:小澤勇一氏。(メール:テープのお申し込み・お問い合わせについて
(3/26記す)