2007.12.25
写真:竹内実
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竹内易断

平成二十年を占う

竹内 実
(京都大学名誉教授)

写真:陰陽の護符
陰陽の護符
 
   
戊子 つちのえ ね 平成二十年 二〇〇八年
子 戊

 
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 例によって中村社主の催促をうけ、去年の分をFAXで送っていただき(わたしも保存してはいるが)、さっそく役に立っている。
 去年(じつは本稿執筆中の現在、まだ2週間ほど残っている2007年)は、どのようなとしだったかというと、占った予測ではつぎのようだった。
  ――陰陽共存、めでたいこととめでたくないことが半々だ。
  ――好運と、好運といえない運に、みまわれる。曖昧(あいまい)な運勢であるが、当っているかもしれない。
  ――われわれに関心のある日中関係があいまいである。
首相就任そうそう、安倍首相は中国・韓国を訪問するという意外な行動にでた。そして、中国では胡錦涛(こきんとう)政権の歓迎をうけた。

 まあ、ぜんたいとしては、当らずといえども遠からず、曇り空に光がさしてきたような感じの1年だったといえよう。
 それで、ことしの運勢はどうなるかということであるが、残念ながらパッとしないというのが、わたしのさいしょの印象である。以下、占いにはいる。
 
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 十干(じっかん)の5番目で、音で〈ぼ〉とよむ。五行では「土」(つち)。方角では中央。時刻では午前四時、およびその前後2時間。
 「戊」は、中国の近代史では「戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)」の〈戊〉としてでてくる。「変法」、すなわち改革は光緒(こうしょ)帝を中心にすすめられたが、西太后(せいたいこう)の干渉で挫折した(1898)。
 日本史では幕末の「戊辰(ぼしん)戦争」。
 1月3日に鳥羽・伏見で戦いがあり、大阪城を出陣、京都攻略を意図した幕府軍は敗北、大阪城内にあって形勢をうかがっていた徳川慶喜は、船で江戸に帰った(逃げ帰ったというべきか)。
 このときはまだ慶応3年(旧暦)がつづいていたはずで、「丁卯(ていぼう・ひのと う)」でなければならないが、いまの年表では明治元年に記述されている。このとしの9月、明治と改元された(1868)。
 
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 『説文』の「戊」の項は図版でかかげたが、記述の原文を念のためかかげよう。見出し字、そのほかの字もいま通用の文字にあらためた。

  戊 中宮也。象六甲五龍相拘絞也。戊承丁、象人脇。凡戊之属皆従戊。(莫候切)
 これを訓読(くんどく)すると、つぎのようになる。
――中宮なり①。六甲五竜のあい拘絞(こうこう)するなり②。
 戊は丁を承(うけ)人の脇(わき)にかたどる③。
 およそ戊のたぐいはみな戊にしたがう④。発音は莫候の切⑤

 以下に説明しよう。
 ①中宮――皇后の住居をいう。「五行の「土」の位置」を「中宮」といったのである。
 「五行」の「土」が存在する場所は、たとえ地理的にかたよっていても、まんなかなのだ、といっている。「土」は中心なのである。
 ②六甲五竜――干支(えと)が60の組み合わせから成立していることは知られているが、その60のなかに、「甲」がはいった組み合わせが6ある。すなわち、
 甲子(きのえ ね)甲戌(きのえ いぬ)甲申(きのえ さる)甲午(きのえ うま)甲辰(きのえ たつ)甲寅(きのえ とら)
これを〈六甲〉という。
 さらに、この〈六甲〉のなかに、「辰」が5ある。出現順に記すと、
 戊辰(つちのえ たつ)庚辰(かのえ たつ)壬辰(みずのえ たつ) 甲辰(きのえ たつ)丙辰(ひのえ たつ)
これを〈五龍〉という。
 「辰」は動物にあてはめると龍である。
 龍は日本では略字の「竜」がつかわれるが、古い字体のほうが、いかめしいので、あえて「龍」でしるした。中国の簡化字では「」。
 〈五龍〉はそれぞれ色がちがい、守っている方角がべつべつである。
――戊辰の龍は黄龍、中央を守る。庚辰は白龍、西方を守る。壬辰は黒龍、北方を守る。甲辰は青龍、東方を守  る。丙辰は赤龍、南方を守る。
 東北のロシアとの国境の河は「黒龍江」と命名されているし、日本の横綱の名が「青龍」にちなむことなど、われわれの身近かに存在している。
 「拘絞」はその五龍が、たがいにねじりあわさっていることである。たとえば正月の「しめなわ」のように。ここでは、〈五龍〉が〈六甲〉のなかに、しっかりと収(おさま)っていることをいっているのだろう。〈六甲〉によって〈五竜〉は管理されているともいえる。
 ただし『説文』のこの解釈はまちがいだ、という学者もいる。「戊」が六画なので『説文』の著者、許慎(きょしん)は〈六甲〉にこじつけ、〈五龍〉が〈六甲〉にはさまっていると、いったのであろうか。
 ③「「戊」は丁を承(うけ)る」というのは、十干では「丁」のあとにでてくるということで、人の脇(わき)、つまり脇腹(わきばら)の象形文字だといっている。
 しかし、これは斧や鉞の象形で、「戚」の字に由来すると、郭沫若はいっているという。許慎は甲骨文を見ていなかったのである。
 ④「およそ戊のたぐい」――「戊」のなかまの字、ということで、これは「字」の構成をいっている。
 ⑤「莫候の切」――莫〈ばく mu〉のあたまの〈m〉と候〈こう hou〉の末尾の〈u〉をあわせて、〈mu〉と発音するということ。ただし、いまの発音は〈wu 4声〉
 
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 「子」は十二支のさいしょにくる。方角では北。時刻では午後12時、およびその前後2時間。月では陰暦1月(と辞書にある)。(『説文』が「十一月」とするのは、漢代の学説である)。
 原文を記すと、

  十一月、陽気動、万物滋、人以為称。像形、凡子之属皆従子。
   訳は、こうなる。
  十一月。気動きやすく、万物は滋(しげ)る①。
  人はもって称となす②。
  およそ子のたぐい、みな子にしたがう③。

 『説文』の説明の意味をくだいていうと、つぎのようになろう。
 ①十一月は、陽気がうごく。「陽気気」というのは天地のあいだにみちる力(ちから)、パワー(power)である。「万物滋(しげ)る」というのは、生命のあるものが、子孫を生み生長する。
 「十一月」というのは、この月に気がさかんに発動する月で、この「気」を「陽気」という(と『説文』はいうのである)。
 ②「人はもって称となす」――「称」というのは名称。男によびかけるとき「子」という。それは、この字が嬰児(えいじ)、赤ん坊の象形なので、陽気が発動する。それで、赤ん坊によびかけるときに「子」という。これがひろがったのだ、というのであろう。漢代には男性にたいし「子」とよびかけたが、その由来をこじつけたのであろう。
 ③「およそ子のたぐい、みな子にしたがう」――子が部首であるということ。
 そこで、「子」の字は、万物、生きとし生けるものが誕生し生長する、そういったわかわかしさをきそいあっているかたちだといえよう。
 「戊子」は、めでたい、活気ある、兆(きざし)だ、ということになる。
 
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 じつは以上をしるしながら、わたしの気持ちは複雑である。というのは、「戊子(ぼし)」のえとははじめの印象がパッとせず、あまり好きになれないのである。この原稿を書きながら横眼に見ているテレビのニュースは、明るい来年を約束している気がしない。
 しかし、「干支(えと)」がなにを告げているか、これをキチンと伝えるのが、この欄の使命であるから、ねじまげず、正直にしるさなければならない。
 
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 「戊」は中央で五龍ががんばっている形勢である。五匹が方角のなかでもっとも貴い中央に結集している。もしくは、東西南北にも鎮座している。これは壮観である。
 龍は古代から天子のシンボルで権力の象徴だった。
したがって、第十七回党大会で中国共産党の指導体制がととのえられたことを、この「戊子」の干支(えと)は示しているのだろうか。
 そうだとすれば、あまりにピッタリなえとである。権力がぜんたいをおさえ、社会は安定している。
 問題は中国共産党のこの体制のもとで、どのような政治がおこなわれるかであろう。
 「子」は「万物滋(しげ)「る」で、生長のきざしであるから、心配ないということになるのだろうか。
 胡錦涛(こ きんとう)訪日はじめ、北京オリンピック開幕など、つぎつぎに話題が生まれよう。
 日中関係についても、にぎやかに(ことしよりは)なりそうである。日本がこれとどのように向きあうかが、つぎの課題であろう。
 先日も、北京で会った(日本の)若い企業家から手紙を頂戴した。意欲的にとりくんでおられることがうかがえた。このほか、論文を出版しようとしている北京在住の研究者が、少なくとも二人おられる。原稿は完成して印刷所に渡している。さらに原稿執筆中がもう一人いる。まだまだほかにもおられよう。
 「気」が動いているのは事実である。
 この「気」に目をむけたい。
 
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 いっぽう、明るい話題もなくはない。

本の表紙:嵐を生きた中国知識人
嵐を生きた中国知識人の表紙

 中国書店刊行の《嵐を生きた中国知識人―「右派」章伯鈞(しょう はくきん)をめぐる人びと》が刊行されたことをまず第一にあげたい。
 翻訳者は横澤泰夫。訳文は厳正、原注とならんで詳しい訳注があり、現代史の辞典としても役立つ。これをわたしがとりあげるのは、原著とその訳書に感銘をうけたからである。読後、ただちに感想をしたため出版社に送ったところ、これが『西日本新聞』の書評欄に掲載された(2007年11月25日)。

『嵐を生きた中国知識人』の書評 2007年11月25日付け西日本新聞の書評欄
上の画像をクリックすると拡大したものが見られます。

 このときは知らなかったが、中国書店のお世話で、中国語版の拙文集《竹内実文集》(文聯書店、全10冊)が九州の某大学に納入のはこびになった。中国書店(TEL:092・271・3767)。しかし、そのあと入荷は困難なようである。中国各地の書店にインターネットで在庫を問合せてくれというらしい。
 
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沈光文画展目録の表紙 墨書した四字句
沈光文画展目録 四字句

 沈光文(しん こうぶん)画伯の個展のため東京まででかけた(池袋三越 心象水墨画展 12月4日~10日)。
 じつは沈画伯に依頼されて、この画観目録の序文を執筆したのだった。りっぱな冊子なので、若干冊、扉頁まえの白紙のページに、わたしは四字句を墨書し、しかるべく配布していただいたのだった。
 会場はさして広くはなかったが、そして精神的な作品を金額でいうのははばかれるが、せいぜい1冊一千円そこそこの書籍を講演会場などで売っている(わたしなど)とはちがって、赤札がついていて、世の中にはやはり具眼(ぐがん)の士(し)がおられるものだと感銘をうけた。
 孜々(しし)として、誰もいないアトリエで孤独に心象風景を描いてこられたであろう、その成果が世間の反響を呼んだことはうれしい。
 
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 井崗山のシンポに参加したことは「中華点点」第21回(『蒼蒼』11月22日)にも報告したが、京都の現代中国研究会で浅野純一(追手門学院大)先生のビデオと講演のあと、井崗山の詩(じつは詞〔ツー〕)について報告したのも、わたしなりにことしのしめくくりになった。
 
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 『説文』(せつもん)、五行(ごぎょう)についての解説は、昨年の易断に掲載したが、つぎに【豆知識】として簡略にまとめたものをかかげよう。
【豆知識】
 本稿でとりあげた『説文』、五行、干支、十二支のあらましを以下にかかげよう。
 
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説文
 漢代〔後漢〕の許慎(きょしん)の編纂した辞書である。くわしくは『説文解字』(せつもんかいじ)という。序文は西暦100年。
 これには9353字、あわせて異なる字体1163字もおさめ、説明のある字はすべて133441字である、と序文にいう。しかし、じっさいには本文9431字、重複の見出し字1279字、説明のある字122699字だという(清朝の学者の説)。
 見出(みだ)しの文字は、秦の始皇帝が全国を統一し、各国の文字も統一制定したというその文字である。
始皇帝が統一制定した字体を「小篆(しょう てん)という。もともと秦で使われていた字体は「大篆(だい てん)」といい、「小篆」はこれを簡略した字体である。
 「小篆」をさらに簡略にしたのが、「隷書(れいしょ)」である。「隷書」は「小篆」より便利なので、すでに始皇帝の時代にかなり使われていたが、公式には「小篆」が使われたのだった。
 許慎は『説文』を著作するにあたり、見出しには「小篆」をかかげ、解説は「隷書」でしたためた。後漢の時代の原型を示す『説文』は残っていない。
 いまみることのできる『説文』は宋代のもので、見出しは「小篆」、解説はいまわれわれが使っている「楷書」(かいしょ)という字体である。

十干
  甲こう  乙おつ  丙へい  丁てい  戊ぼ  己き  庚こう  辛しん
  壬じん  発き

十二支
  子ね   丑うし  寅とら  卯う   辰たつ  巳み  午うま  未ひつじ
  申さる  酉とり  戌いぬ  亥い

五行
  木もく   火か   土ど(つち)   金ごん(きん)   水すい

十干を五行に配置すると、甲は木(き)の兄(え)できのえ、乙は木の弟(と)で木きの弟(と)、となる。
(2007年12月14日 記す)
 
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 ここまで記し、昨晩ほどんど校了に近い訂正校(第4校に加筆)を蒼蒼社に送った。翌朝(すなわちけさ―12月19日)FAXが音を立てたので、訂正が(はやくも)送られてきたと思ったのだが、なんと《解放日報 電子版》で、2010年の上海万博のマスコットが決まったことを知らせてきたのだった。

人――人が基本、出発点
 上海万博当局がかねて募集していたマスコットが決定したのであるが、これが漢字の「人」をもじったものだった。じつは、「人」について、わたしは考えるところがあり、広州人の人口統計が必要になって、蒼蒼社―21世紀中国総研―に問合せていたのである。つい数日まえのことだった。奇(く)しくも、上海万博がマスコットとして「人」を選んだというので、総研事務局長である蒼蒼社々主の中村公省氏がこのFAXを送って下さったにちがいない。

上海万博のマスコット 海宝
上海万博のマスコット海宝

 このマスコットについては、《解放日報》に「ボク」(原文「我」)が自己紹介している。
 ・ボクは2010年上海世界博覧会のイメージ大使(形象大使)だよ。
 ・ボクのなまえは「海宝(ハイ パオ・かいほう)―“四海の宝”ということだよ。
――「上善は水のごとし」(上善若水――《老子》のコトバ)というが、水は生命の源泉である。
 と、記事は根本的発想をのべたあと、からだの各部の特徴をあげている。簡単にいうと、
 ・髪型――髪が上にあがっているのは海の浪で、生命の源泉から生まれたことをあらわす。
 ・顔――劇画のキャラクターとして、親和力(原文のまま)、友好、自信をあらわす。
 ・眼――大きく、まるく、未来への期待をあらわす。
 ・からだ――可愛く、いたずらっぽく、生活を楽しむ感じがある。
 ・手――親指を立てて、世界中の友だちを歓迎。
 ・足――しっかりふんばって、世界博覧会を成功させる決意と能力をあらわす。
 ・肌の色――包容と想像をあらわす藍色で、中国の希望と潜在能力を示し、理解、交流、集合、協力をあらわす。
 ・表情――積極的な楽観、健康、向上的精神をあらわし、世界の都市文明の発展成果を示すとともに、世界にたいする誠意ある歓迎をあらわす。
 ・ぜんたいとして上海の都市としての特長を示し、中国が世界にとけこみ、世界とだきあう新しい姿勢を示す。
 ようするに、漢字の「人」をもとに発想されたもので、中国文化の特色を示し、世界からうけいれられるもので、世界博覧会の企画に対応している。
 まだ、説明はつづくが、マスコットのいくつかをかかげよう。

 これは2010年という年の絵図で2008年という来年とは別の話であるが、しかし、なんとなく明るい話題で、これも来年を占う材料となろう。
(12月19日 午前記す)