2008.12.27
写真:竹内実
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竹内易断

平成二十一年を占う

竹内 実
(京都大学名誉教授)

写真:陰陽の護符
陰陽の護符
 


干支(えと)による新年占い


北京のカレンダーの表紙
北京のカレンダーの表紙

◇安静と「変」

 恒例(こうれい)の干支(えと)による占(うらな)いについて、蒼蒼社社主・中村公省(なかむら きみよし)氏から原稿の催促があった。その直前、北京(ペキン)から新年のカレンダーを頂戴した。図版にみられるように、北京城の城壁を描いた12枚のスケッチである。
 カレンダーの表紙は正陽門と箭楼である。正陽門と箭楼をつなぐ城壁は甕城(ウォンチョン)といって、いったんここの中庭に入らなくては正陽門をくぐることはできない。
 城壁はあらかた失われているから、古い写真をもとに描かれたものである。ただし、画家の名前はカレンダーには掲(かか)げられていず、出版社名もない。
 オリンピックのあと、北京の友人は、あまりにも国際化した北京からたちもどり、このような絵柄(えがら)を選(えら)んだのだろうか。そして、このようなカレンダーが出版されたのは、北京の市民が安静を欲しているからだろうか。もしそうだとすれば、来(きた)るとしは、あまり変化がないことを市民が望んでいて、社会の空気もそうなるだろうことを予感させる。
 しかし、この三日まえ、京都の清水寺で今年をふりかえり、来年を展望する漢字に、全国投票で「変」が選ばれた。なかなか安静ではないようである。

 
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◇平成20年の回顧

 平成20年の干支(えと)は戊子(つちのえ ね)で、年初の『蒼蒼』にかかげたが、1月中はあまり特徴がなかった。それが1月の終わりに冷凍ギョーザの事件が発生し、チベットの騒乱と、これがきっかけのオリンピック聖火の妨害さわぎ、さらに四川省の大地震が発生した。そのあと、メラミン混入の牛乳が中国全土を震撼させた。
 「戊」には「五竜」五匹の竜(りゅう)が潜在していた。オリンピック前に五つの大災害とはなにか、たまたま出講した「ひょうご」講座のみなさんと語りあった。そのときは「四竜」までを数えていて、「五竜」になる五番目の「竜」はなにかという質問まででた。
 ところが、危機はアメリカに飛び火し、この竜がどでかいものだったとわかった。いまや世界同時不況である。中国経済にも影響がみられる。

 
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◇ことしの干支(えと)

『説文』 「己」
 ことし(平成21年)は己丑(きちゅう つちのと うし)のとしである。
 己は十干(じっかん)の第6位。これを「つちのと」と訓(よ)むのは、十干が「五行」(ごぎょう)に配当されているからである。
 「五行」は木・火・土・金・水、宇宙の五つの要素である。木は甲乙、火は丙丁、土は戊(ぼ)己(き)、金は庚(こう)・辛(しん)、土は壬(じん)・癸(き)と、それぞれ十干が二つ所属し、兄(え)と弟(と)に分ける。戊は土の兄(え)、己は土の弟(と)となる。
 『説文』で「己」を引くと、つぎのとおりである。
  「己」 中宮也。象万物辟藏詘形也。己承戊。象人腹。凡己之属 皆従己。
 【説文の訓読】中宮なり①。万物が避(さ)けて〔土中に〕かくれ、屈折する形(かたち)なり。己は戊を承(う)け②、人の腹部にかたどる。およそ己の部類[の字]はみな己に従う。己は古文の己③。
 【文字の訂正】ここにサシエとしてかかげた『説文』の図版は字がまちがっていて、「己」とあるべきところを「巳」としている。「己」の漢字音はキ、意味は「つちのと」、「おのれ」、「巳」は漢字音シ、意味は「すでに」。十二支では「み」と訓み、えとでは、へび(蛇)。
 説文は字典なのに字がまちがっている。
 版木を彫(ほ)る職人が無学でまちがえたのである。
 【注解】①中宮―中央をいう。中宮は皇后の住居のこと。
 ②己は戊を承け―十干の順序をいっている。「己」は「戊」のあとにくる。
 ③己は古文―『説文』の著者は、己は文字が篆文(てんぶん)に統一されたとき、それまでの字体を「古文」と称し、古文ではあるが、使われていることをみとめたのである。

 
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『説文』 「丑」

 『説文』はつぎのとおり説明している。
  「丑」 紐也。十二月万物動、用事。象手之形。時加丑、亦挙手時也。凡丑之属皆従丑。敕九切。
 【説文の訓読】紐(ちゅう)なり①。十二月は万物動(うご)き、事(こと)を用(もち)う②。時に丑(ちゅう)を加う③。また、手を挙(あ)ぐる時なり④。凡(およそ)、丑の属はみな丑に従う⑤。敕九の切(せつ)。
 【注解】①丑は紐なり―「紐」は系(つなぐ)なり。陰気が固く結(むす)ばれていることである。
 ②十二月万物動(うご)き、事(こと)を用(もち)う―「丑」は十二月のことで、十二月は万物がうごき、陰気の固い結(むす)びめがゆるくなり、ほどける。
 事を用う―耕作をはじめる。
 ③時に丑を加う―「丑」は時刻としては午前1時から3時(のはじまり)までの二時間で、農民はこのとき起床して農耕に従事するのである。(じっさいは5時に起きるが、強調していったのである)。
 ④手を挙ぐる時なり―字形としては手にモノをもっているかたち(農具を持って働(はたら)こうとしている)。




 
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◇ことしの運勢
 十干(じっかん)十二支(じゅうにし)はそれぞれ陽と陰に分かれる。
 己は陰の干。丑は陰の支。
 十干の己も陰、十二支の丑も陰、-(マイナス)にさらに -(マイナス)がかさなるのは、あまりめでたくない(とおもう)。
 寒気が強く、凍結して氷河期といいたいほどの印象である。
 しかし、逆に、ここまで究極に到達すれば、陽に転化することが期待されよう。
 すなわち、ことし前半は悪い事件・現象がつづくが、そのなかに、新しい転機がはぐくまれ、明るい方向への動きが見られるだろうということである。
 あまり悲観的に思いつめないほうがよい。

 
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◇王朝300年交替説
 徳川幕府は300年つづいた。くわしくいえば270余年で、清朝もほぼ同じ年代つづいた。したがって、王朝の寿命は「三百年」といえる(「三百年」にこだわらず、「二百七十年」と考えてもよい)。
 しかし、「三百年」は安泰(あんたい)だというわけではなく、はじめの百年は創業期で上昇する運勢であるが、創業が完成して百年間は高原景気がつづき、その次の百年は下り坂で衰運にみまわれる。
 しかし、創業の完成と同時にマイナスがはじまるから、王朝の高原景気の百年は、矛盾がしだいに目立(めだ)つようになる。
 いまは情報化社会のなかにあって変化が速いから、「一王朝二百七十年」とみて、創業期につづく高原期の中程には、それまでの弊害が目立(めだ)つようになるだろう。
 そうすると、ことし(平成二十一年)が、明治142年であることは、つまり、明治維新以後、着々とすすめてきた明治の「文明開化」にたいする反省と反動がはじまり、明治と別れるうごきが生じても当然といえよう。








 
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◇新しい年への期待
 ひとびとは、次のアメリカ、オバマ新大統領の手腕に期待をよせているようであるが、すぐに好転をもたらす秘策がオバマにあるようでもない。
 中国経済といえども窮地にあることは否定できないが、この占いによれば、ひとは耕作に着手しつつあるわけで、完全に絶望的とはいえない。したがって、期待はある程度は満足されよう。
「物(もの)極(きわ)まれば反(はん)す」という易(えき)の思想がここで試(ため)されるのだと思う。

 
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◇カレンダーの北京と現実の北京
 占(うらな)いは運勢(うんせい)予知(よち)の術で、たぶんに迷信的なものである。しかし、平成20年がかなり破局(はきょく)的で、「説文」の解説が重くひびいたのも事実である。
 アメリカのGM(ジェネラル・モーターズ)とか、フォードとかクライスラーとかの巨大産業が破産するかもしれず、そのばあい世界経済ぜんたいにあたえる影響(えいきょう)ははかり知れないものがある。
 そこで、アメリカ議会は救済(きゅうさい)にのりだすわけだ。考えてみればアメリカは、じぶんのじっさいの身長以上の買い物をし、日本や中国はそれをあてにして、生産過剰(かじょう)をつづけてきたのだ。「経済学」は、眼のまえにあるこのような現実を読みとれなかったというのだろうか。
 社会主義ソ連とソ連圏の解体を見て、社会主義は歴史的な遺物(いぶつ)になったといわれたが、といって資本主義が百点満点というわけでもなかったわけである。
 歴史の大きな転換(てんかん)がはじまっているというひとはいる。しかしその転換の向うになにがあるかは、まだわからない。

 
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『北京再造』の表紙
『北京再造』の表紙

◇「北京再造」の書評から
 さいきん、王軍(ワン・チュイン おうぐん)著の『北京再造』(中国書店刊、2008年11月8日 4,830円)の書評を依頼された。北京の完全保存に努力した梁思成(リアン・スーチョン りょうしせい)とその夫人林徽因(リン・ホエイイン りん・きいん)の足跡がくわしくたどられている。

『西日本新聞』の2008年12月7日掲載の書評
『西日本新聞』 2008年12月7日掲載の書評


 『西日本新聞』の2008年12月7日掲載の書評をかかげるが、じっさい城壁に囲まれた北京が完璧(かんぺき)に保存されていたとすれば、どうなっていただろうか。想像を絶(ぜっ)する偉観が見られたのは疑いえない。
 しかしわたしが、この労作を読んで感じたのは周恩来(チュウ・エンライ しゅうおんらい)が、この二人の呼びかけにまるで反應(はんのう)を示さなかったことである。
 つまり、毛沢東(マオ・ツォートン もう・たくとう)はソ連モスクワの「赤の広場」のようなパレードを夢に描き、その会場として天安門広場を改造する計画をはやくからもっていたのだろうということである。
 周恩来は毛沢東のもくろみを知っていた。というより、天安門広場の改造を命ぜられていたと思うのである。
 コミュニズム(共産主義)とフアシズム(社会主義をとなえる独裁主義)は、「全体主義」としてしばしば類似性を指摘されたが、ナチス・ドイツのヒトラーが大衆的パレードによって政治的高揚(こうよう)をはかったのはよく知られている。
 資本主義社会でもパレードはあるから、いちがいに大衆的なデモを否定できないが、文化大革命にさいして、天安門広場が紅衛兵の気分をもりあげるのに役立ったことを考えると、「天安門広場」の政治的な意味がわかる。
 そこで、「一王朝三百年」説、あるいは「一王朝二百七十年」説から、この大きな転換にあたって、「広場」をデモするような運動がはじまるだろうかといえば、どうもそういう運動は起りそうにない。
 どういうかたちで、政治が転換するのか。これは、このえと(干支)の陰陽に示されているようでもあり、しかし、こうした(干支)とはべつものの「政治」として動いてゆくようでもある。
(平成20年12月16日夜記)