2009.12.27
写真:竹内実
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竹内易断

平成二十二年を占う

竹内 実
(京都大学名誉教授)

写真:陰陽の護符
陰陽の護符
 


干支(えと)による新年占い


《中国暦書》の表紙
《中国暦書》 北方文芸出版社 1994年4月


 はじめにかがげた『中国暦書』は陽暦をもとに陰暦が対照できる。陰暦は「農暦」と記し、年、月、日の干支(えと)がわかる。
 むかしは干支だけを記したので、こういう暦(こよみ)で、年や月や日をたしかめることが必要だったのだろう。



 
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◇干支(えと)の占い

 ことしは平成22年。西暦でいうと2010年。干支(えと)では「庚寅」(かのえ とら)。 蒼蒼社社主・中村公省氏から、せんじつ、例年どおりに頼むという依頼があった。依頼されるのを期待していたわけではないが、催促があるのは「陽気動く」兆候で、めでたい。
 「干支」による占いは、すでに何年かつづいていて、さいきん刊行の拙文集の第2巻〈うごく中国〉にも収録している。 収録の占いは2001年からであるが、「干支」にからめては平成16年、2004年甲申(きのえ さる)からである。
 《竹内実〔中国論〕自選集》(桜美林大学・北東アジア総合研究所発行・発売 TEL・FAX:042-704-7030)

□当るか、当らないか
 「当(あた)るも八卦、当らぬも八卦」という。じつはこの「干支」(えと)による占いを主(おも)に、まいとし講演をおこなって、その録音テープも発売しているから、当ったか、外(はず)れたか、検証できないこともない。『竹内實の干支で読む中国経済』日本経営合理化協会AV局(東京本部事務局TEL:03-3293-0041/FAX:03-3293-0048)


 
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◇ことしの干支(えと)

 干支の「干」は十干(じっかん)、「支」は十二支(じゅうにし)で、この二つを組み合わせると、60組できる。
 それで、人間は満60歳になると、干支の組合せをすべて経験し一つ循環したことになり、「還暦」という。日本では「本卦(ほんけ)がえり」ともいう。

□かのえ――「五行」
 では、庚は和訓(わくん)ではなぜ「かのえ」とよむのか。
 これには「五行」(ごぎょう)がからむ。 
 「五行」はこの世は五つの要素(元素のようなもの)から成立していると考える。すなわち、木火土金水(つづけて訓(よ)むと、もっかどごんすい)。
 これを「十干」に配当すると、五行それぞれに二つ所属する。二つを兄(あに―え)、弟(おとうと―と)に見立てて、つぎのようにいう。

「十干」 五行の説明図

 
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◇ことし平成22年(2010)の干支(えと)
□干支(えと)のゲーム
 この拙文の冒頭(ぼうとう)に《万年暦》という中国出版の暦(こよみ)の表紙をかかげたが、これにも干支(えと)はとりあげられている。ただし、民間行事には非科学的な迷信があり、読者は科学的な知識にもとづいて取捨選択すべきであると、編者は訴えている。
 一種のゲーム感覚で拙文を読んでいただきたい。

□庚・寅の解釈
 ことしの干支・庚寅をどう読みとくか。
 これまでも、まいとしそうしたように、中国最古の(したがって世界で最古の)辞書、《説文解字》(せつもんかいじ 略称『説文』)によって、この干支の意味を考えてみよう。
まず、《説文》の該当する部分を図版でかかげ、それをいまの漢字で記そう。

□《説文》の字体
 《説文》は見出しの文字は篆文(てんぶん)という字体でかかげている。
天下を統一した秦の始皇帝が文字も統一して、ひろく使わせた字体である。


 
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庚の説文 

  (漢字音)コウ   (現代中国語)gēng (片カナでしるすと、コン) 

〔原文〕位西方,象秋時万物庚庚有実也。庚承己,象人斉。凡庚之属皆従庚。古行切。
〔訳文〕西方に位置し、秋の季節に万物が庚庚(こうこう)として実(みの)るのに象(かたど)る。庚は十干(じっかん)では己(き)のあとを受け、人体の臍(へそ)を象る。古(コ)行(ギョウ)の切(せつ)。
〔注釈〕西方――十干の字は東、西、南、北、中央のいずれかに位置する。庚、辛は西を守る。
庚庚――コウコウと読み、果実がたっぷりふくらんだのを形容する。果実がたわわに実るということで、この字ももともとは草木(くさき)の幹の上に果実があるのを示し、艸は両手で果実をとろうとしているという説もある。
斉――月(にくづき)のへんをつけると臍(へそ)の字になるので、つまりこの字は臍のことなのだ。





寅の説文

  (漢字音)イン   (現代中国語)yín (イン)

 〔原文〕髕也。正月,陽気動,去黄泉,欲上出,陰尚彊。象宀不達。髕寅於下也。凡寅之属皆従寅。寅の繁体字 古文の寅の字,古文寅。弋真切(yín)。

 〔訳文〕擯棄(ひんき)排斥(はいせき)すること。寅は正月を意味し、陽の気が発動し地底の黄泉(よみのくに)を離れて地上に出現しようとするが、陰の気はまだ強大で、建物にしっかりした屋根がかぶさっているように、陽の気が到達するのをおしとどめ、そのうえ、地底に擯棄排斥しようとしているのである。寅の部類に属する字は寅でまとめられる。寅の繁体字 古文の寅の字は古文の寅の字である。
 〔注釈〕 ――擯。原文の髕は人体のひざの骨。説文の注を執筆した徐鍇は、これを「擯」におきかえ、「しりぞける」意味とした。
 正月――むかし、夏の暦は寅月を正月とした(日本で四月に学校が新学期を迎えるのは、つまり、四月が(学校の)正月なのである―引用者注)。『説文』の著者許慎(きょしん)は、寅を寅月と理解して正月としたのである。正月は陽の気が地底(黄泉といった)から離れて地上に出現しようとするが、寒さがきびしく凍(こお)りついていて、これに排斥され、地上に出現できない。
 「寅」――字の上半分の「 」は陰の気をあらわし、「人」は陽の気をあらわす。「臼」は排斥しているかたちである。
 擯寅――同じ意味の二字をかさねた。

 上記の解説は、湯可敬撰《説文解字今釈》(岳麓書社 1997年7月)の恩恵をうけた。敬意と感謝を捧げたい。

 
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◇干支(えと)の啓示
 それではこの〈庚寅〉はどのように新しい年を示しているのか。

は新年は明るいことを示す。秋になれば農作物のゆたかな実(みの)りが期待できる。人びとの労働はむくわれるだろう。ところが、これと並ぶ十二支の、
 
は、地底深くにかくれていた陽の気が上昇して地表から顔をだそうとすると、陰の気がしっかりおさえつけ 
ている、というのである。

 この「干支」(えと)の組合せは、さすがの中国経済も、のびなやむ、といおうとしているようである。上海万博(日本は「万国博覧会」の略語で「万博」というが、中国は「世界博覧会」の略語で「世博」という)も世界同時不況の影響をうけると暗示しているようである。
 「庚」のプラス志向と「寅」のマイナス志向が「干支」(えと)でぶつかりあって、暗い影がなげかけられているぞ、危(あぶ)ないぞ、と警告しているのである。
 ただし、大きな状況としては、陽は地底にあるとはいえ、上昇しつつあるのだから、展望は明るい。しかし、そのなかで、陽が突破するのが困難だという局地的な状況はありえよう。
 日本はどうか。
 活力がいっこうに見えて来ないのが、日本の状況である。しかし、「庚」は陰が地上への出口(でぐち)をふさいでいても明るい要素はあるから、景気の回復は期待できる。

 
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◇チューゴクの現在
□占(うらな)いで占いきれないもの
 以上に《説文》という古典的な辞書を手がかりに、2010年というとしを占った。
この日本列島の風土からすれば、このとしは平成22年で、2010年というキリスト紀元の区切りでは表現できない〈文化〉がそこにあるように感じられる。
 占っただけでは掴(つか)みきれないチューゴク(紋切り型の漢字で「中国」と書いたのでは表現できないもの)がある、と、わたしは思考する。
 そこで、チューゴクじしんが現状をどう把握しているか―。
 つぎのようなまとめ方をしている―

 わが国〔中国〕の国内総生産(GDP)は、1978年の3645億元から急速に飛躍して、2007年の24万9530億元に上昇し、世界の主要国における順位は1978年の第10位から第4位になり、アメリカ、日本およびドイツに次ぐにいたった。
 一人当たり平均の国民総収入は1978年の190ドルから2007年の2360ドルに上昇した。
世界銀行による区分基準にてらすと、わが国は低収入国家から飛躍的に上昇して、世界の中等の下位の収入に相当する国家に並ぶにいたった。
 外貨の貯蓄高は1978年の1.67億ドルから、2007年の1万5282億ドルまで拡大し、世界1位を占めるに至った。 
 輸入出貿易総額は1978年の206億ドルから激増し、2007年の2万1737億ドルにたっし、104倍増大し、世界貿易における順位は改革開放初期の第32位から2004年以来第3位に上昇した。
中共中央党史研究室《中華人民共和国大事記》2008年10月27日-30日
                                新華出版社 2009年9月

 上記は、国家統計局が公布した《改革開放30年の経済社会発展成就系列報告》を資料としている。
 つまりこれだけ膨大な経済力をもった〈国〉が、はたして「庚寅」という呪文(じゅもん)めいた「干支」(えと)の用語でとらえられるか、ということにもなろう。
 経済はたんに統計のみで把握できるものではない。勢(いきお)いというものがある。
年のはじめの一、二か月は、様子をうかがうより、ほかはない。

 
◇    ◇    ◇    ◇
 

◇民間習俗にたいする関心
 □経済の対立極としての民間習俗 統計を駆使すれば経済の概略の状況がうかんでくるが、統計だけではとらえられないものに民衆の生活感情がある。 
 これが習慣化されたのが民間の年中行事である。しかし、共産党による民衆に対する啓蒙活動によって、多くは〈封建的迷信〉、〈思想のたちおくれ〉として批判され、しだいに姿を消したが、さいきん、この方面に対する関心が高まり、出版もおこなわれるようになった。    
 以下にかかげるのは、そうした出版物である。

《図解 中国国俗―中国人じしんの礼儀にもどる―》の表紙
紀微編著《図解 中国国俗―中国人じしんの礼儀にもどる―》
陜西師範大学出版社 2008年7月


《中国民居与民俗》の表紙
王軍雲編著《中国民居与民俗》中国華僑出版社 2007年1月

《中国伝統節日習俗》の表紙
趙紅・祁斌(きひん)編著《中国伝統節日習俗》
安徽文芸出版社 2007年9月

《新編実用生活 万年暦 宝典》の表紙
柳塘(りゅう とう)編著《新編実用生活 万年暦 宝典》
華夏出版社2009年1月


□正月というとしのはじめ
 ことし(平成22年)の「旧正月」は2月14日である。
 「正月一日」は、歳、月、日のはじめで「三元」とか「三朝」とかいう。
 民間ではとしこし(「過年」)は旧暦(かれらのいう「農暦」)十二月二十三日にカマドのカミを祭る(「祭灶」―灶はカマド。地方によっては十二月八日)からはじまり、正月十五日の「元宵(げんしょう)節」までをいう。いまは旧暦の正月一日を「春節」(しゅんせつ)というが、むかしは正月一日のいちにちを「元旦」といった。「元」は「初め」ということで、「旦」は太陽が地平線から上昇するありさまを示し、「元旦」は「はじまりの日」である。
 新年を祝うことは太古のむかしから、すなわち舜(しゅん)という聖人のときからおこなわれてきたといわれる。
 部族のかしらに選ばれた舜は、新年にひとびとをひきいて天と地を礼拝した。 
 漢(前漢)の武帝のときまで、正月が、一年のどの月か、きまっていなかった。
 夏王朝のときの暦では、一月が「正月」だった。
 商(殷)王朝のときは、十二月、周王朝のときは十一月が正月だった。
 秦の始皇帝が中国を統一してからは、十月が正月だった(始皇帝の姓名は贏政(えいせい)だったから、「政」と同じ発音の「正」を避けて、「端月」といった)。
 月を「干支」であらわすと、夏王朝は「寅」、商王朝は「丑」、周王朝は「子」、秦王朝は「亥」に当(あた)った。
 前漢の武帝になって、正月一日を「としのはじめ」とし、さいごの王朝、清までこれは変更されなかった。
 辛亥(しんがい かのと い)革命によって清朝が倒れ、「中華民国」が生まれると、太陽暦(「公暦」と称した)の採用をきめ、1912年1月1日を「民国元年一月一日」とした。ただし「元旦」という呼び方はしなかった。年号は廃止されず、ここで表示された「民国」は年号だった。
 中華人民共和国は建国についての協議機関である中華人民政治協商会議第一次全体会議で、新中国成立の日から世界通用の公元による紀年を採用し、その日の公暦一月一日を「元旦」とし、農暦正月一日を「春節」ときめた(《中国伝統節日習俗》による)。
 ちなみに日本が陽暦(「太陽暦」といった)を採用したのは明治5年で、この年の12月3日を明治6年1月1日とした(1872)。
 上にかかげた暦書のなかでは『万年暦 通宝』がもっとも完璧(かんぺき)な編集で、『三字経』、『百家姓』などの通俗書も収録している。恵贈して下さった山田晃三氏(北京在住、北京大学・外国人 専家)に感謝する。

□「春節」という快楽
 陰暦の「正月」は「春節」として残された。
 「春節」はかれらの最大のたのしみ、快楽、歓楽である。
 そこにはあらゆる人生観が投影されている。そもそも「人生」(じんせい)というコトバは二葉亭四迷がロシア文学をホンヤクして思いついた訳語で、中国の古典では「人の生(い)くる」と訓み、生活そのものなのだ。日本語の「人生」はどこか暗影をおびているが、中国語の「人生」は肯定的である。楽天的なのだ。
(平成21年12月29日)