中国を読み解く本・毀誉褒貶
[8] 2005.1.17
(中村公省/21世紀中国総研事務局長)
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マルコ・ポーロ、愛宕松男訳『東方見聞録』

平凡社ライブラリー、2000年刊


 本欄「毀誉褒貶」は歯に衣着せず論評するという趣旨で連載を開始したが、予想しなかった盗作事件に遭遇し、他人を罵ること専らにして、筆者の品位が問われるはめになったことを悔いている。禊には古典がふさわしい。そこで、この新春は屋根裏部屋にこもってマルコ・ポーロ『東方見聞録』に沈潜した。


 1. タタール、カタイ、マンジ

 『東方見聞録』が日本国をチパング(Chipangu, Zhipangu)として西欧社会に紹介したことは周知のことだが、現在の中国の版図はどのように紹介したのか。元という国号を使用していると思ったら大間違いで、中国の主要部を南北に三つに区分しているのである。
 ひとつは長城線北側のタタール(ダッタン、韃靼)で蒙古の本拠地である。ふたつ目は長城線の南から黄河(当時の南流黄河)及ぶカタイ(契丹、キタイ、キャセイ)であり、かつての金の支配地域である。そして三つ目は南流黄河の南方のマンジ(子)で、臨安(現在の杭州)を首都とする南宋の版図である。
 マルコ・ポーロが中国に逗留した17年(1274-1290年)の間にフビライ・カーンによって南宋が滅亡させられ大元征服王朝が成立した。この滅亡期のカタイとマンジを彼は北から南へ二筋、内陸(北京-太原-漢中-成都-雲南)と沿海(北京-除州-揚州-蘇州-杭州-福州-泉州)を縦断する大遠征を行い、各地の風俗、習慣、産物、物価、民情をつづっているのだが、そこでは遊牧民族固有の農耕定住社会の略奪・殲滅に代わる、貨幣と租税とによる長期・安定的な収奪機構の成立を描いていて興味深い。例えば、以下のような見聞が次から次へと続く。

 「カンチャフ〔河間府〕は南方に位置するりっぱな大都市で、カタイ地方に属している。住民は偶像教徒で火葬の風習をもっている。もっともキリスト教徒も若干はここに住んでおり、市内に一教会堂がある。カーンの治下に属し紙幣が行用されている。生糸の生産が多く、住民は商業・手工業に従事する。金襴織や琥珀織の製造額がおびただしい。このカチャンフ市は多数の都邑を管轄下に持っている。城内を大河が貫流しているが、この河は多くの運河や水路によってはるばるカンルバルック〔北京〕市まで連絡されているから、多量の商品がこの河を通じてカンルバルックに運輸されている。」(第2巻21ページ)

 「ナンキン〔安慶路〕とはマンジ国の一部で、西方に位置する土地である。この地区はとても裕福で結構な地方の一つになっている。住民は偶像教徒で商業・手工業に従事し、カーンの治下にあって紙幣を行使している。生糸の生産がすばらしく、各種の金糸織・銀糸織が織造されている。地味がきわめて肥沃なため、各種の穀類や生活必需物資がふんだんに産出される。狩猟の獲物もまた鳥獣ともに豊かである。住民の間には火葬の風習が保たれている。この地方には獅子も多く棲息する。富商大賈が多く、カーンに奉納する貢物・課税の額は莫大である。」(第2巻69ページ)

 偶像崇拝、即ち仏教、道教、民間信仰の諸神像崇拝やキリスト教、イスラム教など諸宗教が並存しているというのは、天と地に祈るのみのタタールが配下の民族の宗教には寛容で信心体系よる支配を求めなかったことを示している。カタイ、マンジの行く先々の主要城市で商業・手工業が広範に発達していて、物資が豊穣で、商品の流通網が形成されていているとの観察は、中国の資本主義の成立を宋代とする学説(内藤湖南)を髣髴させる。


 2. カーンの貨幣と租税

 カーンの紙幣の造幣局は北京にある。桑の木から漉いた紙片にカーンの印璽を押した十文、二十文、三十文、百文、千文などの御札である。カーンはいっさいの支払いをこれで済し、全領土にこれを通行せしめる。流通を拒絶すれば死刑になる。
 「一年間に数回、宝石・真珠・金銀の所有者はカーンの造幣局にそれらを提出するよう、との布告が諸都市に発布される。すると市民はすべてこれに従って莫大な額に上るこれら物品を提出し、代償を紙幣で受け取る。こうしてカーンは全国の金銀・宝石・真珠をあげて所有することになるのである。」(第1巻340ページ)
 この手はずを見てマルコ・ポーロは、カーンは「最高の錬金術師」だと驚嘆しているが、これでは軍票と同じで、財宝の強制徴発の預かり証文、空手形に等しいであろう。歴史的事実としては、元朝では紙幣一千文=銀一両の銀本位制がとられていた。こうした虚−実を中国の文献によって博覧傍証した訳注を配しているのが、この訳書のすごさである。
 租税の太宗を占めているのは塩税で、ほかに砂糖などの物品税がある。香料など舶来品へはまず10パーセントの舶来税が課せられ、さらに3パーセントの入市税が上乗せされる。醸造酒や絹織物などは間接税で手工業同業組合から巨額の課税を徴収する。
 「塩税をも含めた毎年の税収総額は実に黄金210トマン、すなわち黄金1470万サッジを数えると確言できるのである。キンサイ〔杭州〕地方は、全マンジの9分の1にすぎないにもかかわらず、税収入にこの数字があるのだから、カーンがマンジ全域から徴収する税額のほどはおして知るべしという所であろう。」(第2巻135ページ)
 マンジ諸都市からのこれら課税収入の大部分は、カーンの守備隊の維持費に当てられているというが、当時の杭州は世界第一の豪華・富裕な都市で人口は120-180万人、マルコ・ポーロのあげる守備隊の数は3万にすぎないのは「支那人の文弱」(桑原隲蔵)の所以か。
 「きっすいのキンサイ市民は、平和を愛好する歴代君主の教化をこうむって、そのひととなりがきわめて温和である。彼等は武器を扱うこともできないし、これを収蔵することもしない。彼等が互いに口げんかをしたり激論するのを目撃し、もしくは伝聞することもまずないことである。」(第2巻106ページ)


 3. 都市の屠殺と攻略

 キンサイ〔杭州〕はカーンに巨額の税収入を貢納することによって破壊をまぬかれたのであるが、殲滅された城市の状況も描かれている。チアンジュー、いまの常州市である。城内に侵入したモンゴル軍の一部隊が良酒に酔いつぶれたのを見て市民がこれを皆殺しにした。これを知るやモンゴル軍将軍は大部隊を差し向けた。
 「チアンジューは強襲をうけてたちまち陥落したが、モンゴル軍は占領と同時に市民を屠殺し尽くした。本当にそうなのであって、この町の住民は大部分が殺戮されたのである。」(第2巻86ページ)
 マルコ・ポーロは元朝に仕官したカーン直属の色目人(西域人)であり、今様に言えば文武の技術に通じた御雇い外人テクノクラートである。各地の風俗、習慣、産物、物価、民情の観察は、商人としてより、占領地を調査報告する民政官として役割の方が色濃い。その証拠は、マンジ国が滅んで3年間にわたって抵抗し続けたサーニャンフ〔襄陽府〕攻略で堅固な城砦を陥落させる方法をマルコ・ポーロ自身が建策して勲功を挙げた事実にある。
 「陛下、我々の従者の中には、投石器と申してどんな巨石でも投射できる機械を組み立てうる者がおります。これを用いて城内に巨石を射こみますれば、城民はとても耐えきれずしてただちに降服するに違いありませぬ」(第2巻72ページ)
これはなみなみの勲功ではなかった。
 「何となれば、サーニャンフ市とその管轄下の地方とは、カーンの領内に編入された後においても、第一級に属する地方をなし、カーンの財政に莫大な税収入をいたしたからなのである。」(第2巻73ページ)


 4. チパング

 シルクロードの商人としてのマルコ・ポーロが面目躍如しているのは、黄金、白銀、宝石、真珠、香料、香味、絹織物、金襴緞子といった奢侈商品に対する執着であり、東西の算盤勘定をともなった値踏みが全編を貫いている。「国人が誰でも莫大な黄金を所有している」チパングへの言及も彼の黄金フェティシズムがもたらした想像の産物である。
 「この国王の一大宮殿は、それこそ純金ずくめで出来ているのですぞ。我々ヨーロッパ人が家屋や教会堂の屋根を鉛でふくように、この宮殿の屋根はすべて純金でふかれている。したがって、その値打ちはとても評価できるようなものではない。宮殿内に数ある各部屋の床も、全部が指二本幅の厚さをもつ純金で敷きつめられている。」(第2巻184ページ)
 これが金閣寺をモデルにした伝聞であるにしろ、「指二本幅の厚さをもつ純金」といった文飾がヨーロッパの読者に迫真を醸し、その一方で事情を知った我々に無残な虚構をさらけている。
 「またこの国には多量の真珠が産する。ばら色をした円い大型の、とても美しい真珠である。ばら色の真珠の価格は、白色真珠に勝るとも劣らない。この国では土葬と火葬が並びおこなわれているが、土葬に際しては、これら真珠の一顆を死者の口に含ます習いになっている。真珠のほかにも多種多様の宝石がこの国には産する。ほんとうに富める島国であって、その富の真相はとても筆舌にはつくせない。」(第2巻184ページ)
 この含玉の風もありそうで、なさそうな話である。
 ほんとうに富める島国であったかどうかはともかく、こうした風評につき動かされて元寇がおこなわれた。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)ともにマルコ・ポーロの中国滞在中に起こっていて、伝聞によって弘安の役の模様を詳しく伝えているがこれも誤伝を含む。比較的信憑性が高いのは、マルコ・ポーロ自身が視察したカタイとマンジの境・南流黄河の海軍基地の模様である。
 「河には1万5千隻にのぼるカーンの船舶が停泊しているが、いずれも軍隊を大洋中の島国に輸送する使命を帯びている。それというのも、この地からは約一日の航行で大洋に出られるからである。これらの艦船には毎隻に20名の水夫を要員とし、騎兵15名と乗馬15頭、およびそれに必要な武器糧食を積みこんでいるのである。」(第2巻48ページ)
 蛇足ながら最後に「チパング」に言及しておけば、「日本」はピンインではRIBEN であるがトーマス・ウエード式ローマ字ではJIHPEN と表記され、チパング(Chipangu, Zhipangu)が「日本」の中国音の転化であることは自明である。現在の日本の漢字音の中にも、元日、本日、祝日あるいは日月(ジツゲツ)のジツの音が保たれており、日本はジッポンと音読することが可能である。


  

        
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