中国を読み解く本・毀誉褒貶
[9] 2005.2.17
(中村公省/21世紀中国総研事務局長)
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クルス『中国誌』―ポルトガル宣教師が見た大明帝国

ガスパール・ダ・クルス著 日埜博司訳

講談社学術文庫


 1. ザビエルとクルス

 1549年日本にキリスト教を伝えたカトリック(イエズス会)の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)の日本滞在は、わずか2年2カ月という短いものであった。日本人を改宗させるには日本人が尊敬するシナ人をまず改宗させなければならない、国王を改宗させて上から一気に布教を図る、とばかり勇躍、日本を後に大陸を目指したのである。しかし、彼はシナを見ることなく、翌年、大陸の沖合い上川島で病死する。(以上、平川裕弘『マテオリッチ伝』平凡社東洋文庫による。)
 『中国誌』の著者ガスパール・ダ・クルス(?-1570年)は、ザビエルとほぼ同世代のドミニコ会のポルトガル人宣教師であるが、インド西海岸、セイロン、マラッカ、カンボジアなどで布教活動の後、ザビエルと同様にシナを目指す。1556年、珠海口に達し、江門を経て広州に到着。しかし、当時、明は海禁政策をとっていて海外渡航・貿易は厳禁、外国人の入国は堅く制限されていて、クルスの広州滞在はわずか1カ月ほどで打ち切ることを余儀なくされた。この国では地方官憲の威光が行きわたっていて、辻説法はおろか入国すらかなわない。彼の布教の野望はあっけなくついえ、その後、ふたたびシナに入る機会に恵まれることがなかった。


 2. 西欧初の中国ガイドブック

 本書『中国誌』がポルトガルで出版されたのは、クルス広州訪問15年後の1570年のことである。年表をくくると、その前年「信長、宣教師に京都在住を許可」、1570年頃「『西遊記』(呉承恩)成る」とある。
 何が書いてあるのか?
シナを知らない読者に、その国のことを推し量ってもらえるようにした総合的知見、いわば西欧初の中国ガイドブックなのである。ガイドブックとは言え、16世紀後半のポルトガルの読者に対する遠東(Far East)の大文明国の紹介であり、21世紀の我々にとって事新しい歴史的事象が、それほどあるわけではない。興味のありどころは、デウスの存在を知らない無知蒙昧な人間社会を、高邁不遜な宣教師がどの程度に認識し得て、その読者である西欧の識者がどの程度のことを知りえていたかにある。以下、ランダムに抜粋してみよう。
○人糞のリサイクル―――「これは現金で買われるか、野菜と交換されるかして人家から持ち出される。つまり人糞を持ち出す人が、便所を掃除させてもらった見返りとして、金銭または金銭に値するものをさしだすのだ。」(p.142-43)
○ハンディキャッパーの生活―――「盲人は騾馬の代わりに粉ひき機で小麦を挽く仕事をする。盲目の女性は売春婦となる。」(p.144-45)
○はかり―――「誰しもできる限りの方策によって他人を欺こうと懸命であるので、他人の秤および分銅を信用するものはない。」(p.156)
○犬肉―――「飲食店ではどこでも四つ切りにした犬を売っている。焼いてあったり煮てあったり生のままであったりする。」(p.162)
○飲茶―――「きちんとした人物の邸を訪ねる者に対しては、陶器にチャ(茶)と呼ばれる生ぬるい湯を淹れて出すのが彼らの習慣である。」(p.171)
○棺桶―――「儀式が済むと、樟脳の木で作っておいた棺に遺体を収める。この棺には死体を防腐する作用があり、芳香を放ち、悪臭が漏れぬよう固く密閉されて釘を打ちつけてある。」(p.180)
○纏足―――「彼女らは両足を非常に小さなままにしておくため、少女の頃から布で両足を緊縛する。こんなことをするのは、中国人が小さな鼻と小さい足の女性をより優美であると考えるからである。」(p.183)
○不倫―――「もし妻が不義を犯し、その夫が彼女ならびに姦夫を告訴したならば、両者はともに死刑となる。もし夫が妻の姦通に同意をあたえていたのならば、両者はともに死刑となる。」(p.184)


 3. 牢獄から見透かしたシナ官僚組織

 クルスの依拠した取材源は、自分の目で見たこと、中国内陸を虜囚として旅した人の著作、信頼に値する人からの聴取の3つにすぎないが、この限られた情報を最大限に駆使して、シナの国家社会の全体像をイメージングしていく手法が卓抜している。記述は、以下のごとくに起承転結を踏んで展開している。
@最初に、国民ならびに国土の両面について中国全般を論じる。
Aただちに各論へ移り、この王国ともろもろの省について論ずる。
Bその後、建物と舟艇について語る。
C続いて、土地の利用状況や人々の生業、男性および女性の衣装、彼らの風俗、習慣のいくつかについて話す。
Dさらに進んで、この国を統治する者たち、この国の政治について詳しく論じる。
E締めくくりに、彼らの祭祀と崇拝対象、そしてキリスト教界を形成するに好都合な彼らの素質、そしてそれに抗して存在するもろもろの障害について述べる。

 前項に引いた人糞や不倫はCの風俗・習慣で述べられている。それら民衆を統治する地方官僚について詳論しているのがDの数章である。
 各省には1000-3000人の官吏〔ロウティア〕がいて、その統治組織は5種の要人によって牛耳られている。最高統治者は都堂である。この人物へ一省全域からあらゆる情報、全収入が届けられ、処理され、それらいっさいのことが国王の宮廷へ報告される。国王は察院と呼ばれる査察官を派遣し、異常事態に際しては欽差を派遣して地方官吏を統括する。都堂の下には、4種の長官、即ち財務長官の布政使、司法長官の按察使、司令官の海道副使、沿岸防衛総司令官の備倭都指揮が配され、厳格な官僚統制と厳罰主義にもとづく法治体系が築かれている。
 官吏の選抜方法(科挙)や彼らに対する国王の待遇、行政執行の迅速さ、公明正大な裁判の模様などが紹介された後に続く、「第20章 死刑を宣告された者たちについて」と「第21章 中国の監獄と牢獄について」は、21世紀の日本人にとっても耳目をそばだたせる迫真力がある。
 「〔裁判で〕糾問が行われるとき、笞刑執行人はいっそう酷く笞打つため、大きな瓶に入った水の中に竹をとっぷり漬ける。笞刑執行人が命令に従ってこの殺戮行為に励んでいるあいだ、ロウティアたちはお互いに談話に耽ったり飲み食いしたり楊枝で歯をほじくったり、たいそう楽しそうにしている。その残虐さは大変なもので、中庭は一面血にみたされるほどだ。笞打ちを終えると、まるで羊でも扱うかのような冷酷さで片足をひっつかみ牢獄まで引き摺ってゆく。」(p.231)
 これはクルス自身の実見したものであろう。評者の推測するところ、宣教師は冒険商人たちの寄生者であって、ポルトガル密輸商人が広東省官憲に拘束された場合は、その身請引受人ともなったはずで、そうした外交交渉の中での体験であったろう。クルスは罪人の友として、牢獄や裁判所における官吏の所作と強固な官僚組織をつぶさに見聞きして、大明帝国の国家社会の断面を切り開いてみせたように思われてならない。


 4. マルコ・ポーロとクルス

 訳者序には以下のような、ポルトガル史の大家の書評が引かれている。
 「ガスパール・ダ・クルスが広東の滞在した数週間を、マルコ・ポーロがカタイに滞在したすべての年月より上手に活用したといえば、たぶんそれは極論になるであろう。しかし、クルスが、彼よりはずっと著名なこのイタリア人旅行かより、みずからの見た中国についてより優秀かつ明確な叙述を残したことは疑う余地はない。」(チャールス・ラルフ・ボクサー)
 マルコ・ポーロの中国滞在は17年間(1274-1290年)に及んだ。先月本欄で批評したように、「シルクロードの商人としてのマルコ・ポーロが面目躍如しているのは、黄金、白銀、宝石、真珠、香料、香味、絹織物、金襴緞子といった奢侈商品に対する執着であり、東西の算盤勘定をともなった値踏みが全編を貫いている。」「各地の風俗、習慣、産物、物価、民情の観察は、商人としてより、占領地を調査報告する民政官として役割の方が色濃い。」即ち、マルコ・ポーロには漢民族の生活ぶりに対するシンパシーを伴った観察眼がほとんど感じられない。例えば、よちよち歩きの女性の姿を書き留めてはいるが、それが漢民族の纏足という性の風俗だということに全く気づこうとしなかった。
 これに対してクルスは、辻説法の宣教師として民衆の心の襞に食い入って、その魂をデウスのものとする使命を担っていて、その眼は観音菩薩のごとく慈悲深い。
 「中国人は、人口のおびただしさ、国土の広大さ、文化および政治の卓越性、天与の資源や財宝の潤沢さ、いずれをとっても、他を凌駕している。今、天与の資源や財宝の潤沢さ、と記したけれども、それは、金や宝石のごとき奢侈品が彼らのもとに満ちあれているという意味ではない。そうではなく、人間が人間らしく暮らしていくに必要な豊かさ、便宜、財貨が彼らのもとに存在するという意味である。」(p.51「本書の緒言」)

 しかし、クルスにも不覚があった。それは、彼が『東方見聞録』を読んでいなかった事実である。マルコ・ポーロは中国のいたるところで、偶像教、イスラム教、キリスト教が並存していて、それぞれの寺院、教会が存在することを観察している。さらに福州においてはキリスト教の漢文経典や聖像を見つけ、「隠れキリシタン」を発見している。先祖伝来700年間キリスト教の信仰を奉じて、教義の要諦もわからなくなっていたが、マルコ・ポーロは彼らの存在をカーンに報告に及び、「キリスト教徒」として公認せしめた。「あまねく全マンジ境内の各地に散居するこの教えの信奉者たちは総計して70万戸以上にも達することが判明した。」(『東方見聞録』2、156-160頁) これは唐代に中国に入ったネストリウス派キリスト教が、儒教的道徳と融合して土着した景教に他ならない。クルスは豚を食べるし酒も飲む広東、広西のムスリムの存在を描いているが(「第28章 中国にいるムスリムについて」)、景教の存在は全く知りえていない。デウスは沈黙したもうていたに違いない。



  

          
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