中国を読み解く本・毀誉褒貶
[11] 2005.12.19
(中村公省/21世紀中国総研事務局長)
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『極東の旅』

イザベラ・バード著、金坂清則訳

東洋文庫 (1)2004年 (2)2005年)

 英国女性イザベラ・バードは明治11年に東北―北海道を単身踏破した『日本奥地紀行』で広く知られる。その旅行記で「東洋のアルカディア(桃源郷)」と賞嘆された米沢平野(山形県南陽市)には、彼女を顕彰する博物館があるそうである。また、民俗学の泰斗・宮本常一の『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』(平凡社ライブラリー)があり、彼女がさりげなく書きとどめている記録から明治初年の民衆社会の世相を解読してくれている。一例をあげみよう。
 「日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである。」(『日本奥地紀行』第1信)
 これに対して宮本は「本当にこういう姿勢からわれわれが抜け出すことができるようになったのは、大正からのちだと思う」と読んでいる(35p.)。日本人は洋服に体型をあわせるのに明治という一時代を要したという次第である。

「イザベラ・バード 極東の旅〈1〉」本の表紙
イザベラ・バード 極東の旅〈1〉
(写真は、www.amazon.co.jpのページより)

 イザベラ・バードには『中国奥地紀行』もある。これは日清戦争直後(1896年)に上海から長江を遡行し、いまの重慶、四川省を単騎行したドキュメントであるが、清朝の地方民衆の生活を写真入りで活写していて興味尽きない。しかし、世相、風俗、心性の裏が読めない。学のない悲哀を痛烈に感じ、宝の山に入って宝をものにできないもどかしさを味わされる。そこで、ないものねだりをする。中国についての宮本常一先生はいないものか、『イザベラ・バードの「中国奥地紀行」を読む』を書く中国民俗学者よ出よ、と。磚を抛げて玉を引こう。
 四川省新店子の市場にある食物を眺めまわしたくだりに、こうある。
 「一部の都市では人間の乳が老人向けに売られている。栄養価が高いと堅く信じられているのである。」(『中国奥地紀行2』39p.)
 嬰児向けではなく、老人向けであることが重要である。老人向け人乳の存在は儒教文化を象徴していよう。「二十四孝」の一つに「唐夫人は姑の長孫夫人が年たけ、よろず食事、歯にかなわざれば、つねに乳をふくめ、あるいは朝毎にくしけずり、そのほかよく仕えて数年養いはべり」とある。四川省新店子では孝行を市場で調達するシステムが築かれていたのである。

唐夫人(トウノブジン)
(写真は、金剛寺の文化財より)

 表題の『極東の旅』は、訳者がイザベラ・バードの日本、朝鮮、中国の旅における写真(その多くは奥地紀行と重複)と比較的短い何篇かの紀行を編集したものであるが、この写真が興味津々ながらまた十分読解できない悲哀をもたらす。
 例えば、「地面に置かれている柩」(91p.)。これは皇帝墓と同一の思想によってつくられてよう。「中国人は父親を埋葬するためにだけこの世に生まれてきたようにさえ思われる」(『中国奥地紀行2』61p.)。「華南で広く見られる様式の墓」(89p.)は沖縄の亀甲墓と瓜二つで、家を建て墓を建てる二つの責務を背負った沖縄の民衆を彷彿させる。改革開放の中国での養老保障の一つに葬儀の保障が入っていることに注目されたい。

「地面に置かれている柩」
(イザベラ・バード『極東の旅1』ページ91より)
 
「華南で広く見られる様式の墓」
(イザベラ・バード『極東の旅1』ページ89より)
 

          
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