馬成三の談『中』説『日』 第4号
 2006.08.22発行  静岡文化芸術大学教授
馬 成三
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「言必信、行必果」と小泉首相の靖国神社参拝

「信」への強調からスタートした日中国交正常化
 「言必信、行必果」(言は必ず信あり、行いは必ず果たす)という孔子の言葉は、日中国交回復(1972年9月)以降の日中関係において重要な意味を持っている。日中国交回復を宣言した日中共同声明が発表された後、周恩来総理は「言必信、行必果」という題辞を田中角栄首相に贈り、これを受けた田中角栄首相は「信為万事之本」(信は万事のもと)と返したという。その後の日中首脳交流においても、「言必信、行必果」という言葉はよく引用されている。小渕首相が訪中した際、朱鎔基総理も同じ言葉を書いた題辞を贈ったそうである。
 「言必信、行必果」という言葉は、『論語・子路』に登場したもので、原文は「子貢問曰、如何斯可謂之士矣。子曰、行己有恥、使於四方不辱君命、可謂士矣。曰、敢問其次、曰、宗族称孝焉、郷党称弟焉。曰、敢問其次、曰、言必信、行必果、硜硜然小人也、抑亦可以為次矣」=「子貢問いて曰く、何如なるをか斯れこれを士と謂うべき。子の曰く、己れを行うに恥あり、四方に使いして君命を辱しめざる、士と謂うべし。曰く、敢えて其の次を問う。曰く、宗族孝を称し、郷党弟を称す。曰く、敢えて其の次を問う。曰く、言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人なるかな。そもそも亦た以て次ぎと為すべし」となっている。
 『論語』の訳注者である金谷治氏は、これを次のような現代日本語に訳している。「子貢がお訊ねして言った、『どのようでしたら、士の人と言えるでしょうか』。先生は言われた、『我が身の振る舞いに恥を知り、四方に使いに出て君の命令を損なわなければ、士だと言えるよ』。『しいてお訊ねしますが、その次は』『一族から孝行だと言われ、郷里からは悌順だと言われる者だ』、『尚、しいてお訊ねしますが、その次は』、『言うことはきっと偽りなく、行うことはきっと潔い。こちこちの小人だがね、でもまあ次に挙げられるだろう』」と。
 「硜硜然」とは融通のきかない様子で、「硜硜然小人也」とは、「融通のきかない小人物だ」という意味になる。「硜硜然小人也」という言葉を根拠にして、日本の首相は中国指導者から「小馬鹿にされた」とか、「無学」とかとの指摘も一部の「碩学」者からも出たが、このような指摘は、現代中国における「言必信、行必果」の使い方や孔子の思想における「信」の意味を理解していないことによるものである。
 実際、現代の中国では「言必信、行必果」を、「言行一致」として称賛の意味で使われている。この使い方は、一般的読者を対象とする『成語辞典』だけでなく、日本の文部省に当たる国家教育委員会(現在は教育部)が「精神文明」教育の一環として学者グループに編集させたテキスト・『中国伝統道徳』(規範卷)にも記載されている。
 孔子及び儒家の一貫した思想からみれば、「信」のことが非常に重視されているといえる。『論語』には「信」を論じる言葉が多く、「主忠信」(忠信を主とする)、「敬事而信」(事を敬みて信)、「謹而信」(謹んで信)、「言而有信」(言いて信有り)、「人而無信、不知其可」(人にして信無くば、その可なるのを知らざるなり)、「信則人任焉」(信なれば則ち人任ず)、「上好信則民莫敢不用情」(上、信を好めば、則ち民敢えて情を用いざることなし)などがその例である。
 「信」の重要さを強調した名文として『論語・顔渊』の「子貢問政」が知られている。原文は「子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先、曰去兵。曰必不得已而去、於斯二者何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立」=「子貢、政を問う。子の曰く、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れをか先きにせん。曰く、兵を去らん。曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先きにせん。曰く、食を去らん。古より皆な死あり、民は信なくんば立たず」となっている。
 金谷治氏の現代日本語訳では、「子貢が政治のことをお訊ねした。先生は言われた、『食料を十分にし軍備を十分にして、人民には信頼を持たせることだ』。子貢が「どうしてもやむを得ずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか』と言うと、先生は『軍備を捨てる』と言われた。『どうしてもやむを得ずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先にしますか』と言うと、『食料を捨てる。昔から誰にも死は在る。人民は信がなければ安定しない』と言われた」となっている。
 現代漢語として、「言必信、行必果」は人間の美徳を意味するものとしているものの、親しい人間同士ではあまり使わないのが実情のようである。これを強調すると、場合により相手に不信感を持っていることを意味するからである。「言必信、行必果」という言葉が日中国交正常化の時点から強調されたのは、日中関係にとって、相互信頼が何よりも重要なことと、双方間の相互信頼の欠如との両方を示しているように思える。
 
「この程度の約束が守れないのは、大したことではない」という小泉首相の発言は、孔子の教えに違反しない
 「言必信、行必果」を「人物評」と捉え、相手のことを「硜硜然小人」(融通のきかない小人物)と暗示したものと解釈したのは、現代漢語における「言必信、行必果」の使い方のほか、孔子がこの言葉を述べた際の前後の文脈への不理解とも関係している。
 「言必信、行必果、硜硜然小人也」という言葉は、孔子が「士」という特殊の階層の人物になるための条件を論じるものである。孔子の時代の「士」は、支配階層の構成員となっていたが、「諸侯」、「卿」と「大夫」の下に置かれ、「君主」や「諸侯」に仕えるものが多かった。
 孔子が、「士」として「言必信、行必果」(木村英一氏の訳では「言ったことを必ず果たし、行なうことは必ず遂げる」)程度のことしかできない人物を、「次の次」に位置づけたのには、二つの理由があると考えられる。その一つは、「士」の存在意義あるいは役目に対する孔子の理解によるものである。
 孔子からみれば、「士」として最も自分の存在意義を示せるのは、「君主」のために役立つこと(行己有恥、使於四方不辱君命)、その次は親族や地元に評価されること(宗族称孝焉、郷党称弟焉)、「言必信、行必果」は対人態度として非常に大事だが、「士」の資格としては前二者より低いレベルのことに過ぎないとみているようである。
 対人態度としての「信」の重要性は、孔子の弟子である曾子の言葉からよく表れている。曾子は「吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。伝不習乎」=「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交はりて信ならざるか。習はざるを伝ふるか」という言葉を残したが、「與朋友交言而不信乎」は「吾日三省吾身」の重要内容とされているが、これはあくまでも対人態度に関することで、「士」としての存在意義を示す基準とは混同できないのである。
 いま一つの理由は、孔子の「仁」または「仁義」と「信」との関係に対する理解によるものである。孔子は、「仁」を社会政治、倫理道徳における最高の徳目と基準としている。孔子からみれば、「信」も重要ではあるが、「仁」または「仁義」とは同列できず、むしろ「仁」に到達させるための条件の一つに位置づけられている。
 孔子のこの思想は、『論語・陽貨』にある言葉によく表れている。「子張問仁於孔子、孔子曰、能行五者於天下、為仁矣。請問之、曰恭・寛・信・敏・恵。恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、惠則足以使人」=「子張、仁を孔子に問う。孔子の曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。これを請い問う。曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮らず。寛なれば則ち衆を得。信なれば則ち人任ず。敏なれば則ち功あり。恵なれば則ち以て人を使うに足る」。
 現代日本語訳では、「子張が仁のことを孔子に尋ねた。孔子はいわれた、『五つのことを天下に行うことができたら仁といえる』と。子張がその徳目を尋ねると、孔子はいわれた、『恭しいこと、寛なこと、信のあること、機敏なこと、恵み深いことだ。恭しければ侮られず、寛であれば人望が得られ、信があれば人から頼りにされ、機敏であれば仕事ができ、恵み深ければうまく人が使える』」になる。
 つまり孔子は、「信」を重要視しているが、「恭」「寛」「敏」「恵」と同じように、「仁」という最高の徳目を達成させるための、ランクが一つ低い徳目に過ぎないのである。「仁」または「仁義」と「信」との関係に関する孔子の考えは、彼の弟子らや後世の儒家学者にも継承されている。例えば、後世の儒家学者(西漢の董仲舒など)により道徳信条として提出された「五常」(仁・義・理・智・信)の一つに、「信」が挙げられているが、順位ではやはり「仁・義」などの後に位置づけられている。
 これに関しては、「大人者言不必信、行不必果、惟義所在」(大人たるものは「言必信、行必果」に拘る必要がなく、大事なのは義があるかどうかだ(「孟子・梁惠王章句上」)という孟子の言葉は、孔子の「言必信、行必果、硜硜然小人也」に対する解釈として、最も分かりやすいといえる。孟子は、大事な「義」を忘れて、「言必信、行必果」に拘ることを、「大人」らしくないことを明確に主張しているのである。
 小泉首相は2003年1月23日の衆院予算委員会で「新規国債発行枠の30兆円突破など公約違反」を突かれて反論した時、「この程度の約束が守れないのは、大したことではない」と発言し、マスコミや野党からの批判を受けたが、孔子や孟子の考えからみれば、首相という立場にあった小泉氏にとって、約束したことをすべて実行する必要がなく、つまり「言不必信、行不必果、惟義所在」という理屈が成り立つのであった。
 
小泉首相の靖国参拝に対する中曽根元首相の批判は意味深長
 第61回終戦記念日にあたる去る8月15日、小泉首相は東京・九段北の靖国神社を参拝した。小泉首相にとって、これは2001年の就任以来6回目の参拝となっているが、終戦記念日の参拝は初めてのことで、現職首相としては1985年の中曽根康弘氏以来21年ぶりのことである。
 小泉首相が2001年総裁選の討論会で「首相に就任したら8月15日の戦没者慰霊祭の日に、いかなる批判があろうと必ず参拝する」と公約したことから、今度の参拝は「公約を守る」ことになるのである。実際、小泉首相は8月9日午前、長崎市内で「終戦記念日の靖国神社参拝」という2001年の「公約」について、「公約は生きていますからね、守るべきものだと思っています」と語り、そして記者団に対して「いかなるものについても、皆さんも公約は守るべきものと思っているんじゃないですか」との見方も示したそうである。
 小泉首相の終戦記念日の靖国神社参拝に対して、海外はもちろんのこと、日本国内の与野党からも多くの批判が出たが、しかし、批判の根拠に関しては、多様多種のようである。民主党の鳩山幹事長が注目したのは、小泉首相の「公約の使い分け」というところであった。
 『読売新聞』などの報道によると、鳩山由紀夫幹事長は8月9日、小泉首相が総裁選での公約通りに終戦記念日に靖国神社を参拝する意向を示したことについて、「自分で自分に皮肉を言っているのではないか。『公約は守らなくても大したことではない』と言った小泉さんが、そう言っても重みを感じない。都合のいい時だけ、『守るべきだ』と言うのは、子供の論理だ」と批判したそうである。
 「心の自由」と「公約」との矛盾に着眼した批判もみられる。新聞報道によると、靖国参拝をめぐる首相の言動には野党から批判が続いていることに加え、最近は自民党内からも「首相は『心の自由』という一方で、参拝という私事を公約にした。矛盾している」(閣僚経験者)という声が上がっているそうである。
 「言必信、行必果、硜硜然小人也」(孔子)、「大人者言不必信、行不必果、惟義所在」(孟子)という考えに一番近い批判は、21年前に現職首相として終戦記念日に参拝した中曽根元首相の批判といえる。『読売新聞』によると、中曽根元首相は記者団に対して、「公約に対する誠意は評価するが、小さないいことをやっても、首相として大事なことがどこかにあるのではないか」と述べたそうである。
 「終戦記念日に靖国神社を参拝する」という「公約」に拘った小泉首相は、「硜硜然小人=融通のきかない小人物」なのか、それとも日本の歴史における「絶世の英雄」になるのか、これは後世の歴史学者に判断されることでもあれば、日本の国民により判断されることでもある。
 
 孔子の言葉の日本語訳(現代日本語訳を含む)は主に金谷治訳注『論語』(岩波文庫1998年)から引用し、木村英一訳注『論語』(講談社文庫1975年)も参考にしたことを、ここで断わっておきたい。
 2006年8月21日記す
 
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