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     第14号 2010.07.22発行 by 岡田 充
    動き始めた東アジア統合
 ECFAと両岸・地域経済


 中国と台湾は6月30日、重慶で「経済協力枠組み協定(ECFA)」と「知的財産権保護協力協定」に調印した。ECFAといっても馴染みはないだろう。北京と台北という特殊な経済体による自由貿易協定(FTA)である。馬英九が2009年2月の春節(旧正月)明けに締結方針を表明してから1年4カ月、実際の協議開始からわずか半年というスピード調印だった。この協定を両岸関係の枠組みだけからとらえてはならない。東アジアで初めて締結されたFTAであり、日本や韓国など他の主要プレーヤーに与える衝撃は小さくない。韓国は早くも中国とのFTA交渉加速を打ち出した。「ドミノ効果」が表れ、周辺に対応を迫る「起爆剤」になっているのだ。それは東アジアの経済統合の始動を意味し、「東アジア共同体」をゆっくり促す契機になるかもしれない。
 本稿ではまず、協定が両岸関係と台湾内政の中で、どのような意味を持つのか整理する。両岸関係に関して言えば、新たな「突破」とは言えない。既定路線の延長線上にあるひとつの「到達点」であろう。既定路線とは何か。それは主権争いを棚上げし、双方が相手の現状を否定しない「現状維持」の下で、経済を中心に相互利益を追求することである。もちろん政治的意図はある。「国共合作」(協力)によって、台湾経済を再生させ、2年後の総統選で馬英九を再選させるという政治目標である。しかし両者の関係は、法的には「敵対的現状維持」であり、その「固い殻」にひびは入っていない。だから協定を「政治協議」移行へのステップと考えるのは早計だ。中国は「政治協議」への移行から統一という「正面圧力」をかけつつも、それと併行して台湾との経済統合と社会統合を進める道を探っている。1いわば「迂回路」である。「迂回路」とも関係する、台湾と外国の経済協定の可能性を検討しながら、東アジア経済統合への波及力について論考する。この新潮流を無視すれば、日本は東アジア統合の埒外に置かれるだけであろう。
孤立と辺境化への危機感
 馬英九が、民主進歩党(民進党)など野党の反対を押し切ってECFA調印を急いだのは「台湾が経済的孤立を打開する大
7月1日、ECFA調印について説明する馬英九総統(総統府で)
きな一歩であり、辺境化(矮小化)の脅威を抜け出る2」ためであった。馬英九が中国と協定締結方針を打ち出したのは09年2月。同月27日、台湾のケーブルテレビ「年代新聞」とのインタビューで、馬は協定の名前が「経済協力枠組み協議」(ECFA)になることを初めて明らかにした。そして協定の意義を(1)両岸経済貿易関係の正常化(2)東南アジアの経済一体化の中で、台湾の「辺境化」(矮小化)を回避(3)世界の主要貿易相手国とFTAなど自由貿易協定を結び、「国際化」を推進―の3点に要約した。3
 この論点から協定の意味と内容を改めて整理する。馬がまず強調したかったのは「孤立と経済苦境」からの脱出という「防衛姿勢」である。中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)は、2004年11月に包括的経済枠組み協定(ASEAN+1)に調印。ことし1月1日から中国とASEAN加盟10ヶ国の間では石油化学、自動車部品、繊維、機械工業など主要製品の関税が撤廃された。また将来、日本と韓国を加えた「ASEAN+3」が発効し、台湾が無協定状態に置かれれば、競争力は落ち、輸出減少などの大打撃を受けるのは必至であろう。馬に危機感を募らせる「孤立と経済苦境」とは、こうした事態を指している。
 下の(表1)は、陳水扁政権が誕生した2000年から10年(推計)までの、国内総生産(GDP)成長率の推移である。陳政権時代発足直後の01年にはマイナス成長を記録したが、陳政権時代の平均成長率は5%台を維持してきた。だが馬政権が誕生した08年は0.73%に落ち込み、09年は「-1.87%」とついにマイナス成長に転落する。その原因は、同年秋のリーマンショックによる世界経済落ち込みにあるとはいえ、民進党政権の「経済無策」を批判して当選した馬にとって、経済立て直しは克服しなければならない最大課題である。支持率低迷の最大の原因が、経済低迷にあるからだ。

過去10年の成長率(表1)
年度 2000 1 2 3 4 5 6 7 8 9 2010
成長率 5.8 -1.65 5.26 3.67 6.19 4.7 5.44 5.98 0.73 -1.87 6.5

経済浮揚
 (表2)は、台湾の政府系シンクタンク「中華経済研究院」などによる、ECFAの台湾経済に及ぼす影響シミュレーションである。台湾経済は09年末から回復基調に入り、ことしは6.5%増と、過去10年で最大の成長が見込まれている。さらにECFAが来年1月に発効すれば、GDPを1・65~1・72%押し上げる効果があると予測。逆に締結しなければ、ASEAN+1の発効によってGDPに0.18~0.84%のマイナスをもたらすと警告する。
 一方、雇用については、経済部見通しと、協定に反対する野党の予測は真っ向から衝突し、ECFA論争の主争点となった。経済部は化学、プラスチック、機械、紡績、鉄鋼、石油・石炭が「受益産業」になるとし、2203億台湾元の増収が見込まれ25.7万~26.3万人の雇用増につながると予測した。これに対し野党側の見通しは厳しい。中小企業のタオル、製靴、寝具、皮革、製紙などの伝統産業はすべて「受難産業」になるとし、野党系紙「自由時報」は「93万人が失業」と警告、李登輝系の「台湾団結連盟」は、失業者を「27万人」とはじき出した。
 どちらが正しいのか、答えは間もなく出る。中国との経済一体化が、経済浮揚という果実をもたらさなければ、馬の支持率上昇につながらないだけでなく、両岸関係にもマイナスの影響がでる。従って馬再選という至上命令に向けた「賭け」でもある。
 中国側の配慮は尋常ではない。温家宝はことし3月の全国人民代表大会(全人代)で、ECFAで「台湾に利益を与えよ」と主張した。「台湾に利益を」とは何だろうか。それはECFAで同意したアーリーハーベスト(関税引き下げ先行実施品目)をみれば明らかである。中国が台湾への関税引き下げに同意した製品は539品目。中国の台湾からの輸入額(2009年)で計算すると、合計138億4000万米ドルとなり、台湾からの輸入額の16.1%に相当する。一方、台湾が中国に対し同意したのは、合計267品目。中国からの輸入額で計算すると合計28億6000万米ドルとなり、差し引きすれば関税引き下げによる台湾側の利益は、約110億米ドルという計算になる。
 中国の大幅譲歩はさらにある。台湾が強く抵抗した農産物市場と労働力市場の開放は求めなかった。「一つの中国市場に飲み込まれる」と反対する野党や有権者への配慮がにじむ。特に、野党支持者が多い農村や漁業の拠点である台湾中南部の地域経済への打撃を最小限に抑える姿勢を見せたことは、馬再選に向けた国民党、共産党の意気込みを物語る。馬は、協定発効後は8%台の成長を見込んでいる。

ECFA締結と台湾経済への影響(表2)
締結の場合 締結しない場合
GDP成長率 +1・65~+1.72%(台湾経済部) -0.18% (ASEAN+1発効後)
-0.84% (ASEAN+3発効の場合)
 (中華経済研究院)
輸入 +6.95~+7.07%(経済部) 直接の影響なし
輸出 +4.87%~4.99%(中経院) -0.41%(ASEAN+1発効後)
-1.89%(ASEAN+3発効の場合)
雇用 +25.7万~26.3万人増(経済部) -4.7万人(台湾労働委員会)
93万人失業(自由時報)
27万人失業(台湾団結連盟)
受益産業 化学、プラスチック、機会、紡績、鉄鋼、石油・石炭。受益産業の増収は2203億台湾元 輸出に打撃
受難産業 タオル、製靴、寝具、皮革、製紙などの伝統産業
海外投資 +122.49% (台湾経済学者) 推計不能
台湾経済部の資料などを基に岡田が作成

「FTA」締結の可能性
 第2の論点は、協定締結後、台湾が外国とFTAなどの経済協定を結び、「国際化」を推進できるかどうかである。台湾は李登輝・陳水扁時代から、日本や米国など主要国とFTAを締結して、国際空間の拡大を目指すことをスローガンにしてきた。これに対し北京は、台湾の名称での国連加盟要求とともに「台湾独立の企み」として強く反対。日米も北京の立場に配慮し、台湾とのFTA締結は控えてきた。しかし馬英九政権の誕生で、中国の姿勢に微妙な変化が表れる。胡錦濤が08年末に発表した新台湾政策「胡6点」にその変化が読み取れる。この第5項は、台湾の国際活動について次のように言及している。
 「われわれは台湾同胞の国際活動に参与したいとの気持ちを理解しており、これに関連する問題の解決を重視する。~中略~『二つの中国』『一中一台』を作らないとの前提の下で、両岸の実務的協議を通じ情理にあった対応をする4 」。
 中国はこの新方針に基づき2009年から台湾のWHA(世界保健機関総会)へのオブザーバー参加を認めるのである。陳時代には考えられなかった変化だ。台湾大学の楊永明教授(前総統府国家安全会議・諮問委員)はことし1月東京で「中国側は胡錦涛が既に(台湾と外国の)交渉に反対しない姿勢を明らかにしている」と筆者に語った。彼が「胡6点」の第5項を「台湾と外国の交渉に北京は反対しない」ことを意味すると解釈していたことが分かる。
 FTA問題については中国側の見方も紹介しなければならない。北京の台湾政策の実務責任者である王毅・国務院台湾弁公室主任はことし3月来日した際の懇談で、台湾の国際組織参加問題について、「胡6点」を引用しながら「協議を通じて妥当な解決を目指す」と述べ、これは「台湾への善意の表明」だと説明した。「台湾が他の国とFTAを結べなければ、馬政権は危機的状況になるのでは?」との質問に対し、王毅は次のように答えた。
 「台湾が外国とFTAを結ぶというのは(ECFAとは)別次元の問題。ECFAは両岸の特別協議であり、民間同士で政府間ではない。しかし(台湾が)他の国とFTAを結ぶと、政治と外交の色を帯びることになる。胡6点の政策の枠組みで処理することになるかどうか―。FTAは複雑な事情があるが、適切な時期に適切な処理が必要」。
「あうんの呼吸」
 歯切れの悪い説明だが、要約すれば「FTAは政府間協定だから認められないが、別の名前の経済協定なら反対はしない」という弾力的な姿勢を示したのである。
 では台湾側はどうみるか。在京台湾外交筋は協定締結直前の6月初め「中国が台湾と外国のFTAに反対するのは前からだ。今に始まったことではない」とした上で「ECFA調印は、台湾が外国と経済・貿易関係を発展させるチャンス。台湾は米国とは『貿易投資枠組み協定(TIFA)』、日本とは『経済連携協定(EPA)』の協議入りを希望している。いずれにしても名称は、政府間協議を意味するFTAではない。シンガポール政府も、台湾との経済協定を希望しているFTAではない。建前上は台湾と外国がFTAを結ぶことはできない」と、名前はFTAにはならないことを強調した。
 外交筋は「北京もよく分っていますよ。あうんの呼吸で解決する」とも付け加えた。台湾は確かに2月初め、APEC関連の会議で米国に対しTIFA協議を急ぎたいと述べ、多角的な貿易体系に台湾を融合させる希望を表明している。この外交筋が指摘するように、台湾と外国の経済協議はシンガポールになる公算が大きい。先の楊永明も「陳水扁時代、シンガポールとFTAの合意寸前までいったが、陳側が台湾という名称にこだわったため破談した。(経済協定は)まずシンガポール、ニュージーランドが先行することになろう」と指摘している。
 これらの話を総合すると、ECFAが予定通り来年1月に発効した後、台湾が結ぶ経済協定の相手は、シンガポールになる可能性が高い。時期の特定は難しいが、在京外交筋が言う「あうんの呼吸」と、双方に効果的な時期を考えると、2012年の総統選直前は、一つの選択肢になるだろう。ECFAが「国際化推進」につながるという馬の公約を実現することによって、馬再選に有利な環境を整えることができるからである。

ECFA民意調査(表3)
態度  時期 2009年3月13日 2010年4月21日 4月25日 5月31日
賛成 29% 38% 41% 41%
反対 31% 36% 33% 34%
無回答 41% 26% 26% 25%
備考 ECFA方針表明 党首討論直前 党首討論直後 住民投票賛否
 TVBSの世論調査を基に岡田が作成

 (表3)はECFAへの賛否についての台湾ケーブルテレビ「TVBS」の世論調査の推移である。協定の内容が台湾住民に浸透していなかった昨年3月段階では、反対が賛成を上回っていたが、今年に入って賛否は逆転、4月25日の与野党党首TV討論後、賛成は上昇に転じた。これを馬への支持率に当たる「満足度」調査の結果と比べると、馬政権の大陸政策への支持は、馬支持率より高いことが分かる。TVBSの5月19日調査で馬の「満足」は33%に対し、「不満足」は47%だった。それに比べれば、ECFAへの支持は比較的高いといえるだろう。ちなみに馬支持率は、就任1周年には41%に上昇したが、昨年8月の台風災害処理をめぐる不手際で16%に急落。4月25日の民進党・蔡英文主席との党首討論後には25%から30%に上昇。就任2周年で33%まで回復している。馬人気の低迷と対中政策への評価は比例していないのである。
大中華経済圏
 香港に駐在していた1980年代の後半、香港紙や雑誌に「大中華経済圏」の見出しが頻繁に登場したのを思い出す。鄧小平の号令で広東省の深圳など4カ所に設立された経済特別区の歯車が順調に回り始めていたころである。経済特区を深圳に選んだのは、香港の後背地にあったからだ。香港資本と人材を広東省に引き込み、マカオの後背地にある珠海とともに、中国南部に「珠江経済圏」を形成する戦略だった。深圳がその後「世界の工場」の中心へと成長したことをみても、その戦略は的中したと言ってよいだろう。
 では「大中華経済圏」とは何か。当時の理解では、香港・マカオの返還後、台湾との統一を実現し、「両岸3地」で大経済圏を作るという構想である。これに東南アジアの華人約3000万人を加える報道5 もある。しかし当時の両岸関係は、蔣経国政権の下で、台湾と中国の接触、交流が厳しく制限されていたから、構想は「夢物語」という印象は拭えなかった。冷戦下の国際政治の世界では、台湾問題の解決とは政治的統一が先行し、経済・社会統合はその後についてくるという「序列思考」に、こちらの頭が支配されていたためかもしれない。
 北京からみると、ECFAは、「大中華経済圏」が、「夢想」から現実になるスタートである。市場が国境を越える経済グローバル化が、かつての「序列思考」を崩したためである。冒頭で、中国は「政治協議」への移行から統一という「正面圧力」をかけつつも、「それと併行して台湾との経済統合と社会統合を進める道を探っている。いわば迂回路である」と書いたのは、そういう意味である。香港の週刊誌「亜洲週刊」(7月11日)は、ECFAの意義について「アジアの勢力圏の事実上の再編成の第一歩であり、台湾が大中華経済圏に入り、日本と韓国の政策決定者にも新たな対応を迫る」と位置付けている。
 今回の協定は、中国市場をめぐり台湾と競合関係にある日本や韓国に、対中FTAへの動きを加速させるだろう。中国と台湾企業が補完関係を強化し、統合された新しい経済体を意味する「チャイワン(Chaiwan)」6 効果と言ってもよい。チャイワンとは「チャイナ」と「タイワン」を合わせた造語であり、韓国紙が名付け親である。
チャイワン効果
 6月26日、カナダのG20に出席した韓国の李明博は、胡錦濤に対し「中国とのFTAを加速したい」と、早期締結を希望した。ECFA調印直前の時期だけに、その波及効果とみて間違いはなかろう。韓国のポジションを簡単に整理する。中国は2003年、韓国にとって第一の貿易相手国となり、中韓のシンクタンクは04年から自由貿易協定に関する研究を開始した。だが米国がこれに不快感をみせると、韓国は米国とのFTAを先行する方針に転換。韓米両国は07年4月、10カ月の協議を経てFTAを締結したが、米議会の批准が遅れ発効していない。オバマ政権が登場すると、米国は幾つかの条項で韓国に再協議を申し入れたが、韓国側は拒否。「これが李明博に『中国カード』を切らせる理由になった」 7
 「亜洲週刊」は、ECFAが東アジアの経済統合の起爆剤になる構図を次のように描く。
 韓国はアジアで唯一、米国、EU,ASEANの3者とFTAを締結する国だ。同時に「東アジア共同体」に積極的だから、将来の東アジア共同体の「つなぎ役」になる立場にあった。だが韓国がその役割を担うと、半導体をはじめ電子、鉄鋼、プラスチックなどの輸出主力製品で競合関係にある台湾への負の影響は避けられない。この競合関係こそ、韓国が対米優先から対中FTA優先へとシフトした背景だと台湾側はみる。「チャイワン」がつなぎ役となり、東アジア統合の中心を担うという意味だ。
 同誌は続ける。「もし中韓がFTAを締結し関税を撤廃すれば、その効果は韓米FTAの10倍になるとみるアナリストもいる。同時に北京がソウルとFTAを締結する前に、台北とECFAを結べば、中国は台韓競争のバランサー役になれる」。台北からすれば、それは韓国の機会を削ぐことであり、北京からみると、巨大な中国市場をめぐる台韓競争をコントロールする立場を確保することになる。
ポジション失う日本
 このシナリオでは、日本は主役として登場しない。一香港誌の分析にすぎないと見ることもできるが、ECFAを契機に始動する東アジア経済統合の潮流を無視すれば、日本はポジションを失うだろう。「経済統合」とは、グローバル経済の下で、市場が国境線を越えて拡大することである。日本にとって13億人の中国市場は境界の向こう側にある市場ではない、心理的な境界を引き自分の領域を囲い込む意識では、経済統合に対応できない。
 ECFAで中国は、政治的理由から農業や労働力市場開放で台湾に譲歩した。では韓国とのFTAでも同様の譲歩は可能だろうか。中国からみた日米の距離と韓国の距離を比べれば、韓国は比較的優位にある。なぜなら中国が米国とFTAを結べば、「米国式スタンダード」を受け入れるリスクを冒さねばならない。日本との間では歴史問題のほか、日中双方のナショナリズムを克服する必要がある。
 その点、韓国の場合の政治コストは小さく、実質的利益は大きい。核・ミサイル開発で「中国離れ」の姿勢をちらつかせる北朝鮮へのカードにもなり、朝鮮半島での影響力維持という中国の地政学的な戦略にもかなう。チャイワンが主導する東アジア統合にプラスになると判断すれば、北京が韓国に対しても譲歩をする可能性はあるとみてよい。
 問題は日本であろう。台湾の在日大使館にあたる「台北駐日経済文化代表処」の馮寄台代表(大使に相当)は「民進党政権の8年にわたる反中国政策にもかかわらず、台湾と中国の年間貿易額は400億ドルから1325億ドルに増大した」8 と述べ、中国経済の求心力に、政治的ブレーキをかけることがいかに無力だったかを指摘する。彼は「ECFAで台湾経済は中国に飲み込まれるという不安があるが、何もしなくても“飲み込まれる”のだ。中国との経済貿易協力のルールを規定化、制度化するのがECFAの目的だ」と強調する。 GDPの総額で、日本が中国に追い抜かれ、「アジア1」の座を明け渡すことがはっきりすると、日本のメディアでは、ゆがんだ対中ナショナリズムがかま首をもたげ始めている。今問われているのは、「飲み込まれる」という被害者意識から脱却し、巨大化する中国市場をチャンスとみなし、いかにして東アジア経済統合に生存空間を見出すかであろう。
 チャイワンの衝撃について、みずほ総研の伊藤信悟は、台湾企業と中国市場で競合する日本企業にとって脅威になる可能性を挙げる一方で、台湾企業に高度な資本財や原料・部品を納入している日本企業には「中台間の産業協力の進展は事業拡大の追い風になる。韓国企業と比べると、日本企業は恩恵を受けやすい」9と指摘する。馮は、日本と台湾の企業が協力して中国市場に参入し成功した例として、大手コンビニ・チェーンを挙げ「台湾で華人市場の特性を分析し、人材育成と経営実績のノウハウを踏まえた上で、マネジメントに携わる台湾の優秀な人材を活用する」ことが重要と強調した10
台湾を先行指標に
 両岸関係論第11号(「敵対的現状維持」の殻は固い)で筆者は、米研究者ブルース・ギリーの「それほど“危険な海峡”ではない 米安全保障に資する台湾のフィンランド化」11という論文を紹介した。彼は中国の体制転換に果たす台湾の役割について「台湾がフィンランド化して、当局者同士の自由な往来がもっと進めば、台湾は中国の自由化に大きな役割を果たすことができる」と書いた。民主化を含めた「台湾経験」を、中国の先行指標とみなすのである。馮も、台湾で華人の思考方法や特性、嗜好を学んだ上で、中国でビジネス展開することがいかにプラスかを説いたのである。
 中国の日本渡航者数は09年に100万人を突破した。「観光立国」を目指す日本観光庁は5年後の渡航者を500万人に増やすため、7月1日から中国人観光客向けのビザ発給要件を大幅に緩和した。中国資本が買収した家電量販店「ラオックス」の羅怡文社長は「台湾の日本観光客は130万人で、人口の約5%。中国の場合、人口の1%が日本に来ても1300万人」という。台湾や中国からの観光客に人気の北海道は、観光ビジネスと中国の投資に地元経済活性化の好機と期待する。少子高齢化と「シャッター街」が目立つ地方はどこでも同じだろう。
 しかしこうした流れに冷水を浴びせるマスコミも少なくない。「中国人に全部買われるニッポン」12はその一例だ。さらに「近い将来、北海道も人口の過半数を中国人が占め~中略~交通事故が増え、偽札や偽カードが横行し、森林伐採など環境破壊が進む“中国人の開発特区”へと変貌するのだろうか?」13と、とんでもなく恐ろしいことを書く「ノンフィクション作家」もいる。「交通事故や偽札や偽カードの横行、森林伐採など環境破壊」と、根拠なしに書きなぐるのは止めたほうがよい。「“中国人の開発特区”へと変貌するのだろうか?」と、「疑問符」をつけて「逃げ」を打っている。だが、この「疑問符」は、自分の主張を強調するための便法、フィクションに基づくペンの「犯罪」だ。投資国が中国ではなく、欧米資本ならこんな粗雑な記事は掲載するまい。欧米偏重とアジアを見下す日本の近代化が育んだ意識は、大国化する中国に対し「歪んだナショナリズムをぶつける以外、出口がないのだろうか」と、私も「疑問符」を付けて強調したい。
 北海道には、台湾観光客への接遇を「先行指標」に、中国人観光客への積極的誘致を展開。リピーターが多い台湾人向けには、修学旅行や研修旅行など、より高度で新しいサービスで対応しようとする千歳観光連盟のような団体もあることを付け加える。
欠落する当事者意識
 話をECFAに戻そう。大手メディアの論説や社説は総じて好意的だった。「読売」は「アジア経済の連携に弾み」(7月3日付)で「経済関係強化をアジア全体に広げることが域内の繁栄と安定に役立つ」と、経済統合の流れを前向きに評価した。その一方、批判や警戒感を強調する評論も少なくない。批判の論点を整理すると(1)中国が台湾向けに配備しているといわれる1300基のミサイルを含め「軍事的対峙の状況に変化はない」として、ミサイル撤去を求める主張(2)「経済の一体化が政治統一までつながる」14の二点であろう。この二つの論点こそ、台湾問題に対する矛盾をはらんだ我々の視線を代表している。経済統合が、平和と緊張緩和をもたらすのは歓迎するが、統一につながるなら反対だ、という矛盾である。
 日本をあたかも、台湾問題の「局外者」であるかのように見るメディアは、5年前の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同声明を思い出して欲しい。声明は、日米安保の共通戦略目標として「台湾海峡問題の平和的解決」を盛り込んだ。台湾が日米安保の「対象」として、初めて明示的に言及されたのである。当時の民進党政権は大歓迎し、中国は「内政干渉」と強く反発した。中国側から見れば、日米安保体制の下で、日本は台湾問題に首を突っ込んでいる「当事者」である。彼らからすれば、ミサイル配備は日米安保への「抑止力」なのである。どちらが先かの問題ではない。
 「2プラス2」の戦略目標に沿えば、ECFAによる経済統合が緊張緩和をもたらし、話し合いによって台湾問題を解決することは歓迎しなければならない。それが仮に「統一」につながったとしてもである。では「統一」に反対する論理はどのようなものだろうか。あるテレビ局の解説15の内容から検討したい。
 「アメリカは、台湾への武器供与を続けています。それは、アメリカ主導の東アジアの秩序を維持する上で、台湾が重要な戦略拠点だからです。ECFAが、中国の思惑通りの成果を上げるならば、そうした台湾の位置づけは変わることになります。それは、日本の周辺環境が大きく変化することに他なりません。ECFAの締結で、中台の一体化 がどこまで進むのか、日本としても注視していく必要があります」
統一反対の論理 
 「産経」とは異なり、「政治的中立」をうたう放送局だけに、「統一」という言葉は慎重に避けているが、ここから統一反対の論理を浮き彫りにしたい。婉曲な表現を整理すると「統一によって、米国の東アジアにおける戦略拠点である台湾の位置づけが変わることは、日本の利益にならない」と要約できるだろう。
 ここでも目立つのは第一に「当事者意識」の欠落。日本が台湾問題の当事者であることを捨象して「米国の東アジア戦略」に責任をなすりつけて逃げをうつ。第二に、より重要な点だが台湾を将棋のコマのように見なす視線。台湾の位置づけは本来、台湾自身が選択するものであろう。だがここでは米国が位置づけを決め、(それに追従する)日本にとって看過できないという、身勝手な主張が展開される。日本社会に内在する、朝鮮半島と台湾に対するコロニアリズム的視線。そして第三は 「アメリカ主導の東アジアの秩序を維持する」と、冷戦時代の国際秩序の枠組みをそのまま踏襲する。朝鮮半島と台湾という東アジアの火薬庫をめぐる米国の姿勢は、イラク戦争後に変化した。北朝鮮の核をめぐる6カ国協議は、中国をホストに地域の安全保障を協議する初めての多国間協議だった。ブッシュ政権は第二期に入り、中国への挑発を続ける民進党政権にブレーキを掛け、中国との協調関係を次第に構築する。東アジア秩序で「アメリカ主導」の時代はもはや終わっている。「米中協調下の」と言い換えるべきであろう。
 では大手メディアの社説や解説が懸念するように、ECFA締結は統一へとつながるのか。両岸の法的な関係は、冒頭に触れたように「敵対的現状維持」であり、ECFAはその法的関係に直接の影響を与えるものではない。両岸論第11号を引用する。
 「台北と北京は将来政治協議入りし、平和協定を結んで『敵対関係』に終止符を打つことで一致している。しかし平和協定を結んでいない現状は、法的には正に『敵対関係』なのである。『敵対関係』の下では、米国は台湾の安全保障の『盾』であり続ける。武器売却は、ワシントンと台北が安全保障の現状枠組みを追認したことを意味する。逆に売却しなければ、ワシントンが北京の圧力に屈して台湾防衛を放棄したと受け止められる。(台湾向け兵器売却への)北京の対抗措置は一見強烈に見えるが、全て織り込み済みである。両岸関係は、緊張緩和という大潮流が逆流する可能性は薄いが、『敵対的現状維持』の殻は固い。これが両岸関係の『前提』であり『与件』である」。
敵対関係は形骸化 
 この現状は、論理的には「平和協定」締結まで続く。しかし両岸の経済統合のうねりは、「敵対的現状維持」を“形骸化”していく。つまり1300基のミサイルも台湾に配備されている米国製兵器も、実質的な脅威にならなくなるほど、経済統合が相互利益になるということである。「平和協定」は少なくとも12年の馬再選まではテーマにならない。協定をめぐり台湾内部の亀裂が広がり、国民党が政権の座を追われる事態は、中国にとって最悪のシナリオだ。仮に馬が再選されても、平和協定締結は簡単ではない。台湾人の多くが拒否反応を示す「政治統合」(統一)のイメージと重なるからである。政治協議は、かなり長期にわたる「現状維持」の末に、両岸の経済・社会統合が進まなければ難しい。これが筆者の結論である。問題は台湾人意識の変化と、台湾人が決定する選択にある。
 ECFAは両岸関係の動因のうち、伝統的な軍事力に代わって経済相互利益が支配的になった時代の象徴である。領土と主権、イデオロギーの対立が、経済グローバル化によって乗り越えられたモデルとも言える。大手メディアが論評するように、「平和と緊張緩和はよいが、統一は困る」というステレオタイプな論理からは何も生まれない。
 両岸関係の好転は、原則(主権・領土問題)を後回しに、実体(経済の相互利益)を先行した要因が大きい。分断統治の現状をお互いに認め合い主権問題を棚上げしたのである。EUのように理念を先行し、実体をそれに近づける思考とは全く逆のベクトルだ。鳩山由紀夫前首相が主唱した「東アジア共同体」は、「友愛」という美しい理念から出発した。普天間問題でつまずいた鳩山の後継である菅直人政権は、もはや「東アジア共同体」を強調しない。日本のメディアが「将棋のコマ」のように見なす台湾は、「チャイワン」が切り開く東アジア統合に、将来展望を見いだした。
 中国への歪んだナショナリズムと、台湾に対する見下した視線を自覚的に克服しなければ、日本が新しい統合のうねりに然るべき位置を占めることはできない。台湾にはいま、統一はもちろん、「独立」の選択肢もない。経済統合が社会統合を促し、「統一」「独立」を主張する意味がなくなるときに、台湾問題は初めて解決する。
(了)



 
1 「両岸関係論第12号」  
http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_12.html
2 「台湾総統府HP」「台湾の新しい契機、アジア地域の新時代―重要な時期の正しい選択」(7月1日)
http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=21895&rmid=514
3 「両岸関係論第2号」
http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_02.html
 4 「両岸関係論第1号」
http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_01.html
5 亜洲週刊」27期(2010年7月11号)
6 伊藤信悟「チャイワンは日本の脅威か」(みずほリポート 09年3月17日) 
http://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/report/report10-0317.pdf
7 同上
8 馮寄台「台湾は親中でも反中でもない『和中』だ」(「毎日新聞」6月3日)
 9 伊藤信悟「チャイワン(chaiwan)」(みずほリサーチOctober 2009)
10  馮寄台「台・日・中、協力で利益享受」(「日経」6月14日))
11 Bruce Gilley「Not So Dire straits/How The Finlandization of Taiwan Benefits US Security」(「FOREIGNAFFAIRS」Jan/Feb 2010)
12 「中国人に全部買われるニッポン」(「週刊現代」7月31日号)
13 河添恵子「北海道 ただいま中国人に売り出し中」(「週刊文春」7月15日号)
 14 「対中依存を止めるのは日米」6月30日「産経」
15 「中台経済協定締結の意味」(NHK「時論公論」 7月5日)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/53622.html#more




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