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     第21号 2011.04.26発行 by 岡田 充
    台湾意識の強まりに手詰まり感
「緑」の政権奪還にも厚い壁


 2012年の総統選挙まで1年を切った。政権奪還を目指す野党、民主進歩党(民進党)候補には3月23日、蔡英文・党主席(54)と蘇貞昌・元行政院長(63)、許信良・元党主席(69)の3人が名乗りを挙げた。一般有権者を対象にした世論調査を基に5月4日候補者を決定する。両岸の対立と矛盾の根底にあるものが、北京の主張する「一つの中国」と「統一」にあることに疑問の余地はあるまい。前回2008年総統選挙で政権を奪い返した国民党は、この対立と争点を棚上げし、現状維持路線で北京との関係を大幅に改善。「三通」と、自由貿易協定(FTA)に当たる「経済協力枠組み協定(ECFA)」調印にこぎ着けた。経済と人の交流が深まり、それが台湾に利益をもたらせば、意識の距離も縮まり一体感が強まると考えるのが常識的だろう。だが逆に交流の深まりが双方の距離を広げる結果になるとしたらどうか。ECFA調印以降の台湾の民意調査結果は、「中華民族」としての同質性より、台湾人意識と独立支持が強まっていることを示している。
 台湾人意識の強まりは、民進党にとって歓迎すべきことかもしれない。しかし総統選挙に向けて民進党も伝統的な台湾ナショナリズムを越え、中国との対話・交流を推進できる現実的政党への脱皮が最大課題である。ここではまず、民進党の最有力総統候補、蔡英文の中国観と対中政策を検討する。彼女の中国観が、同党のみならず主流民意を反映したものかどうかを探ってみよう。第2に、国民党との合作で民進党打倒に成功した北京は、「現状維持」から踏み出せない馬英九への不満を募らせる一方で、次のステップである「政治協議」入りを要求すれば、馬を追いつめ再選を困難にしかねないというジレンマにある。胡錦濤のブレーンの論文から、北京のジレンマと台湾政策の「底線」を探る。
「92合意」受け入れが前提
 まず確認しておきたいことは、北京の総統選に向けた最優先課題は馬英九再選、民進党の政権復帰の阻止にある。胡錦濤の台湾政策は、2008年末に発表した「両岸平和発展に関する6項目」(胡6点注1)に集約されている。その第1項「一つの中国を厳守、政治的相互信頼を増進」は「台湾独立の分裂活動への反対が平和発展の必要条件」と強調した。台独反対が現段階の台湾政策の根幹と言ってよい。一方、第4項の「人的往来を強め、各界交流を拡大」では、「かつて『台独』を主張した人びとが和平発展の正確な方向に戻ることを心より歓迎する。民進党が『台独』分裂活動の立場を変えさえすれば、積極的に対応する」と、民進党の存在に初めて言及して注目された。民浸透の政権復帰をも射程にいれた論述と見ることも可能であろう。
 しかし、民進党が政権復帰したとしても、北京がカウンターパートとして認知するには「台独放棄」が前提条件である。具体的には「92合意」注2受け入れを迫るであろう。民進党は「92合意」の合意自体を否定しているため、要求をそのまま受け入れる可能性は極めて低い。従って論理的には、民進党の政権復帰は対話と交流の停止を意味し、場合によっては李登輝・陳水扁時代のような激しい対立の再現も想定しなければならない。従って民進党にとって対中政策のハードルは高い。なぜなら有権者の多くは、対話・交流の停止による不利益と緊張激化を望まないからである。ただ「92合意」については最近、北京側に新解釈を模索する動きもみえる。これが何を意味するかは後で詳述したい。
蔡優勢でスタート
 民進党勝利にとって、最も高いハードルが対中政策だとするなら、民進党候補者はどのような対中政策を打ち出し、党内
合意を形成しようとしているのかが最大の論点となろう。民進党は4月10日台北で、3候補による第1回の政見発表会(写真左から蔡、蘇、許=中国評論新聞)を行った。3候補とも約半分の時間を対中政策に割いており、対中政策こそ最大争点であることを示している。政見発表直後の台湾紙「蘋果日報」の調査によると、蔡支持は48・4%、蘇は32・4%、許10・4%だった。政治家としてはとっくに「賞味期限が切れた」許はともかく、蔡・蘇の争いは蔡優勢で始まった。候補者を決める世論調査は「誰を支持するか」ではなく、「馬と争った場合誰が勝つか」という情勢判断を問う内容。立候補届け出直後の3月23日付の「中国時報」が掲載した世論調査では、馬対蔡の場合の支持率は36%対30%。馬対蘇は38%対32%だった。支持率の開きはどちらも6ポイントだが、蘇の支持率がわずかにリードした。一方同日付の大衆紙、蘋果日報は、「民進党がどちらの候補でも馬総統に圧勝するとの世論調査結果を載せた」(「蔡主席ら総統選に名乗り」共同通信台北電 3月23日)。
 蔡は当初、2010年夏にも新しい大陸政策を盛り込んだ「10年政綱」を発表する予定だった。しかし発表は遅れ結局5月の候補者決定後にずれ込んだ。ただことし2月23日、台北で開いた民進党のシンクタンク「新境界文教基金会」(New Frontier Foundation)に「安全戦略研究センター」をオープンする式典で、両岸関係に関する包括的認識注3を表明した。
 「和而不同」(和して同じず)をキーワードにした蔡演説に対して、総統府や国民党はもとより、メディアからも批判が噴出した。蔡は比較的イデオロギーにとらわれない新世代リーダーの1人であり、政見発表の重点も「世代交代」にあった。その対中認識や台湾観は、「ポスト民主化」時代の台湾人意識を知る上で多くの示唆に富む。彼女の党内における位置はどのようなものか、「海峡両岸論」第18号注4を引用して説明する。
 ―蘇貞昌は、陳水扁、謝長廷(元党主席)と並び民主化運動の出発点ともいえる1979年の「美麗島事件」の弁護士を務め、86年の党結成に参加した「第1世代」。彼ら「美麗島」世代のリーダーは、自分たちを国民党独裁の受難者と規定し、濃淡はあれ台湾独立ナショナリズムと分かちがたい政治傾向がある。これに対し蔡英文は、英国留学組の学者出身。李登輝政権末期に「2国論」策定に参与したが、イデオロギーにとらわれず、美麗島世代に比べてより現実的な見方をする―
和而不同
 蔡スピーチのさわりを紹介する。(1)台湾問題の歴史的経緯(2)対中関係の枠組み(3)馬政権への評価(4)台湾アイデンティティ―の4視点から、彼女の認識を汲み取って欲しい。まず(1)「台湾問題の歴史的経緯」について演説は、「台湾海峡の現状は、国際権力構造と東アジア近代史転変の結果」と位置付けた。ここには「台湾問題は国共内戦の延長」という北京や国民党の認識は一切ない。さらに蔡は「両岸のフレームワークに限定したり、歴史枠組みの中に陥ったり、さらには『政治的前提』の下で両岸問題の空間を狭めるべきではない。両岸問題は国際的な戦略思考を持ち、同時に内政問題の延長でもある」と論述する。両岸が「一つの中国」に属するという認識はなく、「別物」「外国同士」という認識が強固である。
(2)の「対中関係の枠組みに」ついてスピーチは「台湾を必ず国際的な枠組みの中に置き、政策思考も未来のフレームワークに着眼してこそ、必要な戦略的深さを打ち出すことが出来る」「両岸のテーマは台湾と中国の双方問題だけでなく、地球と地域の戦略的バランスを考慮すべきであり、アジア各国と一緒に中国の台頭に共同対処する必要がある」とし、両岸関係を、地域枠組みやグローバルなフレームワークの中に位置付けるべきだと主張した。
 次いで蔡の矛先は馬政権に向く。「台湾は二辺の基礎からのみ両岸関係を発展させるべきではなく、特に経済貿易交流では、国際的な多国間システムの中で、中国との互動枠組みを作るべきである。そうしてこそ現在の馬政府のように、中国側が設定した枠組みにはまり、経済的利益と政治的退歩を取引するようなことを避けられる」「国民党は『和而要統』(和して統一を求め)、『和而必統』(和して必ず統一する)の路線を歩んできた。このため馬政府の執政の3年間は、経済、政治、外交を問わず、すべて中国アイデンティティと中国価値を核心にしてきた」と批判するのである。ここから導き出されるのが(4)「台湾アイデンティティ」であり「台湾の中国との関係発展は台湾アイデンティティから出発し、台湾の価値を核心とし、両岸は必ず『和而不同』(和して同ぜず)、『和而求同』(和して同じを求める)を維持すべきだと考える。この『和』とは和平発展の『和』である」という結論を導き出している。
どうだろう。これが日本の政治家の発言なら、なかなか立派な演説と評価できるのではないか。共同の責任と利益として「平和と安定の追求」を挙げたが、これに反対する人はいるまい。問題はこれが台湾のリーダーとして、台湾人だけでなく北京も承伏させられる内容かどうかである。
「一中一台」と批判
 『和而不同』への反応はどのようなものか。まず総統府は発表直後のコメントで「発言は『一中一台』の観点からの発言で、~中略~民進党政権当時の論述と違うところはまったくない」とし、「相変わらず『中華民国は亡命政権』と主張し、中華民国憲法と『92合意』を避けて通ろうとしている」注5と批判した。一方中国は、国務院台湾事務辨公室注6の楊毅報道官が、同じ23日の定例記者会見で「報道は見た。台湾独立に活路がないことを知ってほしい」と言明。さらに「大陸側は今まで『台湾独立反対、92合意堅持』が政治的相互信頼関係を樹立するための重要な前提と土台であると繰り返し説明してきた、この前提と土台が失われれば、両岸関係の改善と発展について談判することはできない」と論評した。
 台湾総統府が「一中一台」の観点とレッテルを貼ったのに比べると、細かく踏み込んでいない。彼女を「台独」と決めつけてはいないし、一般論として「台独」を非難しているのにとどまっている。充分吟味する時間がなかったのかもしれないが、正式な政策発表前に「手の内をさらけ出す」必要はないということなのだろう。ただ「政治的相互信頼を樹立するための重要な前提と土台」として「台湾独立反対、92合意堅持」を挙げ、「92合意」受け入れが前提という主張を繰り返した。
 興味深いのは、対中政策を策定する台湾の大陸委員会のコメント。「蔡の批判は事実と一致しないと」反論した上で、「和而不同」「和而求同」という主張を「われわれの現段階における大陸政策と一致するので歓迎」すると述べた。「和而不同」は現状の説明にすぎず、政策ではないから反対する理由はないという意味である。
 メディアでは、中国時報が3月1日付け社説「8字空論注7にすぎないのか?」で「具体的方向が見えず、何も言っていないのと同じ」と批判する。「台湾アイデンティティは既に国民の共通認識である。台湾アイデンティティは民進党の特許ではないし、民進党が堅持している台湾独立とは同じではない。絶対多数の国民は強い台湾人意識を持っているが、これは必ずしも台独支持を意味しない」とした。そのうえで「蔡主席に聞きたい。和而求同の『同』とは何を意味するのか。『92合意』に同意するのかしないのか?もし同意しないなら、それに替わる民進党の主張は何か。ECFAも受け入れないのか。もし受け入れないならその後の処理をどうするのか?」と問うた。
ECFAは公民投票も
 これらの反応から、幾つかの論点が浮かび上がる。繰り返すがこのスピーチは蔡の対中政策ではなく、両岸関係に関する包括的認識の表明である。最大争点である「92合意」には全く言及していない。民進党の公式の立場は「存在しない合意」というものだから、この党是を超えるのは簡単ではないが、正式の政策発表を待ちたい。
 ところで国民党が提起した「中華民国は亡命政権」とした蔡発言とは何か。これは2010年5月25日、台湾独立派団体が開いた「中華民国の台湾亡命60年  戦後台湾の国際的境遇新書発表会」でのスピーチ。2011年3月23日付け聯合報は「『かつて』の言葉が飛び出した」と題した論評で、蔡発言を再現し「中華民国は1つの亡命政府で、台湾を数10年統治してきた……中国の思考、文化、言語が台湾で強勢文化と言語になった」と述べていたと報じた。国民党政権を「外来亡命政権」とみなす台湾ナショナリズム色が濃厚な認識であり、国民党の「中華民国は主権国家」という立場とは相容れない。民進党側は発言について「中華民国は『かつて』亡命政府だったと言ったのだ」と弁解したが、聯合報は、「(彼女は)中華民国の国旗の前で大陸委員会主任委員及び立法委員就任を宣誓し、中華民国政府が発給した給与を受取っていた」と書き、蔡の「曖昧な国家アイデンティティ」を批判している。
 もう一つの論点はECFAの扱い。蔡はかつて「(政権の座に就けば)ECFAは拒否する」と述べていたが、台湾メディア(3月31日)に対し「ECFAを変更する場合、決して無理押しをしない」「公民投票(で是非を問う)も選択肢の一つ」とトーンダウンした。既に批准・発効した協定を破棄することは、台独強硬派からは支持されたとしても、選挙のカギを握る中間層の支持は得られないと判断したのではないか。一方の蘇貞昌はもっと現実的だ。民進党がECFAに反対したのは、「不透明で、民主的手続きを取らなかったからだ」と説明し「総統に当選したら、ECFA政策を継続させるつもり」と述べている。
台湾アイデンティティ
 だがより重要なポイントは、蔡が馬との違いを「中国アイデンティティ」と「台湾アイデンティティ」に置いた点であろう。先に紹介した中国時報は「(台湾アイデンティティは)民進党の特許ではない」とし「李登輝の執政開始から蒋経国の『私もまた台湾人だ』という発言を引用するまでもなく、台湾アイデンティティは既に国民の共通認識となった。絶対多数の国民は強い台湾人意識を持っているが、これは必ずしも台独支持を意味しない。『台湾利益』とは何かという点で大きな議論の余地があるが」と書いた。さらに大陸委員会のコメントも(1)馬英九は総統に就任して以来「台湾を主体とし、人民にとって有利」との原則を堅持して両岸関係を推進(2)両岸交流が台湾の経済発展、地域安全、両岸関係の安定平和に大きなプラスとなり、その成果は誰の目にも明らかーとし「政府を『中国アイデンティティ、中国価値』」ばかり強調しているという指摘は事実ではない」と反論した。
 確かに馬は、08年の前回総統選に向けて、現状維持路線とともに「台湾優先」政策を前面に出して当選した。「統一」と「中国傾斜」というイメージが国民党のウィークポイントであることを自覚し、これを否定する計算が働いたのであろう。にもかかわらず、蔡が改めて台湾アイデンティティを争点に持ち出したのは、馬の「台湾優先」や「台湾アイデンティティ」イメージが有権者に浸透していないと判断したからに他ならない。一方、中国側の「台湾人アイデンティティ」に対する認識は「胡6点」の第3項「中華文化を宣揚し、精神的きずな強化」に明らかにされている。胡は「台湾同胞の郷土を愛する台湾意識は『台独』意識とは同じではない。各種の文化交流の推進は、民族意識を増強し(中略)中華民族の偉大な復興を共に図る精神的な力である」と述べた。台湾人意識を「郷土愛」とし、いずれ「中華民族」というより大きなアイデンティティに統合されていくという認識である。
南天会議
 この問題はことし1月15~18日、シドニー郊外の仏光山南天寺で開かれた両岸研究者・実務担当者によるセカンドトラック「南天会議」で中心テーマとなった。会議は、台湾の両岸統合学会(張亜中理事長)と仏光山オーストラリア南天寺の合同主催(中国社会科学院台湾研究所、アジア太平洋平和研究基金会、中国評論新聞社協賛)。「史観、論述、政策とアイデンティティ」(写真 中国評論新聞)と題して、約40人が出席したクローズドア会議である。このセカンドトラックは2009年、北京で2回に開いた清華大法学院、社会科学院台湾研究所共催の会議と、2010年4月2―6日、富士山の麓にある仏光山本栖寺で行われた本栖湖会議に続き4回目になる。
 1月21日付け台湾紙「旺報」は、会議のやりとりを詳細に報じた。それによると、中国側学者は、台湾月刊誌「遠見」の最新民意調査を引用して、「統一支持」はわずかに7・1%にすぎず、27・7%が独立を主張し67・8%は「統一の必要なし」と回答したことを紹介、「台湾主体意識は統一拒否の主流となっている」と分析した。この学者は具体例として、謝長廷(元民進党主席)が最近明らかにした、台独勢力は独台派、現状維持派と協力し「抗統保台」(統一を拒否し台湾を守る)という主張を挙げたという。つまり台湾では統一はもはや選択肢ではなくなったという現状認識が率直に述べられた。
 これに対し台湾学者は、「両岸アイデンティは急速に亀裂を深めている。若い世代で中国人意識を持つ割合は極めて少なく、さらにその下の世代では中国人意識はほぼない。時間は台独の方向に向かっている」と分析。中国側からみれば「台湾人意識」が「台湾独立」につながっているという容認しがたい事態が進行していることになる。台湾学者はその背景として、国民党による反共教育や李・陳政権時代の非中国化政策の影響を挙げ、台湾の国際生存空間を狭めれば、その傾向は一層強まると警告した。ただここで言う「台独の方向」の「台独」とは、分断統治という現状の固定化と解釈すべきであろう。
交流で広がる距離
 このような危機感を背景に中国側学者は(1)国民党と民進党は、状況次第では統一拒否で協力するのではないか(2)馬は民進党の主流意見と異なる論述を提起していないーと指摘。「馬の台独に対する寛容な政策で、台湾主体意識は(台湾人の)神経と毛穴にまで染みこみ、是非論を麻痺させている」と皮肉ったという。さらに別の中国学者は「両岸交流は互いに隷属しない情況の下で進み、あなた方と我々という意識を強めている。国際関係と同様、交流は非一体感を強める結果になっている」と述べ、「あなたは友達だが、あなたはあなた、私は私」という李登輝の認識と同様の状況が生まれていると指摘した。
 3年に及ぶ両岸交流が一体化ではなく、両岸アイデンティティに亀裂を生む結果になったことについて、両岸の学者が本音で議論している様子が伝わる。その意味では、蔡英文の「両岸は外国同士」という認識と「和而不同」は、台湾主流民意の反映と言えるかもしれない。昨年3月筆者が会った陳政権時代の元政府高官注8が、中国との関係改善を評価しながらも「交流が深まれば深まるほど、台湾共同体意識が芽生え、お互いの差が目立って見える。中台関係は複雑なのだ」と論評したのを思い出す。
 台湾への経済的利益を意識したECFAにもかかわらず、一体感が強まるどころか、逆に距離が開いていくとすれば、大陸側に打つ手はない。馬政権も政権維持のため現状維持路線の虜となり、北京が次の一手と考える政治協議・平和協定などは絵に描いた餅になってしまう。
 馬政権への移行に伴い頻繁に開かれるようになったセカンドトラックだが、その中で規模と内容で特筆すべきは、09年11月に台北で開かれた「両岸一甲子学術研討会」注9であろう。「一甲子」とは「還暦」のことであり、台湾問題が生まれて60年を迎えた節目を記念して開いたシンポジウムだった。これには胡錦涛・中国国家主席のブレーンで、中国の「平和的台頭」スローガンの生みの親、鄭必堅(元共産党中央党学校副校長)を団長に、解放軍退役将軍、元外交官、台湾問題研究者など28人が台北に集まった。会議について台湾紙「聯合報」注10は4月12日付けのワシントン電でウィキリークスを引用して、米国在台協会のウィリアム・スタントン台北事務所長がこの会議を「両岸の政治協議に向けた里程標だった」という公電を米国務省に打っていたと報じた。
創造的曖昧さで政治協議を
 その政治協議だが、アイデンティティの亀裂が一層意識されるようになった今、北京は台湾との政治協議をどのように展望しているのだろうか。民進党が政権復帰した場合も、この問題は避けて通れないから、これを検討することは意味があろう。「胡6点」は第6項「敵対状態を終結させ、和平協定締結を」で「両岸の敵対する歴史を終わらせることは両岸中国人の共通の責任である。両岸は国家がまだ統一していない特殊な状況下でも、政治関係について実務的協議をすることは可能。「一つの中国」の基礎の上で、正式に両岸の敵対状態を終わらせる協議をし、和平協定を達成することは両岸関係の和平発展の枠組みを築くことである」と、政治協議を通じた平和協定締結を最終目標に据えている。
 そこで胡錦濤の台湾政策のブレーン、黄嘉樹・中国人民大学教授(写真=百度百科)の論文「両岸の政治協議に関する考察」注11から、台湾の現状認識と馬と民進党評価、政治協議の展望を読み込むことにしよう。彼は「両岸一甲子学術研討会」をはじめ、本栖会議、南天会議と、主要なセカンドトラックに出席している。胡政権の最もリベラルな台湾政策を代表する論者であり、彼の主張が必ずしも北京の公的な政策と一致するわけではないことは留意して欲しい。
 彼はこの中で大胆な問題提起をしているわけではない。ただ、政治協議の時期については、「直ちに政治対話入りする機は熟していない」「馬を追いつめるべきではない」として急がない考えを示した。さらに「一つの中国」と「中華民国」のステータスの解決という最難関問題について「現実的な選択としては『創造的な曖昧』を保持し『各自表明』の空間を残すしかない」と述べ、問題を曖昧にしたままでも政治協議入りは可能という見解を明らかにした。このほかの論点は①「92合意」の解釈で中国側が「譲歩」②軍事信頼醸成措置(CBM)を協議出来るならミサイル撤去もあり得る③「民主」は台湾の普遍的価値となっており、民進党の主張には一定の説得力がある④国民党では本土派が優勢を保ち、彼らの本音は統一を拒否することにあり、民進党の「実務派」と変わりない―などと、興味深い考えを述べている。
「各自表述」で譲歩
 この論点に沿って黄の論述を紹介する。まず①の「92合意」の解釈をめぐる「譲歩」について。黄は、平和発展の全段階で「どちらが主権国家か」「どちらが中央政府か」の構造的相違で合意することは出来ないと問題解決の難しさを指摘した上で、「『各自表述』『擱置争議』の方式で処理するしかない。今後の政治協議ないし『平和協定』締結の過程の中でも『一中各表』はその特殊な効能を発揮するだろう」と、ステータスをあいまいにしたまま政治協議入りできると主張した。
 そして「92合意」の新解釈については、海峡両岸協会の李亜飛副会長が2010年8月11日台湾で開かれた「両岸平和創富論壇」注12で、中国側の新解釈として「一つの中国の原則をともに堅持するという合意を、両会がそれぞれ口頭で表明した」と要約したことを明らかにした。黄は、台湾側の要約が「各自が一中を表明」であり、「各表一中」と「一中各表」ではアクセントに違いはあるが「この発言は大陸が初めて『各表』を正式に受け入れたものである。この善意を台湾側は考慮すべきだ」と述べた。これが中国側の公式の見解かどうかは検討を要しよう。新解釈は恐らく「92合意」に懐疑的な台湾民意に向けられたものだろう。中身をより曖昧することで「一つの中国」を受け入れやすい環境作りを狙ったのではないか。
 次に②の「軍事信頼醸成措置(CBM)の協議とミサイル撤去問題」。黄は政治協議入りするに当たっての困難を幾つか挙げ、「台湾の安全への懸念」の項目の中で「大陸側はもし双方が軍事信頼醸成措置を協議できるなら、ミサイルの撤去などの要求を、軍事信頼措置問題と一緒に解決することは出来ると考える」と書いた。ただし、ミサイル撤去は一方的な措置ではなく「双方がともに軍事的配備を調整することであり、大陸が一方的に変えることではない。台湾は大陸側が無条件でミサイル配備を撤去するのを先行すべきだと主張しているが、これは政治協議に新たな前提を設けることになる」と、相互主義を唱えた。台湾側がとるべき措置について具体的に触れてはいないが、米国製兵器輸入の削減などを指すと見られる。台湾では、馬再選に赤信号が灯った時、中国側が「ミサイル撤去カード」で再選の後押しをするのではとの観測があるが、黄はCBM協議入りと相互主義という「枠組み」を提示し、北京が一方的な妥協はしない姿勢を示したと言える。
民進党と馬政権への評価
 続いて③の民進党に対する評価。「民進党が台湾政治で優位に立っている点」としてまず「説得力」を挙げた。「民進党の主張は、国民党より多数の民衆の同意を得やすい。カギは民主化後、民主は台湾の普遍的価値となった」と指摘。「民主の『民』を強調することによって『2300万人民の生命共同体』『台湾人民は主権を持つ』という主張は『一つの中国』の空間を圧縮している」と、「一つの中国」の理念が劣勢にある現状を冷静に分析した。
 さらに「大陸は敵」という考えが台湾ではかなり正当性を持ち、「大陸と和解」という主張は、逆にリスクを伴うと指摘。「馬英九は後者だが、両岸の敵対的性質を変えることは出来ず、民進党は試験監督官で、馬は受験生という役割を担わせた。馬がいくら台湾優先といっても、多くの台湾人から見れば、台湾への忠誠は民進党にはかなわないと映っている」と書く。ここには、蔡英文が総統選に向けて「台湾アイデンティティ」と「和而不同」を打ち出した背景と共通する認識がある。
 ④馬政権評価に移ろう。黄は「現在の国民党はかつてとは異なり、『本土派』が優勢を保っている。彼らは統一に何の使命感も持たず、本音は拒否という者もいる。彼らの最大の本音は『台湾優先』にあり、両岸関係の戦略では民進党の『実務派』と変わりない。馬が主権問題で曖昧な処理をすれば『主流民意』と対立してしまう」。「馬が再選されたとしても8年の短時間でこの不利な要素を克服することは簡単だろうか?従ってわれわれは、馬が『尻込みしている』と責めるべきではなかろう。最近のすう勢から判断するに、馬はさらに後退し『一中原則』の堅持を一層曖昧にして政治協議入りを遅らせようとしている」。
 余計な解説は不要であろう。馬政権も民進党の「実務派」も追求する現状維持路線が、結局「独台」(台湾は既に独立した主権国家)という最大公約数を生み、そこから一歩踏み出すことの困難さを読み取って欲しい。
ポスト胡の台湾政策
 黄論文は最後に、残された問題を次の11点にまとめている。簡単に回答がみつかりそうなものはない。①台湾の政治的地位をどう表述するか②台湾の国際生存空間の拡大と、「一つの中国」の堅持をどのように矛盾させないようにするか③征服型の統一と協力型の統一をどう区別するか④協力型統一の意味とその道筋、起爆力は何か⑤将来両岸がともに統一を協議し決定するとしたら、「共議」メカニズムをどのように構築し、議題はどう設定するか⑥争いをどのように裁定するか⑦平和、発展、統一の三者間の関係⑧ウィンウィンとは?大陸は何を勝ち取ろうとし、台湾は何を勝ち取りたいのか?⑨平和メカニズムの構築と不武、不独、不統はどのような関係にあるのか⑩平和協議を基礎にした政治メカニズム以外に、どのような領域でメカニズムを構築するか⑪両岸の平和メカニズムは統一という最終目標とどのようなつながりを持つのかー。
 胡錦濤の総書記任期は来年秋で終わり、順当にいけば中国共産党は習近平時代に移行する。胡の台湾政策は、厳しい緊張関係を大幅に緩和し、対話と交流に道を開いたという意味で数少ない成功例のひとつと言ってよいだろう。これまで検討してきたように、両岸の経済一体化は、大陸に対する台湾人の意識を、北京が期待するようには変えられなかった。つまり、両岸関係を単純な経済決定論からみることはできない。日本統治と戦後を合わせ116年に及ぶ両岸の分断は、現状維持から融合へ移行する難しさの背景にもなっている。黄論文を読むと、北京は政治協議を急いでいないように見える。同時に政権内部には馬への不満や、「馬を甘やかしすぎ」という批判が渦巻いていることがうかがえる。胡政権のうちに、政治協議を達成したいと「功を焦る」官僚もいるだろう。北京が核心利益とみる「一つの中国」の「政治ゲーム概念」と、「分断統治の実態」とどう折り合いをつけるのか。共産党支配が新たな不安定局面入った今、統治をめぐる内部の確執も絡みながら、いっそう複雑さを増すことになる。
(了)



 
1 『胡6点』は「海峡両岸論」第1号「台湾政策を『平和発展』に転換』」を参照 (http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_01.html
2  『92合意』中国の対台湾交流窓口機関、海峡両岸関係協会と台湾の海峡交流基金会の当局者が1992年、香港での実務協議で達した合意。中国側はその解釈として「両岸は『一つの中国』原則を堅持する」ことで合意したと主張。一方の国民党は「『一つの中国』の解釈は(中台)各自にゆだねる」という共通認識を得たとし解釈が異なる。05年4月の連戦・胡錦濤による国共トップ会談では「92年合意」の堅持をうたったが、「一つの中国」に対する国共両党の「曖昧な共通認識」の源となっている。
3  蔡英文主持新境界文教基金會智庫揭牌 (http://www.dppnff.tw/2011/02/blog-post_23.html
4  「馬再選に弾み、中国は柔軟政策」 (http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_18.html
5  総統府HP(http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=23628&rmid=514
6  国台辧新聞発布会(2011-2-23) (http://www.gwytb.gov.cn/xwfbh/201102/t20110223_1761022.htm
7  中国時報「8字空言に過ぎないか?」2011-03-01
8  海峡両岸論第12号「統一は経済・社会の統合から」 (http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_12.html
9  海峡両岸論第9号「政治協議へ初のセカンドトラック」(http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_09.html
10  聯合報「AIT(兩岸一甲子)是兩岸對話里程碑」 (http://udn.com/NEWS/MAINLAND/MAI1/6267716.shtml
11  黄嘉樹「両岸の政治協議に関する考察」2010-12-31(中国評論新聞)
http://www.chinareviewnews.com/doc/1015/3/1/2/101531236.html?coluid=33&kindid=543&docid=101531236&mdate=0103105357
12  中央日報社説「九二共識:兩岸互信的根基」(8・14)
http://www.cdnews.com.tw/cdnews_site/docDetail.jsp?coluid=110&docid=101258654

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