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     第38号 2013.06.15発行 by 岡田 充
    龍應台が語る両岸関係そして日本
―価値の相対化迫る台湾の知― 
 この1年、両岸論は「無人の孤島」をめぐる不毛な争いに引きずられてきた。今回は久々に本旨に還り、現代台湾を代表する作家で評論家の龍應台とのインタビューを掲載する。彼女は昨年5月に創設された台湾文化省で初代大臣に就任。インタビューは4月10日、文化省の執務室で3時間にわたって行われた。話は、当然ながら彼女の「大江大海1949」=写真(邦訳「台湾海峡1949」白水社)から始まった。台湾、香港で50万部を超えるベストセラーである。国家と権力に飲み込まれたさまざまな個人の物語。自身の両親をはじめ、無理やり軍隊に連れてこられた若者、捕虜を銃殺し戦犯として死刑判決を受けた台湾籍日本兵に,抗日戦争中の中国軍兵士など、戦火の中でアリのように潰された人びとの声を集めた内容である。オーラルヒストリーから歴史に迫る方法は「どんな国家もタマネギに似ている。皮を一枚一枚剥くと最後に残るのは個人で、あらゆる国家神話は崩れる」という確信に基づいている。
 その価値観は、外省人2世として台湾に生まれ育ち、米カンザス州立大で英米文学博士号をとり、冷戦構造が崩れる80年代後半、ドイツ人と結婚しドイツに住んだことと無関係ではない。「アイデンティティとは、固定した枠組みではない」。「辺境は中心よりもっと大きい力を発揮することがある。この認識は、私が香港にいたことと関係がある」と語るように、異なる国家、人種、宗教、イデオロギーを体験することによって、あらゆる価値を相対化する思考方法が身についたためであろう。
 デスクワークより現場主義。ジーンズにスニーカーを履き、文化省の関係施設をしょっちゅう視察。現地の人をつかまえては、ポンポン質問を浴びせかける。最も興味深かったのは、台湾人アイデンティティに対する分析である。「中華文化と公民社会という二つの要件の融合」とした上で「日本はもう明確な座標軸ではなくなった。新しい座標軸は、どちらかといえば中国大陸、北京であり、日本ではない」と言い切る。巨大中国と隣り合わせで呼吸しなければ生きられない台湾のポジションを的確に表現している。
 「親日か反日か」など、日本への距離感からのみ台湾を理解しようとする立場からすれば「聞き捨てならない」だろう。だが彼女は、外から台湾を見れば、独立か統一かでいつも喧嘩しているようにみえるが、それは表面的なものに過ぎないという。「民主と自由の追求」という共通認識が既にでき上がり、本省人と外省人の省籍矛盾や、独立か統一かの二項対立を超えたコンセンサスになっている、と。台湾では「現状維持がコンセンサス」という認識をもっとよく理解すべきであろう。領土問題が先鋭化してから、日本の言論空間では、意識の中に境界線を引き「あちら」は無条件に悪く、「こちら」は正しいとする論調が幅をきかせている。「国益」という言葉が、抗えない記号として大手を振る。「タマネギ」でしかない国家を絶対視しても、生活者が得るものはない。隣国との不毛な争いを脱する一つの方法が、自己相対化であることを彼女は教えている。
(1)「大江大海」 
 ―最初にお会いしたのは1999年11月でした。石原慎太郎都知事(当時)が、馬英九・台北市長(現総統)を訪問した際、市の文化局長をしていたあなたが、石原さんに本を贈ったら彼の顔色がさっと変わりました。
「よく覚えています。あの時は馬市長と一緒に石原さんとお会いしました。前年に訪日した中国の江沢民国家主席が、第二次大戦に関して日本は戦争責任を謝罪すべきだと言ったのに対して、李登輝総統は謝罪の必要はないと発言しました。私は作家として李総統の考えを批判する文章を発表し、差し上げた本にはそれが入っていました。それで本を渡したら石原さんの顔がこわばった」
 ―日本でも翻訳・出版された「大江大海」は大きな反響を呼びました。日本語版の序文の中で、国共内戦に敗れ台湾に退却した1949年を知るには、1945年(日本敗戦と台湾植民地支配の終わり)を理解しなければならないと書いていますね。
 「最初は両親のことを書こうとしたのです。大陸での内戦で放り出され、何も知らない小さな島に流れてきた両親達の世代のことを。一夜のうちに200万人が洪水のように台湾に流れ着いた、彼ら200万人(外省人)の歴史に対する情感を書こうとしたのです。いったん書き始めるとだめだった。船を降りて対面した600万人の台湾人(本省人)のことを理解しないで、どうしてこの200万人のことが書けるのかと。49年に根っこごと引き抜かれた人々は、その時45年に遭遇したわけです。だから600万人の45年を知らないと、200万人の49年は書けない」
国家はタマネギの皮
 ―戦後の台湾史でいうと、少数の外省人が多数の本省人を統治し本省人を圧迫したという見方が定着していますね。
 「この本には多くの国家が登場します。中国、日本、ドイツ、ソ連などですが、どんな国家も、タマネギの皮を一枚一枚剥くと最後に残るのは個人だということです。剥いてしまえば、ステレオタイプなものはなくなる。さまざまな仮の国家神話は崩れてしまいます。少数の大陸人が、多数の台湾人を圧迫したと指摘されましたが、権力の角度から言えば、そうかもしれない。でもそんなに単純ではなく、外省人のそれぞれの境遇は同じではない。非常に悲惨な運命をたどった人は多いです。第二次大戦中の日本人を「鬼子」と言いますが、満州開拓民は普通の農民で鬼じゃないですよね。彼らの最後は悲惨なものでした。タマネギの皮を剥けば、あらゆる神話は消えてしまう」
 ―本省人は「親日」、外省人は「反日」とみられています。
 「単純化して言えばそうです。これは自然なことです。なぜなら外省人は、彼らが大陸にいたころ、1931年(満州事変=柳条湖事件)に始まり、37年の盧溝橋事件を経て45年に至る。日本人が中国の土地で侵略戦争を発動し、無数の人が家を失い離散した。日本に対して消すことのできない痛苦を抱いている。一方、台湾人は別の一群の人たちです。彼らは1895年(日本統治の開始)から50年にわたり日本文化を深く受け入れ、第二次大戦中は中国と敵対しました。彼らは日本文化をよく知る600万人です。200万人の大陸から来た人びとは、日本によって家を失い離散した一群の人びとです。日本に対して全く異なった感情を持つ計800万の人が一緒になって、新たな将来を創るのというのは奇跡ですよ」
衝撃受けた大陸読者
 ―著書は50万部を超えるベストセラーになりましたが、大陸では発行できませんでしたね。
 「一番衝撃を受けたのは、大陸の読者です。数は知りませんが、かなりの人が読んだことは分かっています。ある上海の大学教授が教えてくれましたが、毎朝自宅前を本を積んだ荷車をおじいさんが引いて来る。荷台には『大江大海』が満載してあった。その教授が、一体何冊ぐらい売れたのと聞くと、おじいさんは、1000冊は売ったと答えたそうです。それは全て海賊版です。入手方法は幾つかあります。第1は海賊版で、大陸で『地下印刷』したもの。第2はネットの電子本、第3は大陸読者が直接ネットを通じて入手。そして第4は、香港の空港のブックストアです。
 ―大陸の読者から手紙は来ますか?
 「最も多いのが若者からです。政治、経済や歴史から意見を書く人達です。中国大陸と台湾の対比が強烈だと。例えば長春の方からは、長春であんなこと(注 筆者 45年8月―47年10月、国共内戦中に共産軍が同市を包囲し、約30万人が餓死したとされる)が起きたとは知らなかったと書いてきました。たくさんの若者は、歴史というのは別の顔があったのだなあと書いてきます。大陸のある学校では、2010年から学者が両親や祖父母を訪問して話を聞こうという運動を始めたそうです。まあオーラル・ヒストリーをやろうということです。大陸の多くの人が読んでくれましたが、一銭ももらっていません」
 ―台湾内部の反響はどうですか
 「幾つか後日談があります。柯景星というサンダカンにあった日本軍の捕虜収容所で、捕虜の監視役をしていた台湾人監視員のことを覚えていますか?彼が監視していた捕虜の一人に駐マレーシア中華民国総領事館の卓環来という領事がいた。領事の若い妻と4歳の娘、生後4カ月の男の子は、領事とは隔離収容されていました。その柯さんは、栄養状態が悪く、子育ての不安を訴えた夫人に卵30.40個を差し入れた。戦後、日本に対する裁判で173人の台湾人日本兵が起訴され、うち26人が死刑判決を受けました。当時22歳だった柯さんら7人の台湾人監視員は、捕虜46名を刺殺、銃殺したとして死刑判決を受けた。しかし1カ月後の再審で10年に減刑されたのです。
死刑判決受けた台湾監視員
 出版後、米国から手紙が届きました。差出人は卓領事の弟の娘、姪でした。彼女は捕虜収容所で卓一家を救った話を聞いていましたが、この本を読んでそれが柯さんと分かったわけです。姪の手紙には卓領事が日本人に殺されたと書かれていました。姪はその後米国から台湾に来て、柯さんと面会を果たして恩人に感謝しました。この面会後間もなく、柯さんは亡くなりました」
 「もう一人は前副総統の蕭万長の話です。彼は嘉義人で、家が貧しく病気になっても医者に払えるカネがない。そのころ嘉義で町医者をしていた潘木枝という医師がいて、お金に困っている人からはカネをとらず診療した。彼が8歳のころ2・28事件1が発生し、潘医師も拘束されました。ある日、嘉義駅前に人だかりがしている。潘医師は両手を縛られ、跪いた彼は銃殺刑になった。文盲の母親が、8歳の蕭に線香を持たせ「手向けなさい」と言った。そこで蕭は血潮に倒れ込んだ亡霊に跪き焼香したという話です。
 潘さんの家族は、父親が銃殺されたために、政府を恨んで離散して台湾政府とは完全に断絶し、日本や米国に移住しました。馬英九さんが台北市長、総統になってから2・28の遺族と和解を申し出ますが、彼らは拒絶していました。しかしこの本が出ると、蕭副総統から電話があり、潘氏の家族が本を読んで感動し、日本、米国に移住していた親族全員が台湾に戻り、蕭副総統と会い60年ぶりの大和解をしたというのです。2011年に行われた台北市の2・28記念日には、馬総統も駆けつけましたが、この時台湾に里帰りしていた潘さんの声楽家の孫娘が独唱しました」
「2・28」と歴史的無知
 ―「228」事件についての考えを聞かせてください。
 「非常に複雑です。この種の事件が起きたのは、歴史的無知と関係があるでしょうね。当時国民政府が台湾を接収したとき、彼らはもともと抱いていた台湾へのイメージがあった。それは台湾は日本人の奴隷だった50年という認識です。でも国民政府は、50年前、中国が台湾を日本人に差し上げたことを忘れていた。当時大陸から来た人達は、高みに立ち優越観から台湾のすべてをみていた。ちょっとキツイ言い方をすれば、台湾の歴史感情を一顧だにしなかった。もうすこし寛大に見れば、国民政府は8年の悲惨な戦争と内戦を経て、慌ただしい状況の中で、台湾人の文化や歴史的な心の痛みを理解する余裕はなかったと言えるかもしれない。その意味で2・28は、一つの時代の不幸です」
 「しかし、事件を大陸中国人が故意に台湾人にしたことと理解するのは実情に合っていない。1945年国府軍は東北を接収しました。東北地方は31年から45年まで日本の統治下にあった。だから、国府軍が東北を接収したときは、同じようなことが起きています。東北人は、国府軍はなぜ同胞にこんなことをするのかと感じました。
 第2次大戦後に、解放軍が上海に入った時も同じでした。われわれが君たちを処理するのだという態度です。これは、人間性の問題であり、相手に対する尊重と理解が欠けていた」
 ―新北市景美に「人権館」を作っていますね?
 「景美看守所は、白色テロ時代のものです。これ(白色テロ)は国際冷戦の一部分です。あのころは非常に多くの人が銃殺された。看守所に保存されていた資料を歴史教育と教材として、次の世代に何が起きたのかを伝えるためのものです。将来は人権博物館としてお目見えすることになります。人権館では、お年寄り達の口述をお手伝いし、過去の資料を探して、当時銃殺された方の遺書を、遺族を探し出して返還する作業もしています」。
(2)台湾アイデンティティ
中華文化と公民社会の融合
 ―最初に台湾に来たのは、戒厳令(1987年に解除)がまだ敷かれていた86年でした。台湾には、中国の顔に日本の顔それに台湾の顔と「三つの顔」が見えました。ただ台湾人のアイデンティティをうまく説明できなかった。
 「一言で括ればどうしても偏ってしまう。アイデンティティとは、決して固定した枠組みではない。壁に掛かった絵のような固定したものではないと思います。どちらかと言えば、流れる大河のようなもの。多くの支流と小川が様々な方向から流れ込む。同時に大河そのものも、狭くなったり広がったり様々な地形からなり、逆流もあれば激流もあり、時には渦をまいている。
 単純化して説明しようとすれば、最大公約数は何かと考えます。それは中華文化と公民社会という二つの要件の融合ではないか。中華文化の中には、日本の50年間に及ぶ台湾統治とそれがもたらした元素は含まれないでしょ。さらに先住民の言葉と文化も含まれませんよね。そこで公民社会、公民文化の概念を加えたわけです。戒厳令解除後の20数年で、台湾社会は、香港や中国大陸とは非常に異なったものになった。だから公民社会はとても重要な基礎です。台湾文化の多様性、つまり異なる部分を含むものとして公民社会を使った。このように中華文化とは異なる元素を入れて考えました。
 先週、台北で初公演した宝塚歌劇団を、85歳の婦人と一緒に鑑賞しました。この婦人は大陸出身です。わたしの父母と同じように、彼女の歴史感情から言えば宝塚なんか行かない。その夜の公演は満員でした。観客の大多数は、日本に好感を持っている人たち。つまり私の父母やこの老婦人とは別の脈絡の人たちです。それでも来たのは、彼女の麻雀仲間が公演のチケットを買ったからでした。劇場を埋めた人びとの振る舞いをみると、日本語が分かる人が多い。私とは成長の背景が異なる人たちです。でもこうして歴史的な脈絡の異なる人たちが一つの国家、社会を形作る。台湾はここまで到達したということです」
浅薄な日本の台湾理解
 「台湾と日本は、表面的には理解し合っているように見えますが、実際はかなり浅薄だと思います。深い認識を欠いている。どの社会も同じ傾向がありますが、人は惰性に流されやすい。信じたいと思っていることを信じてしまう。中国大陸の人たちや一部の台湾人もそうですけれど、日本の右翼が日本全体を代表していると考えてしまう。例えば教科書問題です。日本の教科書は過去の歴史をどう扱っているかについて、中国や台湾もそうですけど、メディア報道が人びとに一種のイメージを作り上げる。つまり大部分の日本人は右翼に賛成し、教科書は国家の指示に基づき単一の記述をすると。でもそれは実際の状況ではないでしょう?」
 ―日本と台湾、中国の間では領土問題が起きています。
 「哲学者として知りたいのですが、釣魚台にはどのぐらいの野鳥や草花があるのでしょう?」
 ―ヤギがたくさんいるようです。文化の視点から領土問題を考えるとどうなります?
 「これは重要だと思います。人類の歴史で、領土のために死んだ人が如何に多いか。東西ドイツが統一するプロセス、2つの国家が一つの国家になったのは1989年で、今は2013年ですね。2,3年前、ドイツで忘れられた領土が見つかりました。これはキューバの近くにある島です。島はかつて、カストロが東ドイツのホーネッカー・国家評議会議長にプレゼントしたものでした。しかしその後、東独も統一ドイツもすっかりこの島の存在を忘れていた。領土問題を聞かれ、思い出したのはこの笑い話しです。領土問題をどうすればいいかについては分かりません」。
 ―ドイツを含め欧州では国境がしょっちゅう変わっています。
 「今日まで、中国の周囲では未解決の領土があります。台湾だってそうじゃないでしょうか?かつてはポルトガル、オランダが支配した。これも典型的な例ですね」。
座標軸は日本から中国に変化
 ―外省人は「反日」で統一を望み、本省人は「親日」で独立に向かうという固定観念に縛られている人もいます。外省人の馬英九さんが総統になっても、まだかなりの日本人がこうした見方に立っています。
 「その公式は、現実から遊離しています。過去の外省人はそんな対日感情を持っていました。でももう60年が経ちました。私の父母の世代はほぼ去り、いまの台湾人はほとんど戦後およびその下の世代です。日本はもう明確な座標軸ではなくなりました。新しい世代は、大衆文化の影響を受けています。もう日本(という鏡)から自分の価値観を決定しようとはしません。新しい座標軸は、どちらかといえば中国大陸、北京であり、日本ではない。台湾を表面的にみると「藍」対「緑」、つまり国民党と民主進歩党がいつも対立しているように見えます。でもこのグループの間のコンセンサスは大きい。それは民主と自由の追求でありです。本省人、外省人を分けることはできない。これが最大公約数です」
 ―公民社会ということですね。
 「そうです。外から見るとなかなか理解できないかもしれない。たぶん、統一や独立から台湾を理解しようとするかもしれませんけど、これらは台湾人が自ら放った「煙幕」のようなものです。なぜなら多くの人は台湾の現状維持を望んでいる。台湾の現状は、共産党の統治の中に入らない民主体制、公民社会です。そして非常に強大な中国があり、台湾はその隣にある。そんな状況下で台湾人が割れる。違いは、統一を叫ぶか、それとも独立を叫ぶかだけです。そのことによって現在の民主制度を維持できると考える。スローガンを叫ぶのは、現在の民主と自由な状態を維持しようと考えるからです。つまり現状維持が、一つのコンセンサスということです」
(3)両岸関係と中国
中心より大きい作用持つ辺境
 ―台湾文化と大陸文化の違いの出発点を、1919年の「五四運動」に求めていますね。
 「台湾と大陸の間には、単に60年間の隔絶があっただけではない。もっと大きい差があるということです。日本が台湾を植民地化した1895年、あるいはもっと前からの文化の隔絶から説明しなければならない。五四運動は、中国近代史上最も重要な文化方面のアプローチです。当時の思想指導者は二派に分かれていた。いわば急進派と穏健派です。五四運動から30年後の49年、台湾と大陸は別れます。文化面での穏健派は国民党とともに台湾に来た。急進派は大陸にとどまり大陸で急進をやり、台湾では穏健な保守主義の道を歩んだということです。穏健派の胡適も台湾に来たし林語堂もそう。彼は早くから共産主義は信じない、急進主義は信じないと言ってきました。だから急進主義を受け入れていれば、共産党を選択することになったでしょう」
 ―ことし2月、フランスでの記者会見で、中国と台湾を「中心と辺境」の関係から論じていますが少し説明してください。
 「これはある意味で批判です。中国大陸に対してだけではなく、私自身にも内在するもの、われわれ中華文化圏の知識人、北京を中心とする知識人への批判でもありました。私自身もそうでしたが、国民政府とともに南京を中心とする視点から、国家の歴史をみようとする。こうした認識と態度は、大陸では北京を中心としてしまう。我々の世代の知識人はだいたいそうです。一種の文化的優越感から、文化全体をみようとすることへの批判です。中心にいると、充分理解できないことや、無視してしまうことがでてくる。進歩する力について言えば、辺境は中心よりもっと大きい力を発揮することがあります。この認識は、私が香港にいたことと関係があります。香港で中国現代史をみていて、あらゆる進歩は中央からではなく、周辺からくることに気づきました。近代的な医療、婦人解放、革命、政治革命思想などはすべて周辺から始まっています。現在をみれば、もし中国を中心とするなら、香港と台湾が発揮する進歩の作用は明確ですよね。フランスで話したときに意識したのは、英国とアイルランドの関係でした」
中国は終わりのない授業
 ―1985年に初めて原籍の湖南省に行きましたね。どんな印象でしたか?
 「われわれの世代の台湾知識人は、中国に理想化した情感を持っています。中国を文化的に理想化しているのです。中国といえばすぐ唐詩、宋詞、司馬遷の「史記」が思い浮かんでしまう。85年以降、中国に行くたび、過去の認識にあった中国文化、理想化していたものを、現実を理解する中で一枚一枚整理してきました。台湾人は集団として、まだこの問題を整理中です。私自身は95年、上海「文匯報」に「龍應台の頁」を持って連載した。さらに「大江大海」を出すまで20年以上もかかりました。一つの政治現象が起き、すぐには結論が出ない。そこで私は自問するわけ。これって、ソ連の影響を受けた社会主義制度の結果かしら。それとも明朝最初の皇帝の朱元璋以来の一貫したやり方なのじゃないのか?これは必ず経なければならない思考のプロセスだし、常に答えを出そうと考えています。一体何に起因するのかと。結局、中国とは私にとって終わりのない授業です。
 私の周りの台湾人と中国大陸の話をすると、よく大陸中国人の公衆道徳の話になります。例えば混乱、タンを吐く、大声を上げてといったことです。特に若い台湾人は、大陸中国人に対しネガティブなことを言う人がいる。そういう時に私はこう思うんですよ。それは中国大陸だからとは言えないと思うよ。だって台湾の60年代も同じだったから。それはたぶん、社会の発展段階の問題であって、中国大陸の民情のせいにすべきではないでしょ、と。
中国?あんな大きなもの要らない
 ―もし国民党が内戦に勝利し中国を支配していたら、現在の中国が抱える様々な矛盾は起きなかったでしょうか?
 「これは歴史家に聞くべきでしょうね。もしどうしても答えを出さなければならないとしたら、国民党が勝っていれば、共産党の統治方式はとらないでしょう。ただ全く別の問題が起きていたでしょう。国民党は過激主義ではありませんから。しかし国民党が勝っていたとしても、統治はやっぱりデタラメかもしれない。でも文化大革命は起きなかったと思いますね」。
 ―新疆やチベットなどの民族問題は起きなかった?
 「遅かれ早かれ起きていたでしょう」
 ―やはり統一した大中国を目指していたでしょうか?
 「台湾人は変わりました。大江大海は1949年の敗者の話を書いたものです。しかし敗北したが故に、国民党にその教訓を学ばせました。この失敗がなければ、国民党もまた大中国を信じていたと思います。いま多くの大陸知識人は国民党に期待を寄せています。国民党が大陸に来て政権をとればいいじゃないか、と。でも私は、あんな大きいものは要らないと答えます。そうすると大陸中国人は「なんて意気地がないんだ」と必ず言うんです。これはまさしく歴史の脈絡の下で形成された意識の違いです」
 ―2009年に両岸の三通が全面的に実現しました。その一方、台湾では台湾人意識が強まり、大陸との意識の距離は遠くなる一方だといわれます
 「距離が近いか遠いかはよく分かりません。ある面では近い。特に専門家や芸術家、作家の交流、劇や歌など公演の交流は毎日のように行われている。ビジネスマンの交流もかなり多い。しかしもう一方では、ものすごく遠い。台湾人は大陸中国人に不信を抱き、とても防衛的です。だから遠くて近い、近くて遠いのですね」。
中国の安定に台湾は重要
 ―その不信観は今後も続くのでしょうか?
 「それは北京次第です。政治改革をして、安定し持続した前進があるかどうか。中国大陸が台湾の国際空間をどの程度与えるかにも関係するでしょうね。大陸が突然台湾の国際社会の成員としての資格に圧力を加えると、台湾人の反発は強烈になります。例えば、東京映画祭2での大陸側の発言は、台湾人は耐えられない。こういう事件が多発すると、両側の距離は更に遠くなる。心理的な距離はますます遠くなります」
 ―台湾は境界を超えて、文化的に大陸に影響を与えられるのではないでしょうか?
「中国大陸は大国として台頭しました。台湾は極めて小さい。でも台湾は独自の角度から世界平和に貢献できる。この地球村では、中国の安定と理性は極めて重要なことです。中国をもっと合理的でもっと開放的で、文明的で安定させる上で、台湾は影響を発揮できます。中国が新たな道を探る上で、米国や欧州あるいは日本の経験も参考になるでしょう。でも台湾の比じゃありません。台湾は同じ言語と伝統を持っているから、影響を発揮できる。その意味で、辺境からは中心に影響を与えることができるのです」
 ―日本の読者へのメッセージはありますか。
 「日本人はすこしゆっくりと台湾を知って欲しいですね。日本人は中国を緊張の目で見ています。緊張というのは不信、ある種、名状しがたい不安でしょ。日本は中国に不安感を抱き、一方、台湾に対しては植民地同様、ずっと昔のまま変化しないという印象で見ている。中国はまさに変化しています。それは表面的な変化ではなく、本質な変化です。基本的には中華の伝統文化をもちながら、同時に近代化の中で公民社会へと転換しています。中国の変わる方向、その未来の方式は台湾が45年以来今日までたどってきた変化と、必ず相関関係があります。日本はもっと深く中国を理解する必要があり、台湾はその上で重要な参考になります」(一部敬称略)
 本稿は岩波書店の月刊誌「世界」7月号所収の拙稿を大幅に加筆、差し替えたものである。インタビュー写真は、解坤成(台湾文化省)撮影。 


  1. 2・28事件 
    戦後、日本から台湾統治を引き継いだ国民党政権が1947年、台湾人の抵抗運動を弾圧した事件。運動の背景には大陸から渡ってきた政権の腐敗や横暴への強い不満があった。台北市内で2月27日、闇たばこ売りの取り締まりをきっかけに当局側と民衆が衝突。28日に全市が暴動状態となり、3月1日から主要都市で民衆が官庁や警察を襲撃。当局の武力鎮圧とその後の摘発で、台湾人エリートら推定1万8千―2万8千人が殺害された。
  2. 東京映画祭事件
    2010年10月23日に開幕した第23回東京国際映画祭で、中国代表団が台湾代表団に対し「台湾」ではなく「中国台湾」などの名称を使うよう要求したため、女優のビビアン・スーら台湾代表団が開幕式参加を断念した。



(了)
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