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     第48号 2014.07.30発行 by 岡田 充
    「安保のワナ」をどう断ち切るか
日中衝突に歯止めを
 安倍晋三内閣が集団的自衛権の行使容認に踏み切った理由として挙げたのが、日本を取り囲む「安全保障環境の変化」だった。安保環境の変化が、中国の「脅威」と北朝鮮の核・ミサイルを指すことは言うまでもない。問題は「中国の脅威」とは何かであろう。それは
 本当に存在するのかどうかをきちんと検証しなければ、過半数の反対を押し切って強行した根拠は失われる。尖閣諸島(中国名 釣魚島)の「国有化」から間もなく2年。日中関係は典型的な「安保のジレンマ」状態にある。「安保のジレンマ」とは、軍備増強や同盟締結など自国の安全を高めようとする行動が、相手国に同様の措置を促し、抑止効果どころか逆に緊張や紛争をもたらすことを指す。それだけではない。安倍政権とメディアは「安保のワナ」にはまっている。「安保のワナ」は造語だが、中国の「脅威」が吟味されることなく一人歩きし、思考回路が狭い意味での軍事対応のみで空転することを意味する。このワナにはまると、対話と協議という外交アプローチの思考回路が閉ざされてしまう。日中関係を打開し衝突を避けるため、「ジレンマ」と「ワナ」をどう断ち切るか、その道を探りたい。(1)日中対立が起きている歴史的・構造的な背景(2)中国脅威論の実相(3)日米中三角形の変化(4)尖閣は非国家化をーの順で論じる。これまでの両岸論と重複する部分があるが、お許しいただきたい。
(1)120年来の地殻変動
 集団的自衛権の行使容認が閣議決定された2日後の7月3日、中国の習近平・ 国家主席が韓国を初訪問し、朴槿恵(パククネ) 大統領と会談した(写真 韓国大統領府HPから)。首脳会談では、中韓双方が朝鮮半島での核兵器開発反対で一致、旧日本軍の従軍慰安婦問題で共同研究を進めることでも合意した。共同記者会見では日本批判を避けた両首脳だが、翌日の昼食会などで集団的自衛権の行使容認決定や、慰安婦問題をめぐる河野官房長官談話の検証を不適切とし、安倍政権を批判したことが韓国メディアの報道によって明らかにされた。集団的自衛権に言及するかどうかは、首脳会談の性格を左右する。
同盟関係にねじれ
 中国トップが、北朝鮮訪問に先立って韓国を訪問するのは初めてである。それだけに、今回の訪問の狙いとして、対北朝鮮けん制の側面ばかりが強調されてきた。しかし安倍批判で両首脳が足並みを揃えたことは、安倍外交こそが両国を接近させた要因だったことを物語る。安倍は中韓首脳会談の当日、日本人拉致被害者問題をめぐり北朝鮮に科してきた独自制裁の一部を解除すると発表した。これに対し米大統領副補佐官は「多国間の制裁を犠牲にすべきではない」と、異例の注文を付けたのである。
 こうしてみると東アジアの既成の政治地図に、微妙なズレが起きていることに気付かされるだろう。ズレを起こしているテーマは、安全保障と歴史認識。いずれも安倍政権が歴代内閣の方針を否定し「主体的」に提起したという意味で、ズレの震源地は安倍内閣にあることがわかろう。この二つのテーマに沿ってズレを整理しよう。まず安全保障。米国を要に日本と韓国が伝統的な「同盟関係」を形成している。しかし集団的自衛権では、米国は安倍政権を支持しているが、韓国が反対し同盟内部で「ねじれ現象」を起こした。一方、中国と北朝鮮は形式的には同盟関係にあるが、「名存実亡」状態といってよい。冷戦期の同盟関係は変化しているのだ。
 歴史認識はより複雑である。中国と韓国、北朝鮮は「日本の侵略、植民地支配の被害者」との共通認識から、靖国、慰安婦など多くの問題で立場を共有する。一方、米国は、安倍首相の「戦後レジームからの脱却」を強く警戒し、昨年12月の靖国神社参拝を「失望」と初めて厳しく批判し、慰安婦問題でも見直しを強くけん制した。安保と歴史の二つのテーマを整理すれば、東アジアで孤立しているのは安倍外交であることははっきりする。
主役交代と国民国家の変容
 今年は日清戦争開始120年の節目に当たる。東アジアの政治地図でズレをもたらしているのが、100年来の変化ともいうべき構造変化である。変化の第1は主役の交代。120年前のロシアと日本から、米国と中国に主役が変わりつつある。尖閣諸島問題を含め東シナ海と南シナ海で起きている紛争の背景には、この主役交代がある。台頭する中国と、緩やかに衰退する米国、日本という大国の重心移動が、地域の情勢を不安定化させているのだ。既得権益を守ろうとする旧秩序と、挑戦者との摩擦と言ってもいい。例えば、海洋強国を目指す中国軍の艦船が、西太平洋の「第1列島線」から「第2列島線」へ出ようとしていることを、既得権益者である日米とそのメディアは、中国の「拡張主義」と非難する。しかしそもそも西太平洋は日米の海ではない。中国からすれば「米国が中国などを封じ込めるために設定したもので、公海に出るのは当たり前の権利」(朱建栄・東洋学園大教授=両岸論47号)ということになる。
 第2の変化は、国民国家の性格変化。120年前の戦争は、結果的には清朝と帝政ロシアという二つの皇帝統治の崩壊を促し、国民国家形成への端緒を開いた。120年後のいま、経済と情報のグローバル化が進行し、ヒト、モノ、カネが瞬時に国境を越えて移動する時代になった。国家間の相互依存が進み、国家の統治は一国の内政だけでは決定できず、国際的な力関係によって決定される。国家を主体とした伝統的な安全保障観が舞台の後景に退き始めているのだ。先に整理したように冷戦期の同盟関係の構図がズレ始めているのは、その表れである。
 国家の性格変化に伴い人々の意識も変わっている。富裕化と民主制を実現した多くの国では、人々の国家意識はどんどん薄まっている。この6月、台湾と中国で開かれた日清戦争や東アジアの国際政治に関する学術シンポジウムで、筆者は国家意識の希薄化と尖閣諸島問題との関係について次のように問題提起した。
 「尖閣をめぐる対立の背景にあるのは、中国の大国化に伴う東アジアの勢力変化である。中国は経済規模で2010年に日本を追い抜き、米国と『新大国関係』を築こうとしている。一方の日本は、経済低迷と頻繁な政権交代の不安定から脱することができない。そこに老獪な石原新太郎が登場した。領土問題で中国を刺激し強硬姿勢を引き出すことによって日中対立を煽りたてる。そうすれば日本人の国防意識が高まり、薄れる国家意識を強めることができる、という目論みである。それは見事に的中した」(写真は6月6日、吉林大学で発表する筆者=右3)
 石原イニシアチブを、安倍が受け止め、国家を前面に出しフォローする。それが「中国の脅威」を利用した集団的自衛権の閣議決定だった。大国の重心移動とグローバル化に伴う国家の変容、そして国家意識の希薄化という歴史的、構造的な変化が、領土ナショナリズムという時代錯誤の感情を駆りたてている…
(2)中国脅威論の実相
 野田政権による尖閣諸島の「国有化」(2012年9月)からほぼ2年。それ以来、中国側は連日のように公船を尖閣に接近させ、昨年11月には尖閣上空を含む東シナ海上空に「防空識別区」(ADIZ)を「一方的」に設定。中国空軍機と自衛隊機が30メートルまで接近する「ドッグファイト」まがいの事態まで起きた。こんなニュースを毎日聞かされ読まされれば、多くの人は「中国が武力で尖閣を奪おうとしているのでは」と思い込むのは当然である。「安全保障環境の変化」という宣伝が、ストンと腑に落ちてしまう。政府の発表を無批判に垂れ流し、中国との対決を煽るメディア報道を見れば、メディアの体質は戦前からほぼ変わっていないと思う。
中国公船の接近の意図は何か
 中国海警局の監視船は「国有化」以前は、例外を除けば12カイリには入らないようにしていたから、中国の対応は「国有化」を境に変化したのは明らかである。問題はその意図である。公船接近をもって「力で奪おうとしている」という結論を引き出すのは飛躍というものであろう。習近平・中国共産党総書記は2013年7月30日の党政治局学習会で、海洋権益をめぐる対立を処理する基本原則として「主権はわが方に属するが、争いは棚上げし、共同開発する」という「3原則」を示した。同時に「国家の核心的利益は犠牲にできない」とも述べ、海洋権益を断固として守るよう指示したという。習発言について新華社のネット版「新華網」は、3日後の8月2日付論評で「争いのある場所については、われわれは座ってゆっくりと話し合えること、争いを横に置き、平和共存の原則から争いのある場所を共同開発できることを世界に向けて発信した」と解説した。
 「習発言」に照らすと、公船接近の意図は明快になる。それは、尖閣が「中国の領土である」ことを実際行動で示すことにある。ある在京中国筋は「日本側が領土問題の存在を認めても公船の尖閣接近は止めない」と明言する。「では棚上げ方針は生きているのか」と質すと「棚上げ方針に変更はない。ただ中国船が常時領海に入るという新たな現状が出発点」と答えた。かみ砕いて言えば、尖閣は日本だけが実効支配しているのではなく「日本と中国が共に実効支配」しているというのが中国の現状認識である。そこから、単独開発ではなく「共同開発」という目標が導き出される。
 「棚上げ」すべき現状は、「国有化」以前と以後では変化した。大変化である。野田政権による「国有化」は実に大きな代償を払ったことになる。日本メディアは中国公船の領海内へ立ち入りを「領海侵犯」と報じるが、国際法上は「領海侵犯」ではない。外国船舶は、軍艦であれ商船であれ「無害通航」である限り、他国の領海へ無断で入ることが認められている。国際法上は、領海に対する国家の管轄権は排他的なものではない。
ADIZの重複「問題ない」と答弁
 「国有化」の代償はそれだけではない。中国国防部は2013年11月23日、尖閣上空を含む東シナ海の広い空域に、中国初の防空識別圏(Air Defense Identification Zone=ADIZ)を設定したと発表した。ADIZは、領空侵犯に備えるため、領空の外側に設定した空域を指す。戦闘機が緊急発進(スクランブル)をするかどうかの基準でもある。領空(12カイリ)とは直接の関係はなく国際法上の規定はないから、勝手に線引きすることができる。
 東シナ海でADIZを先に設定したのは日本である。日本のADIZは元々、米軍が1950年代初め、ソ連機と中国機の動向監視のため設定したものだ。当時、日米両国は台湾と国交があり、ADIZは米国が同盟国と共同軍事行動する際、敵味方の識別の必要から設定したのである。米政府が沖縄返還を約束した1969年、米軍のADIZはそのまま日本に引き渡され現在に至っている。引き継がれた時点から、日米による共同運用下にある。
 ADIZについての中国側の論点を整理しよう。第1に、ADIZを先に設定したのは日本側であり、中国の行動は対抗措置であること。第2に、日本側は「危険な行動」と非難しているが、日本側こそADIZに入った「中国機を追尾し飛行の自由を妨害している」と反論する。そして第3は、島の「現状」を先に変更したのは、国有化した日本という論理である。「現状を変更したのは日本だから中国も実効支配する」というのが、中国側の論理。海域のみならず空域でも 「日本の実行支配」の現状を認めず、これを切り崩そうとする狙いである。
 日本政府は、中国のADIZは日本のそれと大幅に重なるとして撤回を要求しているが、中国側は「日本がADIZを撤回するなら考えても良い」と応じた。日本のADIZは、福建省から130キロの至近距離まで引かれているのだから、我々も沖縄本島から130キロまで引いたと主張する。いわば意趣返しである。日本政府もメディアも、自分たちの行為、自分の足元には実に無自覚である。
 興味深い話がある。1972年当時の防衛庁の防衛局長が、仮に中国が尖閣をADIZに含めても「格別、不都合ではない」と国会で答弁しているのだ。安倍首相は国会答弁で「尖閣領空が中国の領空であるかのごとき表示で受け入れられない」と非難し撤回を求めているが、72年当時の防衛当局の認識は全く異なっていた。日中国交正常化直前という歴史的文脈で読む必要はあるが、中国がADIZを設定すると、自分の足元のことは忘れ「脅威」と騒ぐ日本政府とメディアの意識こそ問題ではないか。少なくとも公平な姿勢ではない。こうした報道を続けると、防衛識別圏があたかも領空であるかのように勘違いする人が増えるのではないか。「ドッグファイト」については日中双方が、ともに相手の「挑発」を非難している。どちらか一方の防衛省の主張だけをうのみにするわけにはいかない。ただ、日中間では首脳会談も開かれず、政府間の相互不信感は強まる一方である。「不測の事態」に備えて「海上連絡メカニズム」の構築を目的とした日中防衛局長級会議(2013年4月以来中断)だけは早急に再開すべきであろう。
(3)日米中三角形の変化
 尖閣を巡る日中対立に、米国はどのようなポジションをとっているのだろうか。4月末東京で開かれた日米首脳会談から、米国の立ち位置を検証し日米中の三角形がどう変化したかを整理しよう。結論から言うと、安倍にとって日米首脳会談は「力を背景に現状を変更しようとする」中国の脅威を煽り、日米が「対中抑止」を強化することが主要テーマであると「世論誘導できた」点では成功であった。日中関係を「安保」からアプローチする方法である。これに対しオバマ大統領が「日中が対話や信頼醸成をせず事態がエスカレートするのは、大きな過ちだと安倍首相に伝えた」と述べたように、米側の真意は話し合いによる平和的解決にある。
アプローチ・ギャップ目立つ日米
 日米首脳会談は、日本側の「安保アプローチ」と米国側の「外交アプローチ」のギャップが際立つ結果となった。共同声明では「尖閣諸島が日米安保条約でのコミットメントの対象」であることが盛り込まれたが、オバマは尖閣防衛の具体的な内容には言質を与えず、安倍周辺を落胆させた。安倍が共同声明を「画期的」と自賛したい気持ちは理解できるが、バランスシートで言えば「プラス・マイナス・ゼロ」であろう。
 米国の尖閣政策は、1972年の沖縄返還時に日本に施政権を返還したが「主権については特定の立場をとらない」という「施政権・主権分離」である。共同声明も「日本の施政下にある」ことに言及しているだけで、従来の分離論を繰り返している。4月24日の共同記者会見でのオバマ発言を再録する。
 (日米安保の防衛義務の対象と明言した理由について)
―われわれの立場は新たなものではない。~中略~尖閣諸島の最終的な主権の決定については特定の立場を取らない。しかし尖閣諸島は歴史的に日本の施政権下にあり、一方的な現状変更の対象になるべきではない。これは新たな立場ではないー
―安倍首相との会談で、この懸案の平和的解決の重要性を強調した。状況をエスカレートさせず、冷静な発言を保ち、挑発的な行動を取らず、どうすれば 日本と中国が協力して取り組めるのかを決めようとすることが重要だと力説した。われわれと中国の間には強い関係がある。中国は地域だけでなく世界にとって 重要な国。巨大な人口を抱え、経済成長しており、中国の平和的な台頭を促し続けたい-
 オバマが、共同声明が中国に向けたものでないことを必死に強調していることが分かる。
日本防衛への疑念晴れず
 首脳会談を総括する2つの記事を紹介する。安倍政権も本音では落胆していることを示す内容だ。
 「『尖閣諸島への安保適用』が、どう具体化されるかは不明だ。この問題に詳しい日本政府高官は『米国が有事に本当に守ってくれるか、はっきりしなかった。手放しで評価できない』と語った」(「朝日」4月26日)「外務省関係者は『中国との対話解決を求めているかのようなオバマ氏の提案は、安保条約適用発言の効果を減殺した』と肩を落とした。『尖閣条項』の明記は、TPP交渉をめぐる対日カードにすぎなかったのか―。政府内の一部にはこうした疑念の声もくすぶる」(「共同」25日)
 なぜ安倍周辺が落胆したのか。安倍周辺の自主防衛論者は、米国が本当に日本を守ってくれるかどうかについて懐疑的である。だから「自主防衛」強化を主張する一方、集団的自衛権の行使容認によって日本が米軍の補完役を果たし、その見返りとして米国の日本防衛を期待する「二つの軌道」を用意している。しかしオバマ発言からは疑念を晴らすことはできなかったというわけだ。
 冷戦時代は日米安保の存在を「容認」してきた中国は、21世紀に入り日米同盟を対中封じ込めの「冷戦思考」と批判、米国との戦略的関係である「新たな大国関係」構築を最重視している。中国は米国の影響力後退を見ながら、日米中の三角形の中で日米同盟を「骨抜き」にし、それに代わって米中の「新たな大国関係」を基軸に、日本を米中関係の「副次的変数」にしたいところだろう。一方、日本政府は日米同盟を基軸にした三角形を必死で維持ようとしている。日米首脳会談は次の2点に要約できる。
 1、日本と中国が米国を「引っ張り合う」構図がよりはっきりし、バランサーとしての米国の価値を高める結果となった。米国は日中のバランスをとりながら三角形を規定する役割を演じ続けることができる。三角形の米中の辺の比重が高まり、冷戦期のように日米同盟だけが、日米中の三角形を規定できる時代ではない。
 1、安倍政権には、三角形のもう一つの辺である日中関係改善の視点が完全に欠落している。世論を「中国の脅威」に誘導することに成功しても、日中間の「安保のジレンマ」を加速するだけ。結果的には日中双方にとってマイナスどころか危機的な状況を生む。日中間で中断したままの対話の再開と関係改善に向けた取り組みこそが、喫緊の課題である。
(4)尖閣は非国家化を
 われわれは、手をこまねいて中国との衝突を傍観してはならない。いかにしてブレーキをかけて衝突を防止するかが問われている。安倍政権は集団的自衛権の必要性として、日本の周辺にある「脅威」を挙げた。だが、脅威を抑止するためなぜ米軍の補完役を意味する集団的自衛権の行使が必要なのかという疑問がわく。具体的に言えば、尖閣諸島で有事があれば、憲法上認められている「個別的自衛権」の行使で十分であり、集団的自衛権の行使容認など必要ないことになる。
 解釈改憲に反対する「善意」としては理解できるが、それだけを主張するなら「安保のワナ」にはまる恐れがある。安倍政権は「安保アプローチ」のみで中国に向き合い、抑止力(軍事力)の強化以外の選択肢を持っていない。日米首脳会談で要約したように、オバマはそんな安倍に対し「外交アプローチ」を迫ったのである。繰り返しになるが日中関係はいま「安保のジレンマ」に陥り、「安保のワナ」との相乗効果から、衝突の危険性が高まる。日中首脳対話の中断が長引けば、「脅威論」が定着して、安保の「ワナ」と「ジレンマ」が高じるだけである。海と空から尖閣に接近する中国の意図については(2)で「ともに実効支配している」実績作りにあり、武力で奪うことではないと書いた。
「異なる主張は存在」がヒント
 中国側は、首脳会談再開にあたって、日本側が領土問題の存在を認めるよう要求している。安倍は「対話のドアは常に開かれている」としつつも、領土問題の存在を認める用意は全くないようだ。ある霞が関官僚は今年初め、その理由について「中国の経済成長の伸びは鈍化しても国力はまだ上向きで強い。国力が強いときは敵わない。交渉をやれば負けるからやらない」と答えた。さらにこの官僚は「中国側の狙いは尖閣の共同管理にある。領土問題の存在を認めるべきというが、領土と主権は国家にとって50年、100年を見据えた大事だ。簡単に譲れません」と説明する。
 日本側の公式見解は「中国との間で解決すべき領土問題は存在しない」というものである。だから「領土問題の存在」を
認めるよう要求する中国と簡単に妥協できない。ではどうするか。その一つの回答は「安倍パパ」、安倍晋太郎元外相(写真)が国会答弁で出している。時は中曽根内閣時代の1985年4月22日の衆院沖特委。安倍外相はこの中で尖閣問題への質問に対し「中国が独自の主張をしていることは承知」としつつも「中国との間に尖閣諸島の領有権をめぐって解決すべき問題はそもそも存在しない」と答えている。よく読めば、「中国が独自の主張をしていることは承知」との表現で、領土問題が存在していることを事実上認めているのである。これは一つのヒントである。上海の中国研究者にこの表現に、中国側は乗るだろうかと尋ねると「検討の余地はある」と答えた。安倍パパはこの答弁で、中国との石油共同開発についても「中国側と相談する」と答えた。まさしく棚上げと共同開発につながる考えを披歴しているのだ。
自治体で特区設置し非国家化を
 尖閣の領有権について結論を出すのが本論の目的ではない。日本と中国の公船しか近寄れない尖閣は「ゼロ以下の価値」しかない海の孤島である。主権を巡る不毛な争いは衝突の危険性すらはらんでいる。衝突の危険を取り除き「ゼロ」を「プラス」に転化し、この海域を共通の生活圏としてきた人びとが、境界を越えて利益を得る枠組みを作るのが目的である。
 筆者は先の台湾、中国でのシンポジウムで、尖閣諸島を「特区化」するよう提唱した。島の利用と管理を沖縄・石垣市、台湾・宜蘭県、中国・福建省の三自治体で設立する「海洋平和特区」に委ねる試案である。12カイリ内には公船は入れず非武装地帯とし、特区が資源、環境調査をした上で、将来の資源利用と開発計画を策定する。特区に利用と管理を授権するのは国家だから、それぞれの「主権」の主張は相互に否認されない。その意味では新たな「棚上げ」である。運用は国家の手から離れるため、三者とも領海に関する国内法の「適用除外」措置が必要だ。
 対話の糸口すら見つからない日中関係の現状からみれば「荒唐無稽」や「空想の産物」「血迷ったか」まで、ネガティブな反応ばかりが想定される。しかし想像力とは、今は見えない遠くにあるものを引き寄せて見えるようにする力である。国家を主体とする旧い国際政治の枠組みをいったんバラバラにしないと、新しい出口は見つからない。国家主権も領土も絶対的で排他的概念と見なされているからだ。
 中国と台湾の識者からこの試案はおおむね好意的な反応を得た。「棚上げ」「共同開発」は中台ともに主張しているからである。しかし多くの識者は一様に問う。「では安倍政権はこの試案を飲むだろうか」と。答えに窮した。(敬称一部略)
 (本稿は「月刊社会民主」8月号「『安保のワナ』にはまってはならない」の一部を差し替え、同誌編集部の了解を得て転載)
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